特集:新世紀への展望

21世紀の日本と中国のために−「日の丸・君が代」の法制化に寄せて−





中田昭一(なかた しょういち)


[外国語学部講師・中国語]



 国旗・国歌法が国会で可決・成立した。大した議論もなされずに国会で強行採決された事実を、本学の学生のどれだけが認識しているか危惧している。しかし、そもそも今なぜ「日の丸・君が代」の法制化をこれほど急がなければならなかったのだろうか。広島県の高校校長の自殺が直接の原因のようにいわれているが、我々はより大きな時流を見逃すわけにはいかない。すなわち、有名漫画家を含む「自由主義史観」研究会が、従軍慰安婦問題を教科書で取りあげるのは「自虐史観」であるとして教科書からの削除を求め、自らの国家に誇りを持ちうるような「新しい歴史教科書」をつくることを提唱しており、そして、彼らの主張は決して無視しえない影響力を持ちつつあることである。注目すべきは、若い世代に共感者が多いように思われる点だ。その原因は多々あろうが、その一つとして、将来への不安からくるアイデンティティの喪失を指摘することができるかもしれない。将来を保証するはずであった「良い学校」、「良い企業」というこれまでのルートが幻想でしかなくなり、新たな帰属先として国家がクローズアップされているように思えてならない。このような見方の正否はともかくとして、日本人は自らの国家にことさらに誇りを持つべきなのだろうか。

 日本はアジアの一国であり、21世紀のアジアの繁栄が日本の未来を左右することは必定である。さらに、アジアの「大国」たる日本と中国がアジアの安定と発展に果たしうる役割は大きい。しかしながら、アジア経済危機の際、日中両国は何一つ共同で対処しなかった。日中が国際舞台でなかなか協力できないのは、周知のように両国間で歴史の和解ができていないことに原因がある。それは戦後のドイツとフランスが歩んできた道とまさに対照的である。それでは、なぜ日本と中国はドイツとフランスのようになれないのだろうか。それは日本と中国が負っている歴史問題が極めて重いということもあるが、それだけではあるまい。歴史の和解にはグラスルーツでの和解に向けた動きがもっとも大切であり、民主主義ではない社会との和解は十分にはできない、という歴史家のアルフレッド=グロセール教授の言葉を引きつつ、朝日新聞編集委員の船橋洋一氏は、中国との和解の困難さを指摘している。〔船橋洋一「日本@世界」(『朝日新聞』1999年7月1日)〕。確かに言論の自由が十分に保証されているとはいえない中国と、草の根の和解は難しい。ただ、それだからこそ、曲がりなりにも自由で民主主義的な社会に生きている我々が日中の歴史問題について正確に理解し、かつ活発に発言することによって、一歩一歩和解への道を歩んでいく他はないのである。

 再び、日本人は自らの国家に誇りを持つべきなのだろうか。ナショナリズムは時代・地域・具体的な状況の相違によって、その意味内容や性格も大きく異なる。ある場合には非常に民主主義的・連帯主義的なものであるが、他方ではきわめて排外主義的・侵略主義的になりうる。その意味では大きな危険性を持ったイデオロギー・運動である。日本の場合、不幸にもファシズムと結びつき、民主政治の芽が摘みとられただけではなく、アジア諸国に甚大な被害をもたらした過去がある。国旗・国歌問題に対して日本人は日本人自身のために、またアジア諸国のためにもっとデリケートでなければならない。日本の民主主義はまだまだ脆弱であるし、民主的な社会を維持して日本の負の歴史を克服する義務を、我々(特に若い世代)はアジア諸国に負っているのであって、国家に対する誇りなど危険でありこそすれ、何のメリットもないのである。ましてやヨーロッパ連合のような国民国家を相対化する壮大な実験が進行しつつある現在になって、「日の丸・君が代」を拙速に法制化しようとするのは、やや時代錯誤であろう。見通しのない不安な時代であればこそ、国家にアイデンティティを安易に求めることなく、冷徹な頭脳で判断し、行動するよう心がけてほしいと思う。

図書館報「α」 Vol.11 No.2 目次にもどる