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グーテンベルク聖書印刷の意味





葛井義憲(ふじい よしのり)


[経済学部教授・キリスト教学]



 グーテンベルク(Johannes Gutenberg)の印刷術の発明は「中世のとばり」を開けた。彼が印刷機を考案し、故郷マインツ(Mainz)で、『グーテンベルク聖書』を刊行したのが1455年頃であった。42行で印刷されたゴチック書体文字の聖書である。その他に36行聖書(1457年頃)も発行された。

 今回、本図書館が購入した復刻版はスペイン、ブルゴス(Burgos)のブルゴス州立図書館所蔵の『グーテンベルク聖書(Biblia Latina)』である。「聖書」2 巻「注釈書」1 巻で構成され、ミュンスター(M殤ster)で、1995年に刊行された。この復刻版の原本は、フスト(Johann Fust)の経済援助によって、一番最初に印刷された160 〜180 部(1445年頃)の一つである。現在、この最初の原本は48部を残すにすぎないと言われている。そしてそのうちでも、この『ブルゴスのグーテンベルク聖書』は大変美しい装丁の一つとされている。

 名古屋学院大学図書館に「近代の一条の光」である印刷術によって刷られた『聖書(復刻版)』が置かれた。刊行された1445年頃は「自然と人間との発見」と言われたルネサンスのうちにある。「自己と他者」「自然と人間」との距離・差異を意識し、「人間中心の近代」へと転換する処に位置する。「神中心の中世」を代表する「聖書」と、近代の「象徴」の一つである「印刷術」と結び合った。そしてこの結合は、ヨーロッパ各地に「思わぬ現象」を生み出していった。印刷された「口語訳聖書<母国語訳聖書>」が各地で盛んに求められるようになったのである。手で写した「聖書」でなく、鮮明な美しい文字が現われ、数量が年々増加していく印刷された「聖書」は人気を博した。このように、グーテンベルクの印刷術の発明は「聖書」を「教会」(ローマ・カトリック教会)の外にある信仰者のもとに届けさせた。家庭で、友人たちと一緒に、母国語で印刷された「聖書」を手にとり、自分の目で一つひとつの言葉をじっくりとおいつつ、読めるようにさせた。自分の頭脳で理解することを可能とさせた。「聖書」を前に、祈りの時も用意した。

 かかる営みは「神中心の中世」を脱出した「近代人」を捉えるものであった。「自己と他者の相違」を知らされ、「自らと外界との間に明瞭な境界」のあることを認識させられた「近代人」は、やせほそった自己を識り、育み、この孤独な自己を基盤にして生きるしかなかった。信頼できるのはこの自己だけ。そしてだれもが自分の目、手、耳、口で確認し合い、自分の頭脳で理解できるものだけであった。すなわち、客観性、普遍妥当性、合理性を備えたものだけであった。この「近代人」の精神態度に、あの鮮やかに文字が印刷され、自由に手に取って、その内容を読み、識り、考えられる「口語訳聖書」は適した。さらに、「自らと他の識別」に骨を折り、「自己」以外のものを疑いに、疑い、あらゆるものが信頼できない彼らの心をも捉えた。彼らの不信と疑いは心に痛みと不安を与える。攻撃性と緊張を生み出す。孤独を痛切に知らせる。

 かかる状況下で、このやせほそった自己は戦えるのか。「教会」も信用できない。「聖職者」も信頼できない。さらに、この自己さえ本当に信頼できるのか。この「世界の中心」であり、あらゆるものを識別する「基準」である自分は本当に、本当に信用できるのか。しかし、これを確かなものとしなければ、厳しい近代を歩むことができない。そんな苦悩の叫びが聞こえてくる。しかし、彼らの不安と痛みに応えるものが、印刷された「口語訳聖書」にはあった。「聖書」を通して知る神の愛と救い、この神に赦され、導かれ、祈りつつ、近代の荒野を戦い、歩むことができる。  グーテンベルクの印刷術の発明がプロテスタント諸教会を生み出す大きな力の一つとなった。ヨーロッパの近代精神を形成させる有力な力の一つとなった。そんな近代の幕開けに寄与したものの一つ、『グーテンベルク聖書』が本学にある。

 最後に、近代が軽視してきた「相互の信頼・共感」「他の生命(自然)との共生」「豊かな感性・想像力の育み」は今こそ必要だと思われるが、いかがなものだろうか。

図書館報「α」 Vol.11 No.2 目次にもどる