TOPNGU EXPO2005研究第2号(目次)Y.博覧会の開催と地域社会への責任
Y.博覧会の開催と地域社会への責任
2005年日本国際博覧会の理念と環境創造に関連して
木村光伸(名古屋学院大学経済学部)

 

は じ め に

 2005年日本国際博覧会の会場計画をめぐる混乱は、ひとつの「鳥の巣」の出現をめぐって博覧会そのものの真意を再度議論の俎上に載せることとなった。「新しい地球創造:自然の叡智」というテーマを誰がどのような意図をもって提唱したのか。われわれはこのBIEのオーソライズした博覧会の原点とも言える理念そのものを、今一度根底から評価し直すことを迫られている。
 博覧会会場予定地の「どこか」にオオタカの営巣が確認された5月12日以来、愛知県、博覧会協会など諸機関は、博覧会開催地の見直しという一点で議論を展開してきたように見える。その背景に「オオタカ」という「絶滅のおそれ」のある生物の出現を錦の御旗のように掲げる人々に対して、何ら反論の根拠を持ちえない県や協会の「共生」に対する腰の定まらない姿勢が露呈している。協会が考えてきた「自然との共生」が、生物の生存の完全保証であるとすれば、それは計画当初からすでに崩壊した論理であった。よしんば「珍しい生物」は可能な限り残しましょう、というのが「共生」の真意であったとしても、周伊勢湾生物要素に代表される特異な生物相の保護を達成することが最初から不可能な計画であったことも周知の通りであろう。そういった意味で、文字通りの「共生」は当初から計画の範疇の外にあったはずである。だからこそ、海上の森は再生林であり、人類の砂防と育林の絶え間ない努力の産物であり、ゆえに自然創造の実験の地として相応しいのだと強弁してきたのではなかったのだろうか。私はそのような論を首肯するものではない。にもかかわらず、この期に及んでなお海上の森の博覧会にこだわり続けるのには幾つかの理由がある。この時期に敢えて本稿を公にするのは、博覧会開催の地域社会への責任を重要視するからに他ならない。

そもそもの始まり

 2005年の博覧会開催(いわゆる愛知万博)が構想されたのは、なにも環境を云々したいからであったわけでないことは、この間の誘致活動における博覧会のテーマがたどった軌跡を見れば明らかであろう。だからといって「共生」がとってつけたテーマであり、そのような意見が無意味であるといっているわけではない。むしろ誘致活動の長い道程で自然保護の立場と交錯した結果の産物として「共生」観が生じたのであるとすれば、それはそれですばらしいことであり、われわれがずっと主張してきたように、議論の中で博覧会はすでに始まっていたのである。そのようにして生じた博覧会の理念が、海上の森を対象とした会場計画に集約されてきたのであると理解することは、大筋において間違いではなかったと思われる。にもかかわらず、なぜ今、オオタカが計画を大きく揺るがせるのであろうか。そこにわれわれは計画それ自体の持つ「共生」観の曖昧さ・不徹底さを感じとるのである。いわばオオタカひとつで揺れ動くような「共生」観への不信であるといっても良いかも知れない。
 環境万博への道にはいくつものルートがあるだろう。ひとつには2000年のハノーバー博(ドイツ)が構想しているような自律型環境政策(循環・省資源社会)をテーマにしたものである。それはまさしく人類の努力・人類の叡智が醸成する未来社会をイメージするものであり、自然を克服するという点では近代の目指した地平を踏襲するものであり、逆に言えばそれでしかない。いわゆる愛知万博の理念はその対局にあるものであったはずだ。よしんば、それが開催決定のためのイメージ広告に過ぎなかったとしても、そう宣言したことの重みは決して小さくはなかった。「自然を克服したはずの社会」への反省が、「自然の叡智」への理解を、われわれに呼び覚ませたのだとしたら、日本型環境博覧会は新しい「ひと=自然」共生系を人類の進む道として提示することで、博覧会の役割をはっきりと決定づけることに成功するに違いない。「さとやま」がそれを具現する。
 もうひとつ、われわれが主張し続けてきたことは、この国家プロジェクトとして完遂されようとしている博覧会が、地域社会へもたらすであろうさまざまな影響を重視すべきであるという点である。博覧会はただ一過性の祭典であるかも知れない。だがその祭典が地域社会へ投影するであろう多様な効果は、祭典の副産物という矮小化された評価を受けるべきではない。むしろ、永続的に地域社会に関係し続ける課題として、博覧会のテーマは構想されるべきなのだ。ひとつの地域が受け止めるには「自然の叡智」は重たすぎる。にもかかわらず、たとえば瀬戸市はそれを受け止めることで、世界へ発信する中心点になろうとしていたはずであり、地域構想そのものも博覧会と一体となるはずであった。だから、国家的プロジェクトもまた地域的な基盤を持ち得たのではなかったのだろうか。
 略言すれば、「自然の叡智」は「地域」概念の認識と一体のものとして、はじめて了解可能なのである。そしてその展開の場こそが「海上の森」でなければならなかったのではないのか。なんのために「海上の森」に拘り続けたのかを、関係機関は今一度自問すべきではないのだろうか。

オオタカの突きつけたもの

 オオタカの営巣はたしかに会場計画全体に大きな変更を迫るものであろう。正確な位置が公表されない事情下で変更案を検討することは容易ではない。しかしオオタカとの共存を計る方法を安直に決定して良いはずがない。県や博覧会協会によって今検討されているらしい方法はオオタカと人間活動の分断である。それは希少種の保護という点では安全かつ確実な方策であるに違いなく、一般的には間違いなく優れた反応なのであろう。だがそれでは「海上の森」のオオタカはひとまず保護されたとしても「さとやま」問題が一歩前進したことにはならない。それどころか「人を遠ざけること」をもって「保護」となすという論理を、ひとと自然の間の折り合いの原点に置くという過ちを犯すことになるだろう。ここでわれわれがいいたいのは、なにもオオタカの営巣を無視せよ、ということではない。オオタカがすむ里山が私たちの生活圏と境を接して存在し、そのことを自覚するが故に「自然の叡智」に対するひとの安易なアプローチを戒める、という構図がわれわれの自然観に定着することを重視したいというのである。ひとは近代化の過程で自然に対しておこなった自らの過ちを清算するために、ますます自虐的に自然から自らを遠ざけてきた。しかしそれは人類自体をさらに自然から疎外させる結果を生じさせたに過ぎない。それはひとと自然とを対立項と見なすことと本質的には変わらない。博覧会が「新しい地球創造:自然の叡智」を掲げて進むのは、そのような視点に新しい転回点を見いだすことではなかったのか。博覧会そのものを放棄するのでない限り、その意図は堅持されなければならない。

会場計画について

 オオタカ問題が会場縮小や分散開催といった流れを簡単に構築したのはなぜであろうか。残念ながらそこにわれわれは計画自体の曖昧さ、強いて言えば自ら設定したテーマを十分には理解してこなかった開催主体の姿を垣間見る。県や協会は今こそ「新しい地球創造:自然の叡智」を掲げた重みを思い出すべきであろう。いつまでも入場者数や跡地利用に振り回されてはならない。もともと跡地利用とのセット企画から出発してしまった愛知万博であるから、どうしてもその部分を切り離すことは困難なのかも知れない。だが、これから構想される新しい博覧会は、あの忌まわしい「都市博」が開催中止という英断とともに放棄したパビリオン主義を克服したものでなければならない。会場予定地の本当の価値をよく知らない都会のアイディアマンたちが創った計画が海上の森のサイズに合わないのは当然なのかも知れない。サイズが合わなければ海上の森にあった計画にすべきであろう。
 青少年公園で代表されるように、近くに空き地があるからといって、安易に分散開催を考えるなどというのは愚の骨頂でしかない。なぜなら、そのような発想が「自然の叡智」の発見からはもっとも遠い解決法であるからだ。
ではどのような解決法があるのだろう。答えを急ぐ前に、事柄の本質を整理しておく必要がありはしないか。その中から解決策を見いだすべきである。

(1) 博覧会の目的は掲げたテーマを次世代の思想の中心へと据えることにある。過去の博覧会は、ずっとそのように構想されてきた。

(2) 今回のテーマは「新しい地球創造:自然の叡智」である。この解りづらいテーマを一言で「共生」というのは、ひょっとしたら正しくないのかも知れない。本当は「新しい共生観の創出――日本からの発信――」というべきなのではないだろうか。そのように考えれば、海上の森の破壊を最小限に止めたイベントは十分に可能なのではないか。

(3) 新しい「共生」を模索することでしか保全できない「海上の森」では、当然それ以後の開発計画の凍結が計られなければならない。共生を目指す博覧会の開催すら危ぶまれることを自ら認めた関係機関が、新住宅市街地開発事業を含む新たな開発計画と 海上の森の保全が整合するとはいえるはずがない。敢えて強行するとすれば、自ら博覧会の理念の否定者とならざるを得ないからである。

(4) 安易に代替地を求めるべきではない。空き地で開催できるような博覧会であれば、「海上の森」に拘ることによりテーマを練り上げてきたすべての過程を否定すること になる。すでに述べたように、博覧会誘致の出発点で誤っていた理念・目的を乗り越えたのはなぜだったのかを思い起こすべきである。反対派に迎合する方便でなかったのなら。

(5) オオタカ問題を避けるためだけに考え出された分散会場による開催は、思想的敗退でしかない。閉ざされた空間でしか開催できないとする考え方自体が、新しい博覧会の構想を疎外する。

(6) 自然理解をきちんと地域と結合させた新しい博覧会はオープン・エリア・エクスポジションでなければならない。

オープン・エリア・エクスポジションの構想

 ここでいうオープン・エリア・エクスポジションとは単に多会場同時開催ということではない。自然が地域と一体のものである以上、地域のすべてで自然を表現する必要がある。
 今回の博覧会では、「海上の森」はたしかにひとつのシンボルである。しかしそのシンボルは、1300年の瀬戸窯業地との対比でのみ語りうるものであり、一部の人たちがいうような世界遺産の対象などではあるはずもない。念のためにいっておくが、そのことは何も「海上の森」の自然的価値を決して貶めているのではなく、人類の歴史と自然の叡智が融合して、今の自然を創造してきたことを評価しているのである。日本で当たり前のように考えられてきた「さとやま」が、実はグローバル・ヴァリューを持った自然観再生のキーワードとして発信されることの意義が、決して過小評価されてはならない。「ひとの暮らしがあってはじめて成立する自然」という認識が、今や60億人を越えたひとを養う地球の救世主となるのだ。この一見形容矛盾のような関係こそが海上の森における展示の中心である。そのための人工的工作物は最小限で十分だ。一方、その対局のように見えて、本当は海上の森と同じ「さとやま」の延長上に瀬戸の広大な採土跡地がある。そこを破壊のシンボルと見るか、人間活動の原点と見るかは表現の違いでどのようにでも加工して見せることができる。地球の環境を追いつめた人間活動をここで集中的に展示すればよい。パビリオンが必要ならばここに集中立地させることも可能だろう。両者の対比の中にセラミック・パーク・シティー「瀬戸」がある。市街地活性化で再生した街並みの中で、生活と芸術の交錯した世界を市民とともに構築できないだろうか。愛知県陶磁資料館はそのまま博覧会の中核施設となることも可能である。
 さらに瀬戸は美濃へと連なる。日本の伝統的技術を繋ぐネットワークは中部全体へと展開させればいい。伝統的技術がグローバルなものとして評価されたとき、先端技術として人類を支えてくれる。先端技術が自然をモチーフの中心とした博覧会で堂々と展示できるのも、自然から出発した技術的世界の表現だからである。ひと・技術・文化・自然を通覧できるネットワークとしての博覧会がそこに現出するはずである。
 海上の森から出発して瀬戸の周辺全体を会場とする博覧会はこうして成立できる。あとは簡便なアクセス手段の構築を考えればいい。再生する自然と利用され尽くした自然。その狭間にある文化と産業の瀬戸を縦横に繋ぐ簡易型移動網はそのまま新しい交通体系のモデルとなるだろう。地域に拡がる博覧会は会期の終了後もその運動を維持することにより、そのまま未来都市の成立を見ることだろう。そこにわれわれが見るのはSF的な無機質都市ではなく、セラミック・パーク・シティーに相応しい土の暖かみと保全された自然が豊かに調和した「ひとの生きる街」である。
 ひとつ大きな問題があるとすれば、入場者数に「収益」と「開催者のメンツ」を保証させたがる悪弊をどう解消するかである。博覧会の真の目的を、新しい思想の発信であると捉えることが、開催主体に本当に理解できるかどうかにすべてが懸かっているのである。

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TOPNGU EXPO2005研究第2号(目次)Z.1999年度活動報告
Z.1999年度活動報告
プロジェクト研究代表 小林甲一

 1998年3月に名古屋学院大学総合研究所(旧称:産業科学研究所)のEXPO2005プロジェクト研究が活動を開始して以来、2年あまりの歳月が経った。このプロジェクト研究も、第2段階の2年目に入り、博覧会をめぐる情勢の変化や地域の動向を見極めつつではあるが、概ね計画していた研究テーマに沿って着実な調査研究活動を続けている。とりわけ、この年度は、公開ワークショップの開催とアンケート調査の実施を重点的ににおこなった。1999年度の主要な活動内容は、以下のとおりである。

1.主な調査研究活動
  ・EXPO2005の構想や内容、会場基本計画に関する調査
  ・博覧会の開催効果に関する調査研究
  ・周辺自治体の地域計画および地域政策に関する調査研究
  ・「学術研究都市」に関する比較調査研究
  ・瀬戸市周辺の経済動向に関する調査
  ・瀬戸の陶磁器産業に関する実態調査

2.公開ワークショップの開催
  テーマ:地域からの再考:EXPO2005
  [第1回]地域経済   1999年11月25日(木)18:30〜20:30
万博が地域にもたらす社会・経済効果
三井 哲 氏(名古屋学院大学商学部助教授 金融論)
  [第2回]地域政策   1999年12月16日(木)18:30〜20:30
博覧会よりもまちづくりを ― 瀬戸市地域計画の課題 ―
               松村 久美秋 氏(地域問題研究所 調査研究部長)
[第3回]博覧会計画 2000年1月20日(木)18:30〜20:30
博覧会イメージと瀬戸のまちづくり
木村 光伸 氏(名古屋学院大学経済学部教授 地域生態論)

    場 所(3回とも):せとしんエンゼルホール

3.夏のワークショップ(プロジェクト研究内)
 *日 程:1999年9月13日(月)〜9月14日(宿泊:グリーンピア恵那)
 *調査研究:・陶磁器テーマパーク建設予定地の見学
      ・核融合科学研究所および東濃学術研究都市予定地の見学
       ・首都機能移転候補地見学
 *研究会:・博覧会跡地および学術研究都市に関する調査について
      ・瀬戸市域経済界アンケート調査および住民意識調査の実施について
      ・地域からみた国際博覧会

4. NGU EXPO2005 研究 創刊号(研究報告書第1号)の刊行(1999年5月)
            地域の経済社会とEXPO2005

   目 次
はじめに ― 発刊にあたって ― T.名古屋学院大学 EXPO2005 プロジェクト研究の概要 U.2005年日本国際博覧会が地域産業に及ぼす効果の定量分析         ― 産業連関分析を利用して ― V.「名工研」瀬戸分室の移転統合問題と瀬戸の街づくり     ― 名古屋工業技術研究所の歴史的・技術的資産に光をあて、 新しい瀬戸・芸術文化都市の創造に活かす ― W.博覧会関連の社会資本整備に関する研究 ― 社会資本の経済効果と瀬戸市の役割 ― X.シンポジウム報告 「地域の経済社会と愛知万博 ― 開催効果と地域発展のあり方をめぐって ― 」        (1998年11月15日  せとしんエンゼルホール) *パネリストによる基調報告 *パネル・ディスカッション Y.1998年度活動報告 おわりに

5.その他
 *緊急提言(1999年6月25日)
   木村 光伸(名古屋学院大学経済学部)
       博覧会の開催と地域社会への責任
          ― 2005年日本国際博覧会の理念と環境創造に関連して ―

 *対外活動
  ・パネルディスカッション パネリスト参加(水野 晶夫)
    「EXPO2005を契機に東部丘陵地域の21世紀を考える」
       1999年10月15日(金)18:30〜  長久手町文化の家「風のホール」
  ・その他の取材およびヒアリング(木村 光伸・小林 甲一)
     (財)2005年日本国際博覧会協会、中日新聞、日本経済新聞、新東通信など
  ・平成11年度瀬戸市産業振興会議研究会意見交換会のコーディネート(小林 甲一)
第1回:2000年2月14日(月) 15:00 〜 16:00  瀬戸市文化センター
        意見交換会 テーマ「瀬戸市の産業交流事業」
    第2回:2000年3月23日(木) 14:00 〜 15:00  瀬戸市やすらぎ会館
意見交換会 テーマ「瀬戸市における産業観光」
  ・中部通商産業局国際博覧会推進室によるヒアリング調査(小林 甲一)
    「2005年日本国際博覧会を契機とした地域活性化プロジェクトの推進」
      2005年日本国際博覧会を契機とした中部地域の特色ある発展
      に関する調査研究に対する助言

おわりに
 1999年度においては、博覧会の会場そのものやその基本計画が揺れ動くなかで、われわれの調査研究活動をどのような方向に向けるべきかについて戸惑う時期もあったことは確かだが、「地域の視点から、地域について、地域とともにEXPO2005を考える」というわれわれのスタンスでその成り行きを見守ってきたつもりである。
これからの展開もなお不確定な部分が多く、しかも、依然として会場基本計画が確定しない状況においてこうした活動をいっそう促進させることに多少の困難がないわけではないが、このプロジェクト研究の方向性やわれわれのスタンスがもつ重要性と有効性を確信して、今後も調査研究活動を継続していきたいと思う。
 最後に、1999年度もわれわれの調査研究活動に対して、関係各位に、とりわけ瀬戸市には多大なご支援とご協力をいただいた。記して感謝申し上げたい。


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