特集:キレる若者達
「キレル」原因を探る
深見勲(ふかみ いさお)
[経済学部教授・生物学]
最近、人々のなかに、不愉快な刺激を受けた場合、抑止力がなくなり、理性的な行動がとれなくなって発作的な情動がおこる現象に対して“キレル”という表現が使われている。従来の、衝動的な激情に走るというような表現にくらべて寧ろ現代人、とくに若者の心理にあった言葉のように感じられる。一昔前の人達と今の若者とのあいだにそのような現象が生じる頻度や確率について有意の差があるかどうか正確には解らないが、少なくとも現代は物の考え方が一昔前に較べて正確、窮屈になった部分も多く、若者にとって、些細な心理状態の変化でキレ易い状態になる素地は充分に存在していると思われる。
キレルという現象を起こす原因は種々多様であろうが、簡単にいえばヒトの心や気持ちを或る程度以上傷つけたり損なったりする刺激が加わることである。キレル理由にはいろいろなものが考えられる。現代はキレル若者が増えつつある感があり、一頃は高校生が主な対象であったのが徐々に若年化して小学生の低学年層にまで及んでいる。マスメディアの目に付きやすい話題のせいでもあるが、関与するのは一部の人達であるとしても増加しているようである。
キレルと云う情報の背景にある事柄として、一般の人々や若者の間にも風評や事実を出来るかぎり正当に評価して伝える手段が欲しい。風評だけが一人歩きする場合が多い。噂が噂をよび、心がキレル遠因にもなりかねない。日常生活においても、日本には「あうんの呼吸」とか「一を聞いて十を知る」と云う例えがあって、その事を重要視すれば人々の気持ちを推察するに便利ではあるが言動が画一化しがちになるので、一方では個性化教育の必要性が強調されていて調和がとれた形で人々の心に浸透するには可成りの時間を要すると思われる。
キレタ行動を示す場合でも、大抵の人は正常な精神状態の範囲にあって気が短い長いといった表現で済まされる程度であろう。しかし、キレ易い性格を作る例として生育環境の影響が考えられる。子供の生育期に、両親からは生き様や態度などについて厳しく躾られた事もなく、周辺の人達からは、当たらずさわらずに放任されていて、全く実力が伴わないおやまの大将であるため、兄弟間で激しい生存競争にさらされる事もなく甘やかされて育ったような子供は我侭に育つ事が多くなると思われる。キレルかどうかの問題よりも先にその原因を考える必要がある。何事も原因が最も重要で、結果だけを論じるのはよろしくない。
キレルという結果が生じる場合、他者による原因があってキレル場合、他による原因は特になく自己の内面的葛藤のためにキレル場合も考えられるので、結果ばかりを問題にする情報の一方通行はよろしくない。「健全な肉体に健全な精神がやどる」というように上記のような精神、環境面での問題の他に、人体が肉体的、精神的に健康を維持するためには過不足なく栄養素を摂取する必要があり、この事も若者がキレル問題と或る程度関係していると思われる。
第二次世界大戦の頃、欧米の軍人が出来る限り命を大切にし戦争の為に異常に骨身を削らず、常にユウモアを持ち続けていたのは血中のCa量が充分であり、Caによる精神安定作用、鎮静作用が足りていたという説明がされていた。無機イオンのうち神経伝導や神経の機能に関係しているのは、Ca、K、Na、Mg等であるが、日本人のCa摂取量は欧米人のレベルに較べて低く、国民栄養調査からも不足状態にあるが、若者の方に不足量が多い。それには、若者のなかに、食事が著しく不規則であったり、欠食、偏食の人の多いことが挙げられる。近年、CaとMg(大豆、魚、海草などに多い)の摂取比率は2:1が適当(久郷氏)であり、米国で凶悪犯罪を犯した少年の場合、Mg摂取量が少なく、この比率が基準値から大きく外れるとキレル子供が出来やすいと云う報告がある。加工食品やインスタント食品にはMgが少なくなっており、これらを食べる頻度が多くなるとCaも体外に出やすくなり、益々、不足状態になる。その結果、精神的な抑制作用が低下して、キレ易くなる事が推測出来る。
また、他の原因として、異様な映像や暴力シーンなどの、キレル事への影響も無視する事は出来ない。他に、キレル現象を増すのは精神的、肉体的な過度の疲労である。友人間でも長時間共同で仕事をしたりして疲労が重なるとキレル頻度が増すことは確かであるが、精神疲労によるビタミンB1の消耗なども一因かもしれない。しかし、生理学、生化学的な詳細は解っていない。従って、キレ易くなる原因を推測すると、不自然な生育環境(道徳教育の欠如、人間愛の貧困さ、偏食や不規則な食生活、精神疲労)等が考えられ、キレルに到る過程は複雑に関連している場合もあるが、食生活など個々に気付く点があれば改めるべきであるし、家庭、社会で矛盾が生じた場合、原因を究明するための一層の努力が必要であろう。
図書館報「α」 Vol.11 No.1
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