経済学部生のための基礎知識300題 ver.2 page 105/308
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基礎知識300歴史から学ぶ経済学# 98 1900年の世界の工業生産額/西洋経済史1900年時点における世界の工業生産額の比率について述べなさい。【解説】□解説ビデオクリップ当時イギリスは第二次産業革命における工業化....
基礎知識300歴史から学ぶ経済学# 98 1900年の世界の工業生産額/西洋経済史1900年時点における世界の工業生産額の比率について述べなさい。【解説】□解説ビデオクリップ当時イギリスは第二次産業革命における工業化に立ち遅れ、新産業の展開に失敗し停滞していた。その結果、まずアメリカが広大な国土と資源によって急速な工業化に成功した。特にイギリスから新技術を導入し、本国でせっかく発明された技術も先進国の不利が働き、なかなか旧来の設備の廃棄が進まずその間にアメリカが急速に新技術を備えた巨大な設備を次々に導入して行った。そのために株式会社制度を積極的に導入し、コンツェルンを容認して独占資本主義体制を整えていき、1890年にはイギリスの鉱工業生産を追い抜き世界最大の工業国家となった。ドイツも工科大学による高級技術者の教育と術科学校による大量の中堅技術者の養成に成功し、この当時の科学技術の発展に大きく貢献することとなった。この時期の急速な工業化は電機や化学・薬学さらには機械工業で目覚ましく、この当時のドイツの優位が現在まで生きており、ドイツの最も重要な産業分野となっている。ドイツは、国民性として秩序を重んじカルテルに対して寛容であり、金融資本の仲介による巨大な株式会社が設立され、独占体の形成に進んだ。こうして1900年にはドイツは工業生産でイギリスを凌駕するようになり、ここに本格的にドイツ問題が顕在化することとなった。ドイツは経済的覇権から政治的覇権を目指してあからさまにイギリスに挑戦し、世界大戦を引き起こすに至った。フランスはフランス革命後、中小農民が保護され長い間農村における資本主義的発展が妨げられ、このことがフランスの市場の狭さに結果し、資本主義的発展は緩慢に進むことになった。加えて、フランス革命後もヨーロッパにおける文化的覇権の維持によって、文化的彩りを強く持った仕切られた市場に対応した中小企業を中心とする手工業が長く残存し、本格的な大企業や独占体の形成がイギリスより遅れることとなった。こうして20世紀初めに至っても、ドイツだけではなくイギリスにも工業生産で後れをとった。さらにロシアはちょうど産業革命の渦中にあり、急速な工業化のまっただ中にあったが、なお依然としてヨーロッパの後発国に甘んじていた。参考文献:石見徹『世界経済史―覇権国と経済体制―』東洋経済新報社,1999年【関連問題】年月日1.アメリカがイギリスの鉄鋼業生産を追い抜いたのはいつか。