特集『この秋に読みたい一冊の本』
宝島 格
ドイツの政治家。ワイマール共和国初代大統領。ハイデルベルク生れ。馬具職人や組合役員を経て、1905年社会民主党執行部書記となり、13年党議長に選ばれる。18年ドイツ革命の時は人民代表評議会を組織し、軍部と結び革命派を退け、19年国民議会の選出により大統領となる。内外の困難な事態の処理にあたり、共和国の確立に尽力する。しかし、25年任期満了の直前急死する。
(日外アソシエーツ社編集・発行「20世紀西洋人名辞典」より)
第一次世界大戦の終末期、ドイツ・キールの水兵叛乱から発したドイツ革命。それがいかにして起こり、何を成し、誰に粉砕されたか−本書はそれが「裏切り」のドラマであったことを明確に描き出す。革命による政権樹立を目標として設立されたドイツ社会民主党は、五十年間待った末に、当の革命が(たなぼた式に)政権を与えてくれたとき、党は革命を裏切った。革命の主体たる労働者大衆は大半が社会民主党支持者だったが、彼らに政権を預けられた党は、反転して自らの支持者たちを粉砕(つまり虐殺、抑圧)したのであり、それが後のヒトラーの出現を招いた−これが著者の見解である。
なぜこの「裏切り」がおきたのか。著者は半世紀の間に党が変質してしまったこと、そして裏切りの主役(本書の主役ともいえる)たる党指導者エーベルトの、結局は小市民的な本質が、それを招いたことを挙げる。エーベルトは革命が起きた時それを「乗っ取り」、政権につけてもらってから革命を「圧殺した」。彼は確信犯としてそれを行ったが、それは党を正しい方向に導いているつもりだった−つまり党が既に革命を必要としていなかったからである。しかしこの機会こそ社会民主党がその目的を達する最初にして最後のチャンスだったのであり、以後永久にチャンスは失われてしまった、と著者は言う。
著者はこの事件を場面を追って描写するが、この革命を起こした一般大衆に対する愛情のようなものが、本書には一貫して流れている。この革命の「温厚さ・人間性」そして「指導者のいない自発的行為であった点」が、「この革命の真の英雄は大衆だった」と著者に言わしめている。従って本書の本当の主役は大衆である。
近年の社会主義諸国の凋落にもかかわらず、また社会主義思想とは無縁の私でも、こうした「革命もの」を読むと心に熱いものを感じずにはいられない。ジョン・リードの「世界をゆるがした十日間」を始めとして多くのドキュメンタリータッチの本、あるいは手記の類が出版されているが、人間の描写が生き生きとして物語としての面白さを備えたものが多い。それは何よりも、名もない民衆、虐げられ食い物にされてきた一般大衆が、突然(しかも必然である)歴史に割って入り、その流れを転換させるという偉業を成すことがとても感動的だからである。その時人は何を考え、どのような議論がなされ、どう行動したか−そして結末はどうだったのかが、微細にわたり叙述される。これほどエキサイティングなことはない。
もちろんこうした書物から受ける印象が、実際の歴史に照らして正当なものかどうかは別問題である。出回っている書籍は革命サイドのものが大半だし、判官びいきという問題もあろう。また「英雄的行為」が出現する率も高く、それが誇張されるきらいもあろう。あるいはたいがいの場合に当てはまると思われるが、善悪二元論に立って(もちろん民衆=革命側が善、旧体制=反動側が悪という図式)全てが意味付けられるという分かり易さに、物語の面白さの反面、陥穽があるかもしれない。
しかしこうした事があったとしても、本書の面白さには変わりがない。歴史学者から見ればあるいは断定的で単純化が過ぎるのかもしれないが、そうした事は専門家にまかせておけばよい。少なくとも専門書・研究書では本書のように「読ませる」ものはない(らしい)し、小気味よい切れ味のある文章は著者独特のものである。さらに特筆したいのは、著者が同時代人であった事である(当時11歳とはいえ)。その時代の雰囲気を自身で体験したことが、本書の重みを増している。
著者セバスティアン・ハフナーの邦訳本は本書の他に平凡社「ドイツ帝国の興亡」、草思社「ヒトラーとは何か」の二冊があるが、いずれも本書同様面白い。扱う期間の短さのため本書がもっとも密度が濃いが、他の二冊もぜひお薦めしたい。