TOP>NGU EXPO2005研究>第2号(目次)>W.博覧会イメージと瀬戸のまちづくり |
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W.博覧会イメージと瀬戸のまちづくり 【講演】 博覧会イメージと瀬戸のまちづくり |
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名古屋学院大学経済学部 木村 光伸 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ただいまご紹介いただいた木村でございます。第3回目のきょうは「博覧会イメージと瀬戸のまちづくり」というタイトルで、今からざっと1時間ぐらいお話をさせていただこうと思います。実は、きょうに向けていろいろ考えることをまとめておりましたのですけれども、皆さんご承知のようにここ1週間ばかり、先週のちょうど今ごろでしたでしょうか、中日新聞が報道し、きょうまた朝日新聞が非常に大きな1面トップに記事を出しておりまして、BIE博覧会国際事務局が11月でしたかに、通産省との会議の際に、非常に厳しい意見をつけていたということが明らかになったという報道がございました。残念ながら私どもには、新聞記事でありますとか、テレビの報道でありますとか、そういうところからしか一体だれがどのように発言をし、だれがどのように対応して博覧会のイメージを膨らませ、あるいは具体的な実施計画を煮詰めているのかということが見えてこないわけで、マスコミで報道されていることがすべてについても、実は本当であるのだろうと思いつつも、ひょっとしたらいろんな間違いがあるんじゃないかということも考えながらしか実態には迫れない。ある意味では非常にもどかしい思いでこの間の状況推移を見守ってきておるわけでございます。それは、ここにいらっしゃる大勢の皆さん、県とか博覧会協会の方がいらっしゃいましたら少し事情は違うでしょうけれども、多くの市民はそういう状況に置かれているということだろうと思います。 きょうは博覧会の話を少しさせていただいて、実際に瀬戸のまち、瀬戸市民として、あるいは瀬戸にかかわりをもつ者として、瀬戸のまちづくりとこの博覧会がどう関係していくのか、あるいはどう関係しなくなっていくのかというようなあたりを重点的にお話しをし、皆さんと一緒に考えたいというふうに思います。というわけで、1時間ぐらいで話は終えさせていただいて座りますので、フロアからもぜひきょうはいろんなご意見をいただければとてもありがたいなというふうに考えております。 まず、博覧会、EXPO2005がどんなかたちでおこなわれていくであろうかということを、やはり考えておく必要があろうかと思います。一般的にいわれておりますのは、1980年代に計画された産業博のようなものから、1996年に「新しい地球創造:自然の叡智」というテーマで提案された環境共生型の博覧会、あるいは新しい環境共生の姿をつくり出そうとする博覧会のイメージへと、ある意味では180度転換したわけです。180度転換したんですけれども、ではすべてがきちんと転換したのだろうかといいますと、必ずしもそうでなかったところに今日の混乱のもとがあるというふうに、私は思っております。端的に申しますと、博覧会としての位置づけと、そして今、跡地利用というふうに一般的に言われておりますけれども、新住宅計画とのイメージの乖離といいましょうか、考え方の相違といいましょうか、そういったものが、今、非常に深刻な状況として噴き出してきているというふうに言っていいのではないかと思います。 「新しい地球創造:自然の叡智」という、とってもすばらしいテーマだというふうによく言うんですけれども、実は、この「新しい地球創造 自然の叡智」って一体どういうことを言っているんだろう、どういうことをイメージしているんだろうということをはっきりと具体的にお示しいただいたことって、多分、博覧会協会からもないし、通産省からも県からも瀬戸市からもほとんど一度もないんじゃないでしょうか。「いや、ちゃんと言ってるよ」という意見がございましたら、また、後でお教えいただきたいと思いますけれども、実は、この理念の理解の仕方の不十分さ、不徹底さが、今日の非常に苦しい状況を生んでいるということをやっぱり深刻に反省しておく必要がまずあるんじゃないかというふうに思います。 この「新しい地球創造:自然の叡智」というものの「自然の叡智」というのが実にくせ者の言葉でございまして、「人類の叡智」というのは昔からよく使ってきたわけですけれども、人知の及ばない自然の持っている非常に大きな人間をも包み込むような力、あるいは姿、生態学でいいますと生態系といってもいいし、生物多様性といってもいいのでしょうけれども、そういう非常に大きく人間をも包み込むようなものとして「自然の叡智」というものを考え、私たちがそれにどうかかわっていくかということをきちんと理解して、21世紀の自然観とか環境観というものをつくり出そうというのがこの博覧会のテーマ、あるいは理念の真意ではないかと、私はひそかに思っておるのです。 もしそうだといたしますと、自然は自然として、人間とはかかわりなく存在しているというふうに言うわけにはいかないわけであります。従来、1970年代ごろまでの自然保護の思想というのは、人間が自然に触れないことをもってよしとする。自然は、自然のままに置いておくことが一番いいのだというふうに考えるのが自然保護の原点であり、自然の取り扱い方であるというふうに考えてきた。ところが80年代ぐらいから、若干、それが変わってまいりまして、なぜ変わってきたかというと、地球がとっても狭くなったからなんですね。地球の大きさは変わりませんけれども、人間の活動の範囲といいますか、活動のスピードといいますか、単位時間当たりに私たちが動く距離といいますか、そういうものが極端に大きくなってまいりまして、一方に人口増ということもございますけれども、人間がかかわりを持たない自然などというものは存在しないというふうに考えた方がいいようになってきた。地球は、ほとんど無限といっていいくらいに広いと思っていたんだけど、そうじゃないということを発見したんですね。 私ここ25年ぐらい、南米のアマゾンの熱帯森林の調査を続けておりますけれども、この25年前と現在とでは非常に異なった状況が生まれつつある。実は、25年前だって、森林のなか、アマゾンの熱帯雨林のなかを歩きますと、原生林と呼ばれるなかでいくらでも人間の痕跡を見ることができました。たとえば、今から500年ぐらい前に、当時そのあたりにいたインディヘナ(インディオ)の人たちがその自然を利用したとか、あるいは木を切っただとか、あるいはヤシの実を食べるために、ヤシだけを切らずに置いておいたものだから、他の地域と比べるとそこだけやたらヤシの木が多いとか、多分、漠然と自然を見てみますと、単なる植生(ベジテーション)の違いだというふうに考えるようなものであっても、実は、非常に長い歴史のなかで、人間が関与してきたということをあらわすものはたくさんあるわけです。そういう実態といいますか、地球のなかで人間と自然がかかわり合ってきた歴史というものを考えますと、自然は自然として置いておけばよろしい、放置すればよろしいという話にはどうやらならないのだということに気がつくわけです。とりわけ、日本のように狭い国土に非常に大勢の人間が暮らしておりますと、必然的に人間と自然とのかかわり合いというのは、歴史的にいいましても、現状を見ましても、非常に密接にならざるをえないということだろうと思います。 そこで、現実に私たちが自然なり、自然とともに生きるということをテーマに何かイベントを考えようというときに、自然の歴史的なあり方、自然それ自体のあり方、自然史といってもいいかもしれませんが、自然それ自体の歴史的なあり方と、そこで暮らしてきた人間の活動の歴史とか、証しとかいったものをどう全体的にインテグレートして、表現することができるのかということが問題になってくるわけです。 そのときに、たとえば具体的に瀬戸はどうだという話になるわけですけれども、従来よく言われておりますように、瀬戸は1,300年の陶磁器の生産の歴史を持っている。磁器は新しいものですけれども、要するに焼きものの歴史を持っている。一般的に言いますと、焼き物をつくるためにはたくさんの薪が要って、そのために木がいっぱい切られて、それが里山景観をつくり出すときにははげ山をつくり、はげ山を何とかしようという人たちの努力でもって植林が行われて、また営々たる努力の後に森林が回復する。それはもちろん人間が植えて回復するという部分もありますけれども、その手助けによって自然の植生が自立的に、自発的に回復していくプロセスを持っている、というようなことでまた森が戻る。戻った森は、たちどころにまた切られて、ということの繰り返しで1,300年もの間、営々とやってきたんだと。 実は、博覧会会場予定地の海上の森もそうなんだということがしばしば言われてまいりました。とりわけ、海上の森は、この100年、明治以降の100年間で人間の努力によって、主に戦後の努力が大きいだろうと思いますけれども、植林によって緑の回復は果たされてきたわけです。その緑というのは、皆さん海上の森へ行かれたことがあるかと思いますけれども、多くが杉とヒノキの植林でございまして、これ自体は緑の回復であり、酸素供給源の回復であり、炭酸ガスの吸着源の回復であるという意味では決して無意味ではないのですけれども、あの地域の自然を回復したのかどうかということになりますと、はなはだ疑問も残るところであります。一方、沢沿いに放置されていたり、あるいは利用するのが非常に不便であったり、湿地があったりというところで自然植生のようなものが残存していたり、徐々に回復してきたりして、今、海上の森へ行きますと、「すばらしいね、いい自然だね」というようなものができ上がってきておるわけでありますけれども、しかしそれとても人間のかかわりを免れることはできなかったわけですね。 海上砂防池、通称瀬戸大正池と呼ばれる池がございます。私、あれを見るたびに不愉快になりまして、私がひとりで見ている分にはいいんですけれども、土曜日・日曜日に行きますと、あそこにいろんな方が観光というかピクニックなり海上の森を散策にいらっしゃる。いらっしゃる方があの海上の砂防池の横に立って、水面に骸骨のように木が残骸をさらしているあれを見て、「すばらしいね、美しいね、こんな自然を残したいね」と言うと、そのたびに僕はひっぱたいてやりたくなるんですけれども、ああいうものを片一方で自然だと、ちょっと見ればその先に堤防、堰堤が見えているんですね。だけどそこはごらんにならずに、あれを自然の1つのシンボルだというふうにお考えになる方もいらっしゃる。別にそれを考えて悪いとは申しませんけれども、少なくともその程度のイメージでもって「自然を何とかしたいね」とおっしゃるような話と、博覧会のテーマであります「自然の叡智」とは、全然違うレベルの話なんだということは、知っておく必要はあるだろうと思うんですね。 そこで、少しもとに戻りますけれども、自然のあり方と人間のかかわり方を統合的に表現する、そういうことの表現の仕方の重要性をきちんと理解しておかなければなりません。それは、また非常に難しい。そういう表現をすることは確かに難しいんですね。難しいけれどもそこをうまく表現したら「新しい地球創造 自然の叡智」の1つの切り口が見えてくる。人間とのかかわりをきちんと見せるということができれば、私は博覧会の具体的なイベントイメージというものは膨らんでくるだろうというふうに考えておるわけであります。 ところが、博覧会のいろんな企画、プランを見せていただいておりますけれども、非常にきれいな絵がたくさん出てまいりまして、森のなかをいくつかに分けて何とかの森、何とかの森とお名前をおつけになって、絵面としては非常にいいものが出てきているのでしょうけれども、実際にこの近くに住み、時々あそこに行き、あの辺を行き交うおばさんたちとお話をさせていただいたりしている者から見ますと、何となくそぐわない、何か違うな、何か変だなと。きれいなものが出てくれば出てくるほど何か違う。理念だけが先走っているじゃないかというような気がしてならないわけであります。 博覧会理念イメージ、「自然の叡智」というものの意味を実際に知っているのはだれなのか。博覧会協会なんだろうか。あそこで企画している方々なんだろうか。あるいはデザイナーの人たちなんだろうか。そういう人たちも一生懸命それを知ろうとしていらっしゃるかもしれませんけれども、現実にはここ何10年間か、あるいは100年間かにわたって、海上の森とつき合ってきた地元の人たちの生活に密着したイメージ、それを離れては理念の表現方法というのは見つからないんじゃないかという気がしてならないわけであります。そう言いますと、「地元の人たちの意見はしょっちゅう聞いてます。ところがなかなか意見をおっしゃらない」「瀬戸の方々、地元が大事だ、地元が大事だとおっしゃるけれども、ちっとも地元の意見が出てこない」「具体的にこうしたらどうですかというイメージが出てこない」というふうに言われる。実は、断片的にいろんなアイデアを提供し続けていらっしゃる方々がたくさんいらっしゃいまして、後でまたご発言いただきます伊藤さんのグループは、そういうものをきっちり提言していらっしゃるわけですけれども、どうもそのあたりが博覧会協会のイメージと合わないのか何だかわかりませんけれども、全体の計画のなかにすっきりとは乗ってこないというわけですね。 そういう意味で一昨年から昨年の春にかけまして、何となくきれいな絵面だけでいくのかなと思っておりましたところに、降ってわいたように1羽のオオタカがあらわれたというわけですね。オオタカがあらわれましたときに、私ども大学の方で緊急提言というのを5月26日でしたかにさせていただきまして、あちらこちらにまかせていただいたんですけれども、いま一つ反応がよくない。あまり読んでもらえてないのかなと思いますけれども、また後で必要な方には差し上げたいと思います。 オオタカが出てまいりますと、途端に海上の森から腰が引けてしまった。海上の森から腰が引けて、あれよあれよと言ってる間に、「長久手の方にいい会場があるじゃないか、青少年公園だよ」というふうになって、分散開催ということになったんですね。瀬戸の市長さんは賢いから分散とは言わない。あちらの方ににじみ出していくんだと。じわじわと最後どこまでいっても原点は海上の森だよとおっしゃる。私は、これは瀬戸の首長さんとしては、大変いい言い方をなさっただろうと、今でも思っております。断固ここから離さないぞ、ここが中心でいくんだと。だけどじわじわにじみ出す方向はちょっと違うんじゃないかと私なんかは思っておりまして、そのあたりを緊急提言で書かせていただいたんですけれども、要するに広い場所があって、少々乱暴に取り扱っても文句が出ないようなところはどこかにないのか、という選択をなさった。それが青少年公園であったというふうにしか私には思えない。もしそういう選択をなさったんだとすれば、それは「自然の叡智」を求めるという根本的な理念からは非常に遠い選択をなさったというふうに私は考えざるをえないですね。おそらく「そんなことを考えたんじゃありません。非常に現実的に博覧会をどうしようかと思って、あそこしかなかったんです」とおっしゃるかもしれない。けれども実体としては、やっぱり理念を避けた。オオタカを避けたんじゃなくて、理念を避けたというのが、分散開催なり広域開催と呼ばれるものの実体じゃなかったのだろうかと思います。 漏れ聞くところによりますと、分散開催で青少年公園、あれは結構広いんですけれども、あそこで全部やろうと思うとできないんだそうですね。なぜかというと、青少年公園というのは、県が木を植えて、努力して森をつくってきたところでございますから、それをまたぶった切って空き地にするわけにはいかない。そうすると、実際に青少年公園が広くても、使える面積は限られておるというふうになってきた。そうすると、海上の森と青少年公園とを結ぶ1つのルート、特殊な乗り物でつなぐんだそうですけれども、2つをもって1つの会場というふうに考えざるをえないんだと。実は、「自然の叡智」というものを避けようとしたことが分散会場化をし、アクセスを困難にし、なおかつ会場としての一体性を保つことを非常に困難にしてしまうという方向にいってしまった。これは、ある意味では、ボタンのかけ違いでございます。何がかけ違えたかというと、理念をまじめに考えたかどうかというところでかけ違えたちゃったんだということだろうと思うんですね。 その後、オオタカ問題につきましては、「オオタカなんかは日本じゅうどこにでもおるんだよ。京都に行ったら神社のちょっとした森におって、そのあたりの鳥を襲っているんだよ」というようなことを言う人たちが出てきます。それもそうでしょう。僕は、オオタカは珍しい鳥だと思いますよ。貴重な鳥だと思いますよ。そうだけれども、オオタカが出てきたら、私たちが未来にかけてとか、未来をかけてというのか、私たち人類と自然とが本当の意味で共生できる、そういう哲学を求めて「自然の叡智」ということを言い出したにもかかわらす、オオタカがそこに住んでいるということだけで、その叡智を求める努力まで破壊されてしまう。そんなことでは、人間と自然との接点なんか持ちようがないということになってしまうんですね。ですから、オオタカ問題で騒いでいるときに、もう少しやっぱり真剣に考える必要があったんだろうと思います。道路を避けるのも結構です。そこを数ヘクタール、会場地から外すのもいいかもしれない。しかし、そういう小手先の論議ではなくて、私たちが守らなければならない自然のなかに、とりわけ守らなければならないシンボルがあらわれたときにこそ、どう共生するかということを真剣に考えるべきであった。それは、時間がかかってもやるべきであったというふうに思います。そういう意味で青少年公園に分散開催を非常に早くお決めになった。私は、渡りに船と決め込んで分散開催をお決めになったように見えちゃうとよく言って叱られるんですけれども、そういうふうに見えるような安易な分散開催の、安易に見えるといってそうじゃなかったらごめんなさいの世界ですけれども、そういうふうに見えちゃうということが非常に残念でならないわけでございます。 そのときに私は、別の開催の可能性というものを考えようよということを申し上げました。それは瀬戸全体を一つの博覧会会場にするんだという提案でございました。これは実体としては非常に困難であると私自身も思っています。今のBIEが認める博覧会というのはおりで囲われていて、そのなかにある一定面積がここは会場ですよと決められていて、そこにメインテーマに従ったパビリオンが展開する。さらに、そこで営業収入を上げなければならない。これが大原則ですから、瀬戸市全体が会場なんですよというと、それだけでひょとっしたらBIEの承認は得られないかもしれない。得られないかもしれませんけれども、私たちが全く新しい理念で、全く新しい地球創造という概念で、自然の叡智と人間の叡智を本当にクロスさせながら、新しい博覧会を目指すのであれば、共生という言葉を本当の意味で使うのであれば、そういう従来の博覧会の概念にとらわれるべきではなかった。新しいスタイルの博覧会を提案し続けて、それでBIEがだめだと言ったらそれでいいじゃないですかと。無責任ですけれども、それぐらいのつもりでおりました。つまり、おりに閉じこめられた博覧会から何とか脱却しなきゃいかない。何とかそれを切り離してやらなければいけない。そのためには、地域型の、本当の意味での地域型の博覧会が必要なんだというふうに考えておったわけであります。 そのときに、じゃあ海上の森だけでだめで、海上の森と青少年公園をつないだんじゃだめで、瀬戸全域を1つのエリアとしたらいいのはなぜなんだと、どうしてそんなふうにおまえは言えるんだという質問が当然出てくるだろうと思うんですね。その回答の原点として、私は1,300年の歴史をやっぱり生かすべきだというふうに思うんです。1,300年の歴史のなかで、人が壊し、再生し、その繰り返しのあげくにでき上がった、今となっては非常に貴重な自然としての海上の森だけれども、そのような繰り返しをやってきたのは海上の森だけじゃないんですね。今の瀬戸のまちの下だってそうです。瀬戸のまちをどけて、その下を掘れば今でも陶土が出てくる。あるいは瀬戸のグランドキャニオンと呼ばれている陶土採掘場がございますけれども、あれこそまさに1,300年の歴史を代表するような、人間と自然のかかわり合いである。あれを破壊と呼び、海上の森を保全と呼ぶのは簡単でありますけれども、破壊も保全も実は人間の思惑と、人間の勝手な方針と、人間の経済的な価値づけによっておこなわれているという意味では全く同じ行為なんですね。だとするとその2つを対極に置きながら、私たちと自然とのかかわりというものをきっちり再認識する。地肌がえぐられたところを見るのは嫌かもしれないけれども、地肌がえぐられて、本当に自然が痛めつけられて、しかしその痛めつけた自然のなかから、私たちはあのすばらしい芸術品を含めた陶磁器産業を維持してきたし、これからも持続していくことができるという誇りを片一方で持っているわけですね。そういうものと、今、たまたま使われなくなって、植林をされたり、木々が切られずに保存されることによって復元しつつある海上の森とどっちが大事だ、てんびんにかけてどっちが大事だというときに、一般的にはそれは海上の森が大事です。片一方は穴だらけにして赤土だらけにしているんだから、そんなものと比べようもないとおっしゃるかもしれないけれども、1,300年の歴史と、まさに人間の叡智を傾けて、営々と自然と闘ってきた。自然と調和しようとして生きてきた。その姿は同じなんですね。そういうモニュメンタルなものが瀬戸の至るところにあります。そして、それを基盤とした産業が厳然と存在してきたわけですね。 最近、陶磁器産業はあまり元気がありませんけれども、それでもやっぱり瀬戸の基幹産業だと、地場産業、おくれた産業、消滅しつつある産業なんてみんな思っているかもしれないけど、そうじゃないんですね。やっぱりそれが瀬戸を支える非常に大きな産業基盤である。それは忘れることできない。私たちが、自然を大事だと思い、これから自然を守りながら、自然を守るというのは不遜な言い方だとすれば、自然の懐に抱かれながら一緒に生きていくということを考えるときに、海上の森だけ見ていてはだめだと思うわけです。海上の森は1つの極端な事例、グランドキャニオンはもう1つの極端な事例で、その間にいろいろな利用の仕方、いろいろな活用の仕方、いろいろな私たちと自然との結びつきというものが存在していたのだ、いや、現実に存在しているのだということを理解する必要があるだろう。それこそが地域博覧会であり、同時に世界へ向かって私たち日本人が自然といかに友好的につき合ってきたか、いかに自然を大事にしてつき合ってきたかということの証しとして示すことのできるものだというふうに考えたいわけです。陶土採掘場を見ると、破壊の跡だとおっしゃる方があるかもしれないけど、これは破壊の跡ではなくて、人間が自然を利用しつつある1つの形態なんだというふうに頭を切りかえていかなきゃ、これからの瀬戸のイメージづくりというのは非常に難しいだろうというふうに思います。 そういう意味で、地域の歴史に根ざしたテーマというものをきちんと実現しなきゃいけないと思うんですね。そういう観点から見ますと、博覧会イメージ、いろんなところで博覧会協会もご提示になりますけれども、やっぱり抽象的すぎる。具体的に人間の暮らしが見えてこない。自然が大切であると言えば言うほど人間の暮らしが見えてこない。人間の暮らしが見えない博覧会なんかやる必要はありません。人間がいかに知恵を持って生きてきたか。19世紀は19世紀なりに、パリの博覧会はパリの博覧会なりに、あの時代に先を見通して、人間がどう知恵を使って生きてきたかということをあらわにしているのだし、シカゴ博もそうです。大阪万博も、つくば博もそうだったと。だとすれば、21世紀にこれから入ろうとしている今、私たちが21世紀型の人間と自然のつき合い方の1つのモデルを、やっぱりきちんと提示すべきだ。そのときに、きれいなものだけで、美しいものだけで自然を語るなどということはもはやできない。そこをきちんと理解しなければ新しい環境をテーマにした博覧会なんかできないと思います。 そういう具体的な人間と自然のつき合い方を少し横に置いて、環境博覧会をやりましょうというのはハノーファーで十分です。ハノーファーはそれを実践していらっしゃる。今年開かれますけれども、環境博はそういうかたちでおこなわれます。しかし、そこには、その地域で土とともに、あるいはその地域の木々とともに生きたその息吹などというものは、歴史の温かみなどというものはおそらく感じられない。ハノーファーへ行ったらすごいなと思うかもしれませんけれども、少なくとも具体的に地域と密接した、そこで自然の叡智が感じられる、そんな博覧会であると思いません。もしそれができるとすれば、海上の森を中心としたこの瀬戸のEXPO2005でしかないというふうに思います。だからこそ本当はきょうだってここに反対派の人が、「自然を壊しちゃいかん、さわっちゃいかん」と言う人たちがいっぱいここへ来て、ここで大激論を僕は本当はしたい。でも、もうそういうことすら議論にならないぐらいに、残念ながらEXPO2005のイメージはだんだんと市民感覚から遠ざかっていってしまっている。そこのところを通産省の方も、博覧会協会の方も、県の方も、瀬戸市の方もやっぱり考えなきゃいけないだろう。どうすれば市民の感触を、市民の自然に対する思い、地域に対する思い、歴史に対する思い、人間の暮らしに対する思いというものを受け止めてくださるようになるかと、別の視点でいえば、どうすればもう一度市民の温かい意見が博覧会に寄せられるようになるかということを、私たちは真剣に考えなければいけないというふうにここ半年ぐらい僕は考えているわけです。6月に提言を出させていただいてからずっと考えていた。 ところがそんな矢先にこれですよね。「万博計画、大幅修正迫る。BIE、通産省との会議録全文」と。こういうものが隠されているということ自体、大変不愉快でありますけれども、それはしょうがない。行政機関の常套手段だからそれはしょうがないけれども、そこでこれがあらわになったときに、一体、通産省や県や博覧会協会は何を考えたか。ともかくBIEへ行って言いわけしてこようと、そのことばかりをお考えになったのではないでしょうか。そうじゃないんですね。BIEに指摘されたことは瀬戸の市民がとっくの昔に、あるいは日本の自然保護団体がとっくの昔に指摘してきたことばかりなんですね。そこのところをすっ飛ばして「実は、あれは外国語を訳して、外国語には日本のような細やかなニュアンスがないから、ついつい翻訳するとあんなふうにきつくみえちゃううんですよ」なんて言いわけしているばかな通産省の役人がおりましたけれども、そんな問題じゃないんですね。突きつけられた問題は非常に深刻な問題であり、同時にこれが突きつけられることによって、瀬戸を中心とした博覧会の周辺住民にとっては、もう一回発言のチャンス、逆に言いますと、もう一回発言の責任が発生したのだというふうに私は考えているわけです。 ですから、ここでBIE、博覧会国際事務局の指摘をやっぱり真剣に受け止めなきゃいけない。何とか理解をしてもらいましょうなどというのは、ごまかしに過ぎない。新住計画を普通の住宅建設というふうに思われているみたいだけどそうじゃないんだと、いくら言ってもだめです。あれは、やっぱり普通の住宅建設計画以外の何物でもないのですね。なぜあれが普通の住宅建設以外の何物でもないかということを1点だけ申し上げておきたいと思います。 海上の森が中心の博覧会の、最もメインの部分を先行的に造成する。その造成費用が500億くらいかかるんだそうですけれども、500億には造成費用プラス建設費用も入っているんですかね。その500億が投資されないと、博覧会会場そのものができない。それはそうなのかもしれません。そういうふうにみんな思ってやってきたのかもしれない。だけど、「新住計画は県の仕事です。その上で博覧会をやれと通産省に言われました」って博覧会協会の黒田さんがのうのうと言ったというふうに書いてありますけど、本当かうそかは知りませんよ。黒田さんがそんなこと言ったかどうかわからないけれども、もしそうだとすればこんな無責任な話はないんですね。常に、新住計画は博覧会計画と一体である。新住計画がつぶれたら、博覧会もだめになる。県も協会も、その一点で突っ張っていらっしゃる。新住がだめなら博覧会はだめと、これは無理心中です、こんなのは。こういう無理心中をさせちゃいかんのです。ここはやっぱりはっきりと分けて、新住計画とは一体何であるのかと、それが本当に後生に残る、2005年に博覧会が終わって、一応のかたちができるのがそれから10年ぐらいの2015年ぐらいでしょうか。その間かけて21世紀を代表するような新しい住宅地になっていくのかということは問題でありますけど、私はその前段階で、そもそもそんな住宅地が要るのか、あるいはある地域を、環境問題をベースにして考えた地域を切り売りして、定住民をこさえて、新しいまちづくりができるというふうに考えるのは非常に古い発想だというふうに、私は思います。もちろん、そこに住む人たちは近くの新しい新技術を開発する研究所のスタッフかもしれないし、研究員かもしれない。あるいは緑豊かなところに住んでいれば、おのずと自然を大事にし、森とともに生きるような性格を持った市民が育っていくんだ、なんてことがどこかに書いてありましたけれども、そうかもしれません。しかし、あの地域を切り売りすることによって起こるのは、従来型開発。すなわち瀬戸の周りで行われてきた、民間企業が造成し、あるいは住都公団が造成し、それを切り売りしながらお金を回収して、要するに投資したものを引き上げてチャラにして、そして結果として住宅地が残る、定住民が残るというようなスタイルにほかならぬわけですね。私は、こういう新しいプログラムのなかで、その地域のなかに定住民などというものをつくり出してはいけないというふうに、今、考えています。なぜかといいますと、定住民というのは、必ずその地域で保守的住民にならざるをえないからです。 実は、私は、お隣の多治見市に住んでおりますけど、多治見市で民間デベロッパーが山の上を切り開いてつくった最も環境破壊型の団地に住んでおりまして、戸数が2,000を少し超えます。住民数が8,000人を超えます。でき上がりましてもう15年ぐらいになるわけです。18年ぐらいですか、私が住み着いてそろそろ15年でございますから。その間に何が起こったか。一番最初にだれが住みついたかというと、働き盛りが住みついたんですね。今から15・6年前。バブルの始まりのころですね。人々がどんどん家を買う。ローンを組んで家を買って、10年、15年すると周りの土地がどんどん上がっていきますから、そんなに高い買い物をしたというふうに思わなくなっちゃうんですね。そこで、私も、35歳で丸ごとローンで家を建てましたけれども、今50歳ですね、15年。そこで子供たちが育つ。 子供たちは育つんですけど、1つ問題がある。大規模住宅団地、2,000軒くらいが大規模かどうか怪しいけれども、その住宅団地は他の地域との連携を持たないんですね。新住のことを考えますと、それは、そのまま今後の瀬戸市がとる施策の問題ですから、瀬戸市が重要な住宅地の1つだというふうに位置づけられれば、また話は変わってくるかもしれないけれども、一般的には孤立した住宅団地ができ上がるのです。そして、そこで子供たちは団地のなかの小学校に通い、その近隣の中学校に通い、もちろんもの好きな子は森と親しむかもしれないけれども、どんどん育っていきます。高等学校に入ろうとするその段階で、実は、地域一体などという夢は吹っ飛んじゃいまして、その周りの旧来の生活のなかで暮らしてきた人たちと、全く対等に生きていかなきゃいけない。そのときに高校進学がどうだの、大学進学がどうだのという話になってまいりますと、全くその新住計画のなかには含まれない要因で生きていかざるをえなくなってしまう。そして、それを過ごしますと、その次は就職しなければいけない。一体どこへ就職するか、瀬戸に就職するんですか。瀬戸にどれだけ企業があるんでしょうか。みんな名古屋へ行くんでしょうか。あるいは、東京や大阪へ行っちゃうんでしょうか。 私の住んでいるところは「ホワイトタウン」という名前で、えらいきれいな名前だなと思って入ったんですけど、15年たちますと、元若者、元青年がみんな白髪頭のシルバータウンだと言われるようになって、あと15年たったら墓標だらけのそういう住宅になってしまうかもしれない。もちろん、新住はそんなものじゃないとおっしゃるかもしれないけれども、そこに定住民をつくったら必ずそうなるんです。そこだけで生活させる、あるいはほかではできないようなことをそこだけでやって、そのなかだけで自己完結させるような地域をつくっていくと、必ずそうなって、最終的には人が住めないまちができ上がってしまう。住宅地はできたけれども、まちづくりはできなかったということに必ずなってしまうんですね。「そうではないのだ」、「そんなものを、私たちはつくらないんだよ」とおっしゃるのであれば、具体的にどういうまちづくりを考えていらっしゃるのか、やっぱりきちっと言わなきゃいけない。下水道がどうのとか、ソーラーハウスがどうだとか、そんな話じゃないんですね。人間が暮らしていける街になるのかどうなんですかというところを含めて、きちんとお考えにならないと新住計画は破綻してしまう。 そういう新住計画を前提に、しかも造成した土地を売り飛ばすことによって資金を捻出して、会場の整備に充てようというような発想がもしあるとすれば、これはBIEが指摘したとおり、大変BIEの理念や権威を汚すものでしょうし、それでは国際的な理解を得られないだろうというふうに私は思います。そんなものに頼らなくても、といっても何も僕は跡地を公園にしようなんて言ってるわけじゃありません。跡地をどうするかこれからじっくり考えていただいて結構でありますけれども、そういうかたちで先行投資だ、最終的には金を回収してチャラになるんだと、余分な出費をしなくていいんだということだけで未来型都市づくりはできないし、ましてや「自然の叡智」と対等にやり合える「人間の叡智」が出てこようとは思えない。そのあたりを実は、東京や通産省のなかで考えるのじゃなくて、瀬戸のこの現場で考えていただきたい。瀬戸に暮らす人々が、どこでどんなふうに、何を見て、何を糧として暮らしているかということを、きちっと理解しながら考えていただきたいというふうに思うのです。 一方、瀬戸のまちはじゃあどうなんだと。瀬戸市民はそういうことを考えて博覧会をきちっと見てきたのか、新住計画を考えてきたのか。残念ながらそうでない人がたくさんいたというか、一部の人は確かに非常に真剣に考え続けていらっしゃいますし、いろんな提言もなさっておりますけれども、どちらかというとやっぱり棚ぼた、棚からぼたもちで、何かおこぼれがあったらいいなというのが大方の意見であったような気がしてならない。これは別に瀬戸の人をおとしめて言っているわけじゃありません。ビッグプロジェクトというものが近づいてくるとみんなそうなっちゃうんですけれども、しかしそれはいつまでも続くものではないわけですね。 なぜ棚からぼたもちにならないかというと、非常に大きな問題として、従来の地域開発型プロジェクトと、ここであえて掲げた環境理念の間には、あまりにも差がありすぎた。そこが一番大きな問題点だろうと思います。博覧会は、やっぱり地域開発型プロジェクトなんですね。中部国際空港と並び、東海環状自動車道や第2東名名神と並ぶ地域開発型プロジェクトなんです。その発想は、博覧会協会がお考えになった環境理念とは根本的に相入れない。時代でいうと、20世紀と21世紀の違いなんです。そのところを考えずにビッグプロジェクトを夢想して、その発想のままで瀬戸で環境を考える博覧会がおこなわれれば、その博覧会に人が来るためにアクセスはよくなるだろう、交通はよくなる、道路もできるかもしれない、電車も来るかもしれない。結局、何も来ないんだけれども、そういうことを瀬戸の市民は考えた。そのときについでのことながら中心市街地ももっときれいになればいいのにねと、これは、別の通産のお金でしょうから直接は関係ありませんけれども、みんな一体で考えようとした。これは、まさに「地域からの発想の貧困」以外の何ものでもないというふうに思います。 なぜ瀬戸はそのように「地域からの発想の貧困」を招いてしまったのかということを考えるときに、これは瀬戸だけではなく、多くの地方自治体がそういうことを考えますときに陥る一番大きなわなですけれども、1つは地域の自己分析ができていない、欠如している。わが地域はどいういう構造をもったまちなのかということがやっぱりきちんと分析できていない。だから漠然と1,300年陶器のまちだというイメージを払拭できない。払拭すればいいと言ってるんではないんですよ。そういうイメージしか持てない。実は、このなかには内陸型の日本でも有数のいいかたちで展開した内陸工業団地を持ちながら、なおかつそういうものが1つの中心として機能できないような構造がある。これは瀬戸がみずからの経済的な、あるいは地域環境的な自己分析を怠っているからだというふうに思います。 それから、今の話とちょっと矛盾するかもしれませんけど、地域の財産というものをきちんと自己評価できない。1,300年の歴史だと皆さん口を開けばおっしゃる。でも1,300年の遺産として、私たちは何を引き継いでいるのか、何が誇れるのかというときに、そこのところが非常にあいまいなんですね。 きょうもあえて言いますけれども、いつもこれを言って瀬戸のあちこちで叱られて、嫌がられるんだけれども、皆さんは自分の子供たちを陶磁器産業に携わさせる、そういうところに就職させる気がおありでしょうか、あるいは若者の皆さんはそういうところで働こうと思うだろうか。一番端的に言いますと、これまたすごく嫌がられる。皆さんは自分の子供を瀬戸窯業高校に自信をもって送りたいと思われるだろうか。そう言うと「いや、そんなこと言ったって、それとこれとは話は別ですよ」とみんなおっしゃる。そうじゃないんですよね。1,300年の歴史とそれにもとづいて大きく成長してきた地場産業、これが非常にここの地域の活性化のために大事だと本当に思っていらっしゃるのだったら、みんな自分の子供の尻をたたいてそういう生活にさせればいい。今の子はなかなか尻たたいたって言うこと聞かないですけどね。だけどもそういう教育なり、そういう地域的なインテンションというものが、当然あってしかるべきなんだけれども、なかなか出てこない。「もう、もうからんから廃業したいな」というようなおじさんたちが集まってきて、「どうしよう、どうしよう」と言ったって、これはどうしようもないですね。そういう意味でみずからがお持ちの財産を自己評価していらっしゃらない。だからこそ、地域の目標が設定できないんですね。 市役所はいつも、どこでもそうですけれども、地域と総合開発の計画をつくりますよね。瀬戸市は平成6年でしたか、4次総というのをつくりました。そのなかでそういう総合開発計画というのは、基本的には総花的なもので、「あれも食いたい、これも食いたい」ということで羅列されるものなんですけれども、僕は「あれも食いたい、これも食いたい」でもいいと思う。いいと思うけれども、それは夢物語であっちゃいけないんで、どういう順番で、どの金を使ってやっていくんだというイメージがやっぱり背景にないといけないのではないでしょうか。 そう言いますと、どこの市長さんもこう言うんですね。「いや先生、そうは言うけれども、これはこういうふうになったらいいねということを一生懸命書いていって、このなかで1つでも2つでも実現していくのが行政の仕事です」とおっしゃるけれども、それははなはだ無責任です。大体、総合開発計画というものは10年単位で行われますけれども、10年間で到達するとどこまで行くんだ。計画立てた段階で、これは80%到達するんです。あるいはこれはちょっと夢物語が多いから50%しかできないかもしれないけれども、そこまではやるんです。そのための財源としてこれを考えるんですというところがなかったら、まちづくりなんかできたもんじゃない。そうですよね。つまり、要するにこういうことです。瀬戸のまちをどんなふうにしたいのか、どんなふうにするのかというイメージづくりが決定的に遅れている。決定的に遅れているからあの瀬戸川プロムナード、中心市街地活性化、私も委員でお手伝いしたというのか、連座したというのかよくわからないけれども、並ばせて座らせてもらっておりましたけれども、中心市街地で何ができるのか。あれもずいぶんいい作文でございまして、通産省の受けはいいんだそうですけれども、しかし実際問題として、それを実現するために財源をどうするんだと、瀬戸市はどういう財源を確保することができるんだということがやっぱりないんですね。 今、地方分権の時代に突入いたしまして、だんだん国が持っていた権限が地方に委譲されてまいりまして、地方自治体の権限がだんだん大きくなってきて、まだまだ不十分ですけれども、地域のことは地域で考えて、地域で自己完結しなさいよと言われる時代がやってきている。そのときに総花的なイメージを持つんじゃなくて、どんなまちにするのか、そのためにどんな財源が必要なのかということを考える必要が大変重要だろうというふうに思います。本当はそれをきっちり考えるのがここ10年ぐらいの瀬戸の仕事。私たちを含めて、私たちがお手伝いできるものがあればそれも含めて瀬戸市の仕事だっただろうと思うけれども、その努力は非常におろそかにされたとは言いませんが、不十分だったと思うんですね。 たとえば、せとものはたくさん売れてほしい、地場産業の活性化、それはそのとおりですよね。そのためにどんなふうにして人を集めるんですか。瀬戸は、日本中から陶磁器の勉強に若者や中年がやってくる。そういう人たちを養成する学校があります。教育機関があります。さあ、そこを出た人たちが、じゃあ瀬戸市に定住する可能性があるんでしょうか。最近、どうも定住率がどんどん落ちてますね。ちょっと修行したらすぐどこかへ行っちゃう。そういう話になってますよね。それはやぱり問題がある。 あるいはここは陶磁器のまちだから、陶磁器を買いに来てほしい。観光客を誘致したい。いいでしょうね、観光客が来てくれたらありがたい。今、瀬戸のまちに年間にやって来る観光客の半分ぐらいは春と秋の陶磁器祭り、陶祖祭だとかせともの祭り、ああいうところで集中的にやって来て、平日は本当にほとんどいない。土曜日、日曜日は若干のお客さんが来ますけれども、尾張瀬戸の駅前に市の観光協会の案内所というのがあって、あれがずいぶんお客さんを減らしているのだろうと思うけれども、非常に親切に、何を聞いてもわからないという案内をしてくれるものだから、だれも来なくなっちゃう。それでも計画書を書くと、いろんな計画を立てると、このまちには外来者がたくさん来るようにと書いちゃうわけです。 あるいは成熟したまちにして、中心市街地に住んでいる市民たちが、「遠くまで買い物に行かなくてもいいように、商店街をきちっとしましょうよ。商店街できちっと生きられるようにしましょうよ」とおっしゃる。いいことです。それもいいことです。これから高齢化社会を迎えますから、みんなが車に乗っていけないんですよね。イトーヨーカ堂なんかに走っていけない。ダイエーへ行けない。そうすると自分の家の近くの商店街、そんなに十分でなくてもいいんですね。そこへきちんと通えるかどうか、そういうまちをつくらなければいけない。そうすると市民としての要求が充足されるまち、それも市民としての要求といったって、老人世帯もあれば若者もある。異なった要求を持った人たちが参加して、充足されるようなまちづくりができるのかどうかが問われる。その上に外来者、観光客にも来てほしい。「そのためのインフラの整備をしましょうよ。見てもらえるものをつくりましょうよ」といろんなものできましたよね。二十一世紀工芸館、ああいうものができていきます。そういうかたちが1つありますね。 それから、瀬戸は13万人の人が生きてますから、生活するまちですね。生活するまちにはいろんな問題が出てきます。ごみの問題もある、道路の問題もある、下水道の問題もある、まだまだ瀬戸は十分だと言えない。そういうまちづくりをどうするんだ。これは、多分4次総にも書いてあったと思う。大変重要な問題だと書いてあります。書いてあるけれども、それをきちんとどういう順番でやっていくかという施策がなかなか立たない。なぜ立たないかというと、片一方で生活するまちだと規定しておきながら、同時にそこが、地場産業の生産のまちだからなんですね。そういうふうにいろいろなイメージで不整合に語られていく。 最近ですと「自然あふれるまちづくり」だの「整備されたまち」あるいは「バリアフリーのまち」、いろんな言葉で語られますけれども、そういういろんなものが混在一体となっている。モダンなものも伝統的なものも、新しいものも古いものも、若さを象徴するものも高齢者にとって必要なものも、渾然一体となって出てくる。そういうものをごちゃまぜに主張しているのが今の瀬戸なんですね。何も瀬戸に限らないかもしれません。この近隣はみんなそうなのかもしれない。「それはまあ計画だからしょうがないや」とおっしゃるかもしれないけれども、実はそれを考えるときに、まずじゃあ財源はどこにあるんですか。地域産業が頑張ってます。しんどいけど頑張っています。後でまた伊藤さんがいろいろおっしゃってくださると思うけれども、確かに頑張ってる。頑張ってるけれども、そういう頑張って稼いでくれた事業所から出てくる税金でもってやっていけるのか。あるいはどうも瀬戸も住宅都市化が進んでおりますから、名古屋市民がいっぱいいる。昼間は名古屋で働いて、お金を瀬戸に持ち帰ってきて、そこで固定資産税だの住民税だのを払って、それを財源としてまちづくりに提供しているという人たちもたくさんいる。そういう人たちのお金を当てにするのか、さあどうするんだという話がやっぱり残ってきたと思うんですね。 今、そういうまちのなかで、実は博覧会とかかわりなく、どんなまちにしていかなきゃいけないのかということが問われている。もう10年以上前から問われている。4次総の前から問われている。そこへ降ってわいたように博覧会計画が出たときに、「さあ、この金を使えばインフラ整備ができるぞ」というふうに思い込んだのかどうか、そこが僕は瀬戸の今後の分かれ目だと思います。それに寄っかかってやろうよというふうにもし思ったんだったら、博覧会が頓挫したらもう瀬戸のまちはこの次、立ち直るべき寄る辺を持たないんですね。そうじゃなくて、自分たちのまちづくりのプランニングを地道に考えて、あの高邁なるテーマを掲げている博覧会と「こんなふうに積極的につながれるよ」「私たちの思いはここで展開できるよ」というふうに瀬戸の人たちが思って、あるいは行政が思ってやっているのだったら、僕は博覧会のあり方を通して、瀬戸はもう一回再生できるというふうに思っています。いずれにしても瀬戸市民が具体的に動かなきゃどうしようもないと思うんですね。 そこでまちづくりといいますと、やたら流行っているのが市民参加ですとか、あるいは民間主導型開発なんてことを言いますね。市民参加も大事かもしれない、民間主導も大事かもしれない。特に、今はお金がないときですから、先ほど財源はどうするんだといったのですが、財源がなくとも民間をうまく使えばやっていけるよという話になってくるかもしれないですね。うまくいけばそれでいいです。だけど、おおむね民間主導とか市民参加というのが、1つ大きな問題をはらんでいる。それは何かというと、行政が営々と蓄積してきた技術的な裏づけを崩壊させる危険性をいつでも持っているということです。 行政の人はみんな頭がいいというわけじゃありませんけれども、行政は技術者集団ですから、1つのノウハウをきちんと持っているんですね。そのことは否定してはいけない。「瀬戸の市役所、何もやってくれん。あそこはばかばかりおって」と市民はよく言います。僕も横で見ていて、なるほどなと思うことがないわけじゃありません。しかし、行政のなかにはそれぞれに専門家がいるんですね。専門家がつくるプランニングというのはある意味では非常にすっきりとしているんです。それしかないというプランをたくさん出してくるんです。ただただ問題は、それだけで突っ走ると市民の思いがなかなか伝わらないし、市民の願いがすぐ脱落してしまう。だから市民の願いをどうそこに組み込んでいくのかというのが、市民参加のあり方なんだけれども、最近はそうじゃなくて、市民がいろんな言いたい放題のことを言って、そしてそれをもとに、本当はこんはふうにした方がいいのになと思うプランニングを壊しながら、新しい都市づくりをやるということが往々に起こってしまっている。瀬戸はそういうものが激しいのか、「いやそうではないよ」とおっしゃるのかよくわかりませんけれども、私の住んでいる多治見市なんかでも同じようなこと起こっている。名古屋市なんかでも起こっている。だとしますと、市民参加をやっぱりよほど注意してやらなきゃいけない。市民だったらだれでも1票投票権がありますから、どの人の意見も平等に聞かなきゃいけない。そのとおりです。それが民主主義というものです。 しかしながら、ある1つのプランニング、ある1つのまちづくり、ある1つのイベントへの参画ということに関して言いますと、本当に自立した、本当に自覚的で、かつ行政とうまく対話が可能な人たちの意見をどう集約していくのかということが大事なのであって、安易に賛成派と反対派のどっちが多いかということで、物事を決めてはならないと思うんですね。残念ながら、博覧会をめぐる動きのなかで、瀬戸市はそういう賛成・反対の意見をうまくインテグレートする方向に持っていくことに失敗いたしました。だから多くの博覧会に疑義を持ってらっしゃる人たちはこういう場にやってきてくれない。僕たちは博覧会推進の立場でこういう催し物をやっているわけじゃありませんで、博覧会って何だろう、博覧会が地域にどういう意味合いを持っているのか真剣に考えたいと思ってこういうことをやってるわけで、ですから、賛成の人も反対の人も来て、ここで侃々諤々やってくださればいいんだけど、そうはなかなかならない。それはやっぱり成熟した市民の不足といいますか、きちんと議論をしてやっていくだけの力量がまだまだ整っていないのかなというふうに思わざるをえないところですね。 でも、まだ遅くありません。時間がたてばたつほど皆さん焦ってきます。6月のBIE総会に基本計画を出そうとしても無理かもしれないですね。無理だからこそ、何とか早く取りまとめて早くやりたいという意見が出てくるでしょうね。どうしてもそれが無理だったらこの年度内、10月だか11月だかにきちっと出してしまいたい。そのときに「時間がないんです。もう無理なんです」と言いながらもう一回市民参加を切っていったら、もうだれも見向きもしない博覧会にならざるをえなくなるだろうというふうに僕は考えています。そういう意味では博覧会に対する市民参加の態度も、まちづくりに対する市民参加の態度も基本的には同じで、瀬戸の市民の人たちの一人一人の自覚に寄らざるをえない。「結局のところ、市民が自覚的に動かないといかぬという抽象的議論で終わってしまうのか、おまえは」と言われそうでありますけれども、やはり「もうまちづくりの主役はあなた方一人一人です」ということを言わざるをえない。もうそれ以外にはないのですね。ただ、行政は一人一人が主役になるように引っぱり出す義務がある。市民が動かないからと。博覧会協会の方もよくおっしゃいますけれども、待ってても出てきません。それは無理やり引っぱり出さなければいけないのです。それが行政や博覧会協会や瀬戸市や県や国の仕事だろうというふうに私は考えておるわけであります。 もう時間が1時間を少し超えましたので、一回ここで私の話を終わらせていただきまして、またいろんなご意見がありましたら、討論に参加したいというふうに思っております。ご静聴ありがとうございました。 |
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TOP>NGU EXPO2005研究>第2号(目次)>W.博覧会イメージと瀬戸のまちづくり>ディスカッション |
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【ディスカッション】 博覧会イメージと瀬戸のまちづくり | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
名古屋学院大学経済学部 木村 光伸 |
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○司会 どうも、木村さん、ありがとうございました。皆様も、多少お疲れのところだと思いますけれども、引き続きステージの方で少しディスカッションを進めていきたいというふうに思います。 ○伊藤 こんばんは。伊藤でございます。木村先生のお話を承っておりまして、その感想やら、あるいは現状の瀬戸の情勢について、もう少し踏み込んだ意見といいましょうか、思いをご披露申し上げたいと思います。 ○司会 どうもありがとうございました。2つの内容をバランスよくお話をしていただきました。ここで、一度木村さんにお話を伺っておきたいんですけれども、1つは瀬戸市が出しておりますフィールドミュージアム構想。今、伊藤さんの方からお話しがありました。それと先ほど木村さんのお話のなかにも、瀬戸市のこれからのまちづくりの方向性とかイメージの話で、やはりなかなかものづくりからは抜けにくいというところは必ずあると思うんですけれども、そのあたりについてお話をいただければというふうに思います。 ○木村 私自身、経済問題に大変疎いものですから、なかなか的確なことは言えるかどうかわからないんですが、今、伊藤さんがおっしゃったように、瀬戸はものづくりベースのまちであるということ、これはもう間違いないですね。それをあいまいに言っていたのが1,300年の歴史という話なんで、私、非常に感銘を受けましたのは、伊藤さんのお話のなかで、企業なり何なり、あるいは産業構造なりが分岐点を迎えたときに、そのときに社会に何が起こっていたのか、社会的背景は何だったのかきちっと考えないといけない。まさにそのとおりだと思います。それを分析していけば、1,300年間、瀬戸がどっちを向いて生きてきたかが見えるだろうというふうに思いますから、そういう意味でも、もう一度、私たちは、1,300年を踏まえて、今のものづくりのあり方というのを考えなきゃいけないだろうというふうに思います。 ○司会 どうもありがとうございました。今のお二人の議論のなかでもいくつかの論点はあるのですが、もう一人伊沢さんの方から少し違った視点から、きょうのお話についてコメントをいただければというふうに思います。 ○伊沢 伊沢です。よろしくお願いいたします。違った視点というかたちをうまく提供できるかどうかちょっとわからないんですが、きょうは一応、ここの下のところには名古屋学院大学助教授という肩書で私の名前が書いてありますけれども、きょうは大学の教員として、あるいはこの万博プロジェクトのスタッフとしてということではなくて、私は、実は瀬戸市民でもありまして、この瀬戸市民としての立場からという、そういうお話でもありましたので、若干ちょっとまとまりがないかもしれませんが、瀬戸市民としての感想という意味で、ちょっとお話しをしたいと思います。 ○司会 どうもありがとうございました。今の伊沢さんのお話のなかに含まれているわけですけれども、ひとつ木村さんに伺ってみたいと思います。少し短絡的な言い方ですけれども、博覧会のイメージとか計画のなかで、もう少し瀬戸の位置づけを、今かなり薄まってきているところをもう少し強く出せる、何かいい論点とか方策はないのかなというのが、おそらく正直な気持ちだと思うんですけれども、そのあたりに関して、きょうちょっと最初にお話しされたなかから、もう少し詳しくお話ししていただければというふうに思います。 ○木村 まちづくりということ考えるときに、いくつものイメージになっていますね。今、伊沢先生がおっしゃったように、ふるさとをつくりたいとか、ふるさとを取り戻したいというのか、「これが私のふるさとよ、瀬戸」というイメージでもってまちづくりを進めていきたいと考えていらっしゃる人たちはたくさんいらっしゃると思いますね。だけど、もう一方には「もう、古くさいまちは嫌だ」と。「瀬戸は新しいいろんな産業を取り込んで、あるいは内発的にいろんな産業を興して、どんどんと変わっていけるまちなんだから、そういうふうにクリエイティブなまちづくりをやろうよ」という方たちもいらっしゃると思う。たとえば、中心市街地の商店街をひとつとってもそうだと思います。今までおじいちゃん、おばあちゃんがげた履きで来れた商店街、そういうものを長く続けたいなと思っていらっしゃる方もいらっしゃるだろうし、いや、もうそんなもんじゃこれからやっていけないんで、うんとモダンな、もっと言えば、セラミックシティでなくてもいいから、外来の若者たちがより集まってくるような、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんが寄ってくる何とか地蔵みたいなものでもいいんですけれども、ともかくその異質な人たちがどんどん呼び込めるようなまちづくりをやりたいという人もいるかもしれない。 ○司会 どうもありがとうございました。今の木村先生のこの瀬戸から何が発信できるかという問いかけに対して、伊藤さんあたりがどういうかたちでお答えになるのかというのを少し聞いてみたいんですけれども。 ○伊藤 ものづくりにとってもこだわるんですけれども、つくったものはやっぱり壊れる。そういう観点からいけば、はやりの言葉で言えば、循環型社会というようなものを、やっぱりある種の提案をしなきゃいけないだろうと、こんなふうに思うんですね。 ○司会 どうもありがとうございます。今の伊藤さんのお話とか、それから木村さんのお話を聞いてみますと、ものづくりと単に言いましても、われわれがイメージしているものよりも、そのなかには、やはりかなり深いものが、単なるものでは語れないようなものが入り込んでいるんじゃないかなということを痛感するわけです。 ○山村 名古屋学院大学大学院の山村です。僕も大学へ来て7年間、瀬戸とかかわってきたんですが、やっぱりそういう万博にしても、観光客にしても、一番瀬戸に来て、ああこれが瀬戸なんだということがわかる瞬間というのが、やっぱり瀬戸の地元の人と会ったときに初めてわかるんですね。それでやっぱり瀬戸の住民がいるからこそ瀬戸のまちというものが形成されてくると思っています。それで僕もこれから瀬戸とかかわっていく機会を与えられて、それでもっと市民が協力して、もっと文化事業、それが美術であってもいい、陶芸であってもいい、また音楽を通じた人とのコミュニケート、そういうものが万博を成功させる1つの大きな原動力になると思います。以上です。 ○司会 どうもありがとうございました。今のご意見のなかで、やはり今、私どもがちょっとこだわってまいりましたものづくりというものは、文化というものから見ますと一番何か最低のもののように位置づけられているわけですけれども、そういうものづくりと文化との関係、よくは産業文化とか言われたりもしますけれども、そういったところで、何か木村さんの立場からお考えがあればお話しいただければありがたいんですが。 ○木村 難しいご質問なんですけれども、山村さんがおっしゃったように、瀬戸を歩いていてびっくりしたというか、非常にイメージと違ったのは、瀬戸の人って本当に親切なんですね。おせっかいなぐらいに。このよさをやっぱりきちっと明確にしていかないといかぬと思うんですね。どういう人がおせっかいなぐらい親切かといいますと、まさに先ほど伊藤さんがおっしゃった、まちのなかで家内工業的にものづくりをやっていらっしゃる方々なんですね。僕はクラスの学生たちに、毎年「瀬戸のまちを歩いてこい。歩いてきて何でも見つけてレポート書け」という非常に乱暴な授業をやるんですけれども、みんな嫌々行きます。嫌々行くんだけれども、だれともしゃべらずに帰ってきた学生諸君は「瀬戸にはこんなものがありました」「ここへ行ったらこんな神社がありました」と言って観光案内所見たいなレポートを書くんですね。ところがふらふら歩いていたらおじさんが「あんた、どこ行くんや」「実はこんなことでまちを歩いてるんですが」と言うと、「うちの工場を見ていきなさい」と言って帰りに茶碗をもらって帰ってきたりするんですね。「それはよかったね」と言うんですけれども、そういうつながりというのがかなり明確にあるんですね。 ○司会 どうもありがとうございました。きょう最初に木村さんにお話しいただいたところの前半の部分というのは、博覧会の理念でありますとか、計画のイメージでありますとか、そういったところというのは正直いいまして、私にも十分理解できているかどうかわからない中身の濃いものでして、ただ後半の部分から、そしてわれわれが少しディスカッションした部分というのは、実はつながっているわけでして、そういうのを何となく不思議なくらい自然に感じるわけですね。そのまちづくりの話とか、そこで活動している人たちの生活とか、そうした話をするなかで、実はそれが博覧会にも自然に結びついているんだなということを、きょう私、いろいろなお話を聞いていまして強く感じたわけです。 |
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TOP>NGU EXPO2005研究>第2号(目次)>X.地域の経済実態・EXPO2005開催効果アンケート調査報告 |
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X.地域の経済実態・EXPO2005開催効果アンケート調査報告 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
名古屋学院大学 EXPO2005プロジェクト研究 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本プロジェクト研究は、2000年2月、瀬戸市地域の経営者・事業者を対象とした、地域の経済実態・EXPO2005開催効果に関するアンケート調査をおこなった。その趣旨と目的は次のとおりである。 A.2005年日本国際博覧会に対する地元企業の期待 (1)
万博に関連したビジネスに関心が相対的に高いのは鉱工業・金融・陶磁器商業・陶磁器工業部会 |
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(表1)万博ビジネスへの取り組み検討状況 (上段:社数、下段:%)
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2)
参加形態は万博グッズやお土産の製造・販売が中心 企画・計画の具体的な内容として回答が最も多いのは、万博グッズ・お土産の製造販売で、企画・計画している企業の38社(43.2%)が、この項目をあげている。次いで、会場内への展示・出展が同22社(25.0%)、建設・不動産開発関連18社(20.4%)の順となっている。 企画・計画をしている企業の比率の高い部会の中で、回答企業数のある程度まとまっている陶磁器商業、陶磁器工業部会について、その企画・計画の内容をみると、陶磁器工業部会では、グッズ・お土産の製造・販売が11社で最も多く、次が展示・出展の5社である。陶磁器商業部会では、グッズ・お土産の製造・販売が6社で1位、展示・出展4社、跡地利用関連事業3社の順となっている。このほかに、回答数の多いものとしては建設部会の建設開発(8社)、跡地利用(5社)がある(表2参照)。 これまで、各地で開催された各種の博覧会では、地元企業が博覧会に積極的に参加し、自社の技術水準を内外に示したことが、自社のさらなる技術水準の向上、対外的なイメージアップに寄与したという成果が報告されているが、このアンケートの回答を見る限りでは、多くの観光客が集まる機会を利用して、会場の内外で、自社の扱っている商品を展示・販売、あるいは、製造・販売する程度の参加を考えている企業が大部分のようである。 |
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(表2)取り込む内容 (社数)
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3)
自社の利益にプラスになることをあまり期待していない企業が半数以上 万博の開催が、回答企業に何らかの利益増加をもたらすと考えている企業は、「大いに期待できる」「やや期待できる」あわせて129社(回答企業447社の28.9%)である。U−@の質問に対し、取り組みを企画・計画していると答えた企業は88社であったから、約40社(9.2%)の企業が、自らは直接取り組まなくても、万博の開催が自社にいくらかのプラス効果をもたらすと考えていることになる。 しかし、「あまり期待できない」、「全く期待できない」と、開催効果に対して懐疑的な企業は243社(54.4%)と、過半数を超えており、依然として醒めた見方をしている企業が多い。なお、「わからない」と答えた企業、及びこの設問に対して無回答の企業の合計が73社(16.3%)にも達しているが、この中には、会場計画などが流動的なこと、展示コンセプトが抽象的なこと、など、万博の全体像が依然として見えてこないために、プラス効果を確信するに至っていない企業も多いのではないかと考えられる。 自社への万博の開催効果を「期待できる」とする企業割合を業種別にみると、金融部会(66.7%)、鉱工業部会、交通運輸部会(それぞれちょうど50%)、サービス部会(48.6%)などが期待度の高い業種である。 万博を開催すれば、瀬戸地域への来訪者が増加し、確実に売り上げ増につながることから、交通運輸部門やサービス部門で「期待できる」という回答が多いという結果は当然といえるが、それでも、「期待できる」とする企業割合が50%程度にとどまっていることは、万博効果に対して非常に慎重な見方をしている企業が多いことの現れといえよう。 また、大多数の部会で「あまり期待できない」「全く期待できない」とする企業割合が「大いに期待」「やや期待」とする企業割合を上回っているが、とりわけ「期待できない」とする回答の比率の高い部会は、貿易部会(100%)、機械金属部会(68.2%)、原材料部会(61.5%)、建設部会(61.1%)などである。 この中では、会場の整備やパビリオンの建設、さらに関連公共事業などを含めて、最も大きな受注が予想される建設部門において、経済効果に対して否定的な見方が多いことが注目される。会場建設や関連公共事業が始まれば、下請けとしての参加を含め、建設部会の多くの企業が事業に携わることになるはずであるが、アンケート実施時にはまだ決まっていなかった会場規模の縮小、跡地の新住事業や道路の建設中止、などの最近の動向について、事前に何らかの情報を入手し、収益機会に対する期待をしぼませていた可能性もある。 なお、瀬戸市にもたらされる恩恵を尋ねたU−Dの回答としては、「道路・交通網の整備」が324社で最も多く、回答企業の72.4%に達している。この問いに対して、建設部会では38社(77.5%)がこの「道路・交通網の整備」をあげており、他の業種よりも水準が若干高くなっている。にもかかわらず、収益増加は期待できないとする企業が多いということは、万博プロジェクトがまだ現実のものとしてみえてこないため、「道路や交通網の整備」があるとわかっていても、その恩恵が自社に及ぶという実感が伴わない企業がまだ多いものと見られる。 (三井 哲) |
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(表3)万博が自社に利益をもたらす可能性
B.調査結果にみる陶磁器産業の現況と問題点 |
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1.はじめに 2.設立年および企業規模について |
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表1 設立年次
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次に、企業規模を表す各指標について見てみよう。資本金については表2に見られるように1000万円未満の企業が陶磁器工業部門で39.2%、陶磁器商業部門で45.2%を占めている。比較的小規模な企業がその主体である。 また、売上高と正規従業員数について見ると、売上高については1億円未満の企業が、陶磁器工業部門で51.9%、陶磁器商業部門で38%である。特に工業部門ではピークを形成するのが1000〜3000万円未満の比較的小規模な企業であることがわかる。 また、正規従業員数については4人以下の企業数がどちらの部門でも多数派であり、瀬戸の陶磁器産業が家族を核とした経営形態に依存していることを窺わせる。特に陶磁器商業部門は個人商店依存傾向が強いと思われる。 なお、部門ごとの平均値を全体平均と比べると、陶磁器工業部門の従業員数平均は17.1人、陶磁器商業部門は14.0人であり、全体平均14.78人(1000人以上の企業を除く)と比べ、大きな差はない。この地域全体が比較的小規模な企業・事業所を中心とした産業構造であることを示している。 以上のような傾向は、前述の名古屋学院大学産業科学研究所地域研究会(1997)で報告された1995年度データに基づく調査とほぼ同る。 |
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表2 資本金
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表3 1998年度売上高
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表4 正規従業員数
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3.経営動向 |
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表5 経常利益
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表6 経常利益動向(無回答企業数は省略、比率の分母は無回答企業も含む)
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表7 ここ5年の経常利益動向(無回答企業数は省略、比率の分母は無回答企業も含む)
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表8 今後3年間の利益見通し(無回答企業数は省略、比率の分母は無回答企業も含む)
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4.経営上の問題とそれに対する努力 これまで見てきたようにかなりの苦境に立たされている陶磁器産業が、具体的にどのような問題を抱え、それに対し、どのような努力を重ねているかをアンケート項目から考えてみよう。表9は、経営上の問題について陶磁器関連各部門が多く取り上げている選択肢を上位5つまで並べたものである(一社につき三つまで選択)。 上位3つについては陶磁器関連の両部門が取り上げているものと、全体で指摘されている項目は重なっている。言い換えれば、陶磁器産業が抱えている問題がそのままこの地域の経営問題に反映されているということである。特に、従業員の高齢化は中小企業部門が多いこの地域の大きな問題である。従業員の平均年齢は、陶磁器工業部門で48.5歳、陶磁器商業部門で48.8歳であり、全体平均の45.3歳よりさらに高い。また、すでにふれたように陶磁器産業の各企業がどちらかといえば家族経営に近い小規模経営であることを反映して、後継者難を訴える比率が高く(特に陶磁器商業部門)、平均年齢が50歳を越える企業の大半がこの問題を訴えている。 ちなみに、今回のアンケートで尋ねた離職率については全体平均の4.66%に対し、陶磁器工業部門で2.6%、陶磁器商業部門で6.1%である。商業部門が若干離職傾向が強いが、たとえば、鉱工業部会の離職率が12.6%であることを考えれば、それほど高くはない。しかし、これはたびたび指摘しているように、陶磁器産業企業自体がこれ以上離職の進みようのない家族経営程度まで規模が縮小していることの裏返しであろう。 また、独自技術・開発力不足をあげる企業が多いのも高付加価値製品の製造・販売あるいはセラミックなどの素材産業に転換を試みながらも、それが円滑に移行していないことを示していると思われる。 陶磁器商業部門では「ブランド力の欠如」や「宣伝力不足」をあげている企業も比率としてはそこそこ高い。陶磁器生産に関しては優れた技術を持ちながら、それが瀬戸ブランドとして全国に広まっておらず、品質は良いが安い製品の代名詞のようにとられていることへの悩みが表れたものといえよう。陶磁器工業部門ではブランド力の欠如ということに関しては4社があげたのみで、母数から見てその比率は小さい。工業部門については販売部門と結びついたかたちで瀬戸ブランドを形成するということについてあまり関心がないのであろうか。生産・販売が一体となって商品の魅力を訴える力が多少不足しているのがこの地域の抱える問題の一端ではなかろうか。 |
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表10 経営努力を行ってる主たる項目(上位5つ)
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5.おわりに C.地域振興に関わる行政への期待 (1)
インフラ整備(U−G)に関する特性 |
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表2.地域別のインフラ期待
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注).荻山台および八幡台は回答数ゼロであった。また、原山台、西陵の回答数はそれぞれ6、9であり、地域特性をみるには留保が必要と考えられる。 (2)
地域振興策(U−J)に関する特性 |
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表3.所属部会別の地域振興策への期待
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全般的な特徴では、居住環境に関するものの比率が高い。地域振興の観点からも道路網の整備(項目10)が喫急の課題だという認識が強い。また新住事業については、地域振興への契機としては期待されていないことが分かる。 一方、陶磁器商業、商業、サービスでは、市街地活性化を地域振興の期待とする傾向が強い。消費財関連の企業だけに、瀬戸市中心の整備に期待をよせていることがわかる。ただし、これらの産業も含めて地場産業の活性化をあげるケースが多いことも事実である。瀬戸市全体の地域振興には、地場産業である陶磁器産業を抜きにしては考えられない状況がみてとれる。 |
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表4.地域別の地域振興策への期待
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注).荻山台の回答数ゼロであった。また、八幡台、原山台、西陵の回答数はそれぞれ3、6、9であ D.
アンケート:自由記述欄にみる意見 (1)万博に対する期待と批判 (2)インフラ・地域振興に関する意見と行政への期待 |
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