特集『20世紀を振り返って』
アジア、21世紀への展望
小井川広志
[Oikawa, Hiroshi 経済学部助教授・国際経済学]
我々人類は、無事に21世紀を迎えることができるのか?正直に言うと、私の気持ちの中で、いまだにこのような不安が、僅かながらくすぶっている。
というのもおそらく、子供の頃に観た「ノストラダムスの大予言」という映画のグロテスクなシーンが、頭の中にこびり付いているためだ。1999年に空から降りてくる悪魔が、我々を滅ぼしてしまうのである。
21世紀に対する不安といっても、我々にしてみれば高々このような予言者の絵空事に一喜一憂する程度に過ぎない。
しかしながら現在、紛れもなく未来への大きな不安を抱えている人々がいる。本年1997年7月に中国返還を控えた香港の人々である。
1985年に中英間で合意された「一國 制」は、返還後50年間の香港の法律・経済・文化活動などの現状維持を保障している。
だが、人権や集団行動に関する条項に厳しい規定が盛り込まれることが、返還前の現段階で既に決定されてしまった。
立法評議会(日本の国会に相当する)も、北京政府寄りの選挙人によって間接に選挙されたイエス・マンの集団から構成されることとなり、香港における最大の資産である
「自由」が、大きく損なわれる可能性が出てきたのである。
しかしながら、植民地時代の香港も、自由や人権を厳しく制限していた事実を忘れてはならない。香港における民主化が著しく後退したように我々の目に映るのは、パッテン総督が導入した近年の急速な民主化の進展との対比で論じられているに過ぎないのである。
ところで、21世紀は、様々な面で世界におけるアジア地域の重みがより一層増してくることは疑いない。経済的に見れば、力強い成長を続けるアジア地域は、依然として世界経済の牽引車として重要な役割を担っていくであろう。
他方、国際政治の面では、19世紀以来の欧米諸国によるアジア支配が、この20世紀末を以て名実ともに終焉することの歴史的意義が、とりわけ大きいと思われる。
先にふれた香港に続き、1999年にはマカオがポルトガルから中国へ主権返還される。
だが、それに象徴されるかのように、例えば民主化の問題などをめぐって、欧米型の民主主義にそもそも好意的でない国々が、より露骨に反発を強めていく不安定要素も懸念されているのである。
香港における人権、民主化をめぐる問題は、返還の問題が絡んで事態を複雑にさせているが、おそらくこのような脈絡の中で把握すべきではないか?
李柱銘ら香港民主化勢力に対する北京の圧力は、台湾の総統直接選挙に中国が口を挟む事情に似ている。事実、経済的側面に限れば、香港の返還はビジネスチャンスの拡大と位置付けられ、中国とそれを取り巻く国々との間では、大きな摩擦なく返還への対応が進んでいる。
したがって問題は、経済的な相互依存関係と、それによって深まる政治的・文化的な摩擦とをどう調整していくべきか、といった問題に部分的に単純化して良いのではないか。
その意味で、香港問題は、返還によって香港の経済発展が損なわれるか否か、といった損得勘定に矮小化されるべきではない。むしろ、21世紀に向けてアジア地域に内在している多様な政治経済体制の不整合が立ち現れている点に、奥深さがあるといえよう。
冷戦によって地域間の矛盾が覆い隠されていた時代には、日本は盲目的に既存の世界秩序に便乗して、ひたすら経済的利益を追求すれば事足りた。
だが現在、日本はより広い世界的視野に立った政策的対応を迫られるようになった。
それには、通俗的に言われるように、日本の相対的に大きい経済力に見合った国際的責務の要請だけが理由ではない。
おそらく、このような地域間での政治的・文化的衝突に直面して、どの国であっても、その国としての明確な対外的スタンスを示さなければならない環境に、国際社会が移行した事実をそれは表しているのである。
日本がこの漠然とした課題に答えられるか否かといった展望は、個人的な意見としては懐疑的である。重要な議題が山積みの学生大会を、全く何の躊躇もなく欠席し、アルバイトに精出すのが、日本のごく平均的な大学生の姿なのだ。
住専や消費税などの身近な利害関係にすら無関心な多くの日本人にとって、国際社会の行く末を議論することは、おそらく荷が重すぎるのであろう。
にもかかわらず、NGUの講義の中でこのような問題の重要性を訴え、方策を議論していくことの重要性は薄れているとは私には思えない。
何しろ、台湾海峡に放たれた中国のミサイルが、万が一それて日本に落ちれば、ノストラダムスの予言は現実のものとなってしまうのである。
図書館報「α」Vol.9 No.1目次に戻る