TOPNGU EXPO2005研究創刊号W.博覧会関連の社会資本整備に関する研究
W.博覧会関連の社会資本整備に関する研究
−社会資本の経済効果と瀬戸市の役割−
名古屋学院大学経済学部 水野 晶夫

 

1.はじめに
 国際博覧会が、中部新国際空港、第2東名及び東海環状自動車道、新空港・万博候補地への鉄道アクセス等の整備の推進力として期待されていたように、社会資本の充実が国際博覧会との関連で語られる場合が多く、21世紀に向けた社会資本整備におけるこの地域の期待は大きい。また、瀬戸市にも、「瀬戸市道路ネットワーク構想」や「瀬戸市地域新エネルギービジョン」等にみられるように、愛知万博を契機とした地域開発への取り組みも出てきている。さらに、跡地利用の候補として「あいち学術研究開発ゾーン」が中心的な位置づけられており、産・官・学の連携と協力のもとに実施することが計画されている。 「博覧会」自体は一時的なイベントであるが、そのために整備される「社会資本」は半永続的な産業活動や生活の質を向上させる資産であり、博覧会関連で重点的に整備される社会資本をどう地域と結びつけて考えていくかという視点を、博覧会以後の期間についても十分に持ち合わせていなければ、単なる公共事業のばらまき政策となりかねない。
 本研究は、このような視点から、博覧会関連社会資本をどう瀬戸市に還元していくかについて検討することを目的とする。

2.社会資本の範囲と経済効果
 この節では、社会資本の定義を明確にしたうえで、社会資本の経済効果について検討する*1。

2.1 社会資本の範囲
 資本は、性質によって社会資本とそれ以外の資本の分けられる一方で、所有形態によって公共部門の所有する資本(公共資本)と民間部門の保有する資本(民間資本)にも分けられる。表1はそれを分類した表である。
 公共部門が所有する社会資本には、道路・港湾・治山治水施設等、民間部門が所有する社会資本には、電力・都市ガス・民間鉄道・電気通信等があげられる。
 社会資本が民間の企業設備と異なる理由は、第1に、一般道路や街路、都市計画など、それらが生み出すサービスが非排除性、非競合性の性質を持つため、市場機構に委ねても社会的に望ましい量が供給されないので、政府や地方自治体が税を徴収して供給しなければならない。
 第2に、保健・衛生・福祉・教育など外部経済効果が著しいサービスを供給するための資本は、市場機構に委ねても供給されるが、社会的に必要な供給量に比べて不足するため政府や自治体が直接供給したり、民間の活動に補助金を与えて供給を促し、社会的に望ましい供給量を確保する必要がある。
 第3に、電力・都市ガス・交通運輸・電気通信などの公益事業では、初期投資が膨大なため、供給を市場機構に委ねると、競争が十分機能せず、独占の弊害が生じることになる。
 第4に、国際空港や大架橋などの大規模事業では、必要とされる資金が膨大で民間だけでは調達が困難なこと、事業が地理的に広範囲に及び民間だけでは調達が困難なこと、建設期間が長いことによる資金負担やリスク負担が民間では困難なことなどの理由により、民間に任せていたのでは事業が進まない。そのためこうした資本の整備が社会的に必要とされる場合には、政府や自治体が建設したり、出資者として事業に参加したりする。

表1 社会資本の範囲

2.2 社会資本の経済効果
 社会資本の経済効果は主に、需要側要因による短期的効果と供給側要因による長期的効果に分けられる*2。
 公共投資が実施されると、事業に投入される資材の需要が増加し、その生産が増加、それに伴って雇用・所得も増加する。それが呼び水となって民間部門の支出を誘い、総需要が拡大して、当初の公共投資の規模以上の国民所得が増加する。これは、乗数効果といわれるものである。
 また、産業連関分析は、産業を生産単位とした生産技術の観点から、経済の循環構造を数量的に解明しようとするもので、一産業に生じた変化が産業間の相互依存関係を通じて直接・間接的に影響を及ぼし、経済体系全体に波及する効果を分析するもである。
 以上は、需要側からの視点によって、初期需要の変化に対するそれぞれの理論に基づく短期的効果を評価するものであるが、他方、公共投資には、供給的側面も同時に持ち合わせている。
 公共投資によって社会資本が建設された後に、その生み出すサービスが経済成長や国民生活、産業活動を高める効果を持つ。いわゆる生産力効果といわれるものである。
 例えば、下水道・都市公園・区画整理などの生活関連社会資本は、地域の生活環境を改善し、快適な住民生活を提供する。また、道路・鉄道・港湾・空港などの産業関連社会資本は、産業活動を向上させ、新産業の勃興の可能性を生み出す。
 これらは、社会資本が存在する期間中はその資本が生み出す効果が持続するため、長期間にわたって効果が維持される。逆に、社会資本の不足は地域の産業の発展を阻害し、また生活環境の改善を阻む原因になる。
 また、社会資本の整備には膨大な税金が投入されることから、生産力効果だけでなく、費用便益的アプローチでの評価も必要である。
 このため、どの地域に社会資本が整備されるかを検討する際には、社会資本が生み出す生産力効果や純便益をみる必要がある。

3.日本における社会資本の生産力効果・純便益*3
 最近の日本における地域社会資本の生産性に関する議論は、吉野・中野(1994)、浅子他(1994)、三井他(1995)などがある。これらの実証研究のいずれも、社会資本が生産に対して貢献していること、および大都市圏の限界生産性が地方圏のよりも高いことを結論づけている。そのため、大都市圏の社会資本を優先して整備すべきであることをいずれも主張している。
 しかしながら、用地補償費は社会資本としての生産性に貢献しないため、大都市圏ほど用地補償費率が高い現状では、限られた予算を用いて生産を最大化するという観点からは、大都市圏の社会資本を優先して整備すべきであるという結論には至らない可能性があり得る。
 また、社会資本の耐久年数は一般的に長期であり、それから発生する便益を考慮すると生産力格差以上の便益格差が発生している可能性が高い。さらに、生産力が低い場合、純便益が地域によってはマイナスになる可能性もあり、これによって公共投資政策の意義を問うことも可能となる。
 このため、まず費用便益的なアプローチによって、公共投資政策がもたらす純便益を推計することによって、これまでの研究における結論が維持されるかを検討すると同時に、愛知県における生産力効果と純便益について評価する。

3.1 生産関数の定式化
 労働L、民間資本K、社会資本Gを3つの生産要素とする生産関数を推計する。推計に用いる関数は、コブ・ダグラス型生産関数

の両辺の自然対数をとった形

をとる。
 データに関しては、Yは県内総生産(総支出)、労働Lは『県民経済計算』の県内就業者数、民間資本K、社会資本Gはそれぞれ浅子他(1994)の1975年度の基礎データをベンチマークとして、『県民経済計算』の民間企業設備IPと公的企業設備・一般政府・住宅の合計IGを積み上げた。それぞれのストックについて除却率は毎年一定とし、民間資本については4.38%、社会資本については3.125%とした。
 なお、データはすべて実質値(基準年1985歴年)で調整した。また、徳島県の県内就業者数と沖縄県の資本ストックデータが公表されていないため、これら2県を除いた。

3.2 推計結果
 徳島県と沖縄県を除く45都道府県のデータの1975年度から1992年の18年間の時系列データをすべてプールして、最小2乗法を用いて推計した。

 生産関数の1次同次性の仮定(α+β+γ=1)を課して推計すると、前出の研究結果とは大きく異なる結果が得られたため、係数間制約は課していない。
 また、浅子他では、同様の推計方法を用いて、1975年から88年度までの推計期間で、α=0.768、β=0.185、γ=0.169の値を得ている。本研究では、さらに4年間延長されており、その結果民間資本の弾力性が約0.09上昇し、逆に社会資本の弾力性が約0.02減少している。

3.3 社会資本の生産力効果、純便益の評価
 ここでは、各都道府県の生産力効果とそれを用いて推計した純便益から、浅子他(1994)等で主張されてきた公共投資政策のあり方を再検討すると同時に、愛知県における生産力効果と純便益について評価する。
 純便益は次のように推計している。社会資本の投入よって発生した生産増は、その期だけではなく社会資本の耐用期間中維持される。このような長期的な便益を現在割引価値で評価したものが限界純便益である。割引率は、当該年度における長期国債 (10年物)の利回り(75年度:8.227%,80年度: 8.227%,85年度:6.582%,90年度:6.799%)を採用し、便益の導出には、前出の用地補償比率を用いて割り引いた。また、将来年度における便益には、除却率を用いて修正している。
 表2から表6は1975年度、1980年度、1985年度、1990年度、1992年度における都道府県別の社会資本の生産力効果、限界純便益の値をそれぞれ高い順に並べ、上位20位までと分散値を並べたものである。
 生産力効果では、大都市圏を含む都道府県が上位を連ねている。また、地域間格差は75年度が高い値を示しているが、その後低下し、90年にはまた上昇している。
 一方、純便益は用地補償比率によって、1期目の格差は緩和するが大都市圏と地方との値の大小が変更されるほどではないため、長期効果からむしろ格差が増幅することになる。つまり、順位についても、依然大都市圏を含む都道府県が上位を連ねている一方で、むしろ格差は増大しており、逆に地方圏で費用のほうが長期効果を考慮した便益よりも高くつく地域が現れてきており、地方圏における公共投資政策の問題が浮き彫りになっている。
また、愛知県に注目すると、この地区における社会資本の生産力効果・純便益は、日本でもトップレベルであることがわかる。この潜在能力を、「博覧会」整備をにらみながら引き出していく必要があるのはいうまでもない。国・県レベルでできることは、高齢化・少子化による超低成長時代を生き抜くための効率的な社会資本の配分を行うことであるが、市町村レベルでできることはマクロ的には限られている。しかしながら、一方でミクロ的には主役であることはいうまでもない。瀬戸市として、この財産をどう地域に還元していくかは十分に議論する必要がある。
 他方、「博覧会」需要で、産業構造が公共事業関連・博覧会関連にシフトし、財政が「博覧会」で硬直化するに加えて、現産業・新産業への基盤整備がおろそかになる可能性もある。
 社会資本のもつ潜在能力をいかに引き出していくか、そしてそれをどう地域に還元していけるかは、瀬戸市にとって今後の重要なテーマの一つである。

表2 社会資本の生産力効果・純便益(1975年度)
表3  社会資本の生産力効果・純便益(1980年度) 
表4 社会資本の生産力効果・純便益(1990年度)
表5  社会資本の生産力効果・純便益(1990年度)
表6  社会資本の生産力効果・純便益(1992年度) 




4.社会資本整備と「まちづくり」の視点−瀬戸市の役割−
 前節で述べたように、博覧会関連で整備される社会資本をどうやって瀬戸市に還元していけるかが瀬戸市にとって最重要課題であることは間違いない。 
 その場合、注意すべき点は、ソフトの充実の伴わないハード面だけの整備では「まちづくり」が失敗する可能性が高い、ということである。これまでの「まちおこし」「地域振興」等の再開発のほとんどが、ハード中心のいわゆる「はこもの」整備であり、地域の経済力を超えるような建築物を造っても、それをうまく活用するノウハウや工夫、やる気がなければ、維持費に税金をつぎ込んでも、まちは活性化しない。
 現代では、民間資本や技術、そして人の集まるところでしか新産業は興り得ず、社会資本整備というバラマキ行政では、一時的な雇用対策こそなれ、産業振興には結びつかない。地域の財政力や文化にあったハードを整備する一方で、それを育むソフトを充実させない限り、地域振興にはならないのである。
 さらに、そのソフトを育む意味でも、官が何でも抱える形ではなくて、市民参加型の街作りという観点から、市民といっしょに作っていく、あるいはやる気のある市民を取り込む形でのプロセスも大切にしていかなければならない。瀬戸市民としてのアイデンティティは、そういったプロセスから生まれるものである。
 跡地に出来る予定の新住宅地に6千人もの人口が集まっても、平日は名古屋に働きに出かけ、休日も名古屋に遊びに行く住民が、瀬戸に対する愛着を持つかどうかは疑問である。また、固定資産税や市民税を納め、地域に参政権を持つ市民に、瀬戸との関わり合いを持ってもらう、地域に愛着を持ってもらうような動機付けを仕掛けるのは、地域行政の責務といってもいい。その意味で、新住民にとって未知の土地であると同時に、新しい故郷でもあり、新しく生活する地域に対する興味や関心を引き出し、育むようなアプローチは、行政の重要な仕事であるといえる。
 例えば、跡地利用における緑地・公園整備に関して、企画段階から市民や子供達を巻き込みながら、いっしょに作っていく部分を確保するのはどうか。それによって、街への参加意識や住民間の交流を促すという副産物も、広義の意味で街作りに貢献する。 
 また、市街地再開発では、開発・建設後の運営について、市民参加型のソフト面の対策なしでは、街としてのにぎわいを作ることはできない。
 例えば、駅ビルロビーの活用を市民開放に開放し、定期的な音楽・イベントを実施する。あるいは、瀬戸川プロムナード街路開発では、オープン・カフェや露店を認め、フリーマーケット、定期市(いち)を開催し、まちのにぎわいを演出するのも一案である。
 いずれにしろ、地域との関わり合いをもつようなプロセスや運営上のノウハウといったソフト面の充実が、これからの街づくりにおける重要な課題であることは間違いない。
 

参考文献

浅子和美・常木淳・福田慎一・照山博司・塚本隆・杉浦正典「社会資本の生産力効果と公共投資政策の経済厚生評価」、経済企画庁『経済分析』第135号、1994年

奥野信宏『公共経済学』岩波書店 1996年 

竹内信仁・水野晶夫・仲林真子「地域別社会資本の生産性と財政収支」mimeo  1997年

三井清・竹澤康子・河内繁「社会資本の地域間配分−生産関数と費用関数による推計−」郵政省郵政研究所『郵政研究レヴュー』第6号、1995年


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TOPNGU EXPO2005研究創刊号>X.シンポジウム報告
X.シンポジウム報告
地域の経済社会と愛知万博
― 開催効果と地域発展のあり方をめぐって ―
1998年11月15日
せとしんエンゼルホール

TOPNGU EXPO2005研究創刊号X.シンポジウム報告>開会のあいさつ
NGU万博プロジェクト研究の紹介−開会のあいさつに代えて−
名古屋学院大学経済学部 プロジェクト研究代表 小林 甲一

皆さん、こんにちは。きょうはお忙しいなかをご来場いただきまして、まことにありがとうございます。開会に先立ちまして、今回のシンポジウムのきっかけとなりました名古屋学院大学産業科学研究所の万博プロジェクト研究の目指すものということでお話をさせていただきたいと思います。
皆さんご承知のように、昨年6月、博覧会国際事務局(BIE)の総会におきまして、2005年に愛知県瀬戸市を主会場とする日本国際博覧会、いわゆる「愛知万博」が開催されることが認定されました。ここ数年、とりわけ会場予定地の環境破壊の問題、博覧会の開催が環境破壊につながるのではないかということをめぐりまして、賛否両論が繰り広げられました。また、開催決定後も環境アセスメントでありますとか、関連する公共事業など、さまざまな論点で論議が繰り広げられております。非常に大きな注目を受けているというふうに思われます。今後、この地域周辺の21世紀に向けた地域づくりというものが、この博覧会開催を柱に展開することは確かであろうと思われます。
考えてみますに、博覧会の開催は地域に非常に大きな、多様な効果をもたらします。もちろん効果といいましても、期待されるプラスの面ばかりだけではありませんで、その進め方いかんでは、かえってマイナスの効果ばかりを呼び起こすということになるかもしれません。そういったことも懸念されます。
そこで、われわれプロジェクト研究のグループは、2005年日本国際博覧会が地域へ及ぼす効果に関する研究というものを通じまして、その展開を見守っていこうというふうに考えたわけです。そして、この3月に万博プロジェクト研究ということで発足をさせまして、4月から活動を開始し、研究会とか調査活動等を繰り広げております。
 地域といいますのは、非常に多様な、特殊な要因が重なってでき上がった生活とか経済とか社会、そして文化の集合体であろうと思われます。これらを考察していくためには、かなり限定的な、かつ長期的で総合的な視点を持って調査に当たらなければなりません。
そこで、このプロジェクト研究では、きょうお配りしたパンフレットにも書いてありますように、4つの大きなテーマを掲げまして、活動を進めてまいっております。1つは「万博の基本構想と自然との共生」ということで、今回の博覧会のテーマとなっています「自然との共生」というものと、これまでの博覧会の展開でありますとか、今回の博覧会のあり方、そういったところを考えるところであります。

それから、次に「瀬戸市周辺の地域振興と地域開発」ということで、われわれ地域と申しましても、名古屋学院大学が立地する瀬戸市、それからその会場地である瀬戸市を中心に考えていきたいということでやっておりますので、瀬戸市周辺の地域振興と地域開発ということ。
それから3番目に、「中部圏および愛知、そして瀬戸市周辺の産業および地域経済へ及ぼす波及効果」ということ。それから、皆様ご承知のように、この瀬戸には地場産業として多くの陶磁器産業が集積しております。そういう「陶磁器産業と今後の瀬戸市の産業文化の活性化について」、こういった4つのテーマを掲げて研究活動をしておるわけです。
とりわけ強調したいところなんですけれども、いわゆるアフター万博、万博後の地域づくりの問題も視野に入れまして、必要に応じて政策提言なり、調査活動なりを展開していきたいというふうに考えております。
 そこでの基本的な視点と申しますのは、万博の開催を一過性のお祭り騒ぎにだけはしたくないといいますか、それでは見てとれないような、あるいは、いわゆる自然環境にはマイナスで、経済にはプラスという単純な図式だけでは読み取れないような多様な効果、それから地域政策の方向性といったものを探っていきたいというふうに考えております。
愛知万博の基本構想におきましても、自然との共生、地域との調和、そして地域の市民参加といった点が強く求められておりますし、まちづくりと一体となった会場づくりというものが繰り返し表明されております。そしてまた、この瀬戸市でも、後からご紹介があろうかと思いますが、博覧会の開催とそれに伴う関連事業というものがさまざまに構想されております。ですから、今後、博覧会の準備が進んでいくにつれまして、開催地を抱える地域の視点というものがますます重要になってくるであろうというふうに考えられます。
今回のシンポジウムを機会に、愛知万博の開催が地域の経済社会にどのような効果を及ぼすのかといった点を検討いたしまして、いわゆる21世紀型の地域政策の実験場というかたちでとらえて、今後の地域発展のあり方というものを皆さんと一緒に考えることができればというふうに思っております。
きょうは、博覧会協会事務次長の安井さん、それから名古屋大学の奥野先生、京都大学の植田先生、それから国際日本文化研究センターの白幡先生、こういった専門家の方々にパネリストとしてご参加いただきまして、われわれプロジェクト研究の旗揚げとしてシンポジウムの開催を企画したわけです。ぜひ皆さん、今後の博覧会の進め方について、あるいはそれが及ぼす地域への効果について、いろいろとお考えいただければというふうに思っております。
それでは、早速ですが始めさせていただきます。どうもありがとうございました(拍手)。



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TOPNGU EXPO2005研究創刊号X.シンポジウム報告>第1部
第1部:パネリストによる基調報告

●司会(木村) 皆さん、こんにちは。名古屋学院大学の木村でございます。
ただいま、もうすでに小林の方からパネリストの先生方のご紹介が済みましたので、早速基調報告に移らせていただきたいと思います。
最初に、博覧会協会の基本的な立場、あるいは今後の方策を安井さんにお願いいたしまして、その後3人の先生方にそれぞれの専門分野からのご意見をお伺いしたいというふうに考えております。
それでは、早速でございますが、2005年日本国際博覧会協会事務次長の安井俊夫さんからお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


TOPNGU EXPO2005研究創刊号X.シンポジウム報告第1部>2005年日本国際博覧会…
2005年日本国際博覧会のめざすもの
(財)2005年日本国際博覧会協会 事務次長 安井 俊夫

ご紹介を賜りました安井でございます。
今もお話がありましたように、昨年6月にこの愛知県瀬戸市での2005年の国際博覧会の開催が決定したわけであります。これを受けまして、私たちの2005年日本国際博覧会協会、これが昨年10月23日に発足をいたしました。私たちの仕事は、この博覧会の準備そして運営、これが主たる任務でございます。現在、私たちは、博覧会の会場の基本計画づくり、これを進めております。すでに、7月17日には会場計画の素案というものが、私どもが設けております専門家集団であります企画調整会議の検討案ということで公表させていただいておりまして、それについて皆さんから今ご意見を伺っている、そういう時点でございます。
私どもとしましては、この7月17日に発表しましたものを、さらに進化をさせて、いろいろの意見を伺いながら、またできるだけ早い時期に、いわば素案というようなかたちで公表をし、皆さんの意見を承りたい、このように考えております。そして、さらにそれを詰めまして、環境アセスメントの準備書とすり合わせをやりまして発表をしたい、このように思っております。そういったような形での作業を、今、進めております。
一方では、環境アセスメントにつきましても、来年6月に施行されます環境影響評価法、この新しい法律制度を先取りするかたちで、今、アセスメントに取り組んでおるところでございます。今、そういった会場計画の基本計画づくりとアセスメント、この2つを並行的に進めているというのが現状でございます。
そして、これからの私たちのスケジュールといたしましては、そういったものをまとめたうえ、できればできるだけ早い時期に、来年中、あるいは2000年の早い時期に博覧会国際事務局(BIE)に正式な登録申請をしたい、このように思っております。いわば、そこには会場基本計画を含め、それからいろいろの出展条件等も含めた正式な計画書になるわけでありますが、これをBIEへ提出をいたしまして、そこでチェックをしていただいて、できれば2000年6月のBIE総会でこれを承認をしていただく。承認をしていただくことによりまして、正式に対外の諸国に出展招請ができることになるのです。そういった形で、2000年を1つの大きな節目として、それまでに計画をまとめ、そして2000年以後は世界の各国へ招請活動を行っていく、こんなようなことを考えているわけであります。
それとあわせまして、会場の設計をおこない、2002年にはできれば会場の建設に取りかかりたい。もう少しうまくいけば、2001年の終わりぐらいに、建設事業に取りかかれれば、このように今考えているところでございます。そして、そういった事業を進めまして、2005年3月25日には開会式を迎えたい。こういうスケジュールで今、作業を進めております。
博覧会のテーマでありますが、これは皆さんご存じのとおり、BIEに招致申請をしたときに出しました「新しい地球創造:自然の叡智」、こういうテーマであります。このテーマは、今、地球環境というものが非常に大きな関心になっております。人類の大きな課題でもあるわけでありますが、そういったなかで、私たちは、自然と人間との関係、こういったものについてもう一遍改めて考えてみよう。その舞台として人間と長年かかわりの深い、この瀬戸の里山を舞台にいたしまして、そういった問題について考える機会を設けたい、これが私たちのテーマであります。
そして、サブテーマといたしましては、自然と生命への繊細な知恵に満ちたエコ・コミュニティの実験、これは世界の先端技術を結集いたしまして、物とかエネルギーもすべてが効率よく循環をいたしまして、自然環境をうまく再生し創造していく、そういったような環境と人間との関係を、非常にいい形で築き上げる地域社会のモデルをつくりたい、これがサブテーマの第1であります。
第2といたしましては、自然と生命の輝きを引き出す暮らしのわざ、こういうことであります。これは、この1,300年の焼き物の歴史を持ちます瀬戸をはじめとしまして、この地域はもちろんでありますが、日本そして世界の各地の風土や伝統、そういうなかで育てられてきましたさまざまな技術や生活の文化、そういったいわば暮らしのわざ、暮らしの知恵を交流し、人類の未来に生かしていきたいというテーマが第2であります。今、申し上げましたようなテーマをいかに具体化をするかということが、私たちに課せられた課題でございます。
そういうなかで、私たちは、この課題の展開に当たりまして、基本的な方向として考えておりますのは、まず第1として、新しいタイプの博覧会、これをひとつ考えてみたいと思っております。それは何かといいますと、万博というような形で一般に受けとめられるのは、6カ月間の一過性のお祭りと、このように受けとめられがちでございますが、私たちとしてはこれをそういった一過性のお祭りではなく、それから脱却をしたい、そしてプレイベントの開催を含めまして、いろいろの例えば国際シンポジウムですとか、あるいはまたインターネットのホームページを通しての意見交換、さらに、今、考えておりますのは、例えば来年の夏あたりから子供たちを集めて環境問題等を考えるサマーキャンプ等も開催できたらと、このように考えているわけであります。
それからまた一方では、万国博覧会といいますと、やはり何といっても、日本人のイメージとしては大阪で1970年に開催されました日本万博がございます。あのイメージというのは、やはり大規模な土地造成、会場地の造成、そして仮設パビリオンが林立をする、こういった1つのイメージが非常に印象強く残っておるわけでありますが、21世紀に初めて開催をしますこの博覧会におきましては、できるだけそういったような大規模な会場地造成を避けまして、自然地形をできるだけ大切にしていく、いわばパビリオンにしましても、自然地形に合わせた展示施設をつくる、これを7月17日の検討素案におきましては、突発型展示空間というようなかたちで提案をしております。これは、いわば地形に合わせて建物を配置をする。そして、その建物の上部をデッキというかたちで通路とか広場に活用するといったような新しい提案であります。あるいはまた、自然の空間を利用いたしまして、領域型の展示空間、これは、要は林のなか、森のなかに展示空間を設ける、そういうところでいろいろのイベントを開催するといったような考え方であります。そういったような形をとりまして、できるだけ自然地形の改変等を少なくしていく、こういう提案をしているわけであります。
それから第2点といたしましては、問題提起型の博覧会にしたいと、こういうことであります。市場のグローバル化、あるいはアミューズメントの多様化でございますとか、あるいは情報伝達技術の進歩にともないまして、物を見せるだけの博覧会の意義というのが薄れつつあるのではないか。そういうなかで、私たちは博覧会がそもそも、これは国際博覧会条約にも書いてあるのですが、公衆教育の場であると、こういうふうにまず言っております。そういったような原点に立ち返りまして、環境とか資源・エネルギーあるいは人口・食糧、そういったいわば人類共通の課題に世界の一人一人が考える機会を提供する、こんなような場にできればというふうに考えておるわけであります。いわばそういった問題にみんなが参加をいたしまして、見たり、聞いたり、話し合う。そして、明日の何かを考える場所にしたい、このように考えておるわけであります。
それから第3点としましては、来るべき時代への実験場と、こういった博覧会にしたいという考え方であります。博覧会というのは、いわば一面では非常にいろいろの制約にとらわれない思い切った発想で物事ができるという特性を持っております。そういった面を最大限に活用いたしまして、環境創造型のまちづくり、あるいは人と自然の新たな関係、そういったことを世界の英知を集めまして、来るべき時代の運命のひな形、このようにできればというふうに考えております。
例えば、今、検討しておりますものの一例を申し上げますと、環境のプロジェクトチームの方では、従来のエネルギー消費に対しまして、50%
省エネルギー型のコミュニティ、こういったことをこの博覧会場でできないか、こんなようなことも検討をしております。あるいはまた、50%新しいエネルギーの活用型のコミュニティができないか、これを2つ掛けますと、化石燃料の投入が従来型の4分の1、クォーターになると、こういうような考え方でありますが、そういったようなことも何とかうまくこの博覧会を通じて実験ができないかと、このように考えておるわけであります。
それから第4点としては、市民参加型の博覧会を考えております。その第1としましては、いろいろの企画段階、計画段階からの参加ということでございます。先ほど申し上げましたように、会場基本計画等につきましても、あるいはアセスメントにつきましても、いろいろの段階で公表いたしまして、皆さんからご意見をいただく。そのために私どもは「EXPOの耳」という皆さんからご意見をいただく窓口を設けております。これは、インターネットのホームページであり、ファックスであり、あるいはまたお手紙であり、電話である。いろいろの形でご意見をいただこうと、こういうことを考えて実施をいたしております。それからまた、市民グループの皆さんと、1つの例としては、里山管理のあり方というものを昨年から一緒に検討するグループをつくり、いろいろと研究をいたしております。あるいはまた、イベントへの参加というような市民の参加も考えております。例えば、きょうは実は犬山市にありますリトルワールドでリオ・ミュージックキャンプ‘98というイベントに私どもも参加をしておるわけでありますが、これは世界の民族楽器を持ち寄りまして、そこで市民の方々がオーケストラをつくる、そして演奏会をやる、こういうものでございますが、きょうが第1回であります。これを毎年1回ずつやりまして、だんだんと規模とレベルを上げまして、2005年に集大成を博覧会場でやろう、こんなような考え方のものでございます。こういったようなイベントによる市民参加ということも重視をしてまいりたい、こう考えております。
また長期的、広域的な事業展開ということで、まず博覧会場、これにつきましては長期的なまちづくりと連携をいたしました、すなわち2005年の博覧会の後、2015年に向けまして、跡地を人口6,000人の研究学園都市、愛知研究学術開発ゾーンの中核ということで、いろいろの研究施設、あるいは展示施設、それにあわせてまちをつくっていく、こういったようなことを今考えているわけでございます。
それから、広域的な事業展開としましては、博覧会というのはあの会場地だけではなく、例えば近隣の施設、瀬戸市内にも県立の陶磁資料館、すばらしい陶磁器の博物館がございますが、そういったものと連携を図りながら博覧会をやっていく。そのほかには、いろいろの施設が瀬戸の市内にもございます。あるいはまた、名古屋にもあります。あるいはまた、愛知県内にもございます。そういったようなところ、さらには中部圏の各地のいろいろの施設、地域と結びまして、いわばそういったもののネットワーク、この博覧会場を中心にしていろいろのネットワーク、例えば陶磁器の産地のネットワーク、そういうようなところへ全国各地の人あるいは世界の人たちが参加できるようなネットワークをつくっていくということも大きな課題でございます。
それとまた同時に、中部圏の各地、あるいは県内の各地でいろいろの催し物をプレイベントのような形で開催をしてもらうということも非常に重要視をしております。愛知県の場合には、すでに決まっておりますのは、2001年にジャパン・フラワーフェスティバル、こういうものを開催をいたします。それとあわせて、アジア太平洋国際蘭会議、こういったものも開催をするということを計画をしております。こういったような、いわばプレイベントも中部圏を中心にしまして開催をしてまいりたい。そのためには、中部圏知事会議が中心になりまして、中部圏イベント会議というのが設けられておりますが、そういうところで今、このプレイベント等について話し合いが進められております。
それから、次にこの博覧会の開催効果、どんなものを皆さんが期待しているかということでありますが、ある新聞社が今年の5月に実施をいたしました調査結果によりますと、空港とか道路のインフラの整備、これが第1であります。第2位が地域への全体的な経済波及効果、第3番目として愛知の国際的な知名度の向上、そして第4番目として周辺の観光の活性化、こういったことが期待をされております。
そういうものを参考にしながら、私なりに考えておりますことは、第1はやはりこの地域のイメージアップ、こういうことではないかというふうに考えます。2005年になりますと、世界の人々がたくさんこの地域にやってまいります。私たちの予想では、大体海外から250万人ぐらいの人がやってこられる、このように思っているわけでありますが、そういったような人たちがこの博覧会にやってこられる、そういうことによってこの地域をそういう人たちに知ってもらい、またPRする、そういったチャンスになると思いますし、またいろいろの交流を通して、この地域の知名度、そしてまたイメージアップにつながっていくのではないか、このように思っておるわけであります。
第2点としましては、国際化それから地域の文化振興の進展と、こういうことでございます。この国際博をきっかけにいたしまして、市民レベルの国際交流、あるいは文化交流、こういうものが大きく進展するのではないか、このように思っております。例えば、今、提案されておりますのは、世界のアマチュアのオーケストラの大会を2005年に国際博覧会に合わせて開催できないか、あるいはまた世界の建築家の会合、世界大会を博覧会に合わせて開催したい、こういったような動きがいろいろなかたちで大小さまざまございます。そういったことがこの地域の国際化、あるいは地域文化の振興に大きく役に立っていく、このように考えております。
それから、第3点といたしましては、人材の育成と市民意識の高まりということであります。いろいろの形で博覧会の会期の前後を通じまして、さまざまな国際会議、あるいはイベント、そういったものがいろいろと開催をされます。世界のトップレベルの人材でございますとか、あるいはまたいろいろの団体等がこの地域にもやってくると思います。そういうような人たちとの交流を通しまして、この地域にも次の時代をリードするような人たちがどんどん生まれてくるのではないか、このように期待をしておるわけであります。いわば国際的な広い視野をもった、あるいは感覚をもった市民がどんどん増えている。これがやはり地域の21世紀のいろいろな分野での活動の活性化につながっていく、このように考えております。
第4点としましては、まちづくり、あるいは地域整備の促進ということでございます。いろいろの人が全国各地、あるいは世界の各地からこの地域を訪れることによりまして、まちもどんどん変わっていくと思います。事実、すでに瀬戸のこの地域にも国際的なイベント等が開催をされ、海外の人たちも訪れ始めております。そういうなかで、これからこの地域の歴史のよさ、あるいは地域の持っている魅力というものを大事にしながら、一方ではやはりそういった人たちを受け入れるようなまちづくりを考えていく必要があるのではないか、このように思います。
1989年に名古屋が世界デザイン博というのを開催しましたが、あの博覧会を通じまして名古屋のまちが随分変わった。10年たってみると、随分まちが変わったということが言われておりますが、やはりデザイン博という1つのコンセプトを持ったイベントを開催することによりまして、そういったような成果が上がったと、このように考えております。したがって、例えば瀬戸について言えば、やはりまちづくりのコンセプトを明確にいたしまして、新しい21世紀の瀬戸のまちづくりを考えていく、またそれが期待できるのではないかと考えております。
第5点といたしましては、新しい産業の創出等による地域産業の活性化であります。この瀬戸におきましては、1,300年の歴史を持った陶磁器産業が中心で今日まで発展をしてきておりますが、さらに21世紀に向けて新しい何かが欲しいわけであります。それは、これからいろいろのかたちで博覧会を通じて、世界の新しい技術あるいは文化と接するなかで生まれてくるのではないかと、このように考えておりますし、またそういったものを生み出していくビジネスチャンスとして、前向きに市民の人たちが考えていくということが大切ではないかと、このように思います。
そして最後に、今、申し上げた産業の発展等と関連をいたしまして期待できますことは、長期的な経済の波及効果ということでございます。現在、私どもはまだ会場基本計画等も検討段階でございますから、会場の建設事業費等についても計算をいたしておりませんが、誘致段階で愛知県が試算をしておりますのは、1,000億から1,500億円というふうに試算をしております。それに加えまして、周辺の交通アクセスの整備、あるいはまた博覧会の運営とか出展といったようなことで、いろいろなかたちでの投資がおこなわれるわけでありますが、そういうものを考えてまいりますと、この地域の経済に対する大きなインパクトになるのではないかと、このように考えております。特に、現在、経済が非常に厳しい環境のなかで、いろいろの問題をこれから進めていくわけでありますが、こういった博覧会の事業が進展することによりまして、徐々にこの地域の経済が活性化をしてくるのではないか、このように考えております。それは、かつて開催されましたいろいろの博覧会等を通して実証されておるところでございますが、例えば大阪の1970年の日本万博、これの場合には直接的な経済効果が7,500億円、そして経済波及効果が1兆5,000億、こういった試算もされております。私たちはこれから具体的な建設事業費等を積算をいたしまして、また私たちなりに長期的に経済波及効果も試算をしてまいりたいと、このように考えておりますが、いずれにしましても、この地域が大きく21世紀に向けて発展する非常にいいチャンスである、こういうふうに考えているわけであります。
そういったような、今、申し上げたような、いろいろの開催効果といいますか、そういったことも期待しながら、地域発展の大きなポイントとして私たちは博覧会の成功に向けて頑張ってまいりたい、このように考えております。ありがとうございました(拍手)。

●司会 どうもありがとうございました。
それでは引き続きまして、名古屋大学経済学部教授で経済学部長でいらっしゃいます奥野信宏さんのお話を受けたいと思います。奥野先生、どうぞよろしくお願いいたします。


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TOPNGU EXPO2005研究創刊号X.シンポジウム報告第1部>国際博覧会への期待と課題
国際博覧会への期待と課題
名古屋大学経済学部教授 奥野 信宏

名古屋大学の奥野でございます。今回は名古屋学院大学の方で、大学の立場から国際博をいろいろご研究されるということでありまして、大変に意義深いことであると思っております。また、このプロジェクトに参加していらっしゃる先生方を見ますと、私は経済学が専門なんですが、経済学、社会学、それから森林生態学と大変多様な先生が集まっていらっしゃいまして、その意味でもこういうものを名古屋大学でやろうと思っても、とてもじゃないけれどもできないんですけれども、大変意義深い、いい研究会ではないかというふうに思っているわけでございます。
先ほど安井さんの方から、国際博について全般的な話がございました。私は、そのなかで、特に国際博にこういう点を期待しているんだというところをピックアップさせていただいて、話をさせていただければと思っております。
第1番目に、私は大きく国際博には2つのことを期待しております。1つはとにかく楽しいものにしてほしいということであります。先ほど、大阪万博の話が出てまいりました。大阪万博は昭和45年でしたでしょうか。私は学生でありました。あれは、いろいろ評価はあるのだろうと思いますけれども、やはり日本の一時代を画したというふうに思いますですね。「太陽の塔」という、最初見たときには、何でこんなばかなものをつくるんだろうかと思ったんですけれども、それから30年たちますと、あの太陽の塔のイメージは頭のなかにしっかりと残っております。それから大型のスクリーン、周囲全天候型というんでしょうか、ものすごいスクリーン、こういったもの。それからあと、先ほど安井さんの話にございましたけれども、いろんな博覧会あるいはテーマパークが日本ではできておりますけれども、それの1つのモデルになったと思うんですね。そういう意味で、私は、あの大阪博覧会というのは、日本の青少年の育成等々に大変大きな影響を与えてきたのではないかというふうに思っておるわけであります。
愛知の国際博も、とにかく楽しいものにしてほしいというふうに思うわけでありますけれども、環境との共生、森を見せるというのは、これは今安井さんのところで大変なご苦労をされているのだと思いますけれども、楽しく見せるというのは、これは大変に難しゅうございますね。
実は、一、二カ月前でしたか、知事が「万博のイベント構想はおもしろくない」というようなことを言っていらっしゃいましたね。これは、私もおもしろくないと思ったんです、新聞で読んだときに。万博の森を回る回廊をつくろうと。上から森を見るんだと。下も穴を掘って、下から上に森を見るのだと。これはやっぱりおもしろくないですよ。瀬戸の森は立派ではありますけれども、何遍も来てみておもしろいものではない。私は、もともと島根の山奥の育ちでありますから、森のなかを走り回って育ったものだから、今さら森をわざわざ見に行けというのが何のために行くのかよくわからぬ、というようなことを万博協会の方に機会があったので申し上げたのです。そうしたら、その次の日に知事が「やっぱりおもしろくない」ということを新聞で言ってらっしゃって元気づけられたわけでありますけれども。
私は、白幡先生とか木村先生のような木とか森とかの専門家ではありませんが、それなりにいろんなところを歩く機会がございまして、森を見ておもしろかったなというのが2つ今までにあるんです。私は若いころ、カリフォルニアの大学に留学しておりまして、あそこの近くにヨセミテ公園というアメリカの国立公園がございまして、そこにメタセコイア系だと思いますけれども、ばかでかい木がございまして、1つの木がこの舞台半分ぐらいは優にあるんでしょうか。なかをくり貫いてバスが走っていたり、それから雷に打たれて、そのばかでかい木が折れて裂けているのもすごい景観でありますし、それからあれは松ぼっくりみたいなものができるんです。ばかでかい、こんなでかい松ぼっくりみたいなのが、あそこにコロコロ落ちているとか、あれはやっぱり森林そのものに圧倒されたという感じがしました。

それからもう1つは、これはそんなに経験がないんですが、一、二度見ただけなんですけれども、熱帯雨林です。熱帯雨林を上から見ると、何せ林が上を覆うものだから、下の生物は太陽の光を求めなければいけないというので、本当にこんな小さな芽をビューンと上まで出すという、これも何か生存競争のすさまじさを見るようでして、大変おもしろかったというふうな記憶がございます。何か森自体を見て楽しむとなると、そういう圧倒的なおもしろさのようなものを、瀬戸の森自体には貴重さはありますが、そういう圧倒的なおもしろさというのはありませんので、そんなところを安井さんの方でぜひとも何かお考えいただければというふうに思っているわけであります。
それから、大きく2つのことを期待したいと申し上げましたが、もう一点は、生活とか産業で後に残るものをやっていただきたいというふうに思います。2005年、中部国際空港、国際博覧会、これが2つのビッグビッグイベントでありますけれども、中部国際空港の方には、そんなに反対運動というのは目立たない。もちろん漁民の皆さんの反対運動はありますけれども、これはどちらかというと、保障問題等々の関連だと思うんです。それに対して国際博覧会の方ではいろんな運動があります。
これは1つには、どうしても一過性ではないかという意識が住民の皆さん、あるいは県民の意識のなかにあるのではないかというふうに思います。ですから、将来に残る資産のようなものをつくっていただきたいというふうに思います。何を将来に残すかということでありますが、その点3つの点を申し上げたいというふうに思っております。
きょうこういう資料がお配りされていて、4ページのところに、私ちょっと箇条書きで簡単なものをお渡しいたしましたが、1つは瀬戸の主会場に何人のひとが来られるかと、これは私、大変大事なことだと思うんですよ。人数はどうでもいいという話もありますけれども、私は大変大事なことだと思いまして、できるだけたくさん人を集めなければいけない。集めなければいけないんですが、それと同時に、この博覧会が成功であったかどうかは、この博覧会によって中部地域一帯の人たちの環境に対する認識が高まって、本当に世界のモデルになるような先進的な試みがあっちこっちでおこなわれている。環境についてのこういう問題は、例えば鈴鹿市がいいよ、何かやっているとか、それから高山がやっているとか、下呂がやっているとか、あるいは大垣がやっているとか、豊橋がやっているとか、中部地域全体で環境に対する認識が高まって、中部地域のあちこちのまちで、あるいは村で、そういうモデルになるようなことをやっている。世界中から国際博が終わった後もそういうところに見に来られる、こういうふうになってくると、国際博覧会というのはやっぱりあのときやってよかったんだということが日本全体にジワーっと残ってくるのじゃないかというふうに思っておりまして、ぜひともそうなるようにしてほしい。そのためには何をやるかというと、もちろん瀬戸の主会場はちゃんとやらなければいけませんが、先ほど安井さんの話のなかにあったんでありますけれども、サテライト会場を積極的につくっていったらどうかというふうに思いますですね。環境に配慮したまちづくり、環境技術というのは、私は、技術は全然わかりませんので、どういうものがあるのか、具体的にどこで何をやったらいいということはわかりませんけれども、いろんな取り組みが中部地域全域で行われているということが大事ではないか、そういう意味ではサテライト会場は必要ではないかというふうに思っております。
ただ、いろんな地域と連携するというのは、大事ではありますけれども、なかなかそう簡単なことではありませんですね。私もそういう関係の委員会にずっとかかわってきておるのでありますけれども、なかなかこれは愛知県の国際博なんだと。岐阜はただ乗りするな、あるいは三重県はただ乗りするんじゃない、これは瀬戸でやるんだと。名古屋市が絡んだきたら、みんな持っていっちゃうからだめだとか、なかなかうまくいかないところがあるのでありますけれども、そこら辺の連携をして、サテライト会場をつくって、中部地域全体で環境に対する認識が盛り上がる、いろんな試みがおこなわれる、世界のモデルになっている、そういうふうになりますと、私は1つの大変大きな国際博の成果になるのではないかなというふうに期待しているわけであります。
ちょっと余談になりますけれども、今週の初め、月曜、火曜と奈良の橿原神宮の南、五条市のもっと南の方の吉野村の辺でありますけれども、二日間、林のなかをあるプロジェクトのことで連れて歩かれたんです。寒くて、もみじがきれいだったですけれども。そこで1つ感じたんですけれども、あまりよその地域の悪口を言っちゃいけませんが、五条市の南に宅地開発が行われている。これは近鉄の支線が来ておりまして、大阪まで1時間程度で行けるんですね。それで、近鉄が大きな宅地開発をしている。五条市の南というのは、大変森林の豊かなところでして、吉野に囲まれているところですから、ヒノキ、スギですね。一山全部はいでいるんです。きれいにはいでいる。それで段々をつくって、そこに宅地をつくっているわけです。これはやはり20世紀型ではあると思うんですけれども、この地域にはちょうど新住地域というのがあるんですね。そこでは私はそういう全部はいじゃって、きれいにはいで新しい家をつくるというんじゃなくて、何か自然を残して、家がどこに建っているか、木立のなかで見えないような、そういうふうな住宅地が新住地域につくられれば、これは随分大きな試みになるのではないかなというふうな気もいたしております。金の問題だと思いますけれども。
それから、何を残すかということの2番目に、観光の問題を少し話させていただきたいと思います。私は、2005年の国際博覧会が成功するかどうかは、瀬戸の主会場で何がおこなわれるか、これが一番大事でありますけれども、もう1つ大事なことは、内外から2,000万、3,000万の人がいらっしゃるわけですけれども、その方たちがこの地域の観光を楽しむことができるかどうか、これは大変大きなファクターだと思うんですね。成功の車の両輪だというふうに思っています。
ところが、この地域は観光に対する認識が大変ないんです。専門家の先生方は「21世紀は、観光は主要な産業である」というふうにおっしゃいますし、私も本当にそう思うんでありますけれども、この地域は観光は産業だとは考えないですね。産業というのは、金づちでコッチンコッチン鉄をたたいて自動車をつくることだと、機械をつくることだと。観光なんぞはいかがわしいというような、そんなことでもって金もうけをするのは、どちらかというといかがわしい話だというふうなイメージがどうしてもあるのです。
私はそうじゃないと思うんですね。特に、この地域には観光なんて、「見せるものが何もないがや」という話になるわけでありますけれども、そんなことはないんで、私は、この地域は世界の観光の宝庫だと思うんです。ドイツにロマンチック街道というのがあります。あれはロマンチック街道とネットワークしてうまく名前をつけた。この地域はどうか、ないかというと、それはありますよ。鳥羽から考え、鳥羽の海があるでしょう、伊勢神宮があるでしょう、名古屋という大都会があるでしょう、犬山があって、下呂があって、高山があって、それから日本アルプスがあって黒部がある。これは物すごい街道ですね。そういうものがきちんとネットワーク化されてない、位置づけされてない。ですから、こういうのをきちんと発掘して、観光資源になるようにやっていけば、ものすごい観光資源があると思います。
博物館とか、そういったものはどうか。一昨年来、産業観光ということを言っています。これは言いはじめは本当は名古屋ではないんですけれども、名古屋の方が産業観光ということを今広げて、日本のあちこちで「最初に言い出したのはおれだ」というふうなことをたくさんの人が言い出していますけれども、産業というのは観光になると思うんです。瀬戸の陶磁資料館も大変立派な資料館で、ああいうものは世界にそうそうあるものでもない。それから、名古屋の駅前、名鉄で次の駅に栄生という駅がありますが、名古屋駅から1.5キロほどのところでありますが、産業技術記念館というのがあります。これはトヨタのもともと織機の工場だったところなんですが、そこが博物館になっている。これは博物館としては本当に世界の1級中の1級品だと思いますね。おもしろいです。レストランも素敵だというので、最近デートスポットになりかかっているらしいんですけれども、これは大変におもしろい。トヨタのラインなんかも大変おもしろいんですね。そういう産業的ないろんな資源もありますけれども、この地域がそういう宝庫だということを、やっぱり地域の人間が自信を持たなきゃいけないですね。名古屋に来てタクシーに乗って、「どこか観光でいいところ連れていってくれや」と言われたら、運転手さんが「いや、名古屋は何もないがや」みたいな話をしたんでは、これはやっぱりだめだと思うんです。
私は、2005年までにこの地域が世界に冠たる観光地になれるというふうには思っていませんけれども、今から2005年までにそのための条件を1つ1つクリアして、2005年までには世界に冠たる観光地の条件は整備しなければいけないと思うし、国際博を契機に売り出していくということが必要ではないかなというふうに思っております。観光は私、大変大事だというふうに感じております。
観光、観光といいますのは、一昨年、愛知県が観光基本計画をつくったときに、私、委員長をやりまして、それで今も観光振興協議会の会長というのをやっているんです。だから、宣伝しておかなきゃいかぬものだから(笑い)。
それから次にもう1点だけ、もう5分ばかり時間をいただきましてお話しさせていただきますと、安井さんのお話のなかに「産業発展のための起爆剤にする」ということがございました。これは私、大変大きなポイントだというふうに思っております。この地域は、日本の戦後の経済発展が製造業の発展だとするならば、日本の製造業を引っ張ってきたのはこの地域なんです。今、空洞化、空洞化と言われていますけれども、空洞化というのは産業の発展と同義語なんですね。先端産業はいつまでも先端産業ではあり得ないわけでありまして、やがて標準的な産業になる。標準的な産業になると、もっと地価の安いところ、それから賃金の安いところに移っていくわけです。そのときに新しい産業が育てることができるかどうかというのか、その地域や国が空洞化するかどうかの分かれ目なんですね。この地域は、大変柔軟に空洞化を乗り越えて、新しい産業を育ててきた。
皆さんご案内のとおりでありますけれども、昭和20年代、日本のリーディング産業は軽工業、繊維です。その時代にはこの地域は繊維の日本の中心地でありました。岐阜から尾張一宮、知多半島にかけて、毛織物の中心地だった。綿は関西が中心ですけれども。1950年代に入りますと、当時はまだ途上国でありましたが、韓国とか台湾、そこにそういう繊維産業が育ってまいりまして、そういうところに移っていくわけです。賃金は安い、地価は安いですからね。それで空洞化した。その次の日本のリーディング産業は、重化学工業ですね。鉄鋼、石油化学、造船等々であります。そのときにはこの地域は伊勢湾一帯にそういう産業が育っていまして、日本を引っ張っていくわけです。
ところが、1960年代の終わりになってきますと、もうその当時は中心国でありましたが、韓国とか台湾、メキシコ、そういうところに鉄鋼産業が育ってまいりました。それから、1973年に第一次オイルショックというのが来まして、その当時の重化学工業はエネルギー多消費型でありまして、今は鉄鋼なんか随分エネルギーは節約、省エネ型になっておりますが、その当時は大変エネルギー多消費型でありまして、国際競争がなかなか苦しい立場になった。そういう国に移っていったわけですね。付加価値の低い部分を中心に特に移っていった。
その次の日本のリーディング産業は、加工組み立て型であります。自動車、電機、電子、それから機械。そのときにはこの地域は内陸部に既にそういう産業が育っていた。自動車、輸送機械はトヨタ自動車が中心で、工作機械関係では名古屋空港の近くに大口町というのがありますね。ヤマザキマザック、大隈鉄鋼等々がすでに育っていて、再び日本をリードしていく、こういうことなんです。加工組み立て型も自動車などの特別付加価値の高いものは別でありますけれども、だんだん標準的な産業になってきた。さあ、次に日本は何を育てるか。これは大変大きな問題になっているわけであります。
きょうお集まりの先生方もその点一生懸命いろんなところでご議論されてきていらっしゃると思いますが、なかなか次が見つからない。見つからないけど、やらなければいけないことはこれはわかっているのです。1つは付加価値の高いものをつくらなければいけない。日本の賃金はアジアとはけた違い、土地もけた違い。そこでアジアと同じものをつくったのでは、これは競争にならないことはわかり切っているわけでありますから、付加価値の高いものをつくらなければいけない。そのためには研究開発をしなきゃいけない、こういうことですね。
それに加えて、もう1つ東海地域の問題としてあげるとすると、もうちょっと産業の多様化を図った方がいいかなというふうに思っているんですけれども。大変柔軟に変わってきて、内容を変えてきたんですが、やはり輸送機械の比率、自動車の比率が若干高いというふうに思いますので、多様化した方がいいかなと思いますが、現在、愛知県はこれは皆さんご案内のとおりかもしれませんが、製造業の生産額、付加価値額はもう20年以上全国断トツなんですね。それから例えば、東海財務局と近畿財務局の管内を比べると、きょうは関西からお二人の先生がいらっしゃって、あまり関西のことを言うと後で怒られるかもしれませんが、近畿の人は、東海地域に比べると近畿の方が圧倒的に経済力が強いと、こう思っていらっしゃる。東海財務局と近畿財務局管内の県民所得の総額を比べると、ほぼ同じなんです、日本のなかのシェアは。製造業は、大変強いわけでありますけれども、しかし、これも皆さんご案内のとおり、現在、特に製造業は工場を海外展開しておる。国際競争力も大変厳しいということもあって、研究開発を何とか推進していかなきゃいけないという状況になっております。
私は、日本の研究学園都市というのは、これは皆さんご案内のように、筑波と京阪奈は国家プロジェクトでやっているわけです。この地域は3県1市バラバラにやっていまして、岐阜が東濃、愛知が東部丘陵、それから三重県は鈴鹿ハイテクプラネット21といいまして、四日市のずっと山の方、菰野との境の方でありますが、そこでやっていらっしゃる。名古屋市は志段味サイエンスパークでやっていらっしゃる。3県1市バラバラでまとまってない。それがこの地域、弱いのではないかということはあるのでありますけれども、私は名古屋の藤が丘からここら辺にかけての一帯、これに今、研究開発機能がどんどん集積しつつあるというふうに思っております。もちろん県大とか農業総合試験場、それだけではありませんで、愛知県の科学技術交流センター、これは世界のCOEを目指しているのですが、設立されるわけでありますし、名古屋大学の理工科学総合研究センター、それも青少年公園の近隣に立地する等々、この地域一帯に研究開発機能がどんどん集積してきておりまして、これは大変便利がいいですね。筑波も京阪奈も、筑波は今こそ人間が住めるようになっていますけれども、本当に40年代は不便でしたからね。京阪奈も当時の筑波よりはましですけど、でもやっぱり不便ですね。大阪から来るにも、ちょっと不便だ。それに比べますと、藤が丘からこの辺にかけて、これは新住地域までリニアモーターカー(HSST)をつけるという予定になっておりますので、つけますと、これは大変便利がいいですね。まず、大きなまちがすぐそばにある。子供が学校に困らない。それから、中部国際空港に向けては、これはアクセスをどうするかによりますけれども、1時間で十分に行ける距離である。そうなってくると、世界の研究学園都市との競争が可能だということだと思いますね。最近、研究者というのは世界中動きますので、条件のいいオファーがあれば、どんどん移っていきますので、そういう条件が大変大事だと思いますけれども、この地域がだんだんそういうふうになっていくのではないかと大いに期待しているわけであります。
その点に関連して、もう1、2分いただいてもう1点だけ。私は、経済学をやっているものだから、経済の話ばかりで恐縮しておりますけれども、日本の企業の開業率、廃業率という数字があります。平成3年ぐらいまでは、日本では開業の方が廃業よりもずっと多かったんです。だから、企業の数はどんどん増えておったんです。ところが、平成3年ぐらいから逆転しまして、廃業の方が開業を上回ってきているんです。これは、今、不況でつぶれる会社がいっぱいあるからだということではなくて、傾向的にそうなっているんですね。愛知県はまだ開業の方が多いんです。多いんだけれども、だんだんその差は詰まっておりまして、多分今年ぐらいはほぼ同じぐらいまでになってきてしまっていると思いますけれども、これではやはり日本経済は元気が出ないんです。新しい企業を興す、新しい産業を興す、そういう仕組みを今、日本では新しく考えなければいけないということが言われております。

先ほどの安井さんの話のなかにもちょっとあったことなんですが、特に大学でおこなわれる研究開発を民間に移転して商品化する。あるいは、大学の先生が自分で研究開発したことを自分で会社をつくって企業化する。そういうようなことが必要なのではないかということが言われていて、そのための仕組みづくりが今、大学でも始まっています。
これは皆さんご案内のとおりでありますけれども、一番有名なのはカリフォルニアのスタンフォード大学が中心になっているのでありますけれども、シリコンバレーですね。ちょうど私、昭和50年ごろ、スタンフォード大学に留学していたんですが、あのころ、シリコンバレーのサンノゼという町がありますが、本当に田舎町だった。4、5年前に久しぶりにサンノゼに行ったら、見違えるほど立派だ。空港には成田からの直行便が来ているし、町中の空港なんですが、町中の空港でも昔はジェット機がほとんど着かないようなところでしたから、何もなかったんだけれども、今やダウンタウンから空港まで車で5分で行けるんですけど、ものすごい国際空港になっている。それから町の真ん中は本当に小さな建物しかなかったんですが、今やヒルトンホテルなんかが建って、ものすごい発展ぶりなんですけれども、あれは大学の研究開発を民間に移転するということが中心になっているわけですね。そういうことを日本でもつくるということが言われています。
その場合の仕組みには大きく三つの機能がありまして、一つはTLO(technology licensing organization)。これは大学の先生の研究開発を特許出願したり、特許のメンテナンスをする、維持をする、それの手助けをする。特許を出願したり、メンテナンスすることは大変なコストと時間と専門知識が要りますので、それを助ける。それから、適当な企業にライセンシング、特許を賃貸しする。それから、入ってきた特許料をその教官と大学と国とで配分する、そういうことをやってくれる。これが1つです。
それから、2番目が投資組合であります。企業を興すための金を貸す、多分にベンチャーキャピタル的になりますけれども。それから、研究開発資金を提供する。これが2番目ですね。
3番目はリエゾン機能であります。大学の教官が持っている研究開発、これは自分の興味でやっていることで、別に商品化しようと思ってやっているわけじゃないものだから、これは物になるぞ、商品化できるぞというのをちゃんと探してくる目ききが要るんですね。それをTLOに紹介していく、そういうふうな機能をリエゾン機能といいますが、そういった1つの組織でありますけれども、それが今、日本の各大学、拠点的な大学では検討が進められております。名古屋大学でも現在検討を進めておりまして、間もなくその構想が出てくるというふうに思いますけれども、その中心地をこの地域に置くということであります。そうしますと、この地域の製造業の発展にもなる。これからの日本の製造業の発展にとって、大変大事なことではないかというふうに思っております。
ちょっと時間が超過してしまいました。これで終わります(拍手)。

●司会 どうもありがとうございました。
それでは早速ですが、引き続きまして京都大学大学院の教授でいらっしゃいます植田和弘さんからお話を聞きたいと思います。


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TOPNGU EXPO2005研究創刊号X.シンポジウム報告第1部>環境と開発を考える
環境と開発を考える
京都大学大学院経済学研究科教授 植田 和弘

今、ご紹介にあずかりました植田です。私は、専門が環境経済学ということをやっております。そういう関係で多分ここに呼ばれましたのは、環境と開発というのか、そういうことについてどういうふうに考えればいいかということについて、何か話をしろということだと思うのですけれども、残念ながら、私は、万国博のことについては、全然詳しくございませんで、具体的な事情については知らないといっていいんですが、そういう意味で少し一般的な話になる可能性があるわけですけれども、ちょっと考えているようなことを少し話題を提供させていただくということで、お話しさせていただきたいと思います。
万国博ということなんですけれども、この万国博についていろいろ議論をするときに、何を考えて議論をすればいいんだろうかということを少し思ったわけですね。そういたしますと、まず先ほど最初に安井さんもおっしゃられたんですけれども、私は、やはり万国博を考えるときの前提条件というのか、あるいは今の時代状況というのか、そういうものをやはり考えたうえで議論をする必要があるのじゃないかと、こう思っているわけですね。
第1点は、先ほどそれこそ安井さんがおっしゃった話なんですが、やはりこの万国博のテーマにもなっているわけなんですけれども、「自然の叡智」ということにもなっています。先ほどおっしゃった言葉でいえば、自然と人間の共生というんですか、そういう人間と自然は共生するという考え方、あるいは人間としての関係というのは、そういう方向に行かなければいけないということですね。そのこと自体が万国博覧会のテーマであると、こういうふうにされているわけです。ということは、これ自体は、実はこの万国博覧会だけのものでありませんで、今、どんな政府文書を見ましても、そういうことが書いてあります。これからは人間と自然の関係というのは、「共生」という方向で行かなければならないと、こう書いてあるわけですね。ということは、言いかえますと、これまでは共生じゃなかったということです。これまでも共生なんだったら、わざわざ「これから共生しなければならない」というふうに言う必要性は全然ないわけでありますので、これまでは共生という関係じゃなかったから、今後は、共生していかなければならないと言っているわけですね。
では、これまではどんな関係だったんですかということが問題になると思うんですけれども、これは、意外と明示的には言われていないところがあると思います。ただ、哲学とか倫理学の書物をひもときますと、「狭い人間中心主義」というのか、そういう言葉がしばしば出てまいります。それはどんな意味かというと、なかなか哲学とか倫理学は難しゅうございまして、はっきりと私なりの明確な理解をしているかどうか怪しいところもあるんですけれども、要するに、自然は、狭い人間の短期的な視野で利用すればいいというか、そういう発想だけで自然と付き合ってはまずいのではないかということだと思うんです。
 狭い人間中心主義というのは、要するに、例えばわかりやすく言うと、私、実はゴミのことなんかいろいろやっているんですけれども、物をつくるときでも使い捨ての物をつくる。便利なんですね、人間にしてみたら。再利用するって面倒じゃないですか。リサイクルするといったら、またどこかへ持っていかないかん。それよりは捨てる方が楽だ。そうすると、それは非常に狭い人間の立場からすれば、その方が楽であるというか、便利であるというか、そういうふうになるんだけれども、しかし、そうしていると、いつの間にか廃棄物がものすごくたくさん出てまいりました。それはそうですわね。使い捨てがどんどん増えますと、それは、当然廃棄物は増えるわけで。そうすると、いつの間にか廃棄物の処分場が非常にたくさん必要になるものですから、どうしても各地で問題を起こしやすくなるというか、現実にそういうことが起こっていますね。ですから、やはり狭い人間の短期的な視野だけで考えておりますと、長い目で見たりすると、かえって人間にとってもあまり利益にならないようなことが増えてしまう。こういうことが実は起こっているということであると思うんですね。ですから、自然を考えるときに、そこから資源を取り出すという発想、それは全然間違いじゃないんですよ、それは大事なことなんですけど、そういうことだけしか考えない。あるいは、廃棄物は自然が処理してくれる。そんな簡単じゃないんですね、実は。ですから、そういうふうにだけ考えているのではだめで、関係のあり方自体を共生という方向に変えなければいけないというふうに言っているんだと思うんですね。それは万国博覧会のどうもテーマでもあるようだと。
実は、しかし、私は、言葉で言うほど簡単じゃないんじゃないかと思うんですね、共生するというのは。言葉では、実はここにいらっしゃる方もほとんどそういうことで共生したらいかんというふうに言うひとはあまりいらっしゃらないと思うんですね。自然と人間が共生する、それはけしからぬことだと、こんなふうにおっしゃる方はいらっしゃらないし、新聞を見ていましても、政府文書を見ていましても、どこにも出てくる言葉になってきておりますので、いわば国民的に一種の共通認識になっているといいますか、方向性としてはそういうふうに言ってもいいと思うんです。しかし、それを実際に実行しようと思いますと、やはり多分、物のつくり方もかなり変えなければいけないかもしれないですね、これは。技術開発の仕方も考え方を変えなければいけない。
わかりやすく言えば、例えば温暖化問題が出てきているわけですから、昔だったら化石燃料をようけ使うような技術であっても、それはあまり問題じゃなかったかもしれないです。エネルギーの価格は問題になったかもしれないけど、しかし、CO2がたくさん出ることは何の問題もない話だったかもしれないんですが、もうこれは明らかに問題になる話になっているわけですね。ですから、やっぱり技術を選択したり、開発したりするときも、そういうことを考えないといけないことになりましたね。ということは、物のつくり方とか技術開発の仕方、あるいはまちづくり、あるいはよく言われるのはライフスタイルとかいうふうに言われますが、そういうものもすべて従来とはちょっと変え、よく使われる言葉でいえば、一種のパラダイムの転換というんですか、基本的枠組み、考え方の枠組みを転換しまして、やはり自然と人間の共生という考え方を入れ込んでいく。実は、今、現在がそういうプロセスにあるということだと思うんです。
しかし、プロセスにあるということはどういう意味かというと、すぐには簡単にはいかないという意味でもあるわけでありまして、それは実際にそういう技術をつくるといったって、そんなに簡単にサッとできるものではないでしょうね。あるいは、もっと言うと、実際にそれをつくろうと思いますとコストが高くなったりとか、そういう問題が出てきますし、ライフスタイルを転換するというのは言葉としては大変きれいな言葉ですし、やさしそうに見えますが、実はなかなか難しいことでもあるかもしれません。そうすることの方が、時間がものすごくかかったり、お金が随分要ったりするとかいうようなことになりますと、現在の社会のインセンティブといってもいいんですが、仕組みの方は、どちらかというとゴミをたくさん出している方が楽なような仕組みかもしれぬわけですね。そうすると、それを変えていくというのは、実は意外と大変なことである、こういうことかもしれないと思うわけであります。

そういう意味で、万国博覧会のことを考えるときに、私は、1つはそういう自然と人間の共生という自然と人間の関係のあり方といいますか、これを転換するという観点で、実は科学技術とか開発とか、あるいはまちづくり、ライフスタイル、そういうものすべてを見直していくという問題が実は提起をされているというふうに思っているわけです。当然、開発ということを考える場合にも、そういう考え方が組み込まれた開発じゃないとだめだと、こういうことになります。
実は、「開発」というのは、もともとは、developという意味は辞書を引いてみますと、日本人のイメージする開発というのとちょっと違ったイメージというんですか、つまりそこにある資源とか人材をうまく活用して、社会を豊かにする、引き伸ばすという言葉が最初に出てまいりますけど、写真を引き伸ばすというのもたしかdevelopだと思うんですけど。つまり、そこにある資源とか人材の潜在的な能力を生かしてやるというか、そういうことが、実は開発ということの本来の意味で、それが地域社会を豊かにすると、こういうことだっただろうと思うんですね。
ところが、関西なんかで議論していましても、よくそういう議論になるんですけれども、実際に地域開発をやってみると、何か利益が東京にだけ行ってしまったというふうなことが起こりますと、あるいは環境汚染だけが残ったとか、こういうことになってしまうと、現実の開発はそういうことがしばしば起こりやすくなるものですから、あるいは財政的に非常に大変になるとかというふうになるものですから、現実の開発にはしばしば反対という声が出てきやすくなってしまうということが実は起こっているのではないかと思うんですね。
そういう意味でいうと、実はあるべき開発、それを最近は国際的には「持続可能な開発」という言葉で随分呼ぶようになっておりまして、これは、従来現実に行われていた開発とは違うものとして、逆にいうと、現状よく行われているものをどうやったら持続可能なものに変えられるかということを考えていくことが、実は大変大事になっているのじゃないかと、こういうふうに思っているわけです。
もう1点、万国博のことを考えるときの状況の変化というのは、私はこれは最初のプロジェクト研究代表のごあいさつのなかにもあったんですけれども、やっぱり何か万国博覧会というと国の事業というんですか、国の威信をかけてというイメージが非常に強くあるかのように書かれておられました。世界の経済ということを考えますと、むしろそういう国というよりは、非常にグローバルな経済ということでありますし、グローバルな経済と地域の経済が重要になるというか、そういう傾向がむしろ非常に強くなっているんじゃないかと思うんですね。そういう意味でいうと、私は、この事業がグローバルにどういう意味があるのかということと、それから地域という観点でどういう意味があるのか、その2つの点をはっきりさせることが、私は大変大事じゃないかと、こういうふうに思います。ということは、グローバルという観点から見ますと、やはり地球的な規模で見たときに、この事業がどういう普遍的な意義を持っているかということが明らかにされる必要があるんじゃないかと、こういうふうに思います。これは先ほどのお話のなかではいろいろ出てきた話があると思うんですけれども、新しい、世界にもないエコ・コミュニティというふうなお話がありましたけれども、そういう一種のモデルになり得るような、実験がおこなわれるというようなこともあると思いますし、産業技術としても一言で言うと環境に配慮したとか、あるいはエコロジーに適合したという、これはなかなか従来なかったわけですから、そういう技術を新しくつくり出すということで意義を持つということが本当にできるかどうかというようなことが問われてくるようにも思います。
地域という観点に立ったときには、やはり地域にどういう意味を持っているかということが同時に問われてくる。これも、実は多様な意味があるんじゃないかと思うんですが、やはりこの地域にとって意味があるというのは、この地域のある固有の資源といいますか、その地域らしいというか、そういうものを重視したような事業になるかどうかということもありますし、あるいは地域の産業と、波及効果的な意味合いも含めまして、どういうふうに意義を持っているかということも問われてくるのではないかというふうに思います。
そういう意味で、2つの大きな意味なんですけれども、つまり自然と人間の共生という新しい理念というか観点から、もう1つはグローバル化と地域化というか、この二つの観点で見たときに、この事業がどういう意味を持っているかということについて、実は一種の適切な評価の尺度のようなものが必要になるということだと思うんですね。一体、事業としてうまくいっているとかいないとかいうことを何をもって考えればいいのか、実はこれが、名古屋学院大学の方で研究プロジェクトをやられるということの成果の1つとして、多分考えられていることではないかと思うんですけれども、そういうふうに見てきますと、評価の尺度がいろいろ多元的になってくるというんですか、いろいろあるということになるんじゃないかと思います。つまり、そういう多次元の評価尺度というものをつくって、実は考えてみる必要がある、こういうことになるかと思います。
それからもう1つ、安井さんのお話のなかにも出てきた話として、私が大変注目しますのは、やっぱりそういう事業をする場合の効果ということを考える場合は、効果それ自体の問題も大変大きな問題なんですが、実は同時にその事業をどういうプロセスで実施させていくかというのも大変大きな問題なんですね。手続きとかプロセスの問題です。現実の結果は同じでも、例えば市民がどういうふうにかかわったのか、あるいは全く反対といってかかわらなかったのか、それによって全然意味が実は違ってくると思います。そういう意味で、プロセスも大変重要な点で、これも実は事業というものの効果という議論をする際に、同時にもう1つの評価尺度のようなこととして考えておく必要があるのじゃないか。その場合に、私が大事だと思いますのは、こういう事業はやはり一定の年限のかかってくる、どうしても長い時間がかかってくる事業であります。それから、お話にも出てまいりましたように、事業が終わった後のこともやはり大事なんですね、これは。一過性のものではだめだというお話がありますから。そうすると、やはり一種の環境とかいう分野でよく使う用語でいえばアセスメントというふうに言うんですけれども、それは事前のものだけじゃなくて、事前にやることも大変重要ですが、それも議論の前提だと思うんですが、途中もやらないかんのだろうし、あるいは事後というのも大変実は大事になるということかと思うんです。事後という評価をやられることが、また次の事前に生かされるということが、本当は大変重要になってくるのじゃないか。そういうことがこの事業のなかでもできるかどうかというようなことが、やはり問われると思います。
事前の段階では、何か私もあまりにも愛知万博のことについて知らないとだめなので、来る前にちょっとだけインターネットで引いてみたんですけれども、そうするといろいろな意見が実はたくさん出ているわけですね。愛知万博ということだけでやりましても、ヒットするものが随分たくさんありまして、いろんなところからいろんな発言が出されいます。そういうものを見ますと、やや事前の段階では、事前の評価をする場合に幾つかの議論されるべき点で、社会的合意が十分には得られていないと思われるものが幾つかやはり私には見てとれましたですね。
1つは、やはりこの事業が東京主導のものじゃないかと、こういう議論が非常に何か強くあるようら見えました。この点も今後の過程のなかで大変議論になる点じゃないかと思いました。もう1つは、やはり海上の森、用地になっているところです。そこのいわば環境の立場からいえば、一種の価値評価の問題ですね。その森はどれほど大切なものなのか、この評価の問題がやはり議論になっていたように思われます。それから3つ目は、そのこととも非常にかかわるんですけれども、どうも用地の選定というのが、先に用地が決まってしまっていたのではないかと、こういう議論があるわけで、アセスメントとして私はこれが決まった段階というか、これをやる段階でかなりよく先ほどもお話があったように、新しい法律を先取りしたかたちで、このアセスをするというかたちでやられているということのようでございまして、その限りでは随分丁寧にやられている面があるんですけれども、しかし同時に、一番最初の事前の段階ということになりますと、いわばいろいろな代替的な案を比較評価して選んでいくという、ある種の理想的なアセスの考え方、そういう考え方からすると、それとはやはり少し離れたものというふうに言わざるをえない面があったんじゃないかと、こんなことが気になったしだいであります。
そういう意味で、今後のことを考えていきますと、私はそういう一種の転換期のなかでの博覧会事業というか、そういうことを踏まえたうえで、それらに関する評価の尺度、あるいは評価の時期、それからそのプロセス、こういうものを考えていくことが、大変大事な問題ではないかと思っているということを申し上げまして、一応問題提起ということで、これで終わらせていただきます。
どうもありがとうございました(拍手)。

司会 どうもありがとうございました。
いろんな問題がこれから出てきそうでございますが、第1部の最後といたしまして、国立国際日本文化研究センター教授の白幡洋三郎さんのお話を聞かせていただきたいと思います。

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TOPNGU EXPO2005研究創刊号X.シンポジウム報告第1部>万国博と地域
万国博と地域
国際日本文化研究センター教授 白幡 洋三郎

もうあまり時間がないので助かったということもありますが、大分お疲れになったと思います。なかなか高度な議論なので、私、ちょっと気楽な話をやろうかというふうに変えましたが…。
レジュメには「万国博と地域」と書いておりますけれども、できればこの「地域」というのを文化の担い手ということで、文化という言葉は、非常に広い範囲で考えられるわけで、あなたの言っているのはちょっと文化とは違うというふうなこともあるかと思いますけれども、広く文化というものを考えて、万国博覧会が生み出すものは文化的なものであり、あるいは文化的なものに注目することが万国博覧会にとって非常に元気づけられるというか、活気になるのではないかというお話にしたいと思います。
  万国博覧会でいいますと、私の経験でいうと、やっぱりすごい力を持っているなと思ったのがありまして、ヨーロッパでドイツやフランス、イギリスに旅をしているときに、私が泊まるのは中級かそれ以下ぐらいのホテルでしかないんですが、世界各国に電話できる。市外局番が載っているわけです。ロンドンだ、パリだ、ニューヨークだ、東京は03であるとか、その中に千里という地名があった。初めは何かわからなかったんです。0726とあった。愛知だったらご存じないと思いますけど、大阪府茨木市ですよ。千里と書いてあって、市外局番が載っている。ほほうと思いまして、それは要するに1970年の大阪万博をやった土地であった。千里のあたりのホテルに外国人が泊まりに来た。そういうところにある種の国際電話をかけるというようなことがあったんだろうと思いますね。日本の地名でいうと、東京が載っている。03というのが。千里が載っている。それからもう1つは札幌です。これはオリンピックですね。万国博、オリンピックというのは、たしかに問題点もいろいろあると思いますが、日本が世界に知られなければいけないだとか、国際化だとか、国際的な話というようなことを形式的に題目を唱えるよりは、博覧会をやった、それからオリンピックをやったというこの業績がどれほど日本のことが知られるきっかけになるかという、大変大きな力を持っているのじゃないかなというふうに私はそのことで思ったんです。
万国博覧会の千里、札幌の後に、将来市外番号で名古屋と載るのか、瀬戸市の市外番号は、今、僕知りませんが、ちょっともらって名刺で見ると、0561が載るのかというのがありますが、恐らくどっちかが載るのじゃないかと思うんですよ。つまり、ニューヨーク、ロンドン、パリ、それからカイロだとか何とかという世界各国の首都に加えて、どういうものが世界的に関心を持たれ、コミュニケーションの対象となるかという、そこに入るかもしれない。だから、私は、万国博覧会はいろいろ問題があるかと思いますけど、要するに一過性のにぎやかな祭りでは困るというんですか、一過性でもにぎやかやったらいいんじゃないかと。にぎやかでなかったら困るんです。その期間だけでも活気が起こるということは、当然何らかの影響が起こって、それは多分文化というのはそういうものであって、将来に残そうと思ってつくるものはないだろうと思うんですね。
例えば、日本文化の一番の大もとといいますか、総本山みたいに見られている奈良の都、今、日本のふるさとだかといってわれわれは行きますけれども、考えてみれば中国の都城制のまねごとをした。そういうものにあこがれて、日本にも中国に負けない都市をつくりたいという、一種の万国博覧会みたいな意識だと思うんですね。そのなかでつくった仏像がいまや国宝になっていますけれども、考えてみれば、その当時の中国の仏像、大陸にはそういう仏像はあるけれども、日本にはないんです。それで仏教を広めるためには何をしなければいけないか、経典を学ぶ以外に、姿を見て心を学ぶというような仏像をつくる。それは二流作品、初期には恐らく二流作品がたくさんつくられたんじゃないかと思いますけれども、そういうことを続けているうちに木彫の技術が発達してくる。そして、いまや日本文化を支える大きな部分になって、仏像は日本の文化なんだと。奈良の都ももう千数百年の昔につくられた、何か落ち着いた都市になっている。平安京もそうですね。京都の都も考えれば全く都城制の模造品みたいなもので、博覧会をやろうとしたというようなもの、その1つと考えていいんだろうと思うんですね。つまり、本物だとかにせものだとか、それから文化的価値がある、ないというのは、やはり時代の吟味のなかで生き残っていくわけで、初めからすごいものができるかどうか、後世の残るものができるかどうかというものは、もちろんこれはわからないわけですね。
われわれは、ちょっと反省したらいいと思うんですけれども、やっぱり奈良とか京都とか、あれだけ落ち着いた日本的なものがつくり上げられているというふうに今見ますけれども、当初、どれほど浮ついたものであって、問題を多く抱えていたか、これは歴史学の方からそういうものを吟味していかなきゃいけないだろうと思いますね。そういうもののなかで残ってきたもの、それは目ききの問題であろうかと思うんです。恐らくこれまで日本がやってきた、戦後しか結局、日本は万国博覧会を開いてないわけですけれども、そういうものが何を残してきたかということを吟味するということのなかで、やはり万国博覧会の意義というものが考えられるであろうと。

それから、先ほど、ちょっと挑発的に1回でもにぎやかだったらいいじゃないかと、一過性というのはそんなに恐怖する必要はないというふうに言ったんですけれども、しかし、それはもちろん持続的なものがいいに決まっているんですが、もう1つは自然との共生で、今、植田さんがおっしゃったものがありますね。私は、これは自然との共生という言葉をどんなふうに理解されるか、非常に多様な理解があると思うんですが、むしろこれは文化との共生だというふうに読みかえた方がいいんじゃないか。大体自然なんぞと本当に共生できるのかというのが、世界の日本以外の、温帯あるいは中緯度地帯の自然を見ている分には自然との共生は当たり前だと思うんですけれども、例えばアマゾンでの暮らしだとか、中東の砂漠地帯であるとか、こういうのは具体例を挙げなくても、自然との共生ということは本当にそんな一言で人間の暮らしがつかまえられるのか、とんでもない厳しい暮らしなわけで、「自然との闘い」というのが暮らしなわけですね。こんなことは皆さんにも申し上げるまでもないんですけれども、私はですから、日本で自然との共生といって、日本人が共通に理解しているような自然というのは、むしろ文化的な領域なんだと思うんです。
例えば、日本人にとっての森林というものは、森林の維持管理に長らく携わってきた人たちにとって、山に入らずに、木を切らずに森林が維持できるかというのは、これは常識だと思うんですね。保護というのを、とにかくさわらないというようなことは、森林に関係する人はそんなことは考えられないわけです。それから、私は西洋とか日本の庭園の歴史に関心を持ってやってきましたが、庭園の場合も木を切らない庭園の管理というのは不可能だと。そういうのは庭園ではあり得ないんです。日本の庭園は非常に自然を大事にして、そういうものを生かした美しい芸術美をつくり出しているといいますけれども、これは切りに切って、その切り方の美学が自然をつくり上げているというふうに見るべきであろうと思うんですね。つまり、それは自然そのままに任せているのではなくて、文化だと。そういう考え方にしますと、自然との共生というのは、恐らく「日本的自然」というのならわかりますし、それから、それはむしろ日本人がずっとつくり上げてきた文化なんだと。それが今の人間社会とどう共生できるのかと、こういうテーマではなかろうかと思うんですね。
新しいものをつくるときにはいろいろ問題が起こるかと思いますけれども、大体博覧会の歴史を考えますと、私は、反対運動が非常に役に立ったというふうに思っているんです。これは一度書いたことがあるんですが、第1回のロンドンの万国博覧会の水晶宮、クリスタルパレスと呼ばれた建物がありますけれども、これは鉄とガラスの温室ですよね。巨大な温室をつくったわけですけれども、これをつくる場所がロンドンのハイドパークである。そのころは市民といってもかなり上流の連中しか行く場所ではなかったですけれども、ここに水晶宮を建てて、その敷地のために、そこにはニレのかなり大きな樹林があったわけですけれども、これを切り倒すというので、反対運動がすごく強く起きました。そういうことを言い出せる余裕があったのは、随分上流の人たち、中流以上のミドルクラス以上の人たちだったと思いますけれども、その水晶宮のデザインについて問題になった。建てるべきか、建てざるべきかという問題もあった。1851年ですから、嘉永か何かですよね。まだ日本は開国していません。幕末です。そのころに、すでにロンドンでは公園の樹木を保護すべきか、すべきであらざるかという議論をやって、随分余裕のある社会ではなかろうかと思うんですが、その結果、水晶宮のデザインは、天井が平らなのがドーム型になった。反対のおかげで、どうやってニレの木を残すかということで、建物のなかに取り込もうじゃないかということになったわけですよね。もともとその構造機能は温室なわけですから、温室のなかに樹木を取り入れられないでどうするということになる。そうすると、そこで間に入るのはデザイナーです。この建物をどう変えればいいか。やめるんじゃなくて、どう両方の意見を取り入れるかということで、ドームができる。そうすると、そちらの方が建物の構造として大変美しい。おかげで水晶宮というのは、会期が終われば撤去することになっていたんですが、シディナムというところに移して、それをまた社交場、観光資源にしようじゃないかというふうになった。これは主催者側がやったわけじゃなくて、反対側が貢献したわけでもなく、その両方がそういうものに貢献しているということですね。
それから、有名なものではエッフェル塔もそうですね。エッフェル塔も随分強い反対運動が起きました。なぜパリの落ち着いた街にあんな新しい鉄骨の塔を建てるんだと。それで、いろんな反対運動があったわけです。労働者のストライキもあったわけですけれども、ビクトル・ユーゴーだったと思いますが、その作家が「わしはああいうものは一生見たくない。せっかくパリの街のことを考えて言ってやったのに、ついにエッフェル塔をつくった。二度と見ない」といって、彼はエッフェル塔の2階のカフェに毎日通ったという、何か勝手なことを言う文学者もいろいろ問題があるのですが、それでエッフェル塔のカフェだとパリの街がきれいに見える。勝手な議論だと思いますが、随分反対運動をしながら、しかし、十分に楽しんだ。だけど、この反対運動はエッフェル塔そのものというよりは、むしろエッフェル塔のあり方に対する反対だったと思うんですね。
そういうふうに市民が議論するということのなかで、随分愛着が生まれる。ビクトル・ユーゴーは、ひょっとしたらものすごく頭がよかった。後々、エッフェル塔を存続させてやろうなんて思っていたかもしれないんですけれども、自分が機嫌よく通える新しい、それも町中にあるカフェじゃなくて、ちょうど2階部分ですから、90メートルでしょうか、そんなところのカフェに毎日通える楽しみをつくり出して、そしてそれが、エッフェル塔も会期後撤去する、つぶすということになっていたんですけれども、ほかの電波の目的で残された。ですから、これもつまりパリの1889年の万博をやろうと一生懸命やる側と、それに問題提起する側と、僕は2つの合作だと思うんですね。つまり、議論が起これば起こるほど、その万国博覧会は意義が深いし、いい知恵が出るのではなかろうかという気がするんです。
この愛知の万国博覧会で、私が考えたことは、いろんな問題点があると思いますけれども、この「自然との共生」の「自然」というのをもう少し考え直してみてはどうか。つまりその考え方、とらえ方の違いのなかに論争点があるであろうと思うんですね。そして、それの解決策といいますか、ある種の共通点として、私は愛知万博の話があったときに、里山だ、あるいは里山ではなかろうかというふうに一度言ったことがあるんですね。里山というのは、世界中、農業地帯というものは、周辺に山林、山地を抱えている場合がありますよね。その山地というものは農業生産というものと対立しないように、ちゃんとその関係を良好に維持するために、人間の知恵が加わるわけですね。そういう点で荒々しい自然といいますか、敵対的な自然に対してどんな共存のやり方をこれまで考えてきたかというものが蓄積されているという地域が里山であろうと思うんです。
この里山も、先ほど申しましたように、ほとんど山に入って、木をそこからとってくる、切ってくる、消費するというところで成り立っていたということを忘れてはいけないと思いますね。その結果、非常にわれわれの情感になじむような風景、景観ができ上がっているし、そしてそのなかでうまく共生できるような動植物というものが住んでいくということになって、これは1,000年、2,000年という単位での日本の暮らしがそこに込められているものであろうと。抽象的に自然がどうであるかとか、環境はどうあらねばいけないかというようなことを考えるよりは、1,000年、2,000年の知恵ででき上がってきた、これはどういう意味を持っているのかということを深く考える方が、随分意義深いのではないか。日本文化からの環境に対する具体的な、実践的な解決策の1つが里山を見ること、研究することによってわれわれの血となり肉となり、さらに知恵として獲得できるのではないかというふうに思います。
そういうものが、例えばこれは国際的な観点から考えると、西洋社会に里山というようなイメージのものはないと思うんです。農地はあって、森はあります。里山というのは、つまりそれは特に西洋先進国というのは、日本よりも平たい地域に発展したということがあると思いますけれども、そういうことがあって、むしろ山がちな山地というのは、放牧の対象になったり、全部木を切り払うというようなことがあったとしても、森林を維持しながらというようなことはやってない。ですから、そういう暮らしは知らない。恐らく日本に、万国博覧会を契機に愛知、瀬戸に来られた外国人が見ると、そこに自然を見るというふうに見るべきか、私は異文化を見にくるのだと思うんですね。異文化の展示である、あるいは異文化の実践を見てもらうんだという観点ではないかと。
文化を見てもらう、異文化を見ることによって、たしかに先ほども出てきましたように、森だけ見るというのは本当に山好きの人間ぐらいしか長続きしないと思いますね。見ていて楽しいかどうかは。例えば、里山は、従来の里山だけを守るのではなしに、私は森、森林というのを日本人が思いつかなかったような森づくりを里山と結びつけていくというようなことも考えられると思います。

  よくヨーロッパの森、森林と簡単に言いますけれども、どんなものがあるか。例えばウィーンの森、ウィーンの森とはどういう森か。あれは何も山を見に行ったり、木や植物だけ観察しに行ったり、野生動物を見に行ったりするだけじゃないんですよね。特に行った方はご存じかもしれませんが、グリンツィングという居酒屋がいっぱいあるんです、森のなかに。夕方になると、音楽を奏でている。昼から飲んでいる場合もたくさんありますけれど。そこでは新酒、とれたばかりのワインが提供される。それはウィーン市民の都会での社交は、例えばオペラハウスとかそういうところでできますが、自然のなかでもう少し違う会話をしたいというようなときは、そのグリンツィングに出かけていく。そしてその年とれた新酒を味わう、音楽を楽しむ、会話をするという、普通これは日本人は森の機能だと思いません。森というのは、一人で静かに行って、自然と対話するだとか、山を汗かきながら歩くとか、こういうイメージしかないわけですけれども、そうじゃなくて、それは社交の場であり居酒屋がある。きわめて都会的な機能も含んでいるわけですね。そういう森づくりというのは、われわれはあまりやってこなかった。あえて言うなら、そういうのは大体庭園でやりました。
そう考えると、この里山を今ある里山の機能だけで守るのではなくて、それにわれわれが知らなかった世界の知恵を付加して、「新里山」をつくる。そこでは文化的あるいは芸術的な機能も発揮され、そこに人が集まる。しかし、山の景観というのは保たれているというようなことを考え出すべきではないか。今のままの自然というか、山地を守っているだけで、そんなものはつくれません。やはり、これまでになかった森、森林の機能を、例えばそういう里山というのを知らない人に知恵を知ってもらうということに加えて、里山にはなかった知恵をそこに付加して、新たな森林の、例えば文化芸術的機能というものに着目して地域をつくっていく、そういうアイデア、これを例えばエッフェル塔が生き残っているように、それから水晶宮が人々に人気になったように、そういう方向へ向かって議論をしていくということこそ、万国博覧会の本当のわれわれにとっての大きな効果ではないかなというふうに思うんです。
まだ少し言うことがあるのですが、どうせこの後パネルディスカッションがありますので、私の話はこの辺にさせていただきます(拍手)。

●司会 どうもありがとうございました。
まだまだ言い足りないことがおありの先生方ばかりだと思いますけれども、とりあえず第1部はこの辺で終了させていただきまして、第2部のパネルディスカッションに譲らせていただきたいと思います。できれば、皆さんのなかからもご意見がおありかと思いますので、時間が許すかぎりまた後ほど皆さんのご意見を承りたいと思いますけれども、限られた時間でございますので、まずこちらの方で用意させていただいておりますディスカスタントに代表的な意見交換をしていただきたいというふうに考えております。
それでは、ここでちょっと休憩させていただきます。


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TOPNGU EXPO2005研究創刊号X.シンポジウム報告>第2部
第2部:パネルディスカッション  
パネリスト:
ディスカスタント:

司  会:
安井 俊夫氏  奧野信宏氏  植田 和弘氏  白幡 洋三郎氏
田中 重之氏(瀬戸市国際博覧会推進監)
小林 甲一・十名 直喜・水野 晶夫(名古屋学院大学)
木村 光伸(名古屋学院大学)

●司会(木村) それでは第1部に続きまして、パネルディスカッションに移らせていただきます。
第1部では4人の方にそれぞれの基調報告をしていただいたわけですけれども、第2部はそれに加えまして、瀬戸市国際博覧会推進監の田中重之さんにおいでいただいております。本当ですと、田中さんには安井さんの側に座っていただくのが望ましかったのかもしれませんが、瀬戸市というのがこの博覧会にとって当事者であるような、ないような、責任主体であるような、ないようなというところが、ちょっと私ども引っかかりまして、とりあえずこちらにお座りいただくということにいたしました。
それから、私どもの大学から小林甲一、十名直喜、水野晶夫の3名が皆さんの代表というかたちで発言をさせていただくことにしております。どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、早速ですけれども、田中さんの方から瀬戸市のお考え、ご事情等々をお話しいただけますでしょうか。

●田中 ご紹介いただきました田中でございます。どうぞよろしくお願いします。
瀬戸市から見た国際博覧会の中身と期待される波及効果について、少しお話をさせていただきます。これまで開催されました国際博覧会におきまして、瀬戸市は少なからずかかわり合いを持ってございます。明治6年(1873年)のオーストリアのウィーン万博におきまして、瀬戸の陶芸家でございます川本桝吉の作品が進歩賞を受賞したのを皮切りに、明治9年のフィラデルフィア万博、明治11年のパリ万博に陶芸家の作品が数多く出品され、賞を受賞してございます。そのころの博覧会におきましても、数多くの作品が出品されてございます。これは、焼き物のまちとして1,300年の歴史を持つ瀬戸の文化、焼き物の文化の力だというふうに思います.。
国際博覧会はロンドンで第1回目を開きまして、約150年の歩みのなかでその時代時代を反映をし、役割を変えてきましたが、21世紀の最初に瀬戸市で開催される博覧会は、新しい博覧会のあり方を示すとともに、自然と共生する持続可能な社会を目指しております。このような博覧会が瀬戸市を舞台にして開催されますことは、国際的な知名度の向上やイメージアップはもとより、世界各国からさまざまな人たちが訪れる国際交流の場、あるいは人材育成の場として絶好のチャンスであるというふうに期待をしておるところでございます。
また、この地域は中部新国際空港、第2東名、リニア新幹線をはじめとしますインフラが整備されることになってございます。瀬戸市におきましても、東海環状自動車道、名古屋瀬戸道路、愛知環状鉄道の複線化、上下水道の整備、あるいは中心市街地の再開発などの都市基盤整備が着実に促進されることになってございます。そういったことによりまして、今まで培ってきました産業基盤を一層強固なものにするとともに、新しい社会システム、ライフサイクルの発信地として瀬戸市は世界の産業技術、生活の中心地として大いに発展していくことを期待しております。
また、世界各国の文化、技術などの交流によりまして、セラミックスをキーワードに、ソフト産業を含めました新しい産業をつくり出す芽が育ち、瀬戸が世界のブランドとして大きく発展する絶好のビジネスチャンスでもございます。この博覧会は20世紀型の開発から脱皮し、自然環境と共生した長期的なまちづくりと一体となって開催されますことが基本コンセプトでございます。環境、自然、防災、高齢者に配慮したまちづくりを基本に、最先端の技術を用いまして、自然環境に負荷の少ない新しい社会システムへのチャレンジが、まさに21世紀を見据えた瀬戸のまちづくりを考える機会というふうにとらえまして、地元瀬戸市民がこの大きなテーマに正面から取り組みまして、博覧会会場計画と瀬戸全体のまちづくりが連携を図っていくことができれば、瀬戸のまちづくりが世界のモデルになれるというふうに考えております。
瀬戸市では21世紀を展望し、今後のまちづくりの指針でございます第4次総合計画をすでに策定してございます。この国際博覧会の開催は、第4次総合計画をより推進されるものと期待をしています。また、私たちのまちでは、これまでも市民参加型のまちづくりを実践してまいりましたが、博覧会の開催を契機に、さらに一歩踏み込んだかたちでの市民参加のあり方が提唱できればと考えております。
いずれにいたしましても、2005年の国際博覧会が次の世代を担う子供たちに大きな影響を与え、新たな時代への変革のきっかけを提供する場になればと考えております。

●司会 どうもありがとうございました。
瀬戸市の基本的なお立場をお話しいただきました。第1部のところで安井さんの博覧会の構想、あるいは考え方に続きまして3人の先生方にいろいろお話を伺ったわけですが、例えば奥野先生は楽しいもの、あるいは生活や産業の後世のために残せる成果をということをおっしゃいました。とりわけ、観光というものをもう少しまともに考え直す必要があるのではないかという問題提起であったのではないかと思っております。たしかに、奥野先生がおっしゃるように、中部地方というのは遊ぶことがとても不得意な地域のような気がいたします。しかし、遊ぶための素材が決してないわけじゃございませんで、私常々、東経137度の文化軸という話をよくするんですけれども、能登半島から始まりまして、白山を通って、飛騨を通って、美濃を通って、伊勢湾を通って伊勢志摩へ、このラインのなかには日本の自然をほとんど網羅して、代表的なものを標本のように見ることができ、しかもそこにはいろんな文化素材というものがたくさん埋もれている。そういうものをつなぎ合わせていく作業というのは、これから多分とても必要じゃないかというふうに思いまして、奥野先生のお話を非常におもしろく聞かせていただきました。
植田先生の方は、共生ですとか、あるいはグローバル化と地域化という2つの、これは相反する方向では多分なくて、融合されていく方向性なんだろうと思いますけれども、そういうものに対する評価の尺度というものを多面的にというか、多次元的に考えなきゃいけない、そういう問題提起であっただろうと思いますし、そういうものをベースにしないと、恐らく環境との調和だの持続可能な開発というようなものは考えられないんじゃないかというお話であったかと思います。
それから、最後の白幡先生は、私どもが何気なく自然との共生と口走っておりますけれども、そもそもそんなことは可能なのか、あるいは自然との共生という言葉を言うときの自然とは一体何だろうかというようなことを、文化の問題として取り上げるべきだというふうにおっしゃいました。反対運動すらも私どもが国際博を考えるときには大変重要な素材である、当事者であるといった方がいいのかもしれませんけれども、きょうは、もっと本当は反対運動の方々が大挙して押しかけてこられることを、恐れつつも半分ぐらい期待しておったのですけれども、どうもそういう雰囲気に、これからなるのかもしれませんけれども、今のところなっておりませんで、常々博覧会を私の方で見ておりまして、賛成派とか推進派の集会は持たれ、反対派の集会は活発に持たれるけれども、それを合わせたようなものはちっとも出てこない、その辺が博覧会を本当に考えることから市民を遠ざけているのではないかというふうに私ども考えてきたわけで、そういう意味では、きょうは賛成、反対交えて本当の活発な議論ができればというふうに考えておるわけでございます。

早速ですけれども、今、第1部の先生方のご発言、あるいは博覧会協会の将来構想のご表明と、それから瀬戸市のお立場の 田中さんからのご発言に対しまして、それぞれの立場からのご意見をちょうだいしたいと思うんですけれども、まず小林さんから何かございましたら。

●小林 それでは、私の方から少し問題提起となりますか、お話しさせていただきたいんですけれども、きょうの5人の方々のお話をお伺いしていまして、われわれの考えていたとおり、かなり多様な多くの波及効果が博覧会の開催そのものに関しましてもそうですし、それに関連した諸事業をあわせまして非常に多様な効果があるというふうに思われました。
そういう地域に対する効果ということを考えた場合、1つ注意をしなくてはいけないと常々思っているのですけれども、プラスの効果というのはある点に集積するのではなくて、むしろ拡散をしていく。私ども、最初にも言いましたように、地域といいましても瀬戸を中心に考えたいという点からしますと、その2つを考え合わせますと、何かプラスの効果というのが瀬戸にあったとしても、瀬戸から離れていってしまうのではないかという心配が常にあります。
それから、逆にマイナスの効果というのは、むしろ何かある点に集積していくという傾向があるように思っているのですけれども、そうしますと、プラスは拡散していって、マイナスはたまっていく。そうなりますと、地域といいましても地域全体、例えば中部圏とか愛知県全体にとってはかなりプラスの効果もあっていいのかもしれないけれども、瀬戸にとってはどうやらというようなところがすごく心配なわけです。そういったところで、プラス・マイナスとその地域との関係、あまり瀬戸、瀬戸といいまして、何か地域エゴといいますか、最近そういう運動も盛んにおこなわれておりますけれども、そういう地域エゴばかりを強調するつもりもないんですけれども、やはりそういった点が非常に気になるところです。
それから、もう一点、こういう大規模な、しかも公共事業としては非常に短期間に集中するプロジェクトを見ていった場合、そういったプロジェクトと大規模なプロジェクトと、先ほど田中さんもおっしゃった、これから瀬戸市がまちづくりと博覧会の開催とを調和させていこうとしていくお話をお伺いして思ったんですけれども、そういうプロジェクトと、それから、これからの瀬戸のまちづくりのあり方とがどう調和するのか。調和させようとすれば、どういったところを考えれば、ポイントにしていけばうまくいくのかといったところが考えられればというふうに感じました。以上です。

●司会 この問題はどなたにも引っかかる問題なんですけれども、開発プロジェクトのプラスの面とマイナスの面をどういうふうに考えていくか、このあたりは何を尺度にプラスだ、マイナスだということを考えるのかということも含まれてくるかと思いますけれども、そのあたりのところ、まず植田さん、何かご意見がございましたら、お教えいただきたいのですが。

●植田 率直に言って、古くて新しい問題というか、常に出てくる問題だと思います。その意味で簡単な答えがあるとは私は思いませんが、問題はまず実際にそれにかかわっている人たちがそれをどういう項目、私の言葉で言えば評価の尺度みたいなものですが、具体的に列挙されているか、かつ端的に言うと、プラスは生かしながらマイナスはなくす、あるいはマイナスはみんなで分かち合うように、どういうふうにするかということについて、どういう案を持っておられるか、それが議論されないといけないでしょうね。ですから、そういうものが議論されないままでいっちゃいますと、大変当初考えていたというか、今、小林先生がご指摘になられたような問題がそのまま出てしまって、プラスは広域的に分散するけれども、マイナスは集中しがちであるとか、まちづくりと無関係の事業になってしまうとかいうことになるので、そうしたら、そうでないようにするために、どういうやり方があるのかということを考えていかなければいけない。本当は、実はこういう事業は歴史的にも、後で白幡先生にもお伺いすればいいと思うのですが、こういう博覧会についても、いろいろそういう賛成、反対が前からあったとおっしゃっておられますから、ということは、逆に言うと、これまでの経験のなかでどういうふうなことをやられてきたかとか、それがどううまくいったか、まずかったかとか、そういう私の言葉でいえば事後評価というふうに言ったんですけれども、そういうものが次にも生かされるように、一種のデータベース化されていく必要が実はこういう開発の問題、事業の問題に本当はあるということだと思うんですね。
しかし、そうは言いましても、やはり個々の事業とか開発プロジェクト自体が昔とは違う状況というのもやっぱりあると思うんです。それも踏まえないといけないということなので、何か簡単でないということを繰り返して言っているようなことにもなるのですけれども、しかし、私はやっぱりそういうことが先人の努力みたいなもの、あるいは工夫みたいなものを非常によく集め、積極的によく分析し、評価もして、どう考えるべきかということをよく議論する場をつくって、かつ新しい状況なので、それにふさわしい、そうすると新しい発想とかアイデアというものも募るようなシステムがないと、これはできていかないと思いますので、そういうことがうまくできるかどうかということが大変大事じゃないかなというふうに思います。
先ほど、白幡先生も、反対がいろいろあったことも含めて博覧会だと、こういうふうにおっしゃいましたけれども、だから、どういう努力がされてきたかというプロセスが大変大事になるように思いましたけれども。

●司会 ありがとうございます。もう少し具体的というか地域にこだわって、中部経済圏を考えに入れて今の話をするとすれば、奥野先生、どういうふうになるのでしょうか。

●奥野 具体的に何を残すかという話なんですが、私は教師をやっています。教師というのは、何か役に立つものを教えているのだろうと思うんですけれども、学生は出ていったきり、後は何も音沙汰がないというケースがほとんどなんです。それでもどこかで何かの役には立っているのだろうと思うんです。
先ほど白幡先生の方から、電話番号が残るのじゃないかという話があったのですけれども、これは大変大きなことだろうというふうに思うのです。具体的に何が残るかというと、私は、きょうは基盤整備の話が出てきておりませんけれども、基盤をきちっと整備しなければいけないと思いますよ。鉄道系をまず整備する、これは大変大事なことですね。特に高蔵寺でクルッと環状の方に回れるように、あそこの瀬戸の方をちゃんとする。それからHSST、これは藤が丘からちゃんと新住地区まで延ばすようにする。これをつけるときに、私はまだ委員をやっておるのですけれども、大変でした。あれは名古屋市の意地悪だと思うんだけれども、藤が丘からあそこの道路に出るまでのところが、なかなか道が決まらない。決まらないものだから、東京に何遍も行って会議をやって、東京では建設省の担当課長さんなんか知り合いの方たちがいらっしゃって、会議が終わると、「先生、あんなものできるはずがありません」とか言っておられるんです。名古屋に帰ってくると、中日新聞には「いや、できそうだ」と次の日に言っているわけですね。何やらわけがわからないような感じでしたけれども。
愛知県はどうするんだといったら、それじゃ、とにかく費用−便益比率を、2までもっていかなければいけない、今は1.2しかない、あと0.8、何とか上がらないですかという話があるんです。そんな話をやったのですが、基盤整備をまずきちんとしなければいけない。そうしますと、もちろん道路は、名古屋市は道路が通っておるのですね、今。先ほど田中さんの方からお話がございましたが、計画されている。鉄道がきちんと整備されたら、これはやっぱり大きいですよ。
さっき申し上げましたように、私は台湾の台北市の研究開発団地、新竹でしたか、あそこが今、アジアのソフト、電子技術関係のメッカになりつつありますね、シリコンバレーみたいに。あれはやっぱり国際空港から近い、台北から近い、生活基盤をそろえてある。あそこは学校がないときには、全然いい人が集まってこなかったんだけれども、そういうものをそろえたらアメリカのシリコンバレーにいた人たちがガッと帰ってきたということがあります。ここはそういう意味では大変いい場所なんですよ。鉄道交通をきちんと整備されたら、中部国際空港からは1時間以内で来れますし、大都市はすぐそばにあるわけですし、そういう生活環境も随分いいですし、これは要するに筑波や京阪奈以上の研究開発団地になり得る可能性を持っていると思うんですよね。今もすでにさっきちょっと申し上げましたけれども、集積をし始めていますので、これをしっかり生かしていくということがまず1つ大事かなというふうに思いますね。
何か愛知県ばかりで申しわけないんですけれども、この地域、各企業がその企業の博物館というものを随分持っていらっしゃるんです。これは数えたらもう200近くあるのですけれどもね。大きなものでは、さっきちょっと言いましたけれども、産業技術記念館とか、トヨタ博物館というすごいものがある。それから徳川美術館等々もある。こういったものは、まだネットワーク化されていないんですよ。きちんとネットワーク化することも1つは大事なんだけれども、もう1つはそういったものを総合したような、一つの産業博物館があってもいいと思うんです。それをこの地域にひとつできれば、大変いいものとして残っていくのではないか。
これは愛知県は前は熱心だったんです。ずっと提案されていらっしゃったのですが、最近はまだ引っ込めてはおらぬとおっしゃるんだけれども、あまり熱心な運動をされていらっしゃらない。通産省の私が関係しておるもので委員会等々もいろいろありまして、そこでそういうことが話題になる。そうすると、東京は通産省は今ちょっと財政問題があるものだから、あまり熱心にはやりませんが、しかし、各地では関心を持っているんですよ。東京は当然自分のところにできるものだと思っているし、大阪、神戸も一時資料を随分集めていらっしゃった。今はなかなか進まないものだから、その集めた資料をどこで保管するか、一生懸命苦労していらっしゃるようでありますけれども。それから、福岡は福岡で何かやろうとしていますし、この地域もそういったものをひとつ位置づけて、きちんと残す。そうなってきますと、瀬戸はアメリカのシリコンバレーじゃありませんけれども、研究開発、あるいは新産業のメッカになっていく可能性は多分にあるだろうというふうに思いますね。この地域は製造業の基盤が
大きいですから、そのような期待を、具体的な残るものとしては、そういうふうに思っております。

●司会 ありがとうございます。植田さん、奥野さんと話を続けて聞きますと、何だか明るい未来が見えてきたななんて感じるようなところまでは来ているのですけれども、果たして2005年までにそうなるのか、あるいはそういうきっかけができるのかというところが、はなはだ、最近また県も何となく引っ込み思案になっているようなところがありますので、どうなるかわかりませんけれども、そういうなかであえて一過性のメリットも考えんといかんよとおっしゃった白幡さん、そのあたりのところを少し補足していただけますか。

●白幡 一過性のメリットだけを言ったわけでもないのですが、それも随分重要だというのは、大阪で花博が行われたときに、ご存じですか、花博の会場に鶴見新山という山があるんです。これは大阪市内で山としては最高峰なんです。鶴見緑地にあって、鶴見新山というのです。つまり「新山」だから、以前にはなかったんですね。別に噴火したわけでもない。ゴミを積んでつくった山です。標高300メートルぐらいでしたか。
それで、僕は花博のときに、いろんなきれいなことを言う意見がいっぱいあるから、それもよろしい、それは要するにお化粧をして、コスメティックで人を誘惑するというきれいな話はいいんだけど、中身も見せたらどうだと。環境博というふうに位置づけて、鶴見新山は以前はゴミがなかで発酵してメタンガスを出していて、それの空気抜きの穴があって、それが花博のときにようやくガスの発生も止まっているということだったんです。大体なかを見せられるのじゃないかと。いかに会場は都市生活と自然とを、人間の暮らしと環境への圧迫というのを、その当時考えうる範囲で処理したかという1つの実例じゃないかと。すごく美しい花や緑にあふれた会場のなかは、実はゴミです。ゴミを花の山に変えたのですというのを見せられる、しかもそれはさっきの奥野先生が言われたように、森だけ見せたら普通退屈するんです。ゴミなんか見せられたら、ましてやそんなものだれも見に来ないんですが、何かおもしろくする方法はないだろうかと。つまり、結局、それは環境に対する教育だとか、美しい言葉で言っても、それだけでは来る人はないです。そうしたら、鶴見新山のなかをジェットコースターでゴミがきれいに見えるような、何かそういうものはできないのかとか僕もいろんなことを言ったのですが、輪切りにして断層を見せろとか、人間の知恵、環境に対する知恵、ゴミ処理の知恵と楽しみがセットになることは何かないだろうかと。結局、博覧会中にはそういうアイデアは出なかったし、多分大変難しいことだったろうと思うんですけれども、そういうアイデアを出しながら、採用されなかったものもある。
しかし、そこで残ったのは、いろんな議論です。この博覧会をどうしようかという熱意で、その気持ちが集まって、それで残ったのはある種の熱意、心の部分、これはもうずっと残るわけですね。例えば、そのときに博覧会の華やかさは一過性の華やかさであったとかいろいろ言うんですけれども、あの熱意のおかげで、例えば今、大阪の花博はうまい具合に収入が随分あったので、その後、花と緑の国際賞なんか出していますね。それから、そういう動植物に対する知識が大体われわれの暮らしのなかでどんなふうに楽しみを見出すかというようなことに対して、賞を出したり、研究が進んだりということがある。そういうことで、やっぱり私は一過性でも熱を帯びなきゃだめだというか、それは随分遺産になるのではなかろうかと思うんですね。
それをやるには、例えば今おっしゃったような基盤整備、鉄道は当然大事だと思うんです。これもただ鉄道をつくるのか、そこに楽しみ心、遊び心が入った鉄道をつくれるかどうかで、例えば南海電車が関西空港に走らせている電車の前の顔を、鉄人28号みたいな顔の鉄道にしたら、そっちの方が客が多いわけです。普通の電車を走らせていたのでは、なかなかあれだけの客を集められなかったと思います。人間というのは、大体生まじめというだけで生きているわけではないので、そのなかで自分の心が解きほぐされたり、情熱的になって議論できたりというテーマなら引きつけられるわけですね。ですから、さっき、議論があるのが博覧会の吸引力になるのだということをちょっと示唆したのですけれども、基盤整備にしても遊び心を入れてほしいということ。
それから、産業博物館についても、日本の技術というのは、私が非常に評価しているのは、生まじめな機械だけをつくってきたのではなくて、そこにいろんな遊び心を、楽しませる心を乗っけている部分については世界中で評価されている。それが、例えばアニメーションであるとか、カラオケであるとか、そういう基礎的にオーディオ技術というのは世界中で持っていたんだけど、それを遊び心に乗っけるというのが日本の産業のある種の特徴であって、これを忘れてやってはいかぬというふうに思うんです。それは、多分奥野先生はそういうことでおっしゃっているのだと僕は解釈したんですが。そういう意図で、熱っぽく議論するという、これが大した遺産ではなかろうかという気がしています。

●司会 ありがとうございます。まずおもしろくないといかんというのは、大方の方が直感的には感じていらっしゃるんだろうと思いますけれども、なかなかこの種の議論をやりますと、おもしろいというのが後回しになりまして、いかにまじめに、いかに自然に優しくということだけが先行する、そういう状況で今日まで来ているのだと思います。
いろんな意見が出てまいりました。安井さん、ここらでもう一回、何かコメントいただけますか。

●安井 私たちが7月に会場基本計画を発表しましたときには、もうたたき台というか、たたかれ台ぐらいのつもりで出したのです。これは早い時期に皆さんに、今ここまで来ているのだということで、こんな考え方でという発表をしましたけれども、そのときに、もう1つ今のおもしろさとかそういう話が出ました。それは、実はアセスメントとの関係とかいろいろなことで、ハードの計画を先行して発表したという点に1つは大きな意義があったと思うんですけれども。
今、実はコンセプトプロジェクトチームというのをつくりまして、そこでいろいろの検討をしております。この前、新聞等でもごらんいただいた方があるかもしれませんが、まだ正式発表には至っておりませんけれども、そういったようないろいろの楽しさとか夢というものがあるようなものを、できるだけ提案しようではないかということを今検討をしているわけです。
そういうなかで、先ほども言いましたが、林とか森を使って展示空間をつくるという話をしましたけれども、そういうところにも、例えば自然の持っているいろいろの音があります。そういった音を音楽という形で、そこへ行くと自然のハーモニーというか、そういうものが聞こえるような場をつくろうとか、あるいはまた、ある場所へ行きますと、そこでは特殊な眼鏡、ゴーグルのようなものをかけますと、動物、例えば鳥の目とか、虫の目で自然が見られる、あるいはもっと言えば、太古の爬虫類の目になって、自然を見たらどんなふうになっているのだろうかといったような、そういった遊び心を持った、それを森と言っていますけれども、そういったものをつくっていこうとか、いろいろのかたちの、今「12の森」なんて言っていますけれども、そういったものもできるだけ早く、まずたたき台といいますか、そういったもので皆さんにもう少し時間をお借りして、提案をしていきたいなと思っているわけです。
たしかに、いわば環境問題という1つの非常に難しい問題があるわけですが、それをまた一面では今言ったようなかたちで、別の見方で問題認識をする。知らず知らずのうちに参加者が自然の大切さとか環境の重要さを理解できる、それで「行って楽しかったな」「よかったな」と。それでも「あんなことが大切だな」というようなことがわかるような、そういった仕掛けを、これから今検討していますけれども、できるだけ多様なものを皆さんに考えてもらい、またそれを提案することによって、そこへだれが参加するかというのも問題になってきますから、いろんなかたちで今、検討を進めているというのが実情です。

●司会 万博誘致の過程で、数年前、突然「共生」というのがキーワードになりまして、それ以降、いろいろなところで発表されたり、きょうもご報告いただいておりますけれども、自然を、あるいは環境を問題にしなきゃいけないという話が出てからずっとなんですが、自然環境そのもの、あるいは会場が海上の森になるとして、海上の森の自然そのものをどう見せるかというお話はよくあるんですけれども、先ほど白幡さんがおっしゃったように、里山というのは文化が詰まったものですから、文化の詰まった全体として、人間の生きざまといいましょうか、暮らしの問題として里山をどう見せるかというあたりが、何かちょっと抜けているのかなという気が私なんかするのですけれども、このあたりも何かお考えなんでしょうか。

●安井 これもこれから、今検討のなかでは、私たちの生活のなかで、今まで非常にかかわりの深いなかで、いわば一番身近な自然だったと思いますね。身近な自然をうまく人々が活用し、また時にはちょっと手荒に活用したといったような時期もあったわけです。したがって、やはりそれがこれからどういうかたちでやっていくのが一番いいのかというようなことを、過去・現在・未来のかかわり方、それをどういう形で見せるかというのは、あるいは博覧会というかたちで仕立てていくかというのは、問題があると思いますけれども、やはりそういう面も特にこの瀬戸の焼き物の歴史のなかで非常にかかわりが深いわけですから、そういうような点に特に力を入れて、何かいいかたちでの博覧会の1つのポイントにできればと、こんなふうに思っております。

●司会 ありがとうございました。十名さん、何かご質問、ご意見は。

●十名 どうも皆さん、ご苦労さまです。
5人の方々のいろんな意見を聞きまして、いろんな問題点とか思いがありますけれども、簡単に2、3点、ちょっと質問および問題提起というかたちで出させていただきます。
まず最初に、テーマとこのサブテーマについて、これをもう一度深く見つめ直すという作業が必要ではないかと思います。テーマのなかに「叡智」という話がありますし、サブテーマのなかに「知恵」という話もあります。これは、われわれが今日、知識とかあるいは技術とか、そういうものを単に並べたり、あるいは表面的に利用するということではなくて、もっとそれを深いところからもう一度とらまえ直す、問い直すということが求められいる、それが1つは凝縮されているように思います。
そのなかで、「暮らしの技」ということが書かれております。技というのをアートというかたちで言われておりますけれども、もともとアートというのは近代化の以前というのは、技術とか芸術、文化というものがある程度未分化であった、そういうものが近代化のなかで分離していくというかたちでありました。今日、情報化のなかで改めて歴史的にも、こういうものが技術と技能、あるいは産業と文化、芸術、こういうものが融合化する時代を迎えているのではないかというふうに思います。こういう視点からとらえ直すことができないかと思います。
こういう問題は、例えば私たちが、人間というものは働く、学ぶ、遊ぶという3つの大きな動作をやっておりますけれども、こういうものがまた融合する時代を迎えております。そうすると、本当に楽しくいろいろと学んだり遊ぶという、こういうかたちのなかでは、改めて奥野さんが言われましたように、楽しいものにして、本当の意味でもう一度いろんなかたちでリピートしたいという非常に深いものが問われているように思います。
それで、こういう意味で見た場合に、3人の先生方がそれぞれ、奥野先生は産業というもののあり方というかたちから切り込まれました。植田先生は環境と人間との共生、そして、白幡先生はそれを文化というかたちでもう一度集約し直すというかたちを言われたわけですが、これらに共通する点とは何かということが1つは非常に問題点としてあります。
この場合にいろんな方々が言われておりましたが、地域というものがかなりそれを集約した1つの視点として出されております。そうしますと、地域とは何かということが、非常にまた地域の視点ということも言われておりますけれども、これが問題提起になろうかと思います。地域といっても、広く言いますと地域としてのアジア、日本、あるいは地域としての中部圏、愛知県、また足元を見ますと、地域としての瀬戸地方、あるいは瀬戸市といういろんなかたちであります。こういう意味で、地域というものがある意味でいろんな生活の立脚点、基盤であり、またいろんな歴史と風土の凝縮したもの、それを白幡先生は文化というかたちで言われております。こういうかたちになりますと、改めてまた文化とは何かということにもかかってこようかと思います。
こういうなかで、この万博の主催地である瀬戸ということを見た場合に、もてなす主体というものがどういうかたちで見ていくのかということを改めて問い直されております。そういう意味では、先ほどいろんな意味で深く自分を見つめ直す時代というかたちを提起いたしました。地域のアイデンティティというものが、非常に今は問われています。ある意味では、もっと個人という次元にいきますと、自分というもの、自分のアイデンティティ、あるいは自分探しというものも問われてきております。そうすると、これをもてなす瀬戸が、瀬戸とは何か、その地域とは何かということを改めて問われてきております。そういう意味で、これまでこの中部圏は、奥野先生が製造業に非常に特化したというかたちで言われてまいりました。そういう意味では、瀬戸というのは、陶磁器産業、ものづくりに非常に特化してまいりました。そういうなかで、ものづくりそのもののなかにも、植田先生が言われたようなこの判断、何が有用かというなかに、非常に文化というふうな視点が入ってまいります。特に、陶磁器産業というものが非常に文化と深くかかわる産業だと、そして陶磁器そのものが非常に遅れた産業というかたちに見なされながらも、やはり自然と接点になり、自分を取り戻していく、そういう意味で土と親しみながら再創造していくという、ある意味では最先端の産業として、また評価し直す視点もあります。
そうした視点から見ていった場合に、奥野先生が先ほど、ネットワーク化に加えて総合的ないろんな博物館、あるいはセンターをと言われました。そういう場合に、瀬戸というものをものづくりの産業都市から産業文化都市へ、あるいは芸術文化都市へとどういうかたちでつくり直すかということが、実は問われているように思います。本当の意味でもてなすというかたちになってきますと、自らが本当の意味で深く問い直し、来た人たちにもう一度投げ返すような、落ち着いた深い、ある意味では大阪万博のようなかたちとは違った、本当の意味での21世紀型が求められているというふうに思います。
以上、簡単ですが終わります。

●司会 ありがとうございます。地域とは何かという大変難しい問題が含まれておりまして、私たちは常々、愛知万博という言葉に振り回されるものですから、瀬戸を中心にと考えますと、すぐ愛知県側しか想定しないんですね。ところが、瀬戸の特色をあげろといいますと、陶磁器が出てきて、陶磁器といいますと、北側へ行きますと、岐阜県の東濃地方というのは最大の陶磁器産地の1つでございまして、実は隣接しているというか、むしろ一体のもの、瀬戸で陶磁器産業の後継者を育成いたしますと、受け皿がないものですから、東濃の方に就職しちゃうなんてことが現実に起こっているわけでして、そういうものを一体として考えて初めて地域というのが成り立つのかなとは思うのですけれども、それは多分愛知県知事には想定できないようなエリアなんだろうと。だといたしますと、別のかたちで、ある意味では瀬戸が積極的に核になって地域づくり、あるいは地域イメージをつくって、その上に万博を乗っけていくということも必要なのかなというふうに考えたりもいたします。
十名先生はまちづくりについても大変ご活躍でございますけれども、そのあたりのところはどうなんでしょう。いつも地場産業だの世界陶芸村をつくらんといかんとか、愛知万博と絡めておっしゃるんですけれども、その辺、瀬戸市としてはどんなふうなお考えなんでしょうか。

●田中 瀬戸はもともと今おっしゃったように、1,300年の歴史を持ちます陶磁器のまちでございまして、ところが今おっしゃるように、東濃地区にもある、愛知県下のなかにも常滑もございます。そういった地域を越えて陶磁器ということでの文化、地域性というのが1つまたくぐれぬだろうかというふうには思うわけですね。実際には、瀬戸と東濃とは市役所レベルでございますけれども、人事交流もしてございますし、それからいろんな交流もしてございますので、そういったものをベースにして、さらにそういったものをつくり上げていってはどうかなと。
今度の万博につきましても、瀬戸らしさというものを、そういったものも含めてどう出すかということが瀬戸市民のこれからの1つの課題ではないかなというふうに思うわけです。その1つとして、世界陶芸村基本構想というものをつくりましたし、それをまたさらに計画に切りかえていくということで、今後詰めていきたいなと。そのなかには、当然文化というものも、1つのキーワードとしてあるのではないかというふうに思います。

●司会 奥野さん、どうなんでしょう。経済単位として地域を考えますと、都道府県というのがいつもバリアになっちゃうんですけれども。

●奥野 私は、さっき陶磁器の話が出てきておりますけれども、この地域に自動車産業や航空機産業が今興っているというのは、あれはトヨタがあそこに工場をつくったから興っているということではなくて、もうちょっと広い地域の連携があったというふうに思うんですね。
これは技術士の方から教えていただいて、大変おもしろいなと思ったんですけれども、この地域の自動車とか航空機とか、航空機産業も日本の航空機関係の製造の70%以上はこの地域なんですけれども、これは、基礎の木工にベースがあるというんですね。飛騨の匠というようなことがありますけれども、基礎の木工技術が大変高かった。それが江戸時代等々、木工を使って大変いい時計がつくられるとか、からくり人形がもちろんございますね。大変精巧な、完成度の高いものがつくられる。もう最高まで到達した木工技術として物がつくられていく。それが戦前の航空機産業に結びついていった、それが自動車に結びついていった、こういうふうな歴史があって、それでここに自動車がある。ですから、随分この地域、自動車というのは愛知県が中心になっているけれども、山の方から海の方まで随分大きな広がり持っている。そうやって育ってきたということをお聞きしたのです。
私、さっき、産業博物館と言いましたけれども、産業博物館というのは、それを逆にたどっていって、きちっと基礎の木工まで行けるような、それがわかるようなものであったらいいなと思うんですね。
先ほど十名先生が暮らしの技、自然と生命の輝きが引き出す暮らしの技というのが、これが1つの日本国際博のポイントになっていると言われましたが、要するに今の自動車とか、この地域の航空機産業というのは、木をベースにした暮らしの技が発展してここまで来ているというふうに思うんですね。さっき白幡先生が遊びとして見せるという話がございましたけれども、そういったことが産業博物館で見えるようになると、大変いいなというふうに思っております。

●司会 植田先生どうでしょう、グローバリゼーションと地域化というのが今非常に問題になるわけで、そういうなかで環境や開発というものと、具体的な場としての地域というのをどういうふうにとらえていけばいいのでしょうか。

●植田 グローバリゼーションと地域化というのは、むしろ相互補完というふうに言えるかもしれないと思うんですけれども、今の話は私、大変おもしろい思ったのですが、奥野先生がおっしゃったように、現在の産業の成り立ちというのは、長いこの地域における技術とかノウハウの蓄積がむしろあらわれたものとして現在あると、こういうことなんで、それをちょっと製造業の話はそれで、その話を少し先ほどの共生の話にちょっと結びつけて考えてみたいと思うんですけれども、白幡先生の話の私なりの解釈というのは、要するに共生というのは自然との付き合い方のことなんですね、文化とおっしゃった意味は。自然と人間がどういうふうに付き合うかということを、そういう言葉でおっしゃったと思うので、その付き合い方は国によって、それこそ文化によって違ってくるということで、付き合い方の日本的なあらわれ方があるわけですね。里山はそういうものの典型だと。そういうなかに、製造業のなかに技術とかノウハウとかが蓄積されていったと同じような意味で、共生の知恵とか技術、ノウハウというものが、むしろ蓄積されていっている面が私はあると思うんです。ですから、そういうものを何か引っ張り出せないかということが、私1つの共生モデルというのを、もしこの事業のなかで生かそうというふうに考えますと、それがあったらいいんじゃないかという気がします。それはひょっとしたら生活のなかに埋もれて、ごく当たり前のことのように思われていたかもしれないけれども、多分日本のなかではゴミというふうに言い出したのは、そんなにゴミ処理という言葉は大体私はおかしいと思っていあるのですけれども。というのは、もともとは自然から取り出して、自然に戻しておっただけなんです。自然に還元するということですから、そういう技術、知恵がずっとあったはずなんですね。それが、ある時期からそこが対立図式になってくるというようなことだったと思いますので、そういう共生の知恵とか技術をもっと発掘して、ゴミじゃなくて、今の言葉でいえば資源というか、そういうふうに見ていたようなものがたくさんあったと思うんですね。それを何かあらわす。
それから、もちろんそれは現代的な生活の様式になりますと、なかなか難しいんでしょうけれども、しかし、どう難しいかとかいうことですね。先ほどの鶴見新山の話をお伺いして私はそう思ったのですけれども、どう難しいかということでもありますし、あるいはそれが昔の日本の社会にあったような、あるいは今でも生き残っているようなものをどういうふうに、例えば近代的な技術とうまく結合させると、どううまくできるのかとか、そんな話が出てくると何かだんだんいけるかなという気がしますよね。
これは多分テーマだけ見ますと、ごっつええテーマやなと思うんだけれども、ほんまかいなというのが私はあるかなと思うんですよ。しかし、それは今のような話が出てくると、可能性がひょっとしたらあるかもしれないというか。というのは、人間の活動とか産業活動は、共生という言葉はいいけれども、そんなに簡単にいかないじゃないかと思っているはずなので、それがどう工夫のなかでやっていけそうになっているかというか、そういう過程がわかるようになれば、楽しさも出てくるし、それこそ先ほど言われた夢のような話が出てくるという気がちょっとしました。

●司会 白幡さんは常々、里山というのを翻訳しちゃいかん、あれは satoyama とローマ字で書かんといかんのだということをおっしゃっているわけですけれども、そのあたりのところと今の話とちょっとつなげていただけますか。

●白幡 今、植田さんがおっしゃったのは、先ほど産業・共生・文化、これを地域ということでどう考えればいいのかということだったと思います。つまり地域のあり方というものの理解の仕方で、里山というのは多分今瀬戸には大変良好なものが残っているという考え方があります。それから、基本的には全国に里山があった。それをつぶしてきたところもある。それから、不思議に維持できたところもあるというなかで、だけど瀬戸には大変それがうまい具合に残っているというのがあるという、こういうふうに言われているところもあるわけですね。その中身は何か、多分僕はあまり研究がまだ進んでないと思うんですよ。里山の中身、本当に里山がなぜ我々にとって有益でということが、あらゆる自然の分野においても、われわれの暮らしのレベルにおいても、それから精神的な生活のなかにおいても、こんなに総合的な価値があるということを全部提示できているわけではないんですよね。これが研究が進まないといかんと思うんです。そういうきっかけにもなってほしいと思うんですけれども、それは、やはり過去日本がつぶしてきた地域もあれば、残してきた地域もあるということで、やはり広い意味での日本の特徴的な自然との付き合い方、文化であるというふうに思うんですね。ですから、それを理解してもらうときに、今までは例えば都市のすぐ近くにある林、森であるからというので、ドイツ語でシュタット・バルト、都市林と訳してしまったり、それから surrounding area というふうに理解してしまったりということがあったと思うんです。
なぜローマ字で satoyama と言い続けろというかというと、そこには、まだわけがわからない価値というか、まだ解明できていない価値があるからだと思うんです。これまで外国語に訳せないものは、そのまま使われてきましたね。judo(柔道)だとか、それ以外のshogi(将棋)とか bonsai(盆栽)とか、こういうものはわざわざ訳さないんですよね。われわれも、会合をやるところは会館といってもいいんですけど、ホールという。スケートをやるところは、アリーナと言われるとスケートをやるところかなと思うし、スタジアムというと陸上競技をやるところかなと。これはどこかの国の原語を使っているんですけれども、それは日本語で運動競技場と訳したりしていいんですけれども、スタジアムだとかフィールド、トラックというふうな言葉を、われわれが使っているのは、やっぱりそこのなかに歴史があって、そういうものを全部を理解したうえでここの言葉が一番適当だろうということで使っているわけですね。ですから、地域に非常に特徴的なものを含んでいるということを理解してもらいながら、それのよき面というものを見てもらうという、里山はずっと里山と言い続けて、その位置づけのなかで、いろいろわれわれがまだ気がつかない価値を探していくということをやるべきではないかと思いますね。それは一種の名所づくりというふうに考えてもいいと思うんです。
さっき、鶴見新山の話をしましたけれども、大阪はもう1つ天保山というところがあって、天保年間にできた山です。これも浚渫した泥、大阪湾の港づくりで出てきた泥を積んで天保山をつくった。ところが、その天保山を緑化したんですね、天保時代に。緑の山をつくって、それからすぐにそれができ上がったら、天保山名所図絵というようなものをつくっている。名所というのは、昔からあるものだけじゃなくて、天保山は新しい名所で、名所図絵をやったし、そこへ花見に行く連中だとか、当時遊山に出かける連中がいっぱいいた。これは新しい場所づくりだったわけですね。それが今や非常に落ち着いたかたちで、天保にできて、明治・大正期にはもう緑豊かなところ、大阪には珍しいところだということになっていたわけです。現在は、そこにサントリーミュージアムだとか、それから海遊館という水族館をつくっておる。われわれは、そういうものをつくり出してきて、新しい名所づくりをやる。それで都市の暮らしというか人間の暮らしを活気づけるということをやってきたわけで、私は里山という名前を言いながら、これを新しい名所にできる方法がないだろうかというのを、それこそ地域が知恵を出すべきだと思うんですよね。ほかに先駆けて里山の価値を見つけたら、そこの地域の特徴を見るにはそれが欠かすことができないという価値になっていくと思うんです。その知恵を出すために随分議論をこれからやってもらうとありがたいというふうに、ちょっと大阪から見るとそういうふうに思うんです。

●司会 ありがとうございます。地域が知恵を出し合うというのは、決して愛知県や瀬戸市が考えろということではなくて、私たち自身が発信をしなければいけないというところに来るわけですけれども、知恵も出さなきゃならないけれども、多分お金もいっぱい出さなきゃいけないというところで、最近どうも愛知万博うまくないんじゃないという話が出てきていると思うんですが、もう一方、水野先生、何かコメントをいただけますか。

●水野 瀬戸発という万博なわけですから、その費用とかそういう面はもちろん考えなくちゃいけないと思うんですけれども、瀬戸に限っていえば、負担とか犠牲が、犠牲という言い方はちょっとおかしいかもしれませんが、多少あるかもしれない。ただし、それは短期的な負担であって、もしその負担とか犠牲を覚悟して瀬戸がイニシアチブをとってイベントとしての万博を盛り上げていくというかたちをとれば、それは長期的に見れば、例えば瀬戸がイベント後に国際交流のまちとして生まれ変わるかもしれないし、あるいはボランティアのまちになるかもしれない、あるいは環境のまちというかたちで後世代や世界に残っていくかもしれない。そういった大きな効果、多次元で先ほど議論になっていましたように、いろいろな面から瀬戸が積極的にやっていくメリットはあるだろうというふうには感じてはおります。
それから、そのイベントという意味でいえば、例えば花火大会をイメージしてもらえばわかると思うんですけれども、大きな花火を一発ボーンとやるだけじゃ花火大会にならないわけで、大小さまざまいろいろな色だとか仕掛けがある花火が少しずつ出て、クライマックスがあって盛り上がるというふうだと思います。イベントもそうで、一番大きい花火を1つだけやるわけではなくて、リズムとか流れというのがあるかもしれませんが、どういうふうにして盛り上げていくか、それは非常に重要なことだと思います。
先 ほど安井さんのお話では、プレイベントみたいなものをご計画されているといいますか、それはその1つだと思いますけれども、それがどうつながっていくのか。それと地域との発展、あるいは産業とのかかわり方でどうハーモニーをつくっていくかというのも、同時に重要で、そのあたりをこれは博覧会協会だけの問題じゃなくて、地域や関係者たちの総合的な問題なので、それをどう引っ張っていくかというのが重要なことだろうと思います。
僕自身、大阪万博は見に行きました。小学校の低学年だと思うんですけれども、今でもちょうどこの近くの愛知青少年公園にあるロボット館に入りまして、そこでのイベントに小さいときに参加して、今でも覚えていますけれども、非常に夢とか希望を膨らませてくれるような、そういったわくわくするものが大阪万博にはあったと思うんです。それはそれぞれの人たちがそれぞれの感じ方で感じるものだと思いますけれども、僕はそのとき、小さいながらに感じたのは、そういったこれから大人になっていくというときの期待とか夢とか希望とかが、何かあそこの万博にはあったような気がするんです。
今回考えられている万博というのは、一応環境がテーマだと。ただ、環境という言葉だけ取り出してみると、わくわくはしないわけですよね。いろんな利害の調整とか、そういった難しい問題ばかりが出てきちゃって、そればかりではわくわくするものではないわけで、それをどういうふうに、みんながわくわくするようなイベントにしていくかということですね。夢とか希望とか、そういうものが入ってくるような仕掛けが必要ではないかなというふうには感じています。

●司会 ありがとうございます。イベントづくりとまちづくりと、両面からいろんな課題が出てきたと思いますけれども、まちづくりの方でまず田中さん、今、水野さんがおっしゃったこと以外も含めて結構なんですけれども、開催効果を考える前に開催のための課題というものをたくさん瀬戸市は抱えているだろうと思いますので、そのあたりを少しお話しいただけますでしょうか。

●田中 瀬戸市の南東部で2,500万人の想定ということで、協会の方で考えられておりますけれども、2,500万人の人たちをどう中心市街地のなかに取り入れていくかというのも大きな課題でございまして、そのことによって瀬戸市を世界の、あるいは国内の人びとによく知ってもらうということにしていきたいということで、現在、中心市街地活性化法というのがございまして、それを国の補助を受けまして、2005年までに尾張瀬戸駅から記念橋周辺まで瀬戸川を中心に道路、それから再開発、そういったものをやっていこうということにしてございます。これも1つのコンセプトとして瀬戸らしさの創出をどう中心市街地のまちのなかに生かすかということで、現在、計画策定をしてございます。
それからもう1つは、前にも話が出ておりましたけれども、観光を1つの産業にしていこうということにしてございまして、現在、観光振興計画というものをつくりつつございます。これも近いうちにできるだろうというふうにしております。
それからもう1つは、博覧会の重要なテーマでございます環境をどうするか、瀬戸市のなかで環境をどう考えていくか、どう環境をまちづくりに生かしていくかということで、昨年からでございますけれども、3カ年計画で環境基本計画をつくって、これからのまちづくりには、そういった環境基本計画を環境の総合的、横断的にまちづくりのなかに反映をしていこうというようなことで考えてございます。

●司会 こういう地元の考え方とか動きと、2005年を頂点として行われるイベントとしての博覧会というものをどんなふうにつなげるかというのは難しい問題と思いますけれども、安井さん、そのあたりは何かアイデアというか、今、お考えのことはございますでしょうか。

●安井 博覧会そのものが、これは瀬戸あるいは愛知県、この地域の大きな地域づくりの私は1つのワンステップだというふうに思っているわけです。したがって、われわれは、2005年を目標にして博覧会を準備して運営していくという、これが中心になるわけですけれども、当然、それには、例えば交通のアクセスの問題にしましても、あるいは博覧会会場の跡地をどうするか、先ほど言いましたように、これは愛知県が中心になりまして、学術研究開発ゾーン、いわゆる研究学園都市、私はやはりそういったものに行く1つのステップだと。したがって、博覧会のときにも、後に残るようなものがまず、例えば会場にある研究施設なり展示施設が将来のまちづくりに役立ってくるというのが一番望ましいと思っていますし、それからまた、交通アクセスもやはり将来のまちづくりのなかで役立っていく。そして、それがさらに発展することで、例えば瀬戸のまちづくりというものと連動していくということですから、われわれだけで事業をやっているわけでなくて、いわば博覧会協会がほかのところと、というよりもむしろ、愛知県も瀬戸市もあるいは周辺の市町村も、そして国も、みんなで総合的な総合戦力といいますか、そういうかたちで博覧会というものを1つのステップとして長期的な21世紀の1つのすばらしい活力のある地域づくりをしていく、こういう考え方だと思っています。そのなかの私たちは、いわば2005年まで博覧会をやるという役割を担っている、そして、関係の人たちと手をつないで事業を進める、そういうことだというふうに理解をしています。

●司会 ありがとうございます。地域でどれぐらい活発に地域づくりのための話し合いがなされるかというところにすべてかかっていると思いますけれども、ここで少し時間をいただきまして、フロアの方で何かご発言がございましたら、あるいはご質問がございましたら、お一方、お二方受けたいと思いますが、いかがでしょう。どなたでも。どうぞ。

●フロア発言者:小井川 どうもパネラーの方々、お忙しいなかありがとうございます。私、名古屋学院大学経済学部の小井川と申します。一応このプロジェクトの末席に加えさせてもらっていますけれども、やや本日のテーマから少し外れるかもしれないんですが、そのために皆さんあえてその点に触れてなかったのかもしれないんですけれども、もしよろしければご意見等をお聞かせいただければ幸いです。
割と今日の話、あるいは万博の話が出るたびに地域、地域、瀬戸にいるからかもしれませんけれども、非常にその議論が多いんですね。その話を聞いていますと、地域の利害、プラスなのかマイナスなのかという話にどうも縛られがちで、非常に万博が窮屈になっているような気がいたします。ところが、万博というのはもちろんそういう地域が1つのチャンスといいますか、これをうまく取り込んで地域を活性化し、そして発信していくという意義があるとは思うんですけれども、万博そのもののこれまでの流れは、やや無政府的ではありますが、ロンドンから始まりまして、大きい成功をおさめた万博はパリでありますとか、あるいはシカゴ、サンフランシスコ、そして大阪等とあげられると思うんですけれども、やっぱり大きな時代の流れをうまくつかんだ、それを総括した、あるいは先取りした万博が、国内的にも、そして対外的にも歴史に残っていると思うんですよ。その流れのなかで、われわれ瀬戸は、あるいは愛知県は、どう考えていくべきなのかということが必要だと思います。
だとすると、なぜテーマが「共生」なのかという疑問を常々持っております。「自然との共生」というテーマからしますと、中部圏地域は製造業の拠点ですので、どちらかというとそういう面をなおざりにして、こつこつものづくりをしてきた地域ですね。自然との共生という点でいいますと、例えば北海道とか沖縄とか、そういうところに持っていってもいいわけですよね。これが例えば地域の問題を考えるときに足かせになっている。地域開発をするときには、テーマが自然との共生だろう、道路をつくるとは何事だ、山を崩すとは何事だという話になってしまっていると思うんですね。だからといって、このテーマを引っくり返すわけにはいきませんし、なおかつ自然との共生というのは21世紀に向けての大きな人類の課題ですので、当然共通項として出てくるとは思うんですが、さらにもうちょっと万博がわくわくするような、あるいは夢を持てるような、少し広がりを持てないかという疑問を持っています。
例えば、セビリアは除きまして、大阪はもう30年近く前になっているわけですね。その間にやっぱり大きい世界の流れでいいますと、工業化がいわゆる途上国にも広がり、そしてある程度、今、危機でもめていますけれども、広がりを持った。これをどう総括し、環境なり何なりの問題とつなげていくのかという点も、当然ながら議論されるべきだと思うんですけれども、私の勉強不足かもしれませんが、あまりそういう議論が積極的に交わされ、それに地域開発が位置づけられているという気がどうもしないんですね。恐らく先生方は、テーマに縛られてアイデアをここでは時間の都合上おっしゃらなかったと思うんですけれども、何かお考えをお持ちのようでしたら、そのあたりの大きい流れのなかで、この万博をどう位置づけるのか、そして地域開発の流れのなかでどう考えていけばいいのかという点をお教えいただければというふうに思います。

司会 ありがとうございます。2005年の博覧会自体がテーマから出発しなかった。あるいは、やりたいことがあるから博覧会を企画したというふうには、残念ながらこの10年の流れを見ていますとなっていないところが、恐らく今のご指摘とつながってくるのだろうと思いますけれども、どなたにお尋ねしましょう。どなたでもいいんですか。
4先生方のなかで、この問題はおれが答えてやろうという方がいらっしゃったら。植田先生、どうぞ。

●植田 私の理解はやや違っていまして、ご質問いただいた話からいきますと、むしろ非常に最先端というか、いわば21世紀を切り開くテーマだと思いますね。というのは、これは例えば、日本の経済という観点からしたら、今、不況が一番の問題。失業者が大変増えているということがあったりします。そうしたら、それを克服するためにどうするかというときに、工業化というイメージとは、やっぱりちょっと違うと思うんですね。どういうふうに地域を発展させていくかということを考えます場合に、私、ここで出ている共生モデルというのが、こういう産業の集積地で出てくるというのは大変意味があると思います。北海道とか沖縄で言ったら、そんなの当たり前じゃないかと。そうじゃなくて、こういうところだからこそ、それができるということを日本の人たちの、あるいはこの愛知、瀬戸の人たちの知恵とアート、技術で出てきたら、それは大変画期的なことじゃないでしょうか。端的にいって、持続可能な発展とか、ああいう言葉が出てきているのは、世界中の人びと、あるいは特に先進国中心かもしれませんが、それでもやや方向に対して不安があるわけですよね。それがここで切り開かれるということがもしわかるとしたら、それはものすごく意味のあることで、恐らく歴史に大いに残るものになりうると思います。
しかし、皆さん気にされるように、タイトルだけはそうだけど、中はなかなかそうじゃないと言われたら、そこにやっぱりギャップがあると問題が出てきますが、しかし、私は先ほどちょっとお話ししたように、難題にどうチャレンジして、どう工夫して、あるいは日本のなかに昔からあったような付き合い方も発掘しながら、新しい先端技術とも結びつけながら、それをどう努力していっているか、そこに方向が見えるなということになりましたら、それはすごくいい話じゃないかと。だから、資産として残るものというのは、もちろんハードな基盤的な施設等がたくさん残るのは意味があると思うのですけど、同時に今申し上げたような意味での一種のソフトな資産、この地域は想像力があるということでしょう。想像力があり、イノベイティブであるということが証明されるということですから、これはもう大変意味のあることなので、そういう付き合い方でもありますし、新しい価値の発見でもありますし、アートの新しい活用の仕方でもあるわけですから、そういうものが出てくるということになると、あるいはそれに向けて先ほどの白幡さんのお話のように大変熱を帯びた議論がされて、それがこの地域に残るとしたら、大変大きなインパクトのあるものじゃないかというふうに思いますが。

●司会 どうもありがとうございます。非常に重いテーマで議論をしながら、時間が限られておりまして、本当に申しわけないんですが、特にきょうはパネラーとして4名もの先生方にお越しいただいておりまして、本当に残念なんですが、このあたりで大体時間になってきました。
最後に、まだ言い残したことがたくさんおありだと思いますけれども、白幡先生の方から一言ずつで結構ですので、きょうのコメントをいただけますとありがたいのですが。

●白幡 今の質問ともかかわるかもしれませんが、要するに今の課題、例えばこれまでの万国博覧会は、やはりそれまでの時代を総括したり、それからそれによって新しい時代が切り開かれたという役割があったと思うんですね。おっしゃったように、例えば新興国だとか後発国が工業化されてきた。それで彼らだって今度は環境問題に苦しんでいるというのがあって、それに対する解決策はどんなふうに可能であるかという1つのモデルを提示するというようなことがあるというのは、これは恐らく共通の理解だと思うんですね。それはあるであろうと。
しかし、私はそれ以外に、やっぱり万国博覧会というのは、実は無から有を生じてきたところがあると思うんですね。やろうやという話でやってきた。イギリスが最初にやったのは、彼らは産業技術が非常に進んでいるから、これを世界中に見せたいということがあったと思うんですね。それはやろうじゃないかという話があってこそ始まったという、その気分の結集みたいなものがあると思います。ですから、例えば博覧会におけるイベントづくりとまちづくりの意図が2つ分かれていて、これをどうつなぐかということがあると思うんです。例えば、それは新しいコンセプトでいうなら、先ほどから言われているような観光というものでつなぐ。観光というのは、単に観光資源があるから見てもらうんじゃなくて、つくるんですね。
私は世界三大くだらん観光地と思っているんですけど、例えばデンマークの人魚姫、あれ、テトラポットの上に小さな人形をポンと置いてあるだけですが、世界中から観光客が来る。シンガポールにマーライオンというのがある。石をポンと置いてあるだけです。何やらわからん。愛知は日本ラインというのがありますが、ライン川下り、ローレライの岩、あれはただの山です。行かれたことがあると思います。これは全部世界の大観光地というふうに言われているんだけど、行ってみるとしょうもない。
なぜそれが生き続けるかというと、背景に物語があるからなんですね。人魚姫でもローレライでもマーライオンでも全部物語があるから、そういう共通の記憶を持っているところで記憶を再確認するんですね。見た目にいいんじゃないんです。そうすると、ここの博覧会で共有できる記憶とか、共有できる物語というのを発見するのか、つくり出すのか、そういうことが万国博が本当に成功するか、共通のものになるかということだと思うんですよ。それは恐らく後世から見れば、そういう時代の雰囲気をうまく乗っけたからというふうに解釈できるかもしれませんけど、ほとんど最初はやっぱりつくろうという熱意だと思うんですよね。そのために議論すれば、恐らく新しい物語が共有できる記憶というのをつくり出せるであろうと僕は思っております。

●司会 ありがとうございます。それでは引き続いて、奥野先生。

●奥野 私も先ほどの植田先生、それから白幡先生の話に全く同感でありますけれども、国際博が最初やることになった、それから環境という問題が出てきたわけでありますけれども、環境はやはり21世紀の人類最大の課題だと思いますね。大自然のなかでは人間生きられるものでもありませんし、自然がいっぱいあっても不便でしょうがないんで、私は田舎暮らしは大変長く子供のときからやっていましたけれども、町並みのあるところに行きたいというふうに常々思っていました。大変に不便ですね。
したがって、環境のなかに手を入れないと人間は生きられないわけでありますけれども、しかし、手を入れていくと今度は人間の生存を脅かすようになっていく、その辺のぎりぎりのところを迫られているのが大都市の近郊だと思うんですね。これは世界中どこにもあることだと思うんです。そういうところできちんと共生できる道を探る、これは人類全体に貢献できる大変大きなことではないでしょうか。そういう問題意識が圧倒的にあって、安井さんが国際博を持ってこられたわけじゃないかもしらんけれども、しかし、大変に意義のあることだと思っています。

●司会 それでは最後に、いろんな意見が出ましたので、安井さんの決意表明のようなものを聞いて締めさせていただきたいと思いますが。

●安井 まずテーマの問題ですが、環境という問題、これは恐らく21世紀の初頭に大変な問題だろうと。したがって、最近の博覧会を見ましても、今年開かれたポルトガルのリスボンの博覧会は、海をテーマにしまして「海洋―未来への遺産」というテーマで行われました。これもやはり見てみますと、過去の海、現在の海、そして将来どうなるか、こういった点にかなり焦点が当たったように思います。
それからまた、2000年にドイツのハノーバーで開かれますが、ドイツのハノーバーもやはり「人・自然・技術」ということで、そのなかには環境問題がかなり大きなウエイトを持っているわけです。そういったような流れのなかで、本格的に環境問題を正面に据えるのは、2005年の愛知の博覧会が最初ということでありますので、そういう点で、ずっと新しい流れが生まれてきている。それを21世紀の初めに、博覧会のなかでいろいろの知恵を結集して、そして世界の人類のために情報発信していく役割というのは非常に大きいと思いますし、これはBIEの総会、私も今年の6月に行ってきましたけど、みんなが大変難しい問題に取り組むのだなということを言っています。言っているんですが、一方ではぜひ何とかうまいこと、みんなのいい知恵を集めてくれ、そしてそれを後でみんなが使えるようなものにしてもらいたいというような期待をしているわけです。その期待にこたえるために、このテーマにこだわるということ。
それから、場所につきましても、今までの博覧会というのは、例えばリスボンは工業地帯の再開発、それからハノーバーは今度は見本市の会場の再整備といったようなかたちでおこなわれているわけですが、今度は人と自然が長い間接点としてかかわりを持ってきた、これは非常に日本の、特にこの地域の人たちの里山というかたちでのかかわり、これは、他のところはいったんそういうかかわりというのは断ち切られると終わってしまっているわけです。ここは一回荒れ果てた地域になって、また戻った、そしてまた使われたというような、そういった非常に繰り返しが行われているわけです。次のものを新しい21世紀型の里山と人間のかかわり方、これを自然の叡智というか、あるいはまた暮らしの技というテーマのなかで、もう一遍考えてみよう、そのために、あえてあの場所でやろうじゃないかということであります。
したがって、私たちも、はっきり言いまして非常に難しいチャレンジだと思っています。ただ、そこのなかであまり難しい話だけでは、やはりこれは博覧会にはなりません。したがって、そういった環境に配慮しながら、楽しさとか、明るさとか夢というようなもの、そういったものを来た人が育んでもらえるような、持ってもらえるような博覧会にしたい。そういった努力を、これは一気にはまだ出てきませんけれど、順次ステップアップをしながら、2005年に向けて頑張りたい、こんなふうに考えていますので、よろしくお願いします。

●司会 ありがとうございました。2005年日本国際博覧会は、決して2005年におこなわれるものではございませんで、こういうアイデアが出て、それに賛成反対の声が上がったその日から、もうこのイベントは始まっていると私ども考えております。今後どういうふうに推移していくのかわかりませんけれども、そのすべては地域からの声にかかっているというふうに私ども考えますし、博覧会協会もぜひそういう立場で広い意見の集約をお願いしたいというふうに考えています。私どもも研究者集団として、これを今後10年以上に渡って博覧会が終わった後も含めて見続けていきたいというふうに考えております。
きょうは、長時間に渡ってですけれども、終わってしまえばあっという間でした。大変有意義な時間が持てたと思います。フロアでこのシンポジウムに参加してくださいました皆さんに大変ありがたく感謝申し上げたいと思います。
それでは、これで第2部を終了させていただきます。ありがとうございました(拍手)。


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TOPNGU EXPO2005研究創刊号X.シンポジウム報告>閉会のあいさつ
閉会のあいさつ
名古屋学院大学 産業科学研究所長 岡澤 憲一郎

本日は日曜日であるにもかかわらず、このように多数の方々にご出席いただきまして、心からお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。また、安井さん、田中さん、どうもありがとうございました。基調報告をいただきました先生方および私どもの先生方にも改めてお礼を申し上げます。
2005年に、もうこの瀬戸市で万博が開かれるであろうことは、ほぼ確実だと思われます。その瀬戸市に拠点を構えている大学が、私ども名古屋学院大学でございます。日ごろ、何らかのかたちで地域へ貢献しなければならないと思っておったわけですが、これを機に私どもの産業科学研究所では万博プロジェクト研究を立ち上げました。
BIEのロセルタレス事務局長からも激励のメッセージをいただきまして、本当にわれわれもとしてもびっくりしているしだいですが、何といっても大学の研究所のプロジェクトチームですので、賛否両論あるなかで、どうやったら科学的な、あるいは公平な研究を進めることができるのか、その点が一番心配しているところであります。
恐らくこの点については、私たちのプロジェクトチームとしましては、もしこういうことをすれば、こういうことになりますよ、こういうふうな手段をとれば、経験則上こういう結果になって、こういうことが犠牲になるのではないか、もし何々ならば何々であろうと、こういう判断をドイツの社会学者のマックス・ウェーバーなどという人は、客観的可能性判断などと呼んでおりますが、私たちの万博プロジェクト研究もそういうふうな姿勢でもっていろいろな提言をさせていただきたいというふうに考えております。
きょうのレジュメの9ぺージに、これからの研究のスケジュールが書かれております。アフター万博までも射程に据えた非常に長い研究プロジェクトです。来年にはアンケート調査なども計画しております。いろいろとご協力をいただくようになるかと思いますが、その節にはひとつよろしくお願いいたします。
きょうはこのパンフレットにも書いてございますが、瀬戸市からバックアップをいただきました。その瀬戸市に対しまして、最後に感謝の意を表しまして、閉会の辞とさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)。


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