展示のお知らせ

白鳥キャンパス図書館では『牧野義雄 特集と題し展示を行っています。

『牧野義雄について』
◇展示場所    白鳥学舎 学術情報センター3階展示コーナー

◇展示図書一覧  
  本学所蔵についてはOPACの詳細に飛ぶことができます。(順不同)

   『牧野義雄物語』  豊田市郷土資料館監修/豊田市郷土資料館/1999
 
  『牧野義雄画集:The colour of London』  牧野義雄 [画] ;恒松郁生編著/雄山閣/2007
 
  『牧野義雄展:霧の画家』  豊田市郷土資料館編/豊田市郷土資料館/1990
 
  『幼少時代思出の記 (豊田市文化財叢書:第18)』  牧野義雄著;宮澤眞一訳/豊田市教育委員会編/豊田市教育委員会/1990

  『マイ・フェア・ロンドン ピーター・ミルワード』  恒松郁生著;中山理訳/東京書籍/1993

  『霧のロンドン:日本人画家滞英記 新版』  牧野義雄著 ; 恒松郁生訳/雄山閣/2007

  『牧野義雄と野口米次郎に見る失われた日本の芸術精神』  羽澄不一著/鹿友館/1992

   『牧野義雄:ロンドンの日本人画家』  恒松郁生編著;宮澤眞一訳/ロンドンハウス/1990

  『牧野義雄・敏太郎展 : 郷土の偉人―洋画と南画の画家兄弟』/豊田市郷土資料館編/豊田市教育委員会/1984

  『述懐日誌:私の回想と感想』 (豊田市文化財叢書:22)   牧野義雄著;恒松郁生訳/豊田市教育委員会/1991

   『自転車に乗る漱石 : 百年前のロンドン』(朝日選書:689)  清水一嘉著/朝日新聞社/2001

  『Oxford from within』 Hugh De Selincourt ; illustrated by Yoshio Markino/Chatto & Windus/1910

  『Miss John Bull』 by Yoshio Makino/Houghton, Mifflin/1912

   『The colour of Rome : historic, personal, & locall』  by Olave Muriel Potter/G. W. Jacobs/1910
   
  『The colour of Paris: historic, personal, & locall』   by messieurs les academiciens Goncourt/Chatto & Windus/1908
   
   『A little pilgrimage in Italy』  with 8 coloured plates and illustrations by Yoshio Markino/Constable/1913

   『The charm of London : an anthology』  compiled by Alfred H. Hyatt by Yoshio Markino/Constable/1925

   『When I was a child』  by Yoshio Markino/Constable/1925

   『Recollections and reflections of a Japanese artist』  written and illustrated by Yoshio Markino/G. W. Jacobs/1913

   『A Japanese artist in London』  written and illustrated by Yoshio Markino/Chatto & Windus/1910

   『倫敦の霧描き ; 牧野義雄と野口米次郎に見る失われた日本の芸術精神』  羽澄不一著/鹿友館/1992.7

   『わが理想の英国女性たち』  牧野義雄著 ; 恒松郁生訳/豊田市教育委員会/1990.9

   『牧野義雄』  豊田市美術館編集/豊田市美術館/1997

   『牧野義雄 = Yoshio Markino』  成瀬美幸編/豊田市美術館/2008

   『忘れえぬ美術家たち : 私の蒐集遍歴余話』  堀田晃久著/美術の図書三好企画/2005.12


☆雄山閣より今後「牧野義雄のロンドン」「牧野義雄のパリ」 「牧野義雄のローマ」「牧野義雄と重光葵」が
   刊行予定で、静かなブームとなっています。
  http://www.yuzankaku.co.jp/
 
◎牧野義雄展◎  開催中!
   2008年1月8日(火)〜3月30日(日)
   豊田市美術館 
   http://www.museum.toyota.aichi.jp/japanese/index.html

 1869年、挙母村で誕生する。子供の頃文人画を習い、21歳のとき、名古屋英和学校(現・名古屋学院)を卒業。アルバイト暮らしの貧乏生活を送りながら絵を描き続けたが、美術雑誌の編集長、スピールマンに見いだされて活躍した。彼のことをイギリスでは、「霧のマキノ」としてもてはやした。第二次世界大戦が激化したため、帰国。イギリス時代に懇意となった重光葵の援助を受け、重光家と共に疎開をしている。その縁で油絵や鉛筆画が重光葵記念館にも展示されている。