特集:漂う日本


著者 サミュエル・ハンチントン
1927年ニューヨーク生れ
ハーバード大学政治学教授
アメリカを代表する戦略論の専門家で、政治学、戦略論、国際関係論に関する著作多数あり。

根無し草

伊沢俊泰
[Izawa,Toshiyasu 経済学部助教授・国際経済学]




 私が大学院生の頃、夕刻にゼミが終わると指導教官であった恩師は自室に学生たちを呼び入れて、酒を飲みながらあれこれ語り合うのが常であった。経済学のことばかりでなく政治や大学の抱える様々な問題、あるいは恩師の海外留学時代に経験した諸々の逸話を聞きながら、時には生意気にも師に反論を試みたり、国際色豊かなゼミのメンバー(日本・韓国・中国・オーストラリア・イタリアなど)と議論を戦わせていた。その頃折りにふれ師が語った話のうち、もっとも印象的なものに「日本−根無し草」論があった。
 
 日本は地理的に東アジアに属する国であり、そもそも文化・文明の多くは中国・朝鮮半島を経由して取り入れたと思われるが、明治以降現代に至るまでの日本はアジアに対する強い共感の下で道を歩んだとはいえず、そのルーツをアジアに持っているという意識が希薄であった。一方、東アジア諸国も戦争中の経緯もあり、日本を同じ文化・文明を共有する仲間であるとは真の意味で考えていない。むしろ第二次大戦後の日本は政治経済的に米国との関係が深いのだが、だからといって日本は米国にそのルーツを持つわけではない。結局日本はどこの国・地域にも根を持たない根無し草であるというものであった。

 この言葉を聞く度に私は深く考えさせられた。日本という国のアイデンティティをどこに求めたらよいのか。どこの国にも根を持たない日本はこの世界で機会主義的に動かざるを得ない孤独な存在なのか。どこの国も共感を持って日本を迎えてくれないのかと。

 しかし、師の話はこれで終わるのではなく、根無し草であるからこそ日本はどこの国とも関係を保つことができる、むしろ根無し草であることの利点が日本にあるのだという言葉で終わるのであった。この言葉を聞くと暗澹とした気分の中に光明が見いだせたような気がしてほっとすると同時に、日本がこの複雑な世界でどのように針路を取ればよいのかという重い問いかけが覆い被さってきたものだった。

 サミュエル・ハンチントン(ハーバード大学教授)の『文明の衝突』(鈴木主税訳、集英社刊)が話題を呼んでいる。冷戦終了後の世界では、イデオロギーの対立に代わり七つないしは八つの文明圏に属する国々の自己主張が国際関係の前面に表れて新たな対立軸を形成するというものである。多くの評者が指摘するように、ここで象徴的なことは他の文明圏が二カ国以上から形成されているのに対し、日本はただ一国で独自の文明圏と数えられていることである。ハンチントン教授は日本と他の国々との関係が経済的利害や安全保障などの政治的利害によって保たれており、決して文化・文明上の絆によって結ばれていないことを指摘しているのだが、この本を読みながら先の師の言葉がにわかに甦ってきたのである。

 日本が独自の文明圏を形成していることは、時としてそれが世界からの孤立を招くものとなるかもしれない。また、その舵取りを誤れば複雑に錯綜する世界の諸文明圏の戦略に呑み込まれてしまうかもしれない。根無し草である日本はこのような文明間の衝突が現実のものとなった際、どのように針路を取るべきなのだろうか。日本は独自の文明圏を持つからこそ、他国のように同様の文明を共有することから生じるしがらみから解放されており、それだからこそ独自の戦略を持つことができるのかもしれない。恩師が述べた根無し草であるがゆえの優位性を発揮できるチャンスなのである。

 折りしも新政権が誕生し、その第一の課題は現在の経済不況の克服であるという。日本の世界に占める経済的プレゼンスの大きさから言ってそれが優先であることは論を待たないかもしれないが、このユニークな日本という国がどのような戦略を持って国際社会上の位置を保つのか、そのような視点が提示されることも望みたい。ただ波間を漂う国とならないために。


図書館報「α」Vol.10 No.2目次にもどる