経済学部生のための基礎知識300題 ver.2

経済学部生のための基礎知識300題 ver.2 page 106/308

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基礎知識300# 99大航海時代歴史から学ぶ経済学/東洋経済史ヨーロッパが大航海時代に至った要因を説明しなさい。【解説】□解説ビデオクリップスペインやポルトガルが大西洋に探検家を送り出した理由は、インド航路を....

基礎知識300# 99大航海時代歴史から学ぶ経済学/東洋経済史ヨーロッパが大航海時代に至った要因を説明しなさい。【解説】□解説ビデオクリップスペインやポルトガルが大西洋に探検家を送り出した理由は、インド航路を発見することであった。古代以来、アジアからは絹を始めとして多くの特産物がヨーロッパに輸出されていた。とりわけ需要が高かったものが香辛料である。コショウ(インド原産)、クローヴ(モルッカ諸島原産)などは貴重な商品としてヨーロッパで珍重された。これらの特産物の対価としてヨーロッパは銀を支払っていたが、その交易ルートは中東地域を経由していたため,常にイスラーム諸国の領内を通過するための高関税を負担する必要があった。当然ながら、銀は無尽蔵に存在するものではない。長期間にわたって銀が流出したヨーロッパでは、アジア物産購入のための銀を節約する必要に迫られていたのである。そこでイスラーム商人(インドから地中海までの交易は彼らが掌握していた)の仲介を経ない直接取引が企図されたのである。この事実から窺えることは、①ヨーロッパとアジアの長距離交易が盛んに行われていたこと、②その交易の形態が「片貿易」であり、一方的にヨーロッパがアジア側に商品代金を支払う構図が形成されていたことである。そこには、「豊かなアジア」・「貧しいヨーロッパ」という関係が垣間見られるのである。【関連問題】年月日1.戦国時代から江戸時代に日本では大量の銀が産出された。世界遺産にも登録されている島根県にある銀の産出地はどこか。