特集:新世紀への展望


新世紀への展望


湯浅康正(ゆあさ やすまさ)


[外国語学部助教授・フランス文学]




 未来予測について考えるとき思い出すのは、大阪で万国博があった1970年ころ流行した未来学のことである。高速の交通機関、高層の建築物、宇宙への進出など楽天的な未来を描き出したこの言説は、その後、資源の枯渇、環境の破壊などの問題が現れ、科学と技術の進歩がそのままでは人々の福利に結びつかないことが改めて分かってくると、忘れられていった。

 現代は変化が激しく、急速な時代だから、日々の変化に目を奪われがちだが、文学を勉強する者としてはむしろ、悠久に変化しない人間の内面、何百年もの長い時間をかけてゆるやかに変化する意識のありように目を凝らしていきたいと思っている。2001年から始まる新しい世紀で気になるのは、現在進行しているグローバリゼーションの行方と仮想空間の未来である。

 電子技術、情報技術の発達により、私たちの地球は今、ひとつのネットワークでおおわれ、大量のヒト、モノ、カネ、情報が国境を超えて往来するようになった。経済は一国の枠組みをとっくに超えて、世界が一蓮托生の状態になっている。こういう事態の進行の中に、18世紀フランス革命に始まる国民国家の解体、終焉の前兆を見る歴史家は多い。また現に、ヨーロッパでは国家を超える共同体の構築が始まっている。これまでの国際社会では、人々のアイデンティティーが近代の政治的産物である国民国家に求められることが多かったが、これからはどうなるのだろうか。みんなが地球市民になるのか、近年頻発している民族紛争、宗教紛争が示しているように、より限定的な自分のルーツにこだわっていくのか。

 地球を単一の空間として統合した技術は、新しいもうひとつの空間、仮想空間を生んだ。マスメディアの映像の世界、ゲームの世界をふくめコンピュータのサイバースペースは現実の空間から自立した別の空間である。この仮想の空間は日常の空間にできた異次元の穴凹として、ただ人間の空間を拡張するだけか。それともフランスの社会学者ジャン・ボードリヤールのいうように、日常の空間を浸食し、リアリティを変質させていくのだろうか。  新しい千年期の出発の立ち会いは、想像するだけで胸が躍る。ある詩人のことばを借りれば、「しなやかな鋼のような心」をもって未知の世紀を迎えたい。

図書館報「α」 Vol.11 No.2 目次にもどる