イキナリだが、僕の最も好きな一句を挙げてみた。三月、甘納豆、うふふふふ、と意味の上からは脈絡のない言葉が間に二つの「の」を置くことによって、読者の意表を衝く句となっている。特に「甘納豆の」の「の」がクセモノで、「は」でも「が」でも置き換えは可能だが、一句の含みとしてはどうしても「甘納豆」「の」「うふふふふ」でなくてはならない。不思議なものだが俳句や短歌のような短詩型は助詞一つの選択が命である。
で、何を言いたいのかというと、この一句、妙にリアルなのである。ジャンルは異なるが、斎藤茂吉の短歌にも「妙にリアル」な作品が数多くある。
めん鶏ら砂あび居たれひっそりと剃刀研人は過ぎ行きにけり 「赤光」
作品鑑賞は各自にお任せするとして、どうだろう。一場の雰囲気が「妙にリアル」に感受されないだろうか。
「仮想現実」(バーチャル・リアリズム)というコトバが流行っている。社会と個人の内面、あるいは現実と非現実といってもよいが、その境界はいたって曖昧となり、対立点を失った結果、リアリティーを欠いた現実と、「妙にリアル」な非現実に僕たちは晒されることになる。
戦争も飢餓も極貧もその内実を喪失し、ディスプレイの向こう側から送られてくる映像やデータこそが存在感に満ちた「現実」に見えてくるとき、僕たちの魂は肉体を離れ、宙空を浮遊し始めるのだ。館内に並んだ端末機をみるにつけ、フクザツな思いを禁じえないこの頃である。(宏)