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万博"後"の街〜ハノーバーリポート2003〜
(中日新聞・2003.12.2〜3) 名古屋学院大学経済学部教授 小林甲一

 ●第1回:地域創造の精神発信 (2003.12.2)
 私たちの研究チームは、2年前から過去の博覧会開催地を訪ね、「開催後」の視点からその開催効果に関する調査を続けており、昨年度はセビリアとリスボンを訪れた。本年度は、開催中(2000年)に訪れたハノーバーにもう一度との思いから、8月末、現地に滞在してヒアリングや会場跡地の調査をおこなった。  到着後の第一印象。3年ぶりの来訪者を迎えた空港や街の様子は、予想以上に発展していた。博覧会までに間に合わなかった社会資本の整備がさらに進み、新しい建物がいくつか完成し、都市機能はいっそう充実したようにみえる。特に中央駅と中心市街地にかけての一帯は、何とか繕ったという状態だった3年前と比べてはるかに整備されていた。
 ハノーバーが国際博を開催したのは、何よりも世界的な見本市都市としてさらなる発展を期してであった。このことは、見本市会場の一部を利用してその拡充を図った会場計画や関連した交通・都市基盤整備など、どれをとっても一貫した基本方針であり、この点でハノーバーは、オリンピックを開催したミュンヘン以来の大成功を収めた。入場者数が期待の半分にも達しなかったにもかかわらず、ハノーバー博が失敗ではなかったといわれる所以であろう。
 今回の訪問は、このことを再確認させてくれた。その意味で、ハノーバーにとって博覧会は1つの通過点で、いや、都市づくりの新たな出発点であったのだろう。街の中心部には、今でも開催前のカウントダウン用掲示板がそのまま立ち、逆に博覧会から何日・何時間経ったのかを示している。国際博を生かして、これからも何かをやってやろう。博覧会の開催に込めたハノーバーの心意気が伝わってくる。
 もちろん、いまやハノーバーが博覧会の理想型ではない。跡地計画が雲散霧消した愛・地球博は、本来の姿として博覧会の内容や会場計画にその重点を移してきた。しかし、だからといって、地域づくりの理念をなおざりにしてよいのだろうか。博覧会をもっと地域創造の精神や思いを実現に向け発信する機会ととられる必要があるだろう。いまさら、開催地が萎縮してもしかたがない。「ようこそ!エキスポ・シティ ハノーバーへ」。中央駅のホームに流れるアナウンスが、何かしら誇らしげに聞こえた。

 ●第2回:博物館を市民が運営 (2003.12.3)
 博覧会以降、地域経済は少し冷え込んでおり、セビット(情報通信技術)で有名な国際見本市も現状維持のようだ。当然といえば当然だが、国内外の長期的な経済停滞にあえぐ他の地域に比べまだよいのは1995年から続いた博覧会ブームのおかげというところか。それでも、年間の来訪客は博覧会前から7%増加し、都市基盤に惹かれた予想外の企業立地も進んでいる。経済・産業の面からみて、ハノーバーの都市としての格が上がったことは確かであろう。
 問題がないわけではない。ハノーバー大学総長で、自らも経済学者として博覧会の開催効果に関心をもつシェッツル教授によると、特に社会資本の過剰投資が気がかりだ。開発された住宅地の利用は順調だが、新装された空港の利用者数は思わしくない。見本市会場に隣接し、博覧会のために開発された用地の利用率は60%程度にとどまっている。それでも、当初から後利用が確定していた施設の大部分は十分に稼働中のようで、大きな失敗にはしない"ハノーバー流"が生きている。産業見本市の活性化と連動させて、未利用の用地や施設をどのように有効活用していくかが今後の課題となる。
 ハノーバー博でもっとも注目されたワールド・ワイド・プロジェクト。その責任者だったアーレンス氏によれば、ドイツ国内(280件)のうち3分の2は特別な支援がなくなった現在でも継続中だそうだ。プロジェクト進行中の直接的な経済効果もさることながら、経済社会に及ぼした誘因・学習効果は計り知れない。見本市で育まれてきた"地域の知恵"が国際博で開花した好例であろう。最後に、博覧会跡地の一角にある"EXPOSEEUM"を訪れた。市民の手によって運営されるエキスポ博物館。地域における博覧会の遺産を継承し、世界のエキスポ・ファンと交流する場だ。開設の経緯について尋ねると、「市長がやる気がないので私たちが」ということだった。今では、ここがポスト博覧会事業を受け継ぐ正式な組織となっている。これが、究極の市民参加なのかもしれない。
 2010年の上海博は、このハノーバー博をはるかに凌ぐ開発型の国際博になるだろう。愛・地球博は、そのはざまで、与えられた制約を克服して独自の世界を創造しなければならない。それを成功に導くのは「自然の叡智」なのだろうか。それとも「地域の知恵」なのだろうか。

万博の街を訪ねて〜ハノーバーリポート2000〜
(中日新聞・2000.9.22〜24) 名古屋学院大学経済学部教授 小林甲一

 ●第1回:博覧会による都市の発展 (2000.9.22)
 現在、ドイツ・ハノーバーでは、「人間、自然、技術 ― 新たな世界の幕開け」をテーマに「エキスポ2000」が開催されている。次に、エキスポ2005の開催を控えた私たちにとって、会場や各パビリオンの様子を知りたいことはもちろんだが、開催地がどのように博覧会を迎えているのかも気がかりだ。こんな気持ちで、ハノーバーを訪ねてみた。
 ハノーバーは、人口約54万人、ニーダーザクセン州の州都で、ベルリンやハンブルクと並ぶ北ドイツの中核都市である。メッセ(国際見本市)の開催とフォルクスワーゲン本社が近くにあることで有名な産業・ビジネス都市であり、また「緑のなかの都市」」と形容されるように、ドイツのなかでもとりわけ緑の多い街でもある。
 今回、ハノーバーが博覧会の開催を思い立った一番の理由は、メッセ会場として都市機能を強化することであった。ドイツ統一で東側の壁がなくなり、首都が東のベルリンへと移り、しかも、EU圏が東へと拡大する。地理的に絶好の位置にあることで、EUにおける都市間競争から抜け出て、世界的な「メッセ都市」としての発展をめざしたのである。
 エキスポ2000の会場は、世界一の広さを誇る従来のメッセ会場(約90f)と新たに開発された隣接地(約70f)からなっている。新装された空港の、これまた新しい駅から約25分、中央駅や市中心部からは10分もかからずに、電車で会場駅に到着する。新装された会場駅には、会期中、ドイツの新幹線ICEも停車し、ドイツの主要都市から日帰りでも見学可能だ。また、新たに開発された会場の跡地や建物は、会期後、企業や団体に切り売りされ、メッセ会場に隣接するビジネスセンターとして生まれ変わる。
 ハノーバーは、1995年以降「プログラム2001*」にもとづいて100あまりの新規事業で都市全体を一新した。ドイツとは思えないきれいで、便利な中央駅。化粧直しされたバロック様式の市庁舎。市内の各所には、モダンと伝統の調和をはかった新しい建物や施設が建築され、また、市内の公園や緑豊かな都市景観にもいっそうの磨きがかけられた。
 混んでいない電車でゆったりとエキスポ会場に向かった。メッセ会場を利用しただけに、会場内は雑然としており、ただ広いだけで楽しさや賑わいが感じられない。私たちのエキスポ2005。きっと、これよりもっと面白い博覧会にすることはできるだろうが、開催都市の発展やまちづくりはどうなるのか。ハノーバーの発展をみると、私たちも、地域や都市の個性を生かした具体的なイメージをしっかりもつ必要があることを痛感した。

 ●第2回:博覧会と市民参加 (2000.9.23)
 ハノーバーの街に出てみた。中央駅や市中心部は、エキスポ2000の歓迎ムードでいっぱいだ。繁華街の真ん中には、エキスポ・カフェがあり、大きな書店の入口には、エキスポ2000キャラクターの大きな人形がかけてあり、華やいだ雰囲気をつくっている。また、会場外の市内でも、オペラ・演劇・音楽・映画・スポーツ・シンポジウムなど、関連する文化イベントが盛りだくさん。ただ、商店街や市内の観光名所は、比較的落ち着いており、全体的には、会場とハノーバーの街とが切り離されているような印象が残った。これが、ドイツ的なのかもしれないが、日本人の眼から見ると少しさびしい気がした。
 よく知られているように、ハノーバーでも、エキスポの開催計画に対して、環境保護団体をはじめとした各種の市民団体による激しい反対運動が繰り広げられた。結局、郵便による市民アンケート調査の結果、回収率61.7%で、51.5%が開催賛成、48.5%開催反対となり、ほんの僅かな差でなんとか開催の方向に歩みだした。いま、私たちのエキスポ2005でも「市民参加」が大きな注目を集めているが、ハノーバーでも、どのようにしてエキスポ2000を市民に理解し、参加してもらうかが、大きな課題となったのである。
 今回、博覧会のテーマや開催効果を広く外に向けて発信するのに大きな役割を演じたのが、ワールド・ワイド・プロジェクト**である。これは、エキスポ2000が、そのテーマに共鳴して具体化するプロジェクトを募り、公認したもの(推進主体はNPO・企業・公的機関などさまざま)で、ハノーバーをこえて世界的に広がり、ドイツ国内で280件、国外では123ヶ国、487件にのぼった。そして、これが、ハノーバー市民のエキスポ2000に対する意識を少なからず変えたのではないかという話をあるドイツ人から聞いた。
 ハノーバーにおけるその1つ、クロンスベルク地区のエコロジー重視型地域開発を見学した。この地区は、会場に隣接しており、そこでは、環境保全や循環型社会に配慮した宅地やさまざまな住宅が建設されていた。まだ、これからといった部分もあったが、熱心に説明する担当者の横顔からは、エキスポ2000に参加しているという意識が感じられた。
 書店のエキスポコーナーに、博覧会の理念や今回のテーマにウンチクを傾けるための難しそうな本がたくさん並んでいるのを思い出した。博覧会への市民参加。博覧会は、何よりも、市民にとって自然に、心から楽しめるものでなくてはならない。だが、その一方で、博覧会が提示するテーマを思い、自分たちに何ができるかをまじめに考えるべきであろう。博覧会のテーマは、いつもオープンで市民に開かれているはずだ。こうした市民参加ができる博覧会。これは、エキスポ2000が私たちにくれた大きなプレゼントかもしれない。

 ●第3回:博覧会の経済・社会効果 (2000.9.24)
 会場を見学した翌日、ニーダーザクセン州立経済研究所***を訪問し、エキスポ2000の経済効果の調査を担当する主任研究員のR.エーテル(R.Ertel)氏とミーティングする機会をえた。氏によると、関連事業うち約70%を州内の業者が受注しており、地域経済では、1995年以降建設ブームが続いている。ハノーバーにとって大きいのは、やはり鉄道・アウトバーン・市内交通網など、交通インフラの整備が短期間に集中したことで、ミュンヘン・オリンピック以来のことだ。博覧会財政の赤字問題は、政治的に解決されるだろうし、地価高騰や交通渋滞など心配されたマイナス効果はあまりない。「なかなかよいではないか」というのが、大半のハノーバー市民の受けとめ方だろう、ということであった。
 入場者は、予想を大幅に下回っている。ドイツでは、メッセ以外に魅力のない中規模都市で開催したことがその原因だといわれている。会場の様子を見てもそうだが、確かに、博覧会としては失敗に終わるかもしれない。しかし、それとはまったく逆に、メッセ都市としての知名度アップや基盤整備など、ハノーバーの思惑は大きな成功を収めたといえるだろう。もちろん、こうした都市発展のあり方に疑問の声もあるが、これには、開催地域にとって経済効果としては測定できない、長期的で幅広い効果が期待できるはずだ。
 私たちの地域にも、エキスポ2005に合わせて多くの大プロジェクトがひしめき、開催地となる瀬戸市・長久手町・名古屋市やその他の自治体では、地域計画の準備が進んでいる。都市としての発展をどの方向に向けるのか。その具体的なかたちは、エキスポ2005の理念とそのまちの個性をうまく調和させるところに見えてくるにちがいない。
 エーテル氏の話でもっとも興味深かったのは、ワールド・ワイド・プロジェクトの経済効果についてである。それ自体、当初から地域経済の活性化を1つの目的としており、それは、ドイツ国内で約250億マルク規模、州内で約20億マルク規模の事業に相当し、計測ではこれまでに州内で約10億マルクの付加価値を創出した。これに公認されたことで、銀行からの融資をうけることのできた企業の新規事業もあるそうだ。ここに、市民参加やまちづくり、企業活動をうまく経済・社会効果に結びつけるヒントがあるかもしれない。
 視察の終わりに、ハノーバーの地域計画に関する資料を入手するため市庁舎を訪問した。広報課で用事をすませた後、その職員に「エキスポ2000や開催効果についてどう思う」ときいてみた。すると、「よくわからないけど、まちの雰囲気が国際的になったのはいい。やはり、以前は、私のような外国系住民は差別されましたから」と言った。こんなところにも博覧会の効果があるんだなと思いながら、ICEに乗ってハノーバーをあとにした。

 ●基本用語の解説
*ハノーバー・プログラム2001
 エキスポ2000に向けて、1995年にハノーバー市が策定した都市発展のための整備計画。域内交通基盤の整備、メッセ会場の刷新、環境重視型宅地・商工業地の開発を主な目標に、さまざまな分野で大小107事業が展開され、投資総額は、約45億マルクにのぼる。

**ワールド・ワイド・プロジェクト
 エキスポ2000が、@各パビリオン・A関連文化イベント・Bテーマパークと並ぶ4番目の柱として実施した事業。その理念やテーマが、会場の外でも、持続して実践されるよう構想されたもので、会場内のグローバル・ハウスでは、内容や具体例が紹介されている。

***ニーダーザクセン州立経済研究所
 1981年、州経済交通省によって設立。ハノーバー大学の協力を得ながら、地域経済に関する調査研究をおこなっている。エキスポ2000やその経済効果についても、早くから積極的な研究活動を展開し、その成果は、州政府の政策決定に大きな影響を与えている。