経済学部生のための基礎知識300題 ver.2

経済学部生のための基礎知識300題 ver.2 page 113/308

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基礎知識300歴史から学ぶ経済学# 106幕末幕末の長州藩が関係した事柄を次の中から選びなさい。a.日米和親条約の締結b.日米修好通商条約の締結c.海軍伝習所の設置かずのみやこうかd.和宮降嫁はまぐりごもんe.蛤御門の....

基礎知識300歴史から学ぶ経済学# 106幕末幕末の長州藩が関係した事柄を次の中から選びなさい。a.日米和親条約の締結b.日米修好通商条約の締結c.海軍伝習所の設置かずのみやこうかd.和宮降嫁はまぐりごもんe.蛤御門の変/日本経済史【解説】□解説ビデオクリップ幕末の長州藩は、ペリー来航を契機として「雄藩」として台頭する。外国からの条約締結要求に対して、徳川幕府は挙国一致体制をとるべく「幕臣や諸大名に対外策を諮問」したことが幕政の混乱に拍車をかけたのである。各藩においても同様であるが、長州藩では桂小五郎や高杉晋作などの若手が抜擢される。彼らは、尊王攘夷を旗印に藩内部の開国派を追い落とし、藩論を攘夷へと転換させ、1863年下関を航行する外国船に砲撃を加えて攘夷を決行する。これに対する外国艦船の報復によって、長州藩海軍は全滅の憂き目に遭ったが、さらに1864年には、なんと長州藩士と尊攘派の浪士の諸隊が京都に続々向かったのである。朝廷と幕府は、諸藩兵で対抗する。長州藩の尊王攘夷派の部隊は、当時公武合体派であった薩摩藩の軍事力の前に敗退する。蛤御門の変あるいは禁門の変と言われている。同年長州藩は、下関を攻撃してきた四国連合艦隊に全面降伏する。これによって長州藩は、「俗論」派の藩論へと転回し、尊攘派の高杉晋作は藩内から脱出することとなった。参考文献:石井寛治『大系日本の歴史⑫開国と維新』小学館ライブラリー, 1993年【関連問題】年月日1.高杉晋作が長州藩で学んだ私塾を何というか。2.この私塾を主宰していたのは誰か。3.高杉晋作が発案して組織された戦闘部隊は何か。