ゼミ生のレポートに思う


荻原 隆

[Ogihara, Takashi 図書館長・経済学部教授・政治学]


 私のゼミでは、学生によく書評を提出させることにしている。本のレベルはおよそ岩波新書・中公新書以上で自由に選択、400字詰原稿用紙5枚ということで書評を課すのだが、いろいろと感心(?)させられることが多い。まず、岩波新書・中公新書以上というレベルを設定すると、かならずこれら各種の新書本を選択する。新書本以外の書物は絶対に対象にしない。
 次に、国際政治の本を取り上げると「平和は大切だ」とか、環境問題の書を選ぶと「環境は大事である」というようなつまらない(失礼!)結論を書いてくるものが圧倒的に多い。平和や環境が大切であるのは言うまでもないが、たとえば、ではそれを守るために、ささやかでよいから自分なりの方法・アイデアを一つ示してくれ、あるいは通常の平和論や環境論が見落している観点を一つでよいから指摘してくれとこういう注文を付けるのだが、答えがない。
 また、たかが400字×5枚程度のレポートであるにもかかわらず、文法的に正しい文章で、明晰にかつ論理的でよくまとまった紹介と感想を書くことは学生にとって至難のわざであるらしい(だから、いい訓練・勉強になるのだが…)。
 私は、文法の誤りから、論理の乱れ、まとまりのなさ、感想のつたなさなどをいちいち指摘して、最後に最近これ以外に読んだ本を数冊あげよと言うのであるが、学生は絶句したあげく、「読んでいません……」と小声で答える。
 書評を提出させてみると、その学生がどのくらいの教養(知識量・視野・問題意識・論理性・思考力・表現力etc.)を持っているのか実によく分かる。こういう意味での教養を付けようと思うと、ともかくすぐれた本を読むしかないのである。大学四年間はそのための時間であると言ってもよいくらいである。
 いい本を読むこと、いわゆる教養を付けておくことが、ただちに社会に出て役に立つものではない。しかし、陳腐に聞こえるかもしれないが、こういう教養がなけ れば社会を広く深く考えることも、人生を豊かにあじわうこともできない。だいいち、ろくなレポートが書けないと思うのだが…。