十代後半あたりからむさぼるように小説を読んでいたが、三十の声を聞きだす頃から歴史に関する本と科学に関する本を愛好するようになった。しかし、読む対象は変化したものの、本の中に何を求めようとするか、その読み方はほとんど変わっていないように思う。つまり、虚構であれ事実であれ、それらを通じて人間(あるいは自分)とは何かを考えるという癖はいまだに続いている。
最近読んだ科学系の本の中では、「免疫の意味論」(青土社)や「オートポーエイシス」(国文社)が格段におもしろかった。前者は、免疫という驚嘆すべきシステムの解説を通して、生物学的に見たときの「自己」とは何かを問うたものである。「自己」を抱えて、落ち込んだり満悦したり何かと忙しい人間だが、生物学的に見ればけっこうその自己も怪しい。「オートポーエイシス」の方は、かなり専門的なので読みづらい部分もあるが、そこで展開されているのは、人間の生物学的システムは、独立した系として外界から切断された形で成立しているのではなく、刺激などに関していわば入力とか出力とかをそもそも区別できないのだ、という主張である。これは従来のパラダイムのすばらしい変換であり、それだけでも興奮させられるが、やはり、最後は、自己とは何だろうという点に行き着く。
歴史書では、最近読んだものの中で、「ヴァイキング・サガ」(法政大学出版局)がおもしろかった。ヴァイキングは、造船技術に優れ、その荒々しい血と古代の信仰を帆風として、驚くほど広範囲にその活躍の足跡を残した。もともと私は「船」が好きで、特に古代の船は大好きである。古代の壺などに残された船影に惚れぼれと見入ってしまう。数年前デンマークへ行ったときは、念願のヴァイキング船博物館へ足を運んだ。現在ヴァイキング船(の残骸)を見ることのできる場所は、あとノルウェーのオスロ博物館くらいしかない。全ヨーロッパを恐怖に陥れたヴァイキング船は、しかし、優美な線と奇怪な装飾に縁どられた実に美しい建造物である。「ヴァイキング・サガ」は、このヴァイキングの史実を、発掘事実に基づき詳細に述べた好著である。しかも、ヴァイキング船の造船技術についても詳しく述べてある。
さて、脱線から始めてしまったが、私への課題は、オールタイム・ベストであった。ときどき手に取る本となると、実は、一冊くらいしかない。しかも、正確には本ではない。それは、「黄色い星」という写真集である(自由都市社)。黄色い星とは、ナチの暗黒時代、ユダヤ人が自分の服などに縫いつけることを強制された布である。これは、ユダヤ人を識別しやすくするためである。
この本に収録されている写真(196枚)は、戦後二十年近くもドイツ国外において未公開であったものである。そのほとんどは、戦争終結直後に人々がナチの収容キャンプで発見した残虐な虐殺行為の結果であるが、ナチの収容キャンプで隠し撮りされた写真も含まれている。また、本の半分はナチ虐殺の詳しい記録資料にあてられており、そこには、虐殺された人たちの個人的な記録も含まれている。
その写真の一枚一枚を見て私がどう感じているか、はあまり語りたくない。ただ、人間は、簡単に他人に対して残虐になれる、ということは、この写真見ると感じとることができると思う。言うまでもないことだが、それは、大なり小なり、私たちの心の中にも巣喰っている暗い鈍感さである。他人に対して鈍感なのではなくて、自分に対して鈍感なのである。自分はあんなにむごい残虐行為はできない、などと言う人間ほど危ない。
この写真集の中には、ナチの行為に抵抗した人たちの記録も残されている。抵抗の現実はあまりに厳しく、結果的には、死へと向かった人たちの記録である。
この本の出版は昭和54年であるから、もう二十年近くも前のものである。したがって、もう、現在は手に入らないかもしれない。
この写真集を見たい人は、どうぞ、私の研究室に来てください。