経済学部生のための基礎知識300題 ver.2

経済学部生のための基礎知識300題 ver.2 page 111/308

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基礎知識300歴史から学ぶ経済学# 104ペリー来航の背景1/日本経済史1853年にペリーが浦賀に来航した背景を次の中から選びなさい。a.捕鯨船などの難破船の救助と保護を日本に求めることb.軍事同盟を締結することc.長崎....

基礎知識300歴史から学ぶ経済学# 104ペリー来航の背景1/日本経済史1853年にペリーが浦賀に来航した背景を次の中から選びなさい。a.捕鯨船などの難破船の救助と保護を日本に求めることb.軍事同盟を締結することc.長崎・出島のオランダ商館と交渉することd.日本の鉱山開発をすすめることe.兵器輸出の見返りとして、蝦夷えぞ地の割譲を求めること【解説】□解説ビデオクリップペリーは、1852年11月アメリカ合衆国東部のノーフォーク軍港を出航し、1853年6月江戸湾入口の浦賀沖に現れる。ペリーが持参した、当時のアメリカ大統領フィルモア大統領から日本皇帝あての国書には、アメリカ側の要求項目として「友交・friendship」「通商」「石炭と食料の供給」そして「アメリカ難破民の保護」が記されていた。当時の日本は、1825年の異国船無二念打払令から1842年に天保薪水令へと大きく転換していたが、アメリカ側には伝わっていなかった様である。この政策転換は、アヘン戦争と南京条約によって中国がおかれた状況に関する情報を得て、対外政策を転換したためであった。ペリー来航については、ペリーが海軍省管轄下の東インド艦隊司令長官に任命され、最新鋭の艦船とともに極東にやって来たことを考慮する必要がある。参考文献:石井寛治『大系日本の歴史⑫開国と維新』小学館ライブラリー,1993年加藤祐三『黒船異変』岩波新,1988年? #101アヘン戦争【関連問題】年月日1.ペリーが持参したのは誰からの親書であったか。2.1837年に起こったモリソン号事件の幕府の対応を非難した学者は誰か。3.彼らが幕府に捕らわれた事件を何というか。