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自然保護と地質学
石川輝海
[Ishikawa, Terumi 外国語学部教授・地球科学]
Mt.Narryerはオーストラリアの西北部にある標高497mの小さな山です。この小さな山を世界的に有名にしたのは西オーストラリア地質調査所のDr.Myersの1985年に発表された研究でした。
彼はこの山の片麻岩から37.5億年の年代を測定しました。さらに堆積起源の片麻岩中の砕屑性ジルコンから42.7億年の年数が測定され、地球上で最も古い年代の岩石が出る
地域となりました。そのため世界中から地質学者が訪れるようになりました。
この地域は亜熱帯性の乾燥地であり、オーストラリアで最も気温の高くなる所です。しかも住民が非常に少なく、隣家との間が40km以上も離れ、隣町となると200kmも離れます。
その間に水、食料、ガソリンなどの補給ができるところはありません。
Mt.Narryer地域の調査はどうしてもその地域に住む人達の援助が必要になります。
このMt.NarryerはSandy
Mctaggart氏が所有する牧場の一部です。特に、彼の奥さん
のCarolさんはMt.Narryerを愛し、自身の人間回復の場所として崇めています。そこへ世界中から地質学者が訪れるようになりました。その中にはかなり無謀なことをする人もいたようで、彼女は日本人について二つの事例を語りました。
一つは日本から来た標本屋が岩石をダイナマイトで破壊し、古い岩石と新しい岩石の区別も解らずに持ち去ったこと。もう一つは若い日本人の地質学者がMt.Narryerへ行くには4WD車でないとアプローチできないという強い忠告にもかかわらず普通車で行き、事故を起こし、彼らに助けられ多大の迷惑をかけ、そのあげく礼も言わず立ち去ったということです。こういうことが日常的に起こるらしいのです。
さらに、この地域に資源開発の波がおしよせています。この古い岩体は金鉱石と鉄鉱石を産出し、多数の鉱山があります。
現在、Mt.Narryerはどの鉱床も発見されていません、そのため鉱床の探査が始まり、その結果、金鉱床が発見されれば、採掘者が押しかけ、次から次へと採掘が始まり、Mt.Narryerは破壊されてしまいます。この開発の波から守るためには探査をしない方がよいと彼女は考えたのです。
彼女が心配することはこの最古の貴重な岩石が破壊され自然形態が失われることです。太古の時代より残存してきたこの岩石を是非ともありのままの姿で後世に残したいと彼女は考えています。そのため彼女は自分の牧場の一部であるMt.Narryerを自然保護地にする運動を始めました。
動物や植物には比較的たやすく保護が認められますが、岩石にはその例がないということです。
Carolさんは西オーストラリア州政府と掛け合い、また中央政府と交渉を始めました。彼らの多くは冷淡で彼女の話を聞くだけだそうです。
ご主人のSandyさんは州政府のあるパースへも、中央政府のあるキャンベラにも一緒に行ってくれたそうです。今のところ最大の理解者でしょう。彼女の隣人たちは彼女の運動を知っていますが、表立っての援助はないそうです。しかし幾人かが気持ちで支えてくれています。彼女は今、多くの支持者を必要としています。
私はCarolさんの案内でMt.Narryerを調査しました。私も他の地質学者と同じように何のアポイントメントもなしに突然に訪れました。
Mt.Narryerが個人の所有であることを知りませんでした。前日に泊まったモーテルの女主人は地主の許可が必要であると言って、Carolさんに連絡を取ってくれました。
Carolさんは初め、我々日本人を見て表情も堅く、調査の許可を与えてくれそうもありませんでした。
Mt.Narryerの状況と最近の地質学者の無謀さを語り、Mt.Narryerの大切さと理解を私に非常に強く訴え、そして求めました。彼女は自然を愛し、人の精神と大自然の融合を語りました。私たちの討論は2時間にも及び、彼女の主旨は自然の中に人は安らぎを求めること、私の自然科学者としての責任のとり方など多くを語りました。彼女の態度は終始一貫していました。
自然は大切である、しかも人間の些細な行動によって脆く破壊されてしまうのだと。お互いの心を分かり合うことによって彼女の心も和み、互いに自然を愛し、自然から恩恵を受けていることなどの共通点を見いだすことができました。
Carolさんが4WD車を出してくれ、自ら運転してくれました。牧場の中は縦横無尽に道が延び、初めての人は道に迷ってしまうでしょう。彼女は自分の庭のように砂煙をたてて車を運転しました。
1時間程走ってもまだMt.Narryerにつきません。『ここはどこですか』の質問に『ここは私の牧場です』『どこまでですか』『知りません、全部見たことはありません』『牧場のこの道の長さはどのくらいあるのですか』
『時速70kmぐらいの車で3時間以上かかるでしょう』想像を絶する土地の持ち主です。『10億エーカーはあるでしょう』と言っていました。これが広大なオーストラリアです。彼女の知識は自然地理学を修めたため地質学にも明るく、時々地質の説明をしてくれました。
Mt.Narryerに到着し、彼女の説明で、地質を見学しました。彼女は歩く時も気を使い、植物を踏まないように、クモの巣があればできるだけ壊さないように避けて歩きました。Mt.Narryerの山腹を回り、反対側に出ると、お花畑になっていました。
自然が作ったお花畑です。乾燥地のため多くの花は水分がなくなり、カラカラになって咲いていました。彼女は冷たい水を準備してくれました。その水は屋根の雨水を溜め、それを冷蔵庫で冷やしたものでした。乾ききった地表の岩石を見ながら歩いたため、強い太陽は私たちの体から水分を奪い、乾いた喉には
冷たい水が心地よく通って行きました。午後3時頃昼食を取り、Mt.Narryerの
調査を終えることができました。
私は37.5億年の岩石の上に立ち、心の平安を得ました。地質学者として幸せでした。
地球上に地殻ができ始めたころの最初の大陸地殻です。この地殻は37.5億年間の歴史
を記録していることになります。彼女の許可を取り、いくつかの岩石を採集しました。
地球の誕生は最近の研究によると46億年前です。
そのころの状態がどのようになっていたかを知るためには地球が形成された時に
限りなく近い岩石を調べる必要があります。そこで世界中から最古の岩石を求める研究が始まりました。これは古さを追求する一種の競争でした。
1960年代にはソ連のコラ半島から35億年の片麻岩が報告され、世界最古でありました。1971年にグリーンランドのイスア地域から38億年の値が報告され、3億年古くなりました。
1989年にカナダ中央部から40億年の値が報告され、世界最古とされています。しかし、その3年前の1986年にMt.Narryerの堆積起源の片麻岩中から42.7億年の値を示すジルコンが発見されました。
これは地球起源物質の最古の年代です。ジルコンは熔融物質(マグマ)が冷却して固結するときにできる鉱物で主に花崗岩に含まれています。
花崗岩は大陸地殻の構成岩であります。従って、ジルコンは大陸地殻に含まれる
鉱物です。しかもジルコンは風化作用に対して抵抗性があるため、花崗岩が風化作用を受けて、その結果できた堆積岩にも含まれます。
この時、ジルコンは当然できたときの年代、つまり花崗岩ができたときの年代を
示します。従って、42.7億年の花崗岩がどこかに存在したことになります。あるいは現在も存在するかもしれません。Mt.Narryerの片麻岩は37.5億年で世界最古に属しますが、一番古い岩石ではありません。しかしそれと共存する堆積起源の岩石中に42.7億年の
最も古い値を示すジルコンを含むことに大きな意味があります。
地球が熔融状態から固結を始め、最初の大陸地殻ができたときにジルコンも一緒にできます。
42.7億年のジルコンが存在することは46億年前に誕生した地球は熔融状態から
少なくても42.7億年前に固結が始まり、そのころに大陸地殻がすでにできていたこと
を意味します。しかも固結するような冷却がはじまったことは原始大気中の水蒸気から水ができ始め、原始の海ができたと考えられます。
Mt.Narryerの岩石は我々に多くのことを語りかけてくれます。研究の進展とともに、地球形成のプロセスをさらに明らかにしてくれるでしょう。
Mt.Narryerの研究はオーストラリアの地質学者により継続中です。その情報はすべて岩石の中にあります。
Carolさんの危惧はこの点にあります。情報を読み取る前に破壊されてしまっては
どうにもなりません。この貴重な情報を記録する岩石を壊さないように研究する必要があります。
図書館報「α」Vol.9 No.1 目次にもどる