私が出会った言葉の中で気になる言葉、いい気分になる言葉、元気なる言葉、考えさせられる言葉などなどを、このページに書き留めておきます。ご笑納(^_^)下さい。
日付はこのページに書き込んだ日付です。
2006/ 8/25
原稿料は安くても、その月々にはちゃんと金が入る。むずかしい仕事を避けるようにもなる。もし「屋台のわりには旨い料理を出せればいい」と思っている料理人がいれば、その料理人は、一般のレストランで通用しなくなる。それどころか、いずれ屋台でも通用しなくなる。
*高野秀行(2006)『アジア新聞屋台村』集英社.p.191.
2006/ 8/25
僕の仕事は、テクノロジーを駆使したコンテンツ作りだ。いっぱい入力(インプット)すると、出力(アウトプット)も上がる。アイデアに困ったら、入力をあげればよい。とにかく、あちこち行く。自分の目で色々見る。色々な人たちと真剣にかつ楽しく話す。そして、とにかく作る。そのすべてが、すばらしい作品のわけがない。きっと駄作も山のようにある。スティーブン・スピルバーグ監督の作品の何作が、すばらしいのだろうか。多くの駄作が傑作を作るわけで、とにかく、作る。本書のように10年近く書けて書くものもあるし、1日でできるものもある。ただただひたらすら作るのである。
*高城剛(2006)『ヤバいぜっ!デジタル日本:ハイブリッド・スタイルのススメ』集英社新書p.163
2006/ 8/25
そして、歳を重ねることはすばらしい。何よりもすばらしい叡智を得ることができる。明日は、どんな出会いがあるだろう。明日は、どんな発想が生まれるだろう。何よりも、僕自身が未来へ向けて歩き出している。いつか、人類はだれもが空飛ぶ車に乗るようになる。そんな未来へ向かっていると、僕は信じている。我々に必要なのはナイスな未来だ。株価ではない。僕はそう日々信じて未来を想像している。
クリエイティブに関して、僕が言えることは、まず何かやる。そして、ずっとやる。これにつきる。きっと楽しいことも大変なことも山のようにあるけれど、きっと、知らない人からひどいことを言われたり、書かれたりするかもしれないけれど、それでも、次の何かを作りたいと思ったら、あなたはクリエイターだ。ジャンルを超えて、メディアを越えて、表現しよう。僕はそんな人たちと友達でいたいし、また、いつか一緒に何かを作りたいと思っている。
*高城剛(2006)『ヤバいぜっ!デジタル日本:ハイブリッド・スタイルのススメ』集英社新書p.169
2005/10/28
別に細々したことを正確に覚えなくても、だいたいどんなものがあって、どんな関係にあるのかをうっすら把握していれば充分なのです。必要なときに、そのうっすらした関係を瞬時に思い出せれば、それでOK。必要ならば、すぐに調べ直せば良いだけのことです。人間の力とは、つまり、うっすらとした情報をいかに的確に思い出せるか、ということに尽きます。情報の正確さよりも、関連するなにかを、できるだけ速く、そして多く思い浮かべられるか、ということなのですね。
森博嗣(2005)『大学の話をしましょうか』中公新書クラレpp.50-51.
2005/10/28
...人間の知的能力は、問題に答えることではなく、問題を見つけることである、というのが僕の考えです。問題を解決する能力は、いずれは知識や過去の事例を集積したコンピュータによってなされるのでないか、と思います。そうなると、人がすべきことは、何が問題なのか、何を考えれば良いか、ということになるわけです。
森博嗣(2005)『大学の話をしましょうか』中公新書クラレp.54.
2005/10/28
このごろの学生はテレビを見るように講義を聴いているのです。ちゃんと出席して真面目にこちらを見ているのですが、しかし、ときどき質問しても、「え?」という感じで反応は鈍いですね。テレビは視聴者に直接質問しませんから。つまり、講義は、受ける一方のものだと認識しているわけです。ずっと、親からも先生からも、受けてばかりきたのです。そういうサービスが過剰の世の中なんですね。「え、どうしたの?どこが痛いの?」「なにか欲しいものがあるか?」と常に問われます。「ほら、綺麗でしょう?」「ほら、可愛いでしょう?」と感想まで押しつけられるのです。彼らは、頷くか、首を振るかしかない。まるで、マークシートのような、あるいは、ゲームのボタンのような、常に「どれを選ぶか?」という人生を送ってきたのです。おもちゃだって多様化し、洋服だってもの凄く沢山の中から選べるようになりました。自分が好きなものがあるかもしれません。しかし、ゼロから自分で探す、創る、という作業には慣れていないのです。だから、「どんな服が着たいか、絵を描いてください」と言われると、とたんに考え込んでしまいます。「質問はありませんか?」と尋ねても、なにも出てきません。
森博嗣(2005)『大学の話をしましょうか』中公新書クラレpp.56-57.
2005/ 9/30
一流ってのは、本気で意見を言えるヤツ。
世間に対して、はっきり何でも言える人間。
本気で自分の思ったことを言えるヤツが一流なんだ。
*『赤塚不二夫のおコトバ』二見書房.p.23.
日の当たった人は、まだ日の当たらぬ人を住まわせ、食べさせる。居候は勉強し、自身を鍛え、世に出ることで恩返しをする。その文化を大事にしたい。
*『赤塚不二夫のおコトバ』二見書房.p.201.
2005/ 9/10
無知とは、知識がないことではない。そんなことを言えば、誰だってほとんどの局面では無知である。そうではなく無知とは、問いを発することができない状態を指す。
*森巣博「ニヒリズムを退けて投票を」朝日新聞東京本社第12版2005年9月10日(土)朝刊
結局、曲がりなりにも社会を持ちこたえさせているのは、論理だ。論理がなくてもいいのなら、力の強い者たちのやりたい放題となってしまう。それゆえ、無知なくせに、変に悟ったふりをしてニヒリズムに逃避する連中が一番タチが悪いのである。
つらいのだが、自力で考える。変えようと試みなければ、なにも変わらない。ロシアの諺にもある。最後に死ぬのが希望だ、と。すべてを失っても希望は残る。希望まで失ったときがご臨終。
*森巣博「ニヒリズムを退けて投票を」朝日新聞東京本社第12版2005年9月10日(土)朝刊
2005/ 6/12
確たる定義もなく、己れの心でしか存在を形づけられるものがないとは、愛とはなんと曖昧なものなのか。しかも、ただ一つの標となるべき心すら、かげろいやすいものときている。
たぶん、愛は瞬間にあるのではなく、持続する言動の中にあるのだ。長い時間を経るあいだに、愛を愛だと確認していくしかない。
*三浦しをん(2004)『ロマンス小説の七日間』角川文庫.p.211
2005/ 6/ 8
御手紙拝見 小生が大学を退くに就て御懇篤(ごこんとく)なる御言葉をうけ慚愧の至に候。(略)思い切って野に下り候。生涯は只運命を頼むより致し方なく前途は惨怛(さんだつ)たるものに候。それにも拘わらず大学に?(しが)み付いて黄色になったノートを繰り返すよりも人間として殊勝ならんかと存(ぞんじ)候。小生向後(こうご)何をやるやら何が出来るやら自分にも分らず。只やる丈(だけ)やる而巳(のみ)に候。頻年(ひんねん)大学生の意気妙に衰へて俗に赴く様見うけられ候。大学は月給とりをこしらへて夫(それ)で威張ってゐる所の様に感ぜられ候。月給は必要に候へども月給以外に何にもなきものどもごろごろして毎年赤門を出で来るは教授連の名誉不過之(これにすぎず)と存候。彼等はそれで得意に候。小生は頃日(けいじつ)ヘーゲルが伯林(ベルリン)大学で開講せし当時の情況を読んで大に感心致し候。彼の眼中は真理あるのみにて聴講者も亦(また)真理を目的にして参り候。月給をあてにしたり権門から嫁を貰う様な考で聴講せるものはなき様子に候。呵々。(略)
*夏目漱石「野上豊一郎への書簡」『サライ』2005年6月2日号.p.29.
2005/ 3/25
未完の作品は、駄作ですらありません。せめて駄作にたどり着くことが必要です。
*鈴木輝一郎(2002)『何がなんでも作家になりたい!』河出書房新社.p.181.
↓森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所からいくつか拾ってみました。
2005/ 3/25
一般に、上ることは、下ることよりも容易い。難しいのは、上り詰めることである。
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.18.
2005/ 3/25
メディアが目立つのは、そのメディアの技術的完成度がまだ低い証拠である。
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.39.
2005/ 3/25
どんな作戦であれ、最初の一手のバリエーションは極めて少ない。
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.40.
2005/ 3/25
やる気なんてあってもなくても、やれば同じ
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.41.
2005/ 3/25
「やりたいこと」と「できること」は一般に異なる。一致させる必要もない。
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.53.
2005/ 3/25
チャンスは、空気のように誰にも均等にある。したがって、速く走る者ほど時間当たりに多くのチャンスに出会う。
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.78.
2005/ 3/25
鉄は打てるうちが熱い。二兎を追わずして二兎を得ず。
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.79.
2005/ 3/25
大切なことは「正しく作る」ことではなく「作りたい」と思うことである。
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.88.
2005/ 3/25
「完」の回数が、すなわちキャリアである。
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.88.
2005/ 3/25
「才能」があってもトップに立てない人はいるが、「勤勉」なのにどん底の人はいない
*森博嗣(2004)『的を射る言葉』PHP研究所.p.137.
2005/ 2/17
「贅沢な生活をしているようで、貧乏のような気もしますが、物を残すという気持ちはないのです。本は、いつか読むという前提で沢山買います。二十年前に買った本をやっと読むこともあるし、読めない本は撫でてやる。皇帝が後宮に三千人抱えたのも、このような感じかと思います。」
*『週刊朝日』2005.2.25の「南條竹則:贅沢な貧乏生活」(文:西條博子)「週間図書館」の中の「ひと」のコーナーから.
2005/ 1/ 2
本当の成功とは、はるかかなたにあると同時に、いまここにもある。舎かざる(おかざる)、ということは、捨てない、とか、やめない、ということでしょう。持続するいまがなければ、成功という未来はない。
*宮城谷昌光『奇貨居くべし(黄河篇)』中公文庫.p.278.
2005/ 1/ 2
・人生には、時として夜明けの美しさ以上に美しい時がある。
・人生は最後にはなんとかなるものである。
・人生ええ按配にいく方法は、薄氷をふむ思いで生きることや。
・いいことばかりも続かないが、悪いことも長くは続かない。
*田辺聖子の『人生の甘美なしたたり』(角川文庫)
2005/ 1/ 2
「怒ったままで、教育への関心も失って、先生はどうやって生きていけるんですか?」と彼女は私にたずねた。私は彼女に言った。「外皮を発達させるんだ。そうすれば、誰も、ああいううつろな視線で突き刺せなくなるし、学生の無関心で傷つけられることも、もうなくなるのさ。」すると彼女は、ひどく驚くべきことを言った。そんなことがありうるとは、かつて考えかなったことだ。「いつか、ほんとうに関心をもった学生が、先生の前に現れるでしょう。でも先生はもう、それに気づくこともできなくなっているでしょう。だって、先生も、先生の学生とまるで同じように、死んでしまっているでしょうからね。」彼女は私にそう言った。「あのうつろな視線は、先生にも来ますよ。あれは伝染するんですよ。」
*ピーター・サックス『恐るべきお子さま大学生たち』草思社.p.211.
2004/9/27
道に迷えば道を憶える。
君の未来は君の心のなかにある。
チャンスは無言で、通り過ぎていく。
傍観者になるな
ピエロでもいいから舞台に立て。
*「21世紀のワタシにエール!」委員会編(2004)『心を決めたあのことば』角川文庫
というような企画でインターネットで17歳から20歳代までの人たちに呼びかけた企画らしい。2か月間の応募期間しかなかったがそれでも2000通以上の応募があった。その中から、ちょっと感激した言葉を取り出してみた。
2004/9/23
失敗をこわがる人は科学者にはなれない。科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。
*『寺田寅彦随筆集(4)』岩波文庫.p.204.
2004/9/23
難解さは、学者が手品師のように自分の技倆のむなしいことを見せまいとして用いる貨幣であり、愚かな人間どもはこれで簡単に支払いを受けたつもりになる。
*モンテーニュ『エセー(2)』岩波文庫.p.132.
2004/9/ 7
「皆様ご入学おめでとうございます。
私は、この学校の設立を提案したものであります。その立場から申し上げると、この学校を作った目的は、まさに先に校長先生がおっしゃったとおりであります。さらに、文部省に勤務する者として付け加えますならば、今、日本の教育は変えねばならないのであります。もう猫も杓子も大学を出てホワイトカラーを目指すような教育は、考え直す時期が来ておるのです。あらゆる職業に対応して、それに従事する者を教育する受け皿としての学校を、拡充する必要があるのです。全員を一つの方向に走らせて、脱落者を捨てていくような形では、もはや教育とは呼べない。この学校に期待するのは、これまでになかった分野での教育のフロンティアになっていただくことでありまして、その意味では、第一期生の皆様は、フロンティアの中のフロンティアなのであります。皆様の残す成果次第で、この国の教育が、ひいてはこの国がかわるのです。
皆様に期待しております。」
*室積光(2001)『都立水商!』小学館.pp.31-32.
(都立水商というのは、水商売に従事する人材を養成することを目的として設立された都立高校。その設立は、文部省の官僚の酔っぱらって話した一言から始まったが、その官僚が入学式で述べた祝辞。)
2004/9/ 7
「いいか、人間はトレーニングによって、敏捷性は20パーセント高められる。つまり持って生まれた能力の二割は向上するんだ。筋肉のパワー自体は、3.6倍まで高められる。持久力に至っては、6.5倍までの向上が期待できる。もう、こうなると別の動物になると言ってもいいぐらいだ。つまり、持って生まれた才能や、運動神経だけでやっている奴には、努力で必ず勝てるんだ。いいか、絶対だ。絶対に勝てる。
問題なのは、努力しないうちから、自分の能力を決めてしまうことだ。まずトライしろ。自分で限界を決めたら、そこで終わってしまうぞ。ただし、これが重要なんだが、世の中には自分より才能があるうえに、自分より努力している人間はいるもんだ。これには負ける。でもな、そういう奴に負けるんだったら、口惜しくないだろ。自分のもてる最高の力を発揮して、それでもっとすごい奴に負けるんだったら悔いは残らない。...」
*室積光(2001)『都立水商!』小学館.pp.161-162.
(都立水商の野球部監督・部長の伊東の言葉。伊東は「野球を好きになってもらう」ことを目標にして監督を引き受け、入学してきた選手たちを甲子園の優勝に導く。)
2004/8/23
人間は少なからず、三割、五割方は狂っているものだと説える学者もいるほどで、まったく正常でいることはほとんど異常ということらしい。
例えば実直に生きている人に言わせると、私などは、どうしてそんなに博奕に金と時間を費やすのだ?それは狂っているとしか思えない、という考えになるらしい。
別に博奕じゃなくとも、それが酒でも女でも同様なのだろう。
酒であるとすれば、定期的にある酒量を飲み続ける人のことを、アルコール依存症などと言う、いかにも病名らしいものが出て来たのは、つい最近の話で、ひと昔前までは、酒飲みは酒を飲むことが仕事というか、勤めであった。当然、その結果として、よいよいやアッパラパーににはなるのけど、正常な人は、そのよいよいやアッパラパーにしか目が行かなくて、その人たちが、それ以前に過ごしていた酒で得た至福の時間を見ようとしない。
連中は、ちゃんとした他人が計り知れない桃源郷に似た場所で何年か、一瞬かを過ごしているのであって、その後は身体がどうなっても、それは本人の責任で、それはそれでわかってやってきたのである。
*伊集院静(2001)『アホー鳥が行く』双葉社.p.67.
2004/8/20
長年その土地に暮らしていて、会話を重ねれば、いわゆるネイティブ・スピーカーと喋り方が似てきて、「なまり」がなくなってくる。しかし、なまりをなくすことは語学の目的ではない。むしろ、なまりの大切さを視界から失わないようにすることの方が大切かもしれない。田中克彦氏の『クレオール語と日本語』を読んでいたら、「発音のみならず、思想のナマリがなければ、その人はフランスの勉強をする理由はほとんどありません。そしてまた、なまることがささやかながら世界の思想と人類の文化に貢献する方法なのです」と「なまること」の重要さが強調されていた。
*多和田葉子(2003)『エクソフォニー:母語の外へ出る旅』岩波書店.p.77.
2004/8/20
「人間、思いあがらずになにができましょうか。美人はわが身が美しいと思いあがっておればこそ、より美しくみえ、また美しさを増すものでございまする。才あるものは思いあがってこそ、十の力を十二にも発揮することができ、膂力のある者はわが力優れり、と思えばこそ、肚の底から力がわきあがってくるものでございます。南無妙法蓮華経の妙味はそこにあると申せましょう。」(『国盗り物語 1』)
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.p.12.
(司馬遼太郎の名言集。名古屋空港で見つけて飛行機の中で読んでいた。以下同じ)
2004/8/20
物事は両面から見る。それでは平凡な答えが出るにすぎず、智恵は湧いてこない。いまひとつ、とんでもない角度―つまり天の一角から見おろすか、虚空の一点を設定してそこから見おろすか、どちらかしてみれば問題はずいぶんかわってくる(『夏草の賦 上』)
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.p.25.
2004/8/20
「人間のいのちなんざ、使うときに使わねば意味がない」(『峠 上』)
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.p.98.
2004/8/20
認識は、わけ知りをつくるだけであった。
わけ知りには、志がない。志がないところに、社会の前進はないのである。志というのは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、花がそうであるように、香気がある(『菜の花の沖 3』)
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.pp.102-103.
2004/8/20
仕事というものは騎手と馬の関係だ、と竜馬は、ときに物哀しくもそう思う。いかに馬術の名人でもおいぼれ馬に乗ってはどうにもならない。少々へたな騎手でも駿馬にまたがれば千里も征けるのだ。桂や広沢における長州藩、西郷や大久保、五代、黒田における薩摩藩は、いずれも千里の良馬である。土州浪士中岡慎太郎にいたっては、馬さえないではないか。徒歩でかけまわっているようなものだ。
(男の不幸は、馬を得るか得ぬかにある)(『竜馬がゆく 7』)
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.pp.112-113.
2004/8/20
敵よりも大いなる兵力を集結して敵を圧倒撃滅するというのは、古今東西を通じ常勝将軍といわれるものが確立し実行してきた鉄則であった。日本の織田信長も、わかいころの桶狭間の奇襲の場合は例外とし、その後はすべて右の方法である。信長の凄味はそういうことであろう。かれはその生涯における最初のスタートを「寡をもって衆を制する」式の奇襲戦法で切ったくせに、その後一度も自分のその成功を自己模倣しなかったことである。桶狭間奇襲は、百に一つの成功例であるということを、たれよりも実施者の信長自身が知っていたところに、信長という男の偉大さがあった。
日本軍は、日露戦争の段階では、せっぱつまって立ちあがった桶狭間的状況の戦いであり、児玉の苦心もそこにあり、つねに寡をもって衆をやぶることに腐心した。
が、その後の日本陸軍の歴代首脳がいかに無能であったかということは、この日露戦争という全体が「桶狭間」的宿命にあった戦いで勝利を得たことを先例としてしまったことである。陸軍の崩壊まで日本陸軍は桶狭間式で終始した(『坂の上の雲 4』)。
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.pp.134-135.
2004/8/20
西洋の軍人のことばだが、「歴史は、軍人どもが戦術を転換したがらないことを示している」というのだ。職業軍人というものは、古今東西、頑固な伝統主義であり、愚にもつかぬ経験主義者である。太平洋戦争における日本軍の指揮官が、いったん負けた戦法をその後もくりかえし使って、アメリカ軍を苦笑させた。そういうことをいうのであろう。が、「しかしながら」と、この言葉はつづく。「と同時に、歴史は、戦術転換を断行した軍人が必ず勝つことを示している。(『国盗り物語 1』)
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.p.136.
2004/8/20
「刀は武士の魂ではない」
と竜馬は、目をすえていった。
「道具にすぎぬ。道具を魂などと教えこんできたのは、徳川300年の教育です。戦国の武士は刀を消耗品と心得、人によっては何本も用意して戦場に出、折れれば捨て、脂で切れ遏めば砥石でごしごしとといで使った(『竜馬がゆく 3』)
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.p.148.
2004/8/20
薩摩人は、ほとんどこれは風土性とまでいえるが、心情的価値観として冷酷を憎むことがはなはだしく、すべてに心優しくなければならないということを男子の性根の重要な価値としていた。このことは対人関係においてついひとの優しさに釣りこまれてゆくということにもなるが、川路にもそういうところがあり、たとえばかれの短い生涯を特徴づけていることの一つは、部下を一度も叱ったことがないということであった(『跳ぶがごとく 1』)
*司馬遼太郎(2004)『人間というもの』PHP文庫.pp.164-165.
2004/8/ 2
しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。
*セネカ「人生の短さについて」岩波文庫.pp.9-10.
2004/8/ 2
わたしは思う。希望というものは、もともとあるともいえないし、ないともいえないものである。それはちょうど地上の道のようなものだ。実際地上にはもともと道はないのだ。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
*魯迅「故郷」『阿Q正伝・藤野先生』講談社文芸文庫.p.79.
2004/7/24
ぼくも、一応大学受験の勉強はしましたけれど、大学に入った瞬間、かなり唖然とした記憶があります。高校までの学力観とまったく変わってしまった。大学に入っていきなり目の前に広がった知性の大海とそれまでの受験勉強の落差に愕然とした。無限に広がっちゃった大海が知性なんですね。それまでドリルで鍛えた類のものは子どもの遊びみたいなものでした。ドリルみたいなもので世界全体を埋め尽くせるわけがない。与えられたドリルをこなすことが重要なのではなくて、無限にあるどうしていいかわからないようなもののなかで、私にいま必要なのはこっちなんじゃないかなって嗅覚で先に行くことが必要ですよね。それこそがまさにコミュニケーションの能力と共通した脳の働きなわけです。「確定した答えがある」とか、「この時間にこれをやる」とか、決まっていることをやるのは脳にとってそんなにたいへんなことではなくて、いちばんたいへんなのはその先どうすればいいかわからないときですね。
*茂木健一郎(2004)『脳の中のちいさな神々』柏書房.p.174.
2004/7/24
仕事の選択だって、どういう仕事をやるかは大人になったら誰も指示してくれないから、自分で決めるしかない。そのときロジックで決めている部分もあるけれど、みんなほとんど直感で動いているわけですね。その直感というのは何なのかというと感情なわけですね。ロジックで何で決められないかというと、ひとことでいえば人生全体についての完全なデータがないからですね。全部材料がそろっていてあとは論理方程式で操作していけば答えが出るんだったら、ロジックでいいわけです。だけど、われわれの日常の問題というのはほとんど、これをやったらどうなるかということが確実にはいえない。不確実なものばかり。われわれの感情は不確実性にうまく対処するために進化してきているわけですね。「かならず成功するかどうかはわからない。けれどもそれをやってみよう」と思うのは、直感、つまり情動系の働きです。人生はその働きのよしあしできまっちゃいますね。
*茂木健一郎(2004)『脳の中のちいさな神々』柏書房.pp.180-181.
2004/7/16
医者というものは、患者さんに「諦めなさい」とはやっぱり言えない。「辛いけどもう一日がんばって生きてみよう。来週になったらひょっとしたらすごい治療法が出てくるかもしれない。そういうことで医学はここまできたのだから、がんばってくださいよ」って言うわけですよ。そう言うためには、自分は新しい医療にチャレンジしなくてはいけないんです。いつも自問しています(心臓外科医 須磨久善の言葉)。
*今井彰(2004)『プロジェクトX リーダーたちの言葉』文春文庫.p.91.
2004/7/16
人材を育てる方法は、ただ一つ。仕事をさせ、成功させることである。成功経験が人を育てる。さらに大きな仕事をさせる。人と仕事の美しい循環を成立させることである。
チャンスは逃すな。まず決断をせよ。石橋を叩くのは、それからである。
個性は、変えられない。能力は、変えられる。
出る杭を打つな。手を添えて伸ばしてやれ。
(南極越冬隊隊長 西堀榮三郎の言葉)
*今井彰(2004)『プロジェクトX リーダーたちの言葉』文春文庫.pp.181-185.
2004/6/ 3
ある問題に対して、それが未解決の問題でなければ、何らかの解決が出されているのが普通である。その問題について、受け入れられている解答に満足せず、可能性のある答えをすべて吟味して、その中から正しい、またはもっとも蓋然性が高い解答を探し出すのが、論文的思考の一番大事な点なのだ。一日一歩、三日で三歩、一歩進んで二歩下がるの心意気である。
可能性ある答えをすべて見つけ出すことも困難な作業だし、それをすべて理解するのにもいろいろな知識や理論が必要となる。このように与えられた問題について、すべての論点を発見するのが「分析(analysis)」という作業であるし、その分析という作業を通して、疑う余地のない、または最も蓋然性の高い、または説得力を持った答えを見い出すというのが「論証(demonstration)」という作業である。論文を書くというのは、実は「論証」を行うということなのだ。論証のない文章は、いくら新発見であっても、論文にはならないのだ。そして、論証があるからこそ、その発見は、多くの人が共有できる知識となる。要するに、論文を書くということは、知の共有に至る道なのである。
*山内志朗(2001)『ぎりぎり合格への論文マニュアル』平凡社新書.pp.30-31.
2004/6/ 3
「愚かな人間は考えないで書き始める」という格言があったが、書いているうちに愚かでなくなってくるのだから、書き始めてから考え始めてもよい。大事なのは、とにかく考える機会を作ることだ。書き始めないと、いろいろ悩むだけでよいことはない。書かないリコウよりも、書いたバカの方がずっとエライ。
*山内志朗(2001)『ぎりぎり合格への論文マニュアル』平凡社新書.p.194.
2004/5/20
自転車の乗り方を解説本でいくら読んでも、実際に乗れるようにならないのであって、何かをやる方法って「実際にやる」という経験によって培われますよね。
*池谷裕二・糸井重里(2002)『海馬:脳は疲れない』朝日出版社.p.266
2004/5/20
人生においてやりかけのことだけのことが募ってくると、当然、誇りは生まれないだろうと思います。誇りを生むときには、ちょっとでも完成したものを残しておくというか、そうしないと、自信って出てこないですよね。
*池谷裕二・糸井重里(2002)『海馬:脳は疲れない』朝日出版社.p.277.
2004/5/20
赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事をいった覚えはない。今日ただ今に至るまでこれでいいと堅く信じている。考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。
*夏目漱石『坊っちゃん』岩波文庫.p.56.
2004/5/20
子曰く、後生畏るべし。焉くんぞ来者の今に如かざるを知らんや。
(青年こそは敬愛すべきである。未来の人間が現在の人間に劣るとどうしてわかろうか。)
*孔子『論語』より
2004/ 5/20
人間てえものは、無駄なときばかり骨を折ったってダメですナ。何かそういうチャンスがきたときに、それをガッチリとつかまえて奮闘することですよ。
世の中てえものは、自然自然にうごいてゆくんですから、ウカウカしていると、おいてきぼりを食っちまう。なんといったって、ふだんの勉強ですよ。勉強もしないで遊んでいたんじゃ、ぜったに頭のあがる時なんてきやァしませんよ。
*古今亭志ん生のことば
(出久根達朗(2001)『百貌百言』文春新書.p.19)
2004/ 5/18
文ちゃん 少しみないうちに又背が高くなりましたねさうして少し肥りましたねどんどん大きくおなりなさいやせたがりなんぞしていてはいけません體はさう大きくなつても心もちはいつでも子供のやうでいらつしやい自然のままのやさしい心もちでいらつしやい世間の人のやうに小さく利巧になつてはいけません。(略)えばつてゐる華族や金持が卑しいやうに華族や金持をありがたがる人間も卑しい人間ですそんな人間の真似をしてはいけません。
*芥川龍之介が婚約者塚本文に宛てた手紙から
(出久根達朗(2001)『百貌百言』文春新書.p.37)
2004/ 5/18
順番を待っているだけの人間には、永久に順番がこない
*藤山寛美のことば
(出久根達朗(2001)『百貌百言』文春新書.p.137)
2004/ 5/18
人生というのは、一手違いで、一手の差で勝敗が決まる
*升田幸三のことば
(出久根達朗(2001)『百貌百言』文春新書.p.145)
2004/ 5/10
(1)汽車に乗ったら窓からよく外を見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅についたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
(2)村でも町でも新しくたずねていったところは必ず高いところへ上ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへはかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
(3)金があったら、その土地の名物や料理は食べておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
(4)時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
(5)金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
(6)私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようになってくれ。しかし、体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。
(7)ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。
(8)これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
(9)自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。
(10)人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
*宮本常一が大阪に出て行くときに父親から言われたことを書き残したもの。
(宮本常一(1993)『民俗学の旅』講談社学術文庫.pp.36-38.)
2004/ 5/ 6
『将に東遊せんとして壁に題す』
釈月性
男児立志出郷関(男児 志を立てて郷関を出ず)
学若無成不復還(学 若し成る無くんば復還らず)
埋骨何期墳墓地(骨を埋むる何ぞ期せん 墳墓の地)
人間到処有青山(人間到る処 青山有り)
(斉藤孝(2002)『声に出して読みたい日本語2』草思社.p.148)
2004/ 5/ 6
「あせっては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることは知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。うんうん死ぬまで押すのです。(中略)牛は超然と押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。」
*夏目漱石が門下に入ったばかりの芥川龍之介と久米正雄の二人に出した手紙。
(斉藤孝(2004)『声に出して読みたい日本語3』草思社.p.78)
2004/ 5/ 6
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
*高杉晋作の辞世の句
(斉藤孝(2004)『声に出して読みたい日本語3』草思社.p.79)
2004/3/24
「たかが、言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。引き金を引け、言葉は武器だ!」
(『寺山修治名言集』PARCO出版.p.127)
2004/3/24
どんな鳥だって
想像力より高く飛ぶことは
できないだろう。
(『寺山修治名言集』PARCO出版.p.199)
2004/1/13
工学設計教育とは、図面を上手に書きあげるための教育ではありません。そんな単純な教育が評価されるわけがありません。金沢工大の狙いは、高校時代までに染みついてしまった「例題解答型」人間から「問題発見型」人間へ、さらには「問題解決型」人間に変えることにあるのです。より具体的に言えば「知識教育」と「実技教育」の融合であり、「ものづくり」のプロセスを体験することで「自分の考え」を第三者に正しく伝える「プレゼンテーション能力を養う」ことです。
(増田晶文(2003)『大学は学生に何ができるか』プレジデント社.p.190)
2004/1/13
「ロボット・プロジェクトに入ってくる学生たちに、じゃ具体的にどんなロボットを作り上げたいのかと聞いても明確に説明できないことがほとんどです。でも、私は何も言いません。教育で一番大事なことは本人に気づかせることですからね。放っておくと夢工房の活動を通じて自分が何をやりたいのかわかり始めるんです。活動を通じて仲間たちと喋り、そうしながら自分のやりたいことが形づくられていく。これがとても大切なんです。独りじゃ、気づくこともたかがしれてますからね。」
*飯野弘之〔金沢工大教授)の言葉
(増田晶文(2003)『大学は学生に何ができるか』プレジデント社.p.195)
2003/7/22
「あなたに影響を与えた一冊の本」というアンケートがあり、私も何度か書いたことがあるのだが、その度に私はそれを、「覚えている一冊」ではなく、「覚えていない無数の本」にしたいと考えた。その方が、身となり肉となっているような気がしたのだ。
別役 実「いつもそばに本が(上)」『朝日新聞』読書欄、2003年7月20日.
2003/7/16
山を動かす技術のあるところでは、山を動かす信仰はいらない。
(『エリック・ホッファー全アフォリズム集:魂の錬金術』(2003)作品社.p.12)
2003/7/16
人間の創造性の源泉は、その不完全さにある。人間は、自らの欠陥を補うために想像力を発揮する。人間は、特殊器官の欠如からホモ・ファーベル(武器や道具の製作者)に、生来の技術のなさからホモ・ルーデンス(演奏家、職人、芸術家)になり、動物がコミュニケーションの手段としているテレパシー能力のなさを補うために言葉を話すようになった。そして本能の不十分さを補おうとして思索者になったのだ。
(『エリック・ホッファー全アフォリズム集:魂の錬金術』(2003)作品社.p.118)
2003/7/16
教育の主要な役割は、学習意欲と学習能力を身につけさせることにある。学んだ人間ではなく、学びつづける人間を育てることにあるのだ。真に人間的な社会とは、学習する社会である。そこでは、祖父母も父母も、子供たちもみな学生である。
激烈な変化の時代において未来の後継者となりうるのは、学びつづける人間である。学ぶことをやめた人間には、過去の世界に生きる術しか残されていない。
(『エリック・ホッファー全アフォリズム集:魂の錬金術』(2003)作品社.p.135)
2003/7/16
忍耐とは成長の副産物である―われわれは成長しているとき、好機を待つことができる。権力や名声の獲得・追求に忍耐は存在しない。成長の代替物を追求するとき、われわれは最も性急になる。
(『エリック・ホッファー全アフォリズム集:魂の錬金術』(2003)作品社.p.158)
2003/7/16
大声を出すのは寂しいからである。これは犬と同様、人間についても真実である。
(『エリック・ホッファー全アフォリズム集:魂の錬金術』(2003)作品社.p.194)
2003/7/16
われわれは何を言いたいのかわからないときほど、饒舌である。言うべきことがあるとき、言葉はほとんど必要ない。一方、言うべきことがないのに、それを無理やり言おうとするとき、あらゆる辞書のすべての言葉を使っても足りない。
(『エリック・ホッファー全アフォリズム集:魂の錬金術』(2003)作品社.p.198)
2003/6/10
僕の仕事は終わった。だから、僕はアメリカに帰る。ただ、このチームは頑張れば優勝できる。それをみんな信じろ。
ファイトこそ勝利への基本である。勝つことがすべてではない。しかし、勝たねばならない。
*広島東洋カープ元監督ルーツの言葉
(駒沢悟監修、松永郁子著『広島カープ』宝島文庫社.pp.176-177)
*ルーツは日本で初めての大リーグ出身監督。1975年広島東洋カープ監督に着任。4月27日、阪神とのダブルヘッダー第1試合で、審判の判定に抗議し退場処分になる。しかし、ルーツは本塁上から動かず抗議を続けた。
最初の言葉は、この試合の後のミーティングで選手を集めて言った言葉。ルーツはこの後グラウンドに戻ることはなかった。また、2番目の言葉は、ルーツが日本を去るときに残したメモ。
広島東洋カープはルーツの後任に39歳の古葉を起用。この年球団創設26年目にしてセ・リーグ初優勝を飾った。ルーツは広島東洋カープに勝つことへの執念を教えたと言われる。
2003/4/29
すると男が、こういった。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より...」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中が広いでしょう」といった。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持がした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。
(夏目漱石『三四郎』岩波文庫 p.23.)
2003/4/29
ラ・マンチャの片田舎で、ぬるま湯につかったような生活を送っていた中年男が騎士道物語を読みすぎて精神に異常をきたし、これまで世の凶人の誰ひとりとして思いつきもしなかった奇妙な考えにとらわれる。つまり、「自ら鎧かぶとに身を固め、馬にまたがって遍歴の騎士となり、世界中を歩き回りながら、読み覚えた遍歴の騎士のありとあらゆる冒険を実行することによって、世の中のあらゆる種類の不正を取り除き、またすすんで窮地に身を置き、危険にも身をさらしてそれを克服し、かくして永久に語り継がれるような手柄をたてて名声を得ることこそ、自分の名誉をいや増すためにも、また祖国にたいする奉仕のためにも、きわめて望ましいと同時に必要なことであると考えた」(前編1)のである。つまり彼は、それまで読んだところを現実において実践しようというのだ。
セルバンテスの軽妙にして洒脱な文章にまどわされがちであるが、実際のところ、この記述はおどろおどろしくも重大な問題を孕んでいる。書物は現実の中でどのような位置を占めているのか?書物は人生にとって有効なのか?書物はいかにしてその真実性を証明できるのか?
(牛島信明(2002)『ドン・キホーテの旅』中公新書. pp.90-91)
2003/4/29
そうではないと知りつつ、意志することによって、そうであるかのような言動をとること、それはとりもなおさず、<そうであること>にほかならないのではないか。意志によって創りあげられた(虚構の)現実は、意志することとは関わりなくアプリオリに与えられているあからさまな現実に勝る大きなリアリティを孕んでいるのではないか。そして、アプリオリの現実の権化とでもいうべき農夫サンチョ・パンサが、虚構を生きる人間であるドン・キホーテとともにした冒険の旅によって得た新たな認識とは、おそらく、この意志することのリアリティだったはずである。
(牛島信明(2002)『ドン・キホーテの旅』中公新書. pp.132-133)
2003/4/29
アメリカのセルバンテス学者、ファン・バウティスタ・アバリェ=アルセは、先の<モンテシーノスの洞穴の冒険>を論じて、「ドン・キホーテが洞穴の中で見たものは、まさしく人生の意味にほかならない。彼のヒューマニズムに深く根ざした英雄性の真の教訓は、人生が影であり夢であると知りながら、あたかもそうではないかのように生きるところにある。」という美しい評言をものしているが、まさにそのとおりであって、彼はこれから先、人生が幻であることを知りつつ、英雄的な意志の力でもってそうではないふりをし、苦難に満ちた騎士道を遂行する。
(牛島信明(2002)『ドン・キホーテの旅』中公新書. p.215)
2003/3/ 6
歴史は決して不義の側に味方せず、歴史を信ずる人間には敗北はない。
(金大中第8代韓国大統領退任演説 2003年2月24日)
2003/2/17
大臣、上達部を召して、「いづれの山か天に近き」と問わせたまふに、ある人奏す、「駿河にあるなる山なむ、この都も近く、天も近くはべる」と奏す。これを聞かせたまひて、
あふこともなみだにうかぶ我が身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬壺に文具して御使に賜わす。勅使には、つきのいはがさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべきよし仰せたまふ。峰にてすべきやう教へさせたまふ。御文、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。
そのよしうけたまはりて、士どもあまた具して山へのぼりけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名づける。
その煙、いまだ雲の中へ立ちのぼるとぞ、いひ伝えたる。
(大臣や上達部を召して、「どの山が天に近いか」と帝がお尋ねになると、ある人が奏上する、「駿河の国にあるといわれる山が、この都にも近く、天にも近うございます」と奏上する。帝はこれをお聞きになって、
かぐや姫に会うことも二度とないゆえに、あふれ出る涙の中に浮かんでいるようなわが身にとっては、不死の薬などなんの役に立とうぞ
かぐや姫が奉った不死の薬の壺に手紙をくわえて御使いにお渡しになる。勅使には、調(つき)のいわがさという人をお呼びになって、駿河の国にあるという山の頂上に持ってゆく旨をご命令になる。そして、その山頂で、なすべき方法をお教えになる。お手紙と不死の薬の壺とをならべて、火をつけて燃やすべきことをご命令になる。
その旨をうけたまわって、調のいわがさは士どもをたくさん引き連れて山に登ったことから、この山を「士に富む山」、つまり「富士の山」と名づけたのである。
そして、その不死の薬を焼く煙は、いまだに雲の中へ立ちのぼっていると、言い伝えている。)
*『竹取物語』の最後の部分である。
帝はかぐや姫を手に入れようとするが、かぐや姫の抵抗にあって失敗し、かぐや姫とは文通だけの交際を続けていた。しかし、かぐや姫が月に昇天するときに、帝は翁の家に二千人の軍隊を派遣し、それを阻止しようとする。かぐや姫は月に昇天する直前に、自分を育ててくれた養父母と帝に手紙を書き、それに不死の薬を添えた。帝はかぐや姫の昇天後に、かぐや姫から贈られた不死の薬をこの場面にあるように焼かせるのである。かぐや姫のいないこの世で不死を手にしたとしてそれがいったい何の意味を持つのか、と。帝はここでは権力や富の象徴ではなく、宿世に克てない人間の代表とされる。
2000/11/20
偶然の発見、という言葉をよく聞きます。地道な研究の結果、ついに突き止められた真理とは違い、まるで神様の悪戯のように大事なことが何気なく見つかってしまう。あるいは関係のない些細な事象から発想されてしまう。
「偶然」という言葉は、悪く響きますね。
自分の力でない、というところで否定的に思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、実は偶然を生かす力こそが才能であり、偶然こそが最大の発想のテクニックであるとぼくは思います。さらにいえば、偶然を連続して引き起こす力、偶然を呼ぶ力、それが強ければその人は「天才」といえるわけです。
(手塚真(2000)『ヴィジュアル時代の発想法:直感を生かす技術』集英社新書
pp50-51)
*偶然で何かが自分の回りに起こったときに、それをすぐに生かせるだけの準備をしておくということも大事だとは思いますが、それにしてもいい言葉です。手塚真は言うでもなくあの手塚治虫の息子。ということをいちいちいうのはおじさんの証拠か?この本は、意外におもしろい本でした。
2000/10/22
..玉石の混交するところに真実がある...
(小田嶋隆「本みたいな本:世紀末に響くピコピコ音」『朝日新聞』2000年10月22日読書欄)
2000/8/24
ちなみに私には本を買う場合の三原則というのがある。「書店で見かけたらすぐに買う」(本は書店の店頭から消えるのがはやい)、「買うべきかどうか迷ったら買う」(あとで後悔することが多い)、「値段を見ないで買う」の三つである。第三原則はいささか過激なので、あまり人には勧めにくいかもしれない。
(東郷雄二(2000)『東郷式文科系必修研究生活術』夏目書房
p.120)
*最近本を買うエネルギーが落ちてきているのを感じていたので、この言葉を見つけて意を強くした。ちなみに、この本は、全く題名通りの本であるが、研究を仕事にしている人たちや研究を始めようとする人たちにとってたいへん参考になります。
2000/8/5
愛に邪悪しかなかった時代に人間の文学がなかったのは当然だ。勧善懲悪という公式から人間が現れてくる筈がない。然し、そういう時代にも、ともかく人間の立場から不当な公式に反抗を試みた文学はあったが、それは戯作者という名でよばれる。
戯作者のすべてがそのような人ではないが、少数の戯作者にそのような人もあった。
いわば、戯作者も亦、一人のラムネ氏ではあったのだ。チョロチョロと吹き上げられて蓋となるラムネ玉の発見は余りたあいもなく滑稽である。色恋のざれごとを男子一生の業とする戯作者も亦ラムネ氏に劣らぬ滑稽ではないか。然し乍ら、結果の大小は問題ではない。フグに徹しラムネに徹する者のみが、とにかく、物のありかたを変えてきた。それだけでよかろう。
それならば、男子一生の業とするに足りるのである。
(坂口安吾「ラムネ氏のこと」講談社文芸文庫(『白痴/青鬼の褌を洗う女』所収.
pp.12-13.)
2000/8/4
A pessimist
sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees opportunity in every
difficulty.
(悲観主義者はすべての好機に困難を見る。楽観主義者はすべての困難に好機を見る。)
Sir Winston
Churchill(1874-1965)
2000/8/4
語られればアイデアはたたかれる。/しかし、沈黙したアイデアは間違いなく腐る。/たたかれたアイデアはいつかよみがえる(こともある?)。
(自作)
2000/8/4
今、僕は語ろうと思う。
もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。
しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。
弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんなふうにも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、像は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。
(村上春樹「風の歌を聴け」講談社文庫.
p.8.)