経済学部生のための基礎知識300題 ver.2

経済学部生のための基礎知識300題 ver.2 page 110/308

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基礎知識300歴史から学ぶ経済学# 103産業革命とアジア・ヨーロッパ/東洋経済史産業革命を契機に、アジアとヨーロッパの関係がどのように変化したのか説明しなさい。【解説】□解説ビデオクリップアジアは古代文明の....

基礎知識300歴史から学ぶ経済学# 103産業革命とアジア・ヨーロッパ/東洋経済史産業革命を契機に、アジアとヨーロッパの関係がどのように変化したのか説明しなさい。【解説】□解説ビデオクリップアジアは古代文明の時代から「世界の中心」とも言える世界を構築していた。中国やインドのように多くの貴重な文物や知識、技術を生み出した世界だけでなく、中東地域を中心にしたイスラームの各王朝もアジアとヨーロッパを繋ぐ文明の交錯地として独自の世界を築いていた。これらの地域での政治・経済・文化に関する膨大な蓄積が、ヨーロッパ世界に少なからぬ影響を及ぼしたことは周知の通りである。経済的側面から見たアジアは、多くの人口を維持し得るだけの物質的な豊かさに恵まれており、それを支える自然環境も農業生産に適していた。それ故、様々な農産物が生産され、それに伴って商工業も一定の発展を見せていたと言える。こうした条件をヨーロッパは(一部を除いて)持っておらず、アジアとは対照的な世界であった。従って、古代からヨーロッパには多くのアジア物産が流入していた反面、ヨーロッパからアジアへの商品輸出は比較にならない程度であった。こうした交易の構造を見ると、アジアはヨーロッパに対して貴重な商品・情報・知識・技術を提供する存在であったことがわかる。しかし、イギリスに端を発する産業革命とその後の工業社会の出現は、こうした従来のアジアとヨーロッパの関係を大きく変化させた。機械による飛び抜けた生産力、技術力、それらを背景とする軍事力を獲得したヨーロッパ列強は、経済の持続的成長を担保するために、二つの課題を克服する必要があった。それは,①工業生産に必要な原材料の安定的確保、②大量に生産される工業製品を販売する広大な市場の確保である。これらをライバル国との競争を繰り広げながら実現することは容易ではない。そのため、ヨーロッパ列強諸国は自国の排他的領域の確保、すなわち植民地獲得へと方向性を定めていくのである。そして、上記の課題を克服するためのターゲットとして着目されたのがアジア地域であった。すなわち、豊富な人口、天然資源を抱えるアジアは、近代資本主義国家にとって格好の「空間」として認識されるに至る。それは、「貧しいヨーロッパ」から「強いヨーロッパ」への転換を図る動きであると同時に、ヨーロッパが抱いていた「豊かなアジア」への羨望と嫉妬に基づくアジア理解をさらに歪め、支配を正当化する論理の構築をも促進させることにつながった。こうしてアジアの大半の地域がヨーロッパ列強の植民地となったのである。? #090産業革命の歴史的意義【関連問題】年月日1.インドはどの国の植民地であったか。2.ベトナムはどの国の植民地であったか。3.フィリピンはどの国の植民地であったか。4.インドネシアはどの国の植民地であったか。