特集:漂う日本
                  

 こちらに来てまだ半年ほどですが、この大学の環境にもずいぶん慣れました。これも親切で楽しい学生の皆さんのおかげです。
 現在、エントロピーを利用した生産システムのシミュレーション手法について研究しています。


幸せな日本人

木下和也
[Kinoshita,Kazuya 商学部講師・経営情報学]
 



 インドでのことである。日本への帰国を目前にして体調をくずし、入院してしまった。これは偏見ではないのだが、どうも外国の病院でお世話になるというのには抵抗がある。ましてや、水道の水は雑菌だらけで飲めないのが当たり前の国。注射針は本当に清潔なのだろうか。薬の分量は間違ってないのだろうか。こんなことばかり考えてしまう。ところが、注射するときには、必ず、「使い捨てだから安全だ。」とか、「この薬はどこの国から輸入されているもので、こんな作用がある。」など、一つ一つ説明を受けながら、医療行為を受けた。隣の患者は医師に向かってたくさん質問をしていた。納得がいくまで質問しているようだった。

 そういえば、日本の病院で注射を受けるときに、医者から事前にこの針は使い捨てだから安全であるという説明を聞いたことがない。と言うよりも、それが当然過ぎて、こちらから尋ねようとも思わなかった。外から見るインドはいかにも混迷を極めているかのようだが、ある意味で、当然のことを当然のように行っている社会なのだと感じた。日本はどうだろう。当然のことなのだから、誰も説明しようとしないし、誰も疑問に思わない。黙って医者に言われるままに腕を差し出す。これが日本での正しい医療行為の受け方のようだ。

 またまたインドに話を戻して、国内便に搭乗したときのことである。席は自由席であった。塔乗券の内容も手書きの文字。座席は足りるのだろうかと心配した。しかし、搭乗すると、席は必ず確保できる。何のトラブルもない。みんな自分の席は自分で確保するのだ。またこんなこともあった。ヒンズー教徒がガンジス川で沐浴することで有名な聖地ベナレスでのこと、日本では今や珍しい停電に遭遇した。ここでは停電は日常茶飯事、半日以上停電することも当たり前だという。その日ベナレスの空港から飛行機で移動する予定であったが停電はいつまでたっても終わらない。空港ではコンピュータはもちろん使えない。しかしいつものことだからと空港での搭乗手続きは全く滞りなく手作業で行われていた。もちろん自由席だったが。

 私は日本で未だに全席自由の飛行機など乗ったことがない。考えてみれば、日本では飛行機同様に全席指定が当たり前の社会。与えられた座席に着くだけで、面倒なこともトラブルもない。みんな何の疑問も抱かず、素直に指定された座席に着くのだ。
 
「お上が決めたことに疑問を持たない。」これは日本の文化、伝統なのだろうか。それとも、ただ単に「素直で従順な」国民性だからなのであろうか。

 今、バブル崩壊とともに、世の中の仕組みが変わりつつある。規制緩和、ビッグバン等々。これまでの政策失敗という汚名を返上しようと、次から次へとお上からのアイデアが目白押しだ。どうやらお上の目的は、規制をなくすことで自由に競争させ、日本社会、とりわけ経済を活性化しようということのようだ。しかし、いかにお上のアイデアがよくても、これまでお上の「手厚い保護」を受けていた国民が、本当の自由競争になったとき、生きていけるのだろうか。 
 
 「素直で従順な」国民を乗せた全席指定の飛行機は、いったいどこへ行こうとしているのか。


図書館報「α」Vol.10 No.2目次にもどる