特集『この秋に読みたい一冊の本』
旅のススメ
今村 薫

[Imamura, Kaoru 経済学部講師・文化人類学]

アルケミスト―夢を旅した少年


パウロ・コエーリョ著 地湧社


 人生には旅が必要である。イスラム教のメッカ巡礼は、あまりに有名であるが、世界各地のあらゆる文化に、聖地巡りの場所が組み込まれている。日本にも、四国八十八カ所だけでなく、ここ東海地方にも巡礼コースがあるらしい
 「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ著、1994年、地湧社)は、スペインからエジプトまで砂漠を旅する少年の物語である。少年といっても、主人公の年齢は18歳くらいに設定されており、この物語は、人間が人生の困難に立ち向かうときの教訓にちりばめられている。たとえば、「人は、本当に起こっていることではなく、自分が見たいように世の中を見ているのだ。」あるいは、次のようなアルケミスト(錬金術師)の言葉も心に残る。
 「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」
 少年は、夢で見たことを確かめるために、自分の羊を売り払って放浪の旅にでる。旅の最初は、希望にあふれ、好奇心も衰えず、おまけに、「好運の原則(初心者のつき)」のおかげで、よい前兆に恵まれる。しかし、目的地に近づけば近づくほど、苦難が待ち受け、道はどんどん遠くなる。旅の途中で、アルケミストに、出会うべくして出会うが、彼もスーパーマンのように、少年を救ってくれるわけではない。
 目的のピラミッドまでたどり着きながら、少年は、部族戦争の難民たちから暴行を受け、彼の命は風前の灯火である。彼は、自分の死が間近であることを感じる。
 おとぎ話の例にもれず、この話もハッピー・エンドで終わる。このように、筋だけ追えばたわいもないが、この物語は、話の細部にいたるまで、深い智慧と象徴的イメージに支えられている。
 「アルケミスト」は、映画化が予定されているらしいが、わたしは、この物語を読んでいる間、映画「アシク・ケリブ」(1988年、セルゲイ・パラジャーノフ監督作品、ダゲレオ出版からビデオ発売)の映像が何度も頭をよぎった。
 パラジャーノフの映画は、数奇な運命に弄ばれる吟遊詩人の物語である。希望の青、充実と激情の赤、死と絶望の黒と、象徴的な色づかいと様式美にあふれる映像が続く。そして、吟遊詩人が力つき、もはやこれまでと死を覚悟したとき、映像は一転して再生をあらわす白に変わる。「世界はすばらしい」という詩人の言葉が、喜びの音楽と舞の映像とともに、わたしには忘れられない。 ところで、どうして旅人は、もとの場所に戻ってくるのだろうか。その答えは、パラジャーノフの盟友の次の言葉が暗示している。
 「ただ一つの旅だけが可能である。 内部世界へ向けて行われる旅だけが」(アンドレイ・タルコフスキー) 最後に、夢の話ばかりでなく、ぎらぎらの現実のルポタージュを紹介しておく。
 「もの食う人びと」(辺見庸著、1994年、共同通信社)は、著者自身が、現地の人びとと共に、同じものを「食う」ことによって、世界の現状を知ろうとした記録である。バングラデシュでは、残飯が売られており、著者はそれを買って食らう。難民キャンプでは、ミャンマーから逃げてきた難民の小屋で、お義理で差し出された生焼けのパンをかじる。その家の主婦の、「さっきまでの愛想笑いが消えている。」
 「食」という行為は、他の生命体の命をとりこむ闘いであり、同時に、人間の喜びや悲しさを凝集させた人生そのものであるとも言える。飽食と飢餓が同居する現在社会において、本書は、人間の文明の意味の再考を迫る、すさまじい、祈りに満ちた旅行記である。