TOPNGU EXPO2005研究第2号(目次)W.博覧会イメージと瀬戸のまちづくり
W.博覧会イメージと瀬戸のまちづくり
【講演】 博覧会イメージと瀬戸のまちづくり
名古屋学院大学経済学部 木村 光伸
 ただいまご紹介いただいた木村でございます。第3回目のきょうは「博覧会イメージと瀬戸のまちづくり」というタイトルで、今からざっと1時間ぐらいお話をさせていただこうと思います。実は、きょうに向けていろいろ考えることをまとめておりましたのですけれども、皆さんご承知のようにここ1週間ばかり、先週のちょうど今ごろでしたでしょうか、中日新聞が報道し、きょうまた朝日新聞が非常に大きな1面トップに記事を出しておりまして、BIE博覧会国際事務局が11月でしたかに、通産省との会議の際に、非常に厳しい意見をつけていたということが明らかになったという報道がございました。残念ながら私どもには、新聞記事でありますとか、テレビの報道でありますとか、そういうところからしか一体だれがどのように発言をし、だれがどのように対応して博覧会のイメージを膨らませ、あるいは具体的な実施計画を煮詰めているのかということが見えてこないわけで、マスコミで報道されていることがすべてについても、実は本当であるのだろうと思いつつも、ひょっとしたらいろんな間違いがあるんじゃないかということも考えながらしか実態には迫れない。ある意味では非常にもどかしい思いでこの間の状況推移を見守ってきておるわけでございます。それは、ここにいらっしゃる大勢の皆さん、県とか博覧会協会の方がいらっしゃいましたら少し事情は違うでしょうけれども、多くの市民はそういう状況に置かれているということだろうと思います。
 きょうは博覧会の話を少しさせていただいて、実際に瀬戸のまち、瀬戸市民として、あるいは瀬戸にかかわりをもつ者として、瀬戸のまちづくりとこの博覧会がどう関係していくのか、あるいはどう関係しなくなっていくのかというようなあたりを重点的にお話しをし、皆さんと一緒に考えたいというふうに思います。というわけで、1時間ぐらいで話は終えさせていただいて座りますので、フロアからもぜひきょうはいろんなご意見をいただければとてもありがたいなというふうに考えております。
 まず、博覧会、EXPO2005がどんなかたちでおこなわれていくであろうかということを、やはり考えておく必要があろうかと思います。一般的にいわれておりますのは、1980年代に計画された産業博のようなものから、1996年に「新しい地球創造:自然の叡智」というテーマで提案された環境共生型の博覧会、あるいは新しい環境共生の姿をつくり出そうとする博覧会のイメージへと、ある意味では180度転換したわけです。180度転換したんですけれども、ではすべてがきちんと転換したのだろうかといいますと、必ずしもそうでなかったところに今日の混乱のもとがあるというふうに、私は思っております。端的に申しますと、博覧会としての位置づけと、そして今、跡地利用というふうに一般的に言われておりますけれども、新住宅計画とのイメージの乖離といいましょうか、考え方の相違といいましょうか、そういったものが、今、非常に深刻な状況として噴き出してきているというふうに言っていいのではないかと思います。
 「新しい地球創造:自然の叡智」という、とってもすばらしいテーマだというふうによく言うんですけれども、実は、この「新しい地球創造 自然の叡智」って一体どういうことを言っているんだろう、どういうことをイメージしているんだろうということをはっきりと具体的にお示しいただいたことって、多分、博覧会協会からもないし、通産省からも県からも瀬戸市からもほとんど一度もないんじゃないでしょうか。「いや、ちゃんと言ってるよ」という意見がございましたら、また、後でお教えいただきたいと思いますけれども、実は、この理念の理解の仕方の不十分さ、不徹底さが、今日の非常に苦しい状況を生んでいるということをやっぱり深刻に反省しておく必要がまずあるんじゃないかというふうに思います。
 この「新しい地球創造:自然の叡智」というものの「自然の叡智」というのが実にくせ者の言葉でございまして、「人類の叡智」というのは昔からよく使ってきたわけですけれども、人知の及ばない自然の持っている非常に大きな人間をも包み込むような力、あるいは姿、生態学でいいますと生態系といってもいいし、生物多様性といってもいいのでしょうけれども、そういう非常に大きく人間をも包み込むようなものとして「自然の叡智」というものを考え、私たちがそれにどうかかわっていくかということをきちんと理解して、21世紀の自然観とか環境観というものをつくり出そうというのがこの博覧会のテーマ、あるいは理念の真意ではないかと、私はひそかに思っておるのです。
 もしそうだといたしますと、自然は自然として、人間とはかかわりなく存在しているというふうに言うわけにはいかないわけであります。従来、1970年代ごろまでの自然保護の思想というのは、人間が自然に触れないことをもってよしとする。自然は、自然のままに置いておくことが一番いいのだというふうに考えるのが自然保護の原点であり、自然の取り扱い方であるというふうに考えてきた。ところが80年代ぐらいから、若干、それが変わってまいりまして、なぜ変わってきたかというと、地球がとっても狭くなったからなんですね。地球の大きさは変わりませんけれども、人間の活動の範囲といいますか、活動のスピードといいますか、単位時間当たりに私たちが動く距離といいますか、そういうものが極端に大きくなってまいりまして、一方に人口増ということもございますけれども、人間がかかわりを持たない自然などというものは存在しないというふうに考えた方がいいようになってきた。地球は、ほとんど無限といっていいくらいに広いと思っていたんだけど、そうじゃないということを発見したんですね。
 私ここ25年ぐらい、南米のアマゾンの熱帯森林の調査を続けておりますけれども、この25年前と現在とでは非常に異なった状況が生まれつつある。実は、25年前だって、森林のなか、アマゾンの熱帯雨林のなかを歩きますと、原生林と呼ばれるなかでいくらでも人間の痕跡を見ることができました。たとえば、今から500年ぐらい前に、当時そのあたりにいたインディヘナ(インディオ)の人たちがその自然を利用したとか、あるいは木を切っただとか、あるいはヤシの実を食べるために、ヤシだけを切らずに置いておいたものだから、他の地域と比べるとそこだけやたらヤシの木が多いとか、多分、漠然と自然を見てみますと、単なる植生(ベジテーション)の違いだというふうに考えるようなものであっても、実は、非常に長い歴史のなかで、人間が関与してきたということをあらわすものはたくさんあるわけです。そういう実態といいますか、地球のなかで人間と自然がかかわり合ってきた歴史というものを考えますと、自然は自然として置いておけばよろしい、放置すればよろしいという話にはどうやらならないのだということに気がつくわけです。とりわけ、日本のように狭い国土に非常に大勢の人間が暮らしておりますと、必然的に人間と自然とのかかわり合いというのは、歴史的にいいましても、現状を見ましても、非常に密接にならざるをえないということだろうと思います。
 そこで、現実に私たちが自然なり、自然とともに生きるということをテーマに何かイベントを考えようというときに、自然の歴史的なあり方、自然それ自体のあり方、自然史といってもいいかもしれませんが、自然それ自体の歴史的なあり方と、そこで暮らしてきた人間の活動の歴史とか、証しとかいったものをどう全体的にインテグレートして、表現することができるのかということが問題になってくるわけです。
 そのときに、たとえば具体的に瀬戸はどうだという話になるわけですけれども、従来よく言われておりますように、瀬戸は1,300年の陶磁器の生産の歴史を持っている。磁器は新しいものですけれども、要するに焼きものの歴史を持っている。一般的に言いますと、焼き物をつくるためにはたくさんの薪が要って、そのために木がいっぱい切られて、それが里山景観をつくり出すときにははげ山をつくり、はげ山を何とかしようという人たちの努力でもって植林が行われて、また営々たる努力の後に森林が回復する。それはもちろん人間が植えて回復するという部分もありますけれども、その手助けによって自然の植生が自立的に、自発的に回復していくプロセスを持っている、というようなことでまた森が戻る。戻った森は、たちどころにまた切られて、ということの繰り返しで1,300年もの間、営々とやってきたんだと。
 実は、博覧会会場予定地の海上の森もそうなんだということがしばしば言われてまいりました。とりわけ、海上の森は、この100年、明治以降の100年間で人間の努力によって、主に戦後の努力が大きいだろうと思いますけれども、植林によって緑の回復は果たされてきたわけです。その緑というのは、皆さん海上の森へ行かれたことがあるかと思いますけれども、多くが杉とヒノキの植林でございまして、これ自体は緑の回復であり、酸素供給源の回復であり、炭酸ガスの吸着源の回復であるという意味では決して無意味ではないのですけれども、あの地域の自然を回復したのかどうかということになりますと、はなはだ疑問も残るところであります。一方、沢沿いに放置されていたり、あるいは利用するのが非常に不便であったり、湿地があったりというところで自然植生のようなものが残存していたり、徐々に回復してきたりして、今、海上の森へ行きますと、「すばらしいね、いい自然だね」というようなものができ上がってきておるわけでありますけれども、しかしそれとても人間のかかわりを免れることはできなかったわけですね。
 海上砂防池、通称瀬戸大正池と呼ばれる池がございます。私、あれを見るたびに不愉快になりまして、私がひとりで見ている分にはいいんですけれども、土曜日・日曜日に行きますと、あそこにいろんな方が観光というかピクニックなり海上の森を散策にいらっしゃる。いらっしゃる方があの海上の砂防池の横に立って、水面に骸骨のように木が残骸をさらしているあれを見て、「すばらしいね、美しいね、こんな自然を残したいね」と言うと、そのたびに僕はひっぱたいてやりたくなるんですけれども、ああいうものを片一方で自然だと、ちょっと見ればその先に堤防、堰堤が見えているんですね。だけどそこはごらんにならずに、あれを自然の1つのシンボルだというふうにお考えになる方もいらっしゃる。別にそれを考えて悪いとは申しませんけれども、少なくともその程度のイメージでもって「自然を何とかしたいね」とおっしゃるような話と、博覧会のテーマであります「自然の叡智」とは、全然違うレベルの話なんだということは、知っておく必要はあるだろうと思うんですね。
 そこで、少しもとに戻りますけれども、自然のあり方と人間のかかわり方を統合的に表現する、そういうことの表現の仕方の重要性をきちんと理解しておかなければなりません。それは、また非常に難しい。そういう表現をすることは確かに難しいんですね。難しいけれどもそこをうまく表現したら「新しい地球創造 自然の叡智」の1つの切り口が見えてくる。人間とのかかわりをきちんと見せるということができれば、私は博覧会の具体的なイベントイメージというものは膨らんでくるだろうというふうに考えておるわけであります。
 ところが、博覧会のいろんな企画、プランを見せていただいておりますけれども、非常にきれいな絵がたくさん出てまいりまして、森のなかをいくつかに分けて何とかの森、何とかの森とお名前をおつけになって、絵面としては非常にいいものが出てきているのでしょうけれども、実際にこの近くに住み、時々あそこに行き、あの辺を行き交うおばさんたちとお話をさせていただいたりしている者から見ますと、何となくそぐわない、何か違うな、何か変だなと。きれいなものが出てくれば出てくるほど何か違う。理念だけが先走っているじゃないかというような気がしてならないわけであります。
 博覧会理念イメージ、「自然の叡智」というものの意味を実際に知っているのはだれなのか。博覧会協会なんだろうか。あそこで企画している方々なんだろうか。あるいはデザイナーの人たちなんだろうか。そういう人たちも一生懸命それを知ろうとしていらっしゃるかもしれませんけれども、現実にはここ何10年間か、あるいは100年間かにわたって、海上の森とつき合ってきた地元の人たちの生活に密着したイメージ、それを離れては理念の表現方法というのは見つからないんじゃないかという気がしてならないわけであります。そう言いますと、「地元の人たちの意見はしょっちゅう聞いてます。ところがなかなか意見をおっしゃらない」「瀬戸の方々、地元が大事だ、地元が大事だとおっしゃるけれども、ちっとも地元の意見が出てこない」「具体的にこうしたらどうですかというイメージが出てこない」というふうに言われる。実は、断片的にいろんなアイデアを提供し続けていらっしゃる方々がたくさんいらっしゃいまして、後でまたご発言いただきます伊藤さんのグループは、そういうものをきっちり提言していらっしゃるわけですけれども、どうもそのあたりが博覧会協会のイメージと合わないのか何だかわかりませんけれども、全体の計画のなかにすっきりとは乗ってこないというわけですね。
 そういう意味で一昨年から昨年の春にかけまして、何となくきれいな絵面だけでいくのかなと思っておりましたところに、降ってわいたように1羽のオオタカがあらわれたというわけですね。オオタカがあらわれましたときに、私ども大学の方で緊急提言というのを5月26日でしたかにさせていただきまして、あちらこちらにまかせていただいたんですけれども、いま一つ反応がよくない。あまり読んでもらえてないのかなと思いますけれども、また後で必要な方には差し上げたいと思います。
 オオタカが出てまいりますと、途端に海上の森から腰が引けてしまった。海上の森から腰が引けて、あれよあれよと言ってる間に、「長久手の方にいい会場があるじゃないか、青少年公園だよ」というふうになって、分散開催ということになったんですね。瀬戸の市長さんは賢いから分散とは言わない。あちらの方ににじみ出していくんだと。じわじわと最後どこまでいっても原点は海上の森だよとおっしゃる。私は、これは瀬戸の首長さんとしては、大変いい言い方をなさっただろうと、今でも思っております。断固ここから離さないぞ、ここが中心でいくんだと。だけどじわじわにじみ出す方向はちょっと違うんじゃないかと私なんかは思っておりまして、そのあたりを緊急提言で書かせていただいたんですけれども、要するに広い場所があって、少々乱暴に取り扱っても文句が出ないようなところはどこかにないのか、という選択をなさった。それが青少年公園であったというふうにしか私には思えない。もしそういう選択をなさったんだとすれば、それは「自然の叡智」を求めるという根本的な理念からは非常に遠い選択をなさったというふうに私は考えざるをえないですね。おそらく「そんなことを考えたんじゃありません。非常に現実的に博覧会をどうしようかと思って、あそこしかなかったんです」とおっしゃるかもしれない。けれども実体としては、やっぱり理念を避けた。オオタカを避けたんじゃなくて、理念を避けたというのが、分散開催なり広域開催と呼ばれるものの実体じゃなかったのだろうかと思います。
 漏れ聞くところによりますと、分散開催で青少年公園、あれは結構広いんですけれども、あそこで全部やろうと思うとできないんだそうですね。なぜかというと、青少年公園というのは、県が木を植えて、努力して森をつくってきたところでございますから、それをまたぶった切って空き地にするわけにはいかない。そうすると、実際に青少年公園が広くても、使える面積は限られておるというふうになってきた。そうすると、海上の森と青少年公園とを結ぶ1つのルート、特殊な乗り物でつなぐんだそうですけれども、2つをもって1つの会場というふうに考えざるをえないんだと。実は、「自然の叡智」というものを避けようとしたことが分散会場化をし、アクセスを困難にし、なおかつ会場としての一体性を保つことを非常に困難にしてしまうという方向にいってしまった。これは、ある意味では、ボタンのかけ違いでございます。何がかけ違えたかというと、理念をまじめに考えたかどうかというところでかけ違えたちゃったんだということだろうと思うんですね。
 その後、オオタカ問題につきましては、「オオタカなんかは日本じゅうどこにでもおるんだよ。京都に行ったら神社のちょっとした森におって、そのあたりの鳥を襲っているんだよ」というようなことを言う人たちが出てきます。それもそうでしょう。僕は、オオタカは珍しい鳥だと思いますよ。貴重な鳥だと思いますよ。そうだけれども、オオタカが出てきたら、私たちが未来にかけてとか、未来をかけてというのか、私たち人類と自然とが本当の意味で共生できる、そういう哲学を求めて「自然の叡智」ということを言い出したにもかかわらす、オオタカがそこに住んでいるということだけで、その叡智を求める努力まで破壊されてしまう。そんなことでは、人間と自然との接点なんか持ちようがないということになってしまうんですね。ですから、オオタカ問題で騒いでいるときに、もう少しやっぱり真剣に考える必要があったんだろうと思います。道路を避けるのも結構です。そこを数ヘクタール、会場地から外すのもいいかもしれない。しかし、そういう小手先の論議ではなくて、私たちが守らなければならない自然のなかに、とりわけ守らなければならないシンボルがあらわれたときにこそ、どう共生するかということを真剣に考えるべきであった。それは、時間がかかってもやるべきであったというふうに思います。そういう意味で青少年公園に分散開催を非常に早くお決めになった。私は、渡りに船と決め込んで分散開催をお決めになったように見えちゃうとよく言って叱られるんですけれども、そういうふうに見えるような安易な分散開催の、安易に見えるといってそうじゃなかったらごめんなさいの世界ですけれども、そういうふうに見えちゃうということが非常に残念でならないわけでございます。
 そのときに私は、別の開催の可能性というものを考えようよということを申し上げました。それは瀬戸全体を一つの博覧会会場にするんだという提案でございました。これは実体としては非常に困難であると私自身も思っています。今のBIEが認める博覧会というのはおりで囲われていて、そのなかにある一定面積がここは会場ですよと決められていて、そこにメインテーマに従ったパビリオンが展開する。さらに、そこで営業収入を上げなければならない。これが大原則ですから、瀬戸市全体が会場なんですよというと、それだけでひょとっしたらBIEの承認は得られないかもしれない。得られないかもしれませんけれども、私たちが全く新しい理念で、全く新しい地球創造という概念で、自然の叡智と人間の叡智を本当にクロスさせながら、新しい博覧会を目指すのであれば、共生という言葉を本当の意味で使うのであれば、そういう従来の博覧会の概念にとらわれるべきではなかった。新しいスタイルの博覧会を提案し続けて、それでBIEがだめだと言ったらそれでいいじゃないですかと。無責任ですけれども、それぐらいのつもりでおりました。つまり、おりに閉じこめられた博覧会から何とか脱却しなきゃいかない。何とかそれを切り離してやらなければいけない。そのためには、地域型の、本当の意味での地域型の博覧会が必要なんだというふうに考えておったわけであります。
 そのときに、じゃあ海上の森だけでだめで、海上の森と青少年公園をつないだんじゃだめで、瀬戸全域を1つのエリアとしたらいいのはなぜなんだと、どうしてそんなふうにおまえは言えるんだという質問が当然出てくるだろうと思うんですね。その回答の原点として、私は1,300年の歴史をやっぱり生かすべきだというふうに思うんです。1,300年の歴史のなかで、人が壊し、再生し、その繰り返しのあげくにでき上がった、今となっては非常に貴重な自然としての海上の森だけれども、そのような繰り返しをやってきたのは海上の森だけじゃないんですね。今の瀬戸のまちの下だってそうです。瀬戸のまちをどけて、その下を掘れば今でも陶土が出てくる。あるいは瀬戸のグランドキャニオンと呼ばれている陶土採掘場がございますけれども、あれこそまさに1,300年の歴史を代表するような、人間と自然のかかわり合いである。あれを破壊と呼び、海上の森を保全と呼ぶのは簡単でありますけれども、破壊も保全も実は人間の思惑と、人間の勝手な方針と、人間の経済的な価値づけによっておこなわれているという意味では全く同じ行為なんですね。だとするとその2つを対極に置きながら、私たちと自然とのかかわりというものをきっちり再認識する。地肌がえぐられたところを見るのは嫌かもしれないけれども、地肌がえぐられて、本当に自然が痛めつけられて、しかしその痛めつけた自然のなかから、私たちはあのすばらしい芸術品を含めた陶磁器産業を維持してきたし、これからも持続していくことができるという誇りを片一方で持っているわけですね。そういうものと、今、たまたま使われなくなって、植林をされたり、木々が切られずに保存されることによって復元しつつある海上の森とどっちが大事だ、てんびんにかけてどっちが大事だというときに、一般的にはそれは海上の森が大事です。片一方は穴だらけにして赤土だらけにしているんだから、そんなものと比べようもないとおっしゃるかもしれないけれども、1,300年の歴史と、まさに人間の叡智を傾けて、営々と自然と闘ってきた。自然と調和しようとして生きてきた。その姿は同じなんですね。そういうモニュメンタルなものが瀬戸の至るところにあります。そして、それを基盤とした産業が厳然と存在してきたわけですね。
 最近、陶磁器産業はあまり元気がありませんけれども、それでもやっぱり瀬戸の基幹産業だと、地場産業、おくれた産業、消滅しつつある産業なんてみんな思っているかもしれないけど、そうじゃないんですね。やっぱりそれが瀬戸を支える非常に大きな産業基盤である。それは忘れることできない。私たちが、自然を大事だと思い、これから自然を守りながら、自然を守るというのは不遜な言い方だとすれば、自然の懐に抱かれながら一緒に生きていくということを考えるときに、海上の森だけ見ていてはだめだと思うわけです。海上の森は1つの極端な事例、グランドキャニオンはもう1つの極端な事例で、その間にいろいろな利用の仕方、いろいろな活用の仕方、いろいろな私たちと自然との結びつきというものが存在していたのだ、いや、現実に存在しているのだということを理解する必要があるだろう。それこそが地域博覧会であり、同時に世界へ向かって私たち日本人が自然といかに友好的につき合ってきたか、いかに自然を大事にしてつき合ってきたかということの証しとして示すことのできるものだというふうに考えたいわけです。陶土採掘場を見ると、破壊の跡だとおっしゃる方があるかもしれないけど、これは破壊の跡ではなくて、人間が自然を利用しつつある1つの形態なんだというふうに頭を切りかえていかなきゃ、これからの瀬戸のイメージづくりというのは非常に難しいだろうというふうに思います。
 そういう意味で、地域の歴史に根ざしたテーマというものをきちんと実現しなきゃいけないと思うんですね。そういう観点から見ますと、博覧会イメージ、いろんなところで博覧会協会もご提示になりますけれども、やっぱり抽象的すぎる。具体的に人間の暮らしが見えてこない。自然が大切であると言えば言うほど人間の暮らしが見えてこない。人間の暮らしが見えない博覧会なんかやる必要はありません。人間がいかに知恵を持って生きてきたか。19世紀は19世紀なりに、パリの博覧会はパリの博覧会なりに、あの時代に先を見通して、人間がどう知恵を使って生きてきたかということをあらわにしているのだし、シカゴ博もそうです。大阪万博も、つくば博もそうだったと。だとすれば、21世紀にこれから入ろうとしている今、私たちが21世紀型の人間と自然のつき合い方の1つのモデルを、やっぱりきちんと提示すべきだ。そのときに、きれいなものだけで、美しいものだけで自然を語るなどということはもはやできない。そこをきちんと理解しなければ新しい環境をテーマにした博覧会なんかできないと思います。
 そういう具体的な人間と自然のつき合い方を少し横に置いて、環境博覧会をやりましょうというのはハノーファーで十分です。ハノーファーはそれを実践していらっしゃる。今年開かれますけれども、環境博はそういうかたちでおこなわれます。しかし、そこには、その地域で土とともに、あるいはその地域の木々とともに生きたその息吹などというものは、歴史の温かみなどというものはおそらく感じられない。ハノーファーへ行ったらすごいなと思うかもしれませんけれども、少なくとも具体的に地域と密接した、そこで自然の叡智が感じられる、そんな博覧会であると思いません。もしそれができるとすれば、海上の森を中心としたこの瀬戸のEXPO2005でしかないというふうに思います。だからこそ本当はきょうだってここに反対派の人が、「自然を壊しちゃいかん、さわっちゃいかん」と言う人たちがいっぱいここへ来て、ここで大激論を僕は本当はしたい。でも、もうそういうことすら議論にならないぐらいに、残念ながらEXPO2005のイメージはだんだんと市民感覚から遠ざかっていってしまっている。そこのところを通産省の方も、博覧会協会の方も、県の方も、瀬戸市の方もやっぱり考えなきゃいけないだろう。どうすれば市民の感触を、市民の自然に対する思い、地域に対する思い、歴史に対する思い、人間の暮らしに対する思いというものを受け止めてくださるようになるかと、別の視点でいえば、どうすればもう一度市民の温かい意見が博覧会に寄せられるようになるかということを、私たちは真剣に考えなければいけないというふうにここ半年ぐらい僕は考えているわけです。6月に提言を出させていただいてからずっと考えていた。
 ところがそんな矢先にこれですよね。「万博計画、大幅修正迫る。BIE、通産省との会議録全文」と。こういうものが隠されているということ自体、大変不愉快でありますけれども、それはしょうがない。行政機関の常套手段だからそれはしょうがないけれども、そこでこれがあらわになったときに、一体、通産省や県や博覧会協会は何を考えたか。ともかくBIEへ行って言いわけしてこようと、そのことばかりをお考えになったのではないでしょうか。そうじゃないんですね。BIEに指摘されたことは瀬戸の市民がとっくの昔に、あるいは日本の自然保護団体がとっくの昔に指摘してきたことばかりなんですね。そこのところをすっ飛ばして「実は、あれは外国語を訳して、外国語には日本のような細やかなニュアンスがないから、ついつい翻訳するとあんなふうにきつくみえちゃううんですよ」なんて言いわけしているばかな通産省の役人がおりましたけれども、そんな問題じゃないんですね。突きつけられた問題は非常に深刻な問題であり、同時にこれが突きつけられることによって、瀬戸を中心とした博覧会の周辺住民にとっては、もう一回発言のチャンス、逆に言いますと、もう一回発言の責任が発生したのだというふうに私は考えているわけです。
 ですから、ここでBIE、博覧会国際事務局の指摘をやっぱり真剣に受け止めなきゃいけない。何とか理解をしてもらいましょうなどというのは、ごまかしに過ぎない。新住計画を普通の住宅建設というふうに思われているみたいだけどそうじゃないんだと、いくら言ってもだめです。あれは、やっぱり普通の住宅建設計画以外の何物でもないのですね。なぜあれが普通の住宅建設以外の何物でもないかということを1点だけ申し上げておきたいと思います。
 海上の森が中心の博覧会の、最もメインの部分を先行的に造成する。その造成費用が500億くらいかかるんだそうですけれども、500億には造成費用プラス建設費用も入っているんですかね。その500億が投資されないと、博覧会会場そのものができない。それはそうなのかもしれません。そういうふうにみんな思ってやってきたのかもしれない。だけど、「新住計画は県の仕事です。その上で博覧会をやれと通産省に言われました」って博覧会協会の黒田さんがのうのうと言ったというふうに書いてありますけど、本当かうそかは知りませんよ。黒田さんがそんなこと言ったかどうかわからないけれども、もしそうだとすればこんな無責任な話はないんですね。常に、新住計画は博覧会計画と一体である。新住計画がつぶれたら、博覧会もだめになる。県も協会も、その一点で突っ張っていらっしゃる。新住がだめなら博覧会はだめと、これは無理心中です、こんなのは。こういう無理心中をさせちゃいかんのです。ここはやっぱりはっきりと分けて、新住計画とは一体何であるのかと、それが本当に後生に残る、2005年に博覧会が終わって、一応のかたちができるのがそれから10年ぐらいの2015年ぐらいでしょうか。その間かけて21世紀を代表するような新しい住宅地になっていくのかということは問題でありますけど、私はその前段階で、そもそもそんな住宅地が要るのか、あるいはある地域を、環境問題をベースにして考えた地域を切り売りして、定住民をこさえて、新しいまちづくりができるというふうに考えるのは非常に古い発想だというふうに、私は思います。もちろん、そこに住む人たちは近くの新しい新技術を開発する研究所のスタッフかもしれないし、研究員かもしれない。あるいは緑豊かなところに住んでいれば、おのずと自然を大事にし、森とともに生きるような性格を持った市民が育っていくんだ、なんてことがどこかに書いてありましたけれども、そうかもしれません。しかし、あの地域を切り売りすることによって起こるのは、従来型開発。すなわち瀬戸の周りで行われてきた、民間企業が造成し、あるいは住都公団が造成し、それを切り売りしながらお金を回収して、要するに投資したものを引き上げてチャラにして、そして結果として住宅地が残る、定住民が残るというようなスタイルにほかならぬわけですね。私は、こういう新しいプログラムのなかで、その地域のなかに定住民などというものをつくり出してはいけないというふうに、今、考えています。なぜかといいますと、定住民というのは、必ずその地域で保守的住民にならざるをえないからです。
 実は、私は、お隣の多治見市に住んでおりますけど、多治見市で民間デベロッパーが山の上を切り開いてつくった最も環境破壊型の団地に住んでおりまして、戸数が2,000を少し超えます。住民数が8,000人を超えます。でき上がりましてもう15年ぐらいになるわけです。18年ぐらいですか、私が住み着いてそろそろ15年でございますから。その間に何が起こったか。一番最初にだれが住みついたかというと、働き盛りが住みついたんですね。今から15・6年前。バブルの始まりのころですね。人々がどんどん家を買う。ローンを組んで家を買って、10年、15年すると周りの土地がどんどん上がっていきますから、そんなに高い買い物をしたというふうに思わなくなっちゃうんですね。そこで、私も、35歳で丸ごとローンで家を建てましたけれども、今50歳ですね、15年。そこで子供たちが育つ。
 子供たちは育つんですけど、1つ問題がある。大規模住宅団地、2,000軒くらいが大規模かどうか怪しいけれども、その住宅団地は他の地域との連携を持たないんですね。新住のことを考えますと、それは、そのまま今後の瀬戸市がとる施策の問題ですから、瀬戸市が重要な住宅地の1つだというふうに位置づけられれば、また話は変わってくるかもしれないけれども、一般的には孤立した住宅団地ができ上がるのです。そして、そこで子供たちは団地のなかの小学校に通い、その近隣の中学校に通い、もちろんもの好きな子は森と親しむかもしれないけれども、どんどん育っていきます。高等学校に入ろうとするその段階で、実は、地域一体などという夢は吹っ飛んじゃいまして、その周りの旧来の生活のなかで暮らしてきた人たちと、全く対等に生きていかなきゃいけない。そのときに高校進学がどうだの、大学進学がどうだのという話になってまいりますと、全くその新住計画のなかには含まれない要因で生きていかざるをえなくなってしまう。そして、それを過ごしますと、その次は就職しなければいけない。一体どこへ就職するか、瀬戸に就職するんですか。瀬戸にどれだけ企業があるんでしょうか。みんな名古屋へ行くんでしょうか。あるいは、東京や大阪へ行っちゃうんでしょうか。
 私の住んでいるところは「ホワイトタウン」という名前で、えらいきれいな名前だなと思って入ったんですけど、15年たちますと、元若者、元青年がみんな白髪頭のシルバータウンだと言われるようになって、あと15年たったら墓標だらけのそういう住宅になってしまうかもしれない。もちろん、新住はそんなものじゃないとおっしゃるかもしれないけれども、そこに定住民をつくったら必ずそうなるんです。そこだけで生活させる、あるいはほかではできないようなことをそこだけでやって、そのなかだけで自己完結させるような地域をつくっていくと、必ずそうなって、最終的には人が住めないまちができ上がってしまう。住宅地はできたけれども、まちづくりはできなかったということに必ずなってしまうんですね。「そうではないのだ」、「そんなものを、私たちはつくらないんだよ」とおっしゃるのであれば、具体的にどういうまちづくりを考えていらっしゃるのか、やっぱりきちっと言わなきゃいけない。下水道がどうのとか、ソーラーハウスがどうだとか、そんな話じゃないんですね。人間が暮らしていける街になるのかどうなんですかというところを含めて、きちんとお考えにならないと新住計画は破綻してしまう。
 そういう新住計画を前提に、しかも造成した土地を売り飛ばすことによって資金を捻出して、会場の整備に充てようというような発想がもしあるとすれば、これはBIEが指摘したとおり、大変BIEの理念や権威を汚すものでしょうし、それでは国際的な理解を得られないだろうというふうに私は思います。そんなものに頼らなくても、といっても何も僕は跡地を公園にしようなんて言ってるわけじゃありません。跡地をどうするかこれからじっくり考えていただいて結構でありますけれども、そういうかたちで先行投資だ、最終的には金を回収してチャラになるんだと、余分な出費をしなくていいんだということだけで未来型都市づくりはできないし、ましてや「自然の叡智」と対等にやり合える「人間の叡智」が出てこようとは思えない。そのあたりを実は、東京や通産省のなかで考えるのじゃなくて、瀬戸のこの現場で考えていただきたい。瀬戸に暮らす人々が、どこでどんなふうに、何を見て、何を糧として暮らしているかということを、きちっと理解しながら考えていただきたいというふうに思うのです。
 一方、瀬戸のまちはじゃあどうなんだと。瀬戸市民はそういうことを考えて博覧会をきちっと見てきたのか、新住計画を考えてきたのか。残念ながらそうでない人がたくさんいたというか、一部の人は確かに非常に真剣に考え続けていらっしゃいますし、いろんな提言もなさっておりますけれども、どちらかというとやっぱり棚ぼた、棚からぼたもちで、何かおこぼれがあったらいいなというのが大方の意見であったような気がしてならない。これは別に瀬戸の人をおとしめて言っているわけじゃありません。ビッグプロジェクトというものが近づいてくるとみんなそうなっちゃうんですけれども、しかしそれはいつまでも続くものではないわけですね。
 なぜ棚からぼたもちにならないかというと、非常に大きな問題として、従来の地域開発型プロジェクトと、ここであえて掲げた環境理念の間には、あまりにも差がありすぎた。そこが一番大きな問題点だろうと思います。博覧会は、やっぱり地域開発型プロジェクトなんですね。中部国際空港と並び、東海環状自動車道や第2東名名神と並ぶ地域開発型プロジェクトなんです。その発想は、博覧会協会がお考えになった環境理念とは根本的に相入れない。時代でいうと、20世紀と21世紀の違いなんです。そのところを考えずにビッグプロジェクトを夢想して、その発想のままで瀬戸で環境を考える博覧会がおこなわれれば、その博覧会に人が来るためにアクセスはよくなるだろう、交通はよくなる、道路もできるかもしれない、電車も来るかもしれない。結局、何も来ないんだけれども、そういうことを瀬戸の市民は考えた。そのときについでのことながら中心市街地ももっときれいになればいいのにねと、これは、別の通産のお金でしょうから直接は関係ありませんけれども、みんな一体で考えようとした。これは、まさに「地域からの発想の貧困」以外の何ものでもないというふうに思います。
 なぜ瀬戸はそのように「地域からの発想の貧困」を招いてしまったのかということを考えるときに、これは瀬戸だけではなく、多くの地方自治体がそういうことを考えますときに陥る一番大きなわなですけれども、1つは地域の自己分析ができていない、欠如している。わが地域はどいういう構造をもったまちなのかということがやっぱりきちんと分析できていない。だから漠然と1,300年陶器のまちだというイメージを払拭できない。払拭すればいいと言ってるんではないんですよ。そういうイメージしか持てない。実は、このなかには内陸型の日本でも有数のいいかたちで展開した内陸工業団地を持ちながら、なおかつそういうものが1つの中心として機能できないような構造がある。これは瀬戸がみずからの経済的な、あるいは地域環境的な自己分析を怠っているからだというふうに思います。
 それから、今の話とちょっと矛盾するかもしれませんけど、地域の財産というものをきちんと自己評価できない。1,300年の歴史だと皆さん口を開けばおっしゃる。でも1,300年の遺産として、私たちは何を引き継いでいるのか、何が誇れるのかというときに、そこのところが非常にあいまいなんですね。
 きょうもあえて言いますけれども、いつもこれを言って瀬戸のあちこちで叱られて、嫌がられるんだけれども、皆さんは自分の子供たちを陶磁器産業に携わさせる、そういうところに就職させる気がおありでしょうか、あるいは若者の皆さんはそういうところで働こうと思うだろうか。一番端的に言いますと、これまたすごく嫌がられる。皆さんは自分の子供を瀬戸窯業高校に自信をもって送りたいと思われるだろうか。そう言うと「いや、そんなこと言ったって、それとこれとは話は別ですよ」とみんなおっしゃる。そうじゃないんですよね。1,300年の歴史とそれにもとづいて大きく成長してきた地場産業、これが非常にここの地域の活性化のために大事だと本当に思っていらっしゃるのだったら、みんな自分の子供の尻をたたいてそういう生活にさせればいい。今の子はなかなか尻たたいたって言うこと聞かないですけどね。だけどもそういう教育なり、そういう地域的なインテンションというものが、当然あってしかるべきなんだけれども、なかなか出てこない。「もう、もうからんから廃業したいな」というようなおじさんたちが集まってきて、「どうしよう、どうしよう」と言ったって、これはどうしようもないですね。そういう意味でみずからがお持ちの財産を自己評価していらっしゃらない。だからこそ、地域の目標が設定できないんですね。
 市役所はいつも、どこでもそうですけれども、地域と総合開発の計画をつくりますよね。瀬戸市は平成6年でしたか、4次総というのをつくりました。そのなかでそういう総合開発計画というのは、基本的には総花的なもので、「あれも食いたい、これも食いたい」ということで羅列されるものなんですけれども、僕は「あれも食いたい、これも食いたい」でもいいと思う。いいと思うけれども、それは夢物語であっちゃいけないんで、どういう順番で、どの金を使ってやっていくんだというイメージがやっぱり背景にないといけないのではないでしょうか。
 そう言いますと、どこの市長さんもこう言うんですね。「いや先生、そうは言うけれども、これはこういうふうになったらいいねということを一生懸命書いていって、このなかで1つでも2つでも実現していくのが行政の仕事です」とおっしゃるけれども、それははなはだ無責任です。大体、総合開発計画というものは10年単位で行われますけれども、10年間で到達するとどこまで行くんだ。計画立てた段階で、これは80%到達するんです。あるいはこれはちょっと夢物語が多いから50%しかできないかもしれないけれども、そこまではやるんです。そのための財源としてこれを考えるんですというところがなかったら、まちづくりなんかできたもんじゃない。そうですよね。つまり、要するにこういうことです。瀬戸のまちをどんなふうにしたいのか、どんなふうにするのかというイメージづくりが決定的に遅れている。決定的に遅れているからあの瀬戸川プロムナード、中心市街地活性化、私も委員でお手伝いしたというのか、連座したというのかよくわからないけれども、並ばせて座らせてもらっておりましたけれども、中心市街地で何ができるのか。あれもずいぶんいい作文でございまして、通産省の受けはいいんだそうですけれども、しかし実際問題として、それを実現するために財源をどうするんだと、瀬戸市はどういう財源を確保することができるんだということがやっぱりないんですね。
 今、地方分権の時代に突入いたしまして、だんだん国が持っていた権限が地方に委譲されてまいりまして、地方自治体の権限がだんだん大きくなってきて、まだまだ不十分ですけれども、地域のことは地域で考えて、地域で自己完結しなさいよと言われる時代がやってきている。そのときに総花的なイメージを持つんじゃなくて、どんなまちにするのか、そのためにどんな財源が必要なのかということを考える必要が大変重要だろうというふうに思います。本当はそれをきっちり考えるのがここ10年ぐらいの瀬戸の仕事。私たちを含めて、私たちがお手伝いできるものがあればそれも含めて瀬戸市の仕事だっただろうと思うけれども、その努力は非常におろそかにされたとは言いませんが、不十分だったと思うんですね。
 たとえば、せとものはたくさん売れてほしい、地場産業の活性化、それはそのとおりですよね。そのためにどんなふうにして人を集めるんですか。瀬戸は、日本中から陶磁器の勉強に若者や中年がやってくる。そういう人たちを養成する学校があります。教育機関があります。さあ、そこを出た人たちが、じゃあ瀬戸市に定住する可能性があるんでしょうか。最近、どうも定住率がどんどん落ちてますね。ちょっと修行したらすぐどこかへ行っちゃう。そういう話になってますよね。それはやぱり問題がある。
 あるいはここは陶磁器のまちだから、陶磁器を買いに来てほしい。観光客を誘致したい。いいでしょうね、観光客が来てくれたらありがたい。今、瀬戸のまちに年間にやって来る観光客の半分ぐらいは春と秋の陶磁器祭り、陶祖祭だとかせともの祭り、ああいうところで集中的にやって来て、平日は本当にほとんどいない。土曜日、日曜日は若干のお客さんが来ますけれども、尾張瀬戸の駅前に市の観光協会の案内所というのがあって、あれがずいぶんお客さんを減らしているのだろうと思うけれども、非常に親切に、何を聞いてもわからないという案内をしてくれるものだから、だれも来なくなっちゃう。それでも計画書を書くと、いろんな計画を立てると、このまちには外来者がたくさん来るようにと書いちゃうわけです。
 あるいは成熟したまちにして、中心市街地に住んでいる市民たちが、「遠くまで買い物に行かなくてもいいように、商店街をきちっとしましょうよ。商店街できちっと生きられるようにしましょうよ」とおっしゃる。いいことです。それもいいことです。これから高齢化社会を迎えますから、みんなが車に乗っていけないんですよね。イトーヨーカ堂なんかに走っていけない。ダイエーへ行けない。そうすると自分の家の近くの商店街、そんなに十分でなくてもいいんですね。そこへきちんと通えるかどうか、そういうまちをつくらなければいけない。そうすると市民としての要求が充足されるまち、それも市民としての要求といったって、老人世帯もあれば若者もある。異なった要求を持った人たちが参加して、充足されるようなまちづくりができるのかどうかが問われる。その上に外来者、観光客にも来てほしい。「そのためのインフラの整備をしましょうよ。見てもらえるものをつくりましょうよ」といろんなものできましたよね。二十一世紀工芸館、ああいうものができていきます。そういうかたちが1つありますね。
 それから、瀬戸は13万人の人が生きてますから、生活するまちですね。生活するまちにはいろんな問題が出てきます。ごみの問題もある、道路の問題もある、下水道の問題もある、まだまだ瀬戸は十分だと言えない。そういうまちづくりをどうするんだ。これは、多分4次総にも書いてあったと思う。大変重要な問題だと書いてあります。書いてあるけれども、それをきちんとどういう順番でやっていくかという施策がなかなか立たない。なぜ立たないかというと、片一方で生活するまちだと規定しておきながら、同時にそこが、地場産業の生産のまちだからなんですね。そういうふうにいろいろなイメージで不整合に語られていく。
 最近ですと「自然あふれるまちづくり」だの「整備されたまち」あるいは「バリアフリーのまち」、いろんな言葉で語られますけれども、そういういろんなものが混在一体となっている。モダンなものも伝統的なものも、新しいものも古いものも、若さを象徴するものも高齢者にとって必要なものも、渾然一体となって出てくる。そういうものをごちゃまぜに主張しているのが今の瀬戸なんですね。何も瀬戸に限らないかもしれません。この近隣はみんなそうなのかもしれない。「それはまあ計画だからしょうがないや」とおっしゃるかもしれないけれども、実はそれを考えるときに、まずじゃあ財源はどこにあるんですか。地域産業が頑張ってます。しんどいけど頑張っています。後でまた伊藤さんがいろいろおっしゃってくださると思うけれども、確かに頑張ってる。頑張ってるけれども、そういう頑張って稼いでくれた事業所から出てくる税金でもってやっていけるのか。あるいはどうも瀬戸も住宅都市化が進んでおりますから、名古屋市民がいっぱいいる。昼間は名古屋で働いて、お金を瀬戸に持ち帰ってきて、そこで固定資産税だの住民税だのを払って、それを財源としてまちづくりに提供しているという人たちもたくさんいる。そういう人たちのお金を当てにするのか、さあどうするんだという話がやっぱり残ってきたと思うんですね。
 今、そういうまちのなかで、実は博覧会とかかわりなく、どんなまちにしていかなきゃいけないのかということが問われている。もう10年以上前から問われている。4次総の前から問われている。そこへ降ってわいたように博覧会計画が出たときに、「さあ、この金を使えばインフラ整備ができるぞ」というふうに思い込んだのかどうか、そこが僕は瀬戸の今後の分かれ目だと思います。それに寄っかかってやろうよというふうにもし思ったんだったら、博覧会が頓挫したらもう瀬戸のまちはこの次、立ち直るべき寄る辺を持たないんですね。そうじゃなくて、自分たちのまちづくりのプランニングを地道に考えて、あの高邁なるテーマを掲げている博覧会と「こんなふうに積極的につながれるよ」「私たちの思いはここで展開できるよ」というふうに瀬戸の人たちが思って、あるいは行政が思ってやっているのだったら、僕は博覧会のあり方を通して、瀬戸はもう一回再生できるというふうに思っています。いずれにしても瀬戸市民が具体的に動かなきゃどうしようもないと思うんですね。
 そこでまちづくりといいますと、やたら流行っているのが市民参加ですとか、あるいは民間主導型開発なんてことを言いますね。市民参加も大事かもしれない、民間主導も大事かもしれない。特に、今はお金がないときですから、先ほど財源はどうするんだといったのですが、財源がなくとも民間をうまく使えばやっていけるよという話になってくるかもしれないですね。うまくいけばそれでいいです。だけど、おおむね民間主導とか市民参加というのが、1つ大きな問題をはらんでいる。それは何かというと、行政が営々と蓄積してきた技術的な裏づけを崩壊させる危険性をいつでも持っているということです。
 行政の人はみんな頭がいいというわけじゃありませんけれども、行政は技術者集団ですから、1つのノウハウをきちんと持っているんですね。そのことは否定してはいけない。「瀬戸の市役所、何もやってくれん。あそこはばかばかりおって」と市民はよく言います。僕も横で見ていて、なるほどなと思うことがないわけじゃありません。しかし、行政のなかにはそれぞれに専門家がいるんですね。専門家がつくるプランニングというのはある意味では非常にすっきりとしているんです。それしかないというプランをたくさん出してくるんです。ただただ問題は、それだけで突っ走ると市民の思いがなかなか伝わらないし、市民の願いがすぐ脱落してしまう。だから市民の願いをどうそこに組み込んでいくのかというのが、市民参加のあり方なんだけれども、最近はそうじゃなくて、市民がいろんな言いたい放題のことを言って、そしてそれをもとに、本当はこんはふうにした方がいいのになと思うプランニングを壊しながら、新しい都市づくりをやるということが往々に起こってしまっている。瀬戸はそういうものが激しいのか、「いやそうではないよ」とおっしゃるのかよくわかりませんけれども、私の住んでいる多治見市なんかでも同じようなこと起こっている。名古屋市なんかでも起こっている。だとしますと、市民参加をやっぱりよほど注意してやらなきゃいけない。市民だったらだれでも1票投票権がありますから、どの人の意見も平等に聞かなきゃいけない。そのとおりです。それが民主主義というものです。
 しかしながら、ある1つのプランニング、ある1つのまちづくり、ある1つのイベントへの参画ということに関して言いますと、本当に自立した、本当に自覚的で、かつ行政とうまく対話が可能な人たちの意見をどう集約していくのかということが大事なのであって、安易に賛成派と反対派のどっちが多いかということで、物事を決めてはならないと思うんですね。残念ながら、博覧会をめぐる動きのなかで、瀬戸市はそういう賛成・反対の意見をうまくインテグレートする方向に持っていくことに失敗いたしました。だから多くの博覧会に疑義を持ってらっしゃる人たちはこういう場にやってきてくれない。僕たちは博覧会推進の立場でこういう催し物をやっているわけじゃありませんで、博覧会って何だろう、博覧会が地域にどういう意味合いを持っているのか真剣に考えたいと思ってこういうことをやってるわけで、ですから、賛成の人も反対の人も来て、ここで侃々諤々やってくださればいいんだけど、そうはなかなかならない。それはやっぱり成熟した市民の不足といいますか、きちんと議論をしてやっていくだけの力量がまだまだ整っていないのかなというふうに思わざるをえないところですね。
 でも、まだ遅くありません。時間がたてばたつほど皆さん焦ってきます。6月のBIE総会に基本計画を出そうとしても無理かもしれないですね。無理だからこそ、何とか早く取りまとめて早くやりたいという意見が出てくるでしょうね。どうしてもそれが無理だったらこの年度内、10月だか11月だかにきちっと出してしまいたい。そのときに「時間がないんです。もう無理なんです」と言いながらもう一回市民参加を切っていったら、もうだれも見向きもしない博覧会にならざるをえなくなるだろうというふうに僕は考えています。そういう意味では博覧会に対する市民参加の態度も、まちづくりに対する市民参加の態度も基本的には同じで、瀬戸の市民の人たちの一人一人の自覚に寄らざるをえない。「結局のところ、市民が自覚的に動かないといかぬという抽象的議論で終わってしまうのか、おまえは」と言われそうでありますけれども、やはり「もうまちづくりの主役はあなた方一人一人です」ということを言わざるをえない。もうそれ以外にはないのですね。ただ、行政は一人一人が主役になるように引っぱり出す義務がある。市民が動かないからと。博覧会協会の方もよくおっしゃいますけれども、待ってても出てきません。それは無理やり引っぱり出さなければいけないのです。それが行政や博覧会協会や瀬戸市や県や国の仕事だろうというふうに私は考えておるわけであります。
 もう時間が1時間を少し超えましたので、一回ここで私の話を終わらせていただきまして、またいろんなご意見がありましたら、討論に参加したいというふうに思っております。ご静聴ありがとうございました。
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TOPNGU EXPO2005研究第2号(目次)W.博覧会イメージと瀬戸のまちづくり>ディスカッション
【ディスカッション】 博覧会イメージと瀬戸のまちづくり

  名古屋学院大学経済学部  木村 光伸
河村電器株式会社専務取締役 伊藤 保徳
                名古屋学院大学経済学部  伊澤 俊泰
(司 会) 名古屋学院大学経済学部  小林 甲一

○司会 どうも、木村さん、ありがとうございました。皆様も、多少お疲れのところだと思いますけれども、引き続きステージの方で少しディスカッションを進めていきたいというふうに思います。
 きょうのお話、私がまとめてもしかたがないのかもしれませんけれども、私なりにまとめますと、大きく3つのお話がございまして、まず最初は、博覧会の理念、あるいはイメージといったものと、それから自然観でありますとか、地域からの視点ということでいくつかの問題点が指摘されたわけです。それからそういった視点に立ちながら、瀬戸にとって、あるいは瀬戸の今の進んでいく方向にとって、博覧会がどういう意味があるのかといったところがお話しされて、そして最後にその2つを統合したかたちで、まちづくりでありますとか、市民参加についていくつか指摘がなされた、というような大きな流れではなかったかなというふうに思っております。
 ディスカッションを進めていくにあたって、きょうご出席いただいていますコメンターのお2人の方から、少しお話をいただこうというふうに思っておるわけですけれども、先ほど私、紹介のときに失念しておったんですけれども、今からコメントしていただく伊藤さんは、「未来創造・21せと市民の会」という市民活動の代表世話人をされておられまして、日ごろの市民活動、それから博覧会についても積極的に活動をされておられます。それでは伊藤さんの方から何かございましたらよろしくお願いいたします。

○伊藤 こんばんは。伊藤でございます。木村先生のお話を承っておりまして、その感想やら、あるいは現状の瀬戸の情勢について、もう少し踏み込んだ意見といいましょうか、思いをご披露申し上げたいと思います。
 先週の13日に、瀬戸商工会議所で経済懇談会がおこなわれました。その席上で、中部通産局の松島さんという局長が、やっぱり今、瀬戸の経済のなかで枕言葉は「2005年の国際博覧会は瀬戸にとって大変な千載一遇の」なんていうような形容詞もついて、華々しく語られるわけですけれども、そのなかの彼の言をそのままご紹介をしたいと思います。
 さかのぼって1867年、これはパリの国際博覧会の年でございます。幕府の明治維新の前年ですので、日本から幕府の使節として、一員として、日本資本主義の父ともいわれる渋沢栄一さんがパリへ行っているわけなんですね。1年数カ月、実は滞在されたようであります。もちろん博覧会の会場はごらんになりましたようですけれども、それ以外に地域に住んでる市民、あるいはこういった博覧会ができる社会的なインフラ、こういったものをつぶさに記録を取ってきた。それが、後の明治政府で大久保利通とけんかをして、明治政府を出て、日本で民間企業500、あるいは社会福祉団体600の設立の大きな素地になったと、こういうお話。
 今、木村先生が言われた地域型の博覧会ということを、この松島局長も引用されておりまして、いわゆるこれからの博覧会そのものというのは、単に大きな建物のなかに入って、何かを一過性に見て、びっくりして帰ってくるというのではなくて、むしろその周辺、例えば瀬戸エリアであるならば、海上の森のみならず、青少年公園のみならず、ひょっとしたら常滑の方、ひょっとしたら足を延ばして京都・大阪までと、実は恐らく2005年はアジアのお客様が中心になるでしょうから、そういう意味での博覧会がこの瀬戸のまちにとっての成功のキーワードではないでしょうかと、こういう話がございました。
 言葉は違いますけれども、今、木村先生のお話と大変よく似ておりまして、私自身も思っておりますのは、国際博覧会の部分でいけば、やっぱり生活するまち、物をつくり出すまち、こういったものが基本的に混在をしておって、自然の叡智と、人間のもっている、あるいは築き上げてきた叡智の相乗効果として、21世紀、われわれはどういう生き方をしていくんだよと。今こうなんだけれど、こういう方向に進んでいるんだよ、この点は実験なんだけれども、恐らくこうなるでしょう、またこうなりたいと。そのことをやっぱり地球に負荷を最低限にしていこうではないかと、こんな地球市民の共通言語のもとにアピールする。情報発信をしていく、そんなスタンスで国際博覧会がなきゃいかぬのではないかと、こんなふうに率直に思っております。
 そういう観点からまいりますと、ついこれも今年になってから、あるいは去年の暮れぐらいから、瀬戸市長が盛んにおっしゃっております「瀬戸のまちごと博物館」、いわゆるフィールドミュージアム構想というのが出ております。簡単に言ってしまえば、瀬戸のまちを東西線、南北線に分けて、海上の森に続くような、いわゆるミュージアムのラインをつくり上げていこうということで、今月の末ぐらいからいよいよ具体的な計画化段階になってきているわけです。これも翻ってみれば、地域型国際博覧会の1つの具体的な姿になってきているかなと、こんなふうに思います。
 あえて苦言的なことを言えば、でもやっぱり開発型かなと、こんな感じは否めません。ごく親しい人とはお話をしましたけれども、このフィールドミュージアムもいわゆるアプローチの仕方、あるいは実現の仕方がいろいろあろうかと思うんですけれども、私は、この部分は行政で、あるいはこの部分は事業者で、この部分は市民団体や市民の人たちでやっていく。そういういわゆる今はやりの言葉でワークシェアリングという言葉があるんですけれども、仕事の分担というのがやっぱり1つはキーになるのかなと思います。これがやっぱり1つの仕事を進めるときのデザインであり、計画であろうかと思うんですね。このデザインだとか計画のところにエネルギーがかかってないために、ただ単に言葉だけが走っている、言葉だけが遊んでいる、こんな気がしてなりません。以上が博覧会、あるいは瀬戸市の今掲げておられるフィールドミュージアム構想についての感想やら、私自身の問題意識であります。
 それからもう一点、私が、今、瀬戸市内の河村電器という会社で専務をやっておりますけれども、ものづくりという側面で少し述べてみたいと思います。先ほど、焼きものの文化、あるいは焼き物の歴史というのは1,300年あると。瀬戸市としてどういうアイデンティティがあるか、「瀬戸ってどんなまち」といったときになかなかはっきり言えないのがこの1,300年という大きな歴史の総括がきちっとされてないために、どうも瀬戸のまちを一言では言いにくい。「瀬戸内海の瀬戸ではありません」という瀬戸と、こんな言い方をしてしまっているというところもあって、瀬戸市民の1人として大変寂しい思いをするわけであります。
 それを私ども製造業でございますので、ものづくりという側面から眺めてまいりますと、もちろん陶磁器産業というのが中心的にあるわけです。私どもの会社の創業は、1919年(大正8年)でありますので、81年目を迎えるわけでございます。
 よく考えてみますと、陶磁器産業というのは山から土を掘り出しまして、いわゆる原料を成形をして、焼成をして、お皿とか食器とか、あるいはノベルティーになるわけでございます。私どもは電気屋さんでありますけれども、実は、成形の1つの商品のかたちで、電磁器という商品群があるわけですね。電磁器というのは基本的には絶縁物としては地球上の物質として非常に優秀だということで、電線を張りめぐらすときのガイシであるとか、あるいはその昔は、今プラスチックばかりになってしまいましたけれども、コンセントであるとか、あるいは照明器具のソケットのたぐい、こういったものは、全部実は陶磁器の仲間であるわけです。それに実は新しい技術を付加したというのが金属加工なんですね。そこに金属を入れることによってコンセントになったり、あるいはソケットになったり、そしてさらに進んでスイッチになったりしたわけです。
 金属加工というのが発展をいたしまして、ネジという世界が出るわけです。ネジは大変瀬戸市内に業者が多うございます。何とか「螺子」という社名のついている会社なんですけれども、このネジの世界も1つは電気の世界から来ております。それからもう1つはネジの技術に目をつけたのがお隣の豊田市なんですね。自動車関係のネジと電気関係のネジがある。さらに金属加工が進みまして、板金というようなかたちになって当社のような配電盤とかそういう品物をつくるようになっているわけです。
 簡単に私どもの会社の歴史を振り返るというと、ちょっとぼけそうですけれども、お話し申し上げましたが、歴史の総括とか産業の総括とか、これからどうあるべきかという議論をするときに、そういうたとえば分岐点のときに、どんな社会の変化、あるいはどんな顧客の、あるいは消費者のニーズ変化があったか、こんなことを照らし合わせてみれば、1,300年の歴史、1,300年の歴史と言っているんではなくて、もっと具体的に、だったら今、情報化の波ということで陶磁器の1つとしてセラミックが大変もてはやされておるわけでございます。そういう観点から、やっぱり産業とかものづくりというような部分で、おそらく瀬戸は世界に向けて情報発信できるのではないかと、こんなふうに思うわけでございます。
 以上、万博のことと、それから瀬戸のアイデンティティをどう確立していくかというときに、キーワードはものづくり、そして混在するまちを是認をして、そのなかでやっぱり生きているまち、活力あるまち、こんなまちにしていきたいなと市民の一人として思うわけでございます。以上です。

○司会 どうもありがとうございました。2つの内容をバランスよくお話をしていただきました。ここで、一度木村さんにお話を伺っておきたいんですけれども、1つは瀬戸市が出しておりますフィールドミュージアム構想。今、伊藤さんの方からお話しがありました。それと先ほど木村さんのお話のなかにも、瀬戸市のこれからのまちづくりの方向性とかイメージの話で、やはりなかなかものづくりからは抜けにくいというところは必ずあると思うんですけれども、そのあたりについてお話をいただければというふうに思います。

○木村 私自身、経済問題に大変疎いものですから、なかなか的確なことは言えるかどうかわからないんですが、今、伊藤さんがおっしゃったように、瀬戸はものづくりベースのまちであるということ、これはもう間違いないですね。それをあいまいに言っていたのが1,300年の歴史という話なんで、私、非常に感銘を受けましたのは、伊藤さんのお話のなかで、企業なり何なり、あるいは産業構造なりが分岐点を迎えたときに、そのときに社会に何が起こっていたのか、社会的背景は何だったのかきちっと考えないといけない。まさにそのとおりだと思います。それを分析していけば、1,300年間、瀬戸がどっちを向いて生きてきたかが見えるだろうというふうに思いますから、そういう意味でも、もう一度、私たちは、1,300年を踏まえて、今のものづくりのあり方というのを考えなきゃいけないだろうというふうに思います。
 そこで、ご質問に答えられるかどうかわからないのですけれども、ものづくりを基盤としたまちという、これは大変きれいな言葉なんですけど、実際どんな構造のまちなんだろうか。あるいはそこに住む市民から見れば、どういう風景のまちなんだろうか。そこのところがやっぱり瀬戸の場合もいま一つ明確でない。大きな内陸工業団地ができまして、あそこを走りますと、とってもきれいですね。区画整理もしっかりしていて、適当に高低差もあって、いいなと思いますけれども、とても生活のにおいとは無縁ですよね。働いていらっしゃるから生活と関係はあるんですけれども、生活のにおいと無縁です。そして、もっと言いますと、おそらく産業としてつながっているだろうけれども、尾張瀬戸駅からちょっと北の方に入ったりいたしますと、昔ながらの小さな製陶業者の方がいらっしゃったりして、悪くいえば雑然と家内工業的にものづくりをやっていらっしゃる。あれも瀬戸のものづくりそのものなんですね。多分、下請関係だとか、商品の流通関係なんかでつながっているんだろうということは漠然と想像いたしますけれども、おそらく都市行政からいえば、非常に異質なものづくり空間というものをキメラ構造のようにというか、モザイク状に瀬戸市は抱え込んでいる。そこにマンションが建ち、何なりかの異なった刺激でまちが構成されている。
 そういうときにはたしてものづくりのまちであるという1つのキーワードで瀬戸市を切っていくことはできるか。ものづくりで切らなきゃいけないと、それはそのとおりです。しかし、もうひとつ、ものづくりの主体として生活をしている人たちの動線というか、どういう行動範囲を持って生きているかということをベースに、さらにその上に重ねて商業の問題や、あるいは日常生活の問題や、文化的暮らしの問題を考えなきゃいけないということで、非常に複雑な構造というものをやはりきちんと理解しておく必要があるんだろうなあと思います。
 そういう複雑な、まさに産業都市なんですね。産業都市なんだけど河村電器さんでつくっている製品は、観光客は買いにこないんですね。多分。だけど、自分のうちでつくったものを家の前に並べておいたら、おもしろがって客が買っていくというものづくりの人たちも瀬戸のなかにはたくさんいらっしゃるんですね。ですから、そういう意味で瀬戸のまちなか、団地の内陸工業団地のところはちょっと難しいだろうと思うけれども、瀬戸のまちなかのところでものづくりと観光客との応対とが一体化できるような空間がいっぱいある。多分、そこのところをつないで、そして瀬戸の見せ場をポイントポイントで置いていけば、フィールドミュージアムというか、瀬戸の暮らしが見える、暮らしが丸ごと博物館というものができ上がっていくんだよというふうに市長さんは考えていらっしゃると思うんですね。それはイメージとしてはとってもいい。イメージとしてはとってもいいけど、本当にそれが売りものなるかということになりますと、僕には若干疑問があります。僕は、たまたま近くに住んでいて、瀬戸のものはいいものだと、瀬戸のまちにはいいものがいっぱいあるということを繰り返し繰り返し聞かされて、あまつさえ、僕は、名古屋学院大学のなかで「瀬戸学入門」なんて変な授業をやっていて、みんなに瀬戸はおもしろいまちなんだよと言い続けているから、しょうがないから自分でも歩くんですね。歩いてみると結構おもしろい。ただそれくらい思い入れをもって歩いてみたらおもしろいけれども、じゃあ一過性のお客さんが東京から大阪から京都から来るほどのイメージとして、強いインパクトを持った商品価値のあるものになっているかといえば、それは甚だ疑問ですね。だからそこのところで、無理やりでもいいから何かつくっていかないと、フィールドミュージアムは絵にかいた餅に終わっちゃうだろうというふうにとりあえず考えています。これは、多分異論がいっぱいあると思いますけど。

○司会 どうもありがとうございました。今のお二人の議論のなかでもいくつかの論点はあるのですが、もう一人伊沢さんの方から少し違った視点から、きょうのお話についてコメントをいただければというふうに思います。

○伊沢 伊沢です。よろしくお願いいたします。違った視点というかたちをうまく提供できるかどうかちょっとわからないんですが、きょうは一応、ここの下のところには名古屋学院大学助教授という肩書で私の名前が書いてありますけれども、きょうは大学の教員として、あるいはこの万博プロジェクトのスタッフとしてということではなくて、私は、実は瀬戸市民でもありまして、この瀬戸市民としての立場からという、そういうお話でもありましたので、若干ちょっとまとまりがないかもしれませんが、瀬戸市民としての感想という意味で、ちょっとお話しをしたいと思います。
 私自身、瀬戸にあります名古屋学院大学で教えることになりまして、東京からこの瀬戸にやってまいりました。この地域は全く私自身、勝手がわからなかったものですから、勤め先の近くに住むのがよいだろと思いまして、瀬戸に住居を構えました。そうしてこの瀬戸に着いてそろそろ丸5年がたとうとしています。そうやってきて、これまで暮らしてきて、この愛知万博との、国際博覧会との関連でどんなことを思ったかということをま1一つお話をしておきたいと思います。
 最初に家を借りました。名鉄新瀬戸駅の近くだったわけですが、そこに初めて降り立ったときに、「2005年に万博をこの瀬戸で」という大きな看板が駅にかかっているのを見まして、非常に不勉強ではありますが、私が初めてそのとき、そういう計画があるのかということを知りまして、それまでほとんど念頭になかったわけですね。そういう話があって、当時はまだ会場が決まる前の段階だったわけですが、その後、万博の誘致というのがBIEの総会で決定されて、愛知万博がこの瀬戸、海上の森を主会場として開かれるという話が来たわけなんですね。
 そういうなかで、この万博の話が出たときに、ちょうど私が住み始めたころというのは、万博の理念の部分に突如として環境、あるいは「自然の叡知」という話が出てくる時期だったわけなんですが、当初、一市民として瀬戸に住んでいる者として、この瀬戸に万博が来るということをどうとらえたのかといいますと、私自身はこの瀬戸に来たばかりで、よくこのまちのことを知っておりません。そういうなかで、瀬戸のある地域において国際博覧会が開かれると、そして多少うさん臭いなと思いながらも、「自然の叡知」ということで、瀬戸の東部地域の環境というものを強調した、そういうメッセージが送られてくる。そのときに瀬戸というのは自分はよくわからないけれども、非常に楽しみの宝庫といいますか、何か非常に魅力的なものがたくさんあるところなのかと、だからこそ、こういうところに国際博を開くという話が来るのかなというぐらいに漠然と考えておりました。
 そういうなかで何年か経過して、この瀬戸というまちのこともある程度わかってはきたわけですけれども、この瀬戸を会場として開かれるということに、もしそのときも瀬戸市民であるならば、この瀬戸に多くの人を迎え入れて、あるいは外国からもたくさんの人を迎え入れる、そういうホストの場所として、ちょっとした、ほんのちょっぴりですけど誇りみたいなものというのを何とか感じてはおりました。
 そういうなかで、突然、先ほど木村先生のお話にもありましたが、オオタカの出現ということで、その出現に合わせて、木村先生の方でもご指摘がありましたが、青少年公園をもう1つの会場として分散開催というのがすっと出てきた。そのときに、私自身、何を感じたかというと、この瀬戸で、海上の森での「自然の叡智」を学ぶ国際博を開くというところから、突然もう1つの会場として、もうかなり整備され、でき上がった青少年公園というものも会場ですよというかたちになりまして、1つはテーマと実際に開かれるもう1つの会場の青少年公園、確かに緑が多いところですが、ある意味では人工的につくった自然に近いところもあるわけですけれども、そういうものを会場として自然への叡智ということが、ただでさえ少しうさん臭いものを感じていたのが、余計白けてしまったなという部分がありました。
 そして、またもう1つは、この瀬戸でというところから、もちろん瀬戸のすぐ近くではありますけれども、隣町の大きな公園のところを大きな会場としますと。実際問題としてこの2つを会場とした場合に、名古屋から青少年公園の東西の流れというのが大きなメインアクセスになっていくと思いますけれども、そうなっていくと瀬戸というところで万博を開いていくとあれほど強調していたのが、何か非常に肩透かしを食らったような気がしました。ですから何か万博に対するある意味ではちょっとミーハー的な期待みたいなものが実際あったわけですけれども、そういうものが何度か肩透かしを食らわされてきたなというのが率直な感想としてありました。だからそういう意味で、そもそも万博を考えるときに、瀬戸の位置づけというのが一体どんなものだったのかということが非常に疑問に思いました。
 もう一点なんですが、私この瀬戸に5年暮らしてきたわけなんですが、正直言いまして、まだまだ瀬戸のことを実際ほとんどわかっていない。私の住んでいる地域というのは大体、名鉄の新瀬戸駅から北に中水野のあたりまでのエリアのところで居住しているわけなんですけれども、そもそも瀬戸のものづくりの場であった尾張瀬戸から赤津方向にかけての東側のエリアというのに、実際問題として足を運ぶことが非常に少ないというのがあります。これは何も多分私ばかりではなくて、私が住んでいる地域というのは、瀬戸のなかでも最近非常に住宅が次々とできているところでして、新しい住民がどんどん入ってきている。そういう意味では瀬戸自身が住宅ベッドタウン化というのがかなり名古屋寄りの地域では進んでいるわけですね。
 そういうなかで古くから瀬戸にいる人と、私なんかも典型ですけれども、新しい住民との瀬戸に対する思いの相違といいますか、あるいは考え方の違いというのがかなりあるんじゃないかと。要するに、瀬戸に住んでいながら向いている方向は、私は瀬戸の大学に勤めておりますからあれですけれども、多くの方は名古屋の方を向いて生活していく。その名古屋の延長として瀬戸というまちをとらえている、そういう部分が非常にあるんじゃないかと。そういうなかで、愛知国際博が開かれるというなかで、瀬戸市民というのは、実際、国際博が開かれて、日本中から、あるいは世界中からいろいろな人が集まってくる、その受け入れ、ホスト的な立場にある都市の市民なわけですけれども、その市民自身が少なくともこれまでそういう意味では旧住民と新住民の間で意識の乖離というのがかなりあったのではないか。このことが、このまま進むことというのが非常にある意味では危険を感じるわけなんですけれども、果たしてここで万博が開かれるということが、ある意味では新住民にとって瀬戸を再発見するというチャンスにうまくできるんだろうかということを考えています。
 個人的なことなんですけれども、私自身小さいときから父親が銀行員だった関係で、非常に引っ越しが多くて、1つの地域に長く住むということがあまりありませんでした。ですから私自身にいわゆるふるさとという記憶がほとんどない。そういうなかで30数年生きてきたわけなんですが、私自身、瀬戸に住むようになってから子供が生まれまして、小さい子供がいるんですけれども、子供は瀬戸で生まれ生活していく。あとどれぐらいいるかわかりませんけれども瀬戸で暮らしていく。そういう意味で瀬戸が私の息子にとってみれば1つのふるさとなわけでして、はたしてそのときに、瀬戸というまちをしっかり記憶して、こんなまちだったということをたとえ他の土地に移った後でもきちんと語れるだろうか、あるいは語れるように自分が伝えられるだろうかというのを最近すごく感じるようになってきました。
 そこで、最近は時々家族を連れて、今まではあまり歩かなかったあたり、尾張瀬戸周辺のところを歩いてみるようなことを心がけているんですが、そうしてみるとさっきのお話にもありましたけれども、結構おもしろいところというか、今まで気づかなかったところで、新しい魅力的なところを見つけるところというのはかなりあるんですね。そういう意味で、実は長いこと暮らしてきたけれども、瀬戸の新住民として、私自身があまり瀬戸を知っていない。これがたとえば、たまたまこの万博というものがやってくる。そして、私自身が、たまたま瀬戸にある大学で、万博プロジェクトに参加するというかたちになって、ちょっとその意識が瀬戸を単なる住居とか職場ということじゃなくて、瀬戸のまち自体を知ろうというきっかけ、そういうものにしていけたのかなと。だから、自分自身として万博がひとつこの瀬戸というまちを知る、瀬戸がどんな成り立ちで、どのようにでき上がって、今、何があるのかということを知るきっかけになってきたと思うんですね。そういう意味で、新しい住民にとって瀬戸を再発見する、自分の足元のまちがどんなまちなのかということを再発見する機会としてこの万博を成立させていきたい。そのために瀬戸において、どういうかたちで会場運営なりをおこなっていったらいいのかということを、今非常にない知恵を絞って考えているところです。何かいいアイデアがないかということを考えておるんですけれども、そういう意味で、万博というのが新住民を自分たちが住んでいる瀬戸を振り向かせるきっかけとしてうまく機能するのかどうか、このあたりの問題を考えているこのごろです。ちょっと長くなりましたけれどもこれで終わります。

○司会 どうもありがとうございました。今の伊沢さんのお話のなかに含まれているわけですけれども、ひとつ木村さんに伺ってみたいと思います。少し短絡的な言い方ですけれども、博覧会のイメージとか計画のなかで、もう少し瀬戸の位置づけを、今かなり薄まってきているところをもう少し強く出せる、何かいい論点とか方策はないのかなというのが、おそらく正直な気持ちだと思うんですけれども、そのあたりに関して、きょうちょっと最初にお話しされたなかから、もう少し詳しくお話ししていただければというふうに思います。

○木村 まちづくりということ考えるときに、いくつものイメージになっていますね。今、伊沢先生がおっしゃったように、ふるさとをつくりたいとか、ふるさとを取り戻したいというのか、「これが私のふるさとよ、瀬戸」というイメージでもってまちづくりを進めていきたいと考えていらっしゃる人たちはたくさんいらっしゃると思いますね。だけど、もう一方には「もう、古くさいまちは嫌だ」と。「瀬戸は新しいいろんな産業を取り込んで、あるいは内発的にいろんな産業を興して、どんどんと変わっていけるまちなんだから、そういうふうにクリエイティブなまちづくりをやろうよ」という方たちもいらっしゃると思う。たとえば、中心市街地の商店街をひとつとってもそうだと思います。今までおじいちゃん、おばあちゃんがげた履きで来れた商店街、そういうものを長く続けたいなと思っていらっしゃる方もいらっしゃるだろうし、いや、もうそんなもんじゃこれからやっていけないんで、うんとモダンな、もっと言えば、セラミックシティでなくてもいいから、外来の若者たちがより集まってくるような、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんが寄ってくる何とか地蔵みたいなものでもいいんですけれども、ともかくその異質な人たちがどんどん呼び込めるようなまちづくりをやりたいという人もいるかもしれない。
 あるいはもっと具体的にものづくりに携わっている、例えば伊藤さんのようなところでは、「そんなもんじゃだめだよ。これから世界におれたちが発信するんだよ。そういうまちづくりをやらなきゃだめだよ」というふうにおっしゃるかもしれない。これをレベルと考えてはいけないんで、いろんなイメージでまちづくりを考えている人たちがたくさんいらっしゃって、さあ、どういう具体的なイメージだったら今、国際博と呼ばれているような、あるいは2,500万人がここに集まってくるというような大イベントとつながり得るのかということをやっぱり考える必要があると思うんですね。
 そういう意味では、ふるさとイメージだけでは多分やっていけないだろうと思いますし、今、市長さんを中心に去年の夏ぐらいに出てきたオープンフィードミュージアム的な構想というのは、やっぱりローカルのなかのローカルなイメージでとどまってしまうだろうと思うんですね。もちろんローカルのなかのローカルだって、馬籠・妻籠だとか、あるいは倉敷へ行きますと、そんなものだけでどんと売上げを伸ばしているわけですけれども、それはローカル、イコール日本の古きよき日本の伝統イメージというものと直結させているから、これは売り方がうまいんですね。うまいからそれがうまくいってるんで、じゃあ瀬戸でそんなことできるのか。瀬戸のなかに残っているいろいろなものをうまくつなぎ合わせて、そして瀬戸に最もふさわしい、シンボリックな建物をいくつか建てて、それを回っていくことによってオープンフィールドミュージアムになれるのかどうかというと、ただそれだけだったら甚だ疑わしいと僕は思うんですね。だとすると、一方で独自のまちづくりを進めながら、新しい博覧会のシステムとうまくジョイントしていく、あるいは博覧会のインフラをうまく利用させていただけるとすると、この瀬戸から何が発信できるのかということをやはり真剣に考えざるをえないだろう。そのあたりは、ものづくりで発信させようという会社もあるだろうし、瀬戸のもっているいろいろな歴史的な集積物、そういうものを組み合わせることによって、日本の代表どころか、世界に打って出るだけの文化的要素の集積地だというふうにいえるんだよ、という人がいらっしゃるかもしれない。いずれにしても、それぐらいの心づもりでやらないと、ここにあるものをとりあえず並べてみんなに見せたらという、どこにでもある歴史民俗資料館のオープンフィールド版をやったのでは、多分だれも見向きもしないだろうと思いますね。それだけだったら、よしんば博覧会がうまくいったとしても、博覧会に来た人たちがここまで足を延ばしてくださるとは思えない。そのあたりで僕は、どんなイメージでもってまちづくりをやろうとしているのか、やりたいのかというところを、やっぱり瀬戸の人たちのなかでコンセンサスをつくっていかなきゃいけないだろうというふうに思っているわけです。

○司会 どうもありがとうございました。今の木村先生のこの瀬戸から何が発信できるかという問いかけに対して、伊藤さんあたりがどういうかたちでお答えになるのかというのを少し聞いてみたいんですけれども。

○伊藤 ものづくりにとってもこだわるんですけれども、つくったものはやっぱり壊れる。そういう観点からいけば、はやりの言葉で言えば、循環型社会というようなものを、やっぱりある種の提案をしなきゃいけないだろうと、こんなふうに思うんですね。
 先ほどちょっと話があった、ものづくりにはいろんな種類がある。例えばまちなかの内職、あるいは家内工業的にやっている、こんなところのキーワードは手づくりであったり、あるいはちょっと観光客の方が立ち寄って体験ができたり、あるいはまたそれがそのまま商品になる。商品になるキーワードは多分ノベルティーだろうと。食器をご自分でおつくりになってもいい。これが。多分まちなかのまちづくり、まちなかのものづくりというか、そんなイメージがいいかなと。翻って暁なんかの郊外型の企業団地といわれるのは、どちらかというと開発型で、お金を落としてくれるというかたちで誘致してますけど、実はここにプロデューサーが僕は必要だろうと思うんですね。郊外型の工業集積として、どういうマーケットにそこの集積効果を出していくかという側面が1つ。
 それから、休日が無人になります。それを公園か何かに開放していく。そんなことで町と郊外とのかかわり合い、そんなイメージを考えますと、何かものづくりというキーワードだけでものをつくって、そして廃棄をする、そういった循環のことをまちなかのこと、郊外のこと、住居のこと、そして生活のこと、生活用品のこと、こんなことを総合的に何かビジネスにしていくような、あるいは実験ビジネスにしていくようなベンチャー、そんなことを思うと何かイメージが少し固まってくるかなというような、大変乱暴な意見ですけれども思ってるんです。

○司会 どうもありがとうございます。今の伊藤さんのお話とか、それから木村さんのお話を聞いてみますと、ものづくりと単に言いましても、われわれがイメージしているものよりも、そのなかには、やはりかなり深いものが、単なるものでは語れないようなものが入り込んでいるんじゃないかなということを痛感するわけです。
 あと残された時間がそれほどないものですから、まだこちらでもあまり煮詰まっていないような気もしているんですが、少しフロアの方で、特にきょうの木村さんの講演の内容についてとか、ご質問、ご意見等がございましたら挙手をしてご発言いただければというふうに思います。どなたかございますでしょうか。

○山村 名古屋学院大学大学院の山村です。僕も大学へ来て7年間、瀬戸とかかわってきたんですが、やっぱりそういう万博にしても、観光客にしても、一番瀬戸に来て、ああこれが瀬戸なんだということがわかる瞬間というのが、やっぱり瀬戸の地元の人と会ったときに初めてわかるんですね。それでやっぱり瀬戸の住民がいるからこそ瀬戸のまちというものが形成されてくると思っています。それで僕もこれから瀬戸とかかわっていく機会を与えられて、それでもっと市民が協力して、もっと文化事業、それが美術であってもいい、陶芸であってもいい、また音楽を通じた人とのコミュニケート、そういうものが万博を成功させる1つの大きな原動力になると思います。以上です。

○司会 どうもありがとうございました。今のご意見のなかで、やはり今、私どもがちょっとこだわってまいりましたものづくりというものは、文化というものから見ますと一番何か最低のもののように位置づけられているわけですけれども、そういうものづくりと文化との関係、よくは産業文化とか言われたりもしますけれども、そういったところで、何か木村さんの立場からお考えがあればお話しいただければありがたいんですが。

○木村 難しいご質問なんですけれども、山村さんがおっしゃったように、瀬戸を歩いていてびっくりしたというか、非常にイメージと違ったのは、瀬戸の人って本当に親切なんですね。おせっかいなぐらいに。このよさをやっぱりきちっと明確にしていかないといかぬと思うんですね。どういう人がおせっかいなぐらい親切かといいますと、まさに先ほど伊藤さんがおっしゃった、まちのなかで家内工業的にものづくりをやっていらっしゃる方々なんですね。僕はクラスの学生たちに、毎年「瀬戸のまちを歩いてこい。歩いてきて何でも見つけてレポート書け」という非常に乱暴な授業をやるんですけれども、みんな嫌々行きます。嫌々行くんだけれども、だれともしゃべらずに帰ってきた学生諸君は「瀬戸にはこんなものがありました」「ここへ行ったらこんな神社がありました」と言って観光案内所見たいなレポートを書くんですね。ところがふらふら歩いていたらおじさんが「あんた、どこ行くんや」「実はこんなことでまちを歩いてるんですが」と言うと、「うちの工場を見ていきなさい」と言って帰りに茶碗をもらって帰ってきたりするんですね。「それはよかったね」と言うんですけれども、そういうつながりというのがかなり明確にあるんですね。
 僕は、ものづくり、もうちょっとかたく言えば産業といういい方で、あたかも生活と生産というものが非常に切り離されたかたちで論じられているのが今の経済社会じゃないかと思いますけれども、瀬戸ではそれを超えたものづくりイコール人づくり、ひとつのつながりというものがまだまだたくさんあるんです。そういうものをきちんと大事にしていく。僕は、産業文化というのはでき上がった物を並べることではなくて、そういうつき合い方を大事にすることではないかというふうに思っています。
 そういうつき合い方は、もし博覧会でいろいろなところからいろいろな人がお越しになった時に重要になってくると思います。特に、アジアの人たちが瀬戸にやってきたときに、瀬戸のまちなかを見て東南アジアから来た人が「ああ、美しいまちですね」とは多分言わない。「おらが国と似た、適当に汚くて、でも活気があっていいね」と言ってくれる、そういうまちになってほしいと思うんですね。今、何が欠けているかというと、その「活気があっていいね」の「活気」の部分がないもんですから非常に困るんで、それはやっぱりもう30年ぐらい前のことを思い出していただいて、どうすれは活気が出てくるかというのを考えていただきたいなというふうに思っています。

○司会 どうもありがとうございました。きょう最初に木村さんにお話しいただいたところの前半の部分というのは、博覧会の理念でありますとか、計画のイメージでありますとか、そういったところというのは正直いいまして、私にも十分理解できているかどうかわからない中身の濃いものでして、ただ後半の部分から、そしてわれわれが少しディスカッションした部分というのは、実はつながっているわけでして、そういうのを何となく不思議なくらい自然に感じるわけですね。そのまちづくりの話とか、そこで活動している人たちの生活とか、そうした話をするなかで、実はそれが博覧会にも自然に結びついているんだなということを、きょう私、いろいろなお話を聞いていまして強く感じたわけです。
 これで3回連続で行ってまいりました公開ワークショップを一応閉じさせていただくということになりました。先ほども話題になりましたように、会場基本計画の決定を目前にしまして、博覧会そのものが大きく揺らぎ始めているようにも見えます。確かにまだ不確定な部分というのも多いわけですが、博覧会をきっかけにしているというだけでなくても、この地域が、大きな転換期に差しかかっていることは確かなように思います。
 先ほど伊藤さんのお話にもありましたように、そういう地域の分岐点に立ったところで、自分たちの、あるいは自分たちの会社の、あるいはわれわれ市民のスタンスを常に考えるというのは、決してどのような立場にあろうが、どういう活動をされていようが、その地域で何らかの活動をしていくかぎり大切なことではないかなというふうに思います。
 こうした機会を通じまして、今後も地域や社会に開かれた大学として、そして本日も学生諸君にたくさん参加していただきましたが、学生とともに地域や社会を新しく創っていける大学へと、私ども名古屋学院大学も発展していきたいなというふうに考えております。
 それではこれをもちまして今年度の公開ワークショップを終了させていただきたいと思います。どうもご参加ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。どうもありがとうございました。

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TOP>NGU EXPO2005研究>第2号(目次)>X.地域の経済実態・EXPO2005開催効果アンケート調査報告
X.地域の経済実態・EXPO2005開催効果アンケート調査報告
名古屋学院大学 EXPO2005プロジェクト研究

 本プロジェクト研究は、2000年2月、瀬戸市地域の経営者・事業者を対象とした、地域の経済実態・EXPO2005開催効果に関するアンケート調査をおこなった。その趣旨と目的は次のとおりである。
  @瀬戸市地域の経済や企業経営の実態を把握する。
  A博覧会開催を契機とした瀬戸市の地域産業振興策を検討するための材料とする。
  B本プロジェクト研究の研究調査活動の基礎データとし、今後の継続的な調査の手
   がかりとする。
 また、これらに従って、アンケート調査の質問項目と内容については、まず以下のような3つの分野に分けてプロジェクト研究内で検討し、それを調整するかたちで決定した。質問項目と内容について詳しくは、アンケート調査票をご覧いただきたい。
 a)基本項目および経営の実態
   経営規模、業種、所在地、過去数年の業績や今後の見通し、経営上の諸問題など
 b)EXPO2005開催効果
 ・博覧会開催の短期的、直接的な効果、長期的な波及効果、ならびにマイナス効果
 ・博覧会開催に関連した企画を考えるつもりがあるか、ある場合にそれは何か
  ・博覧会開催でどの程度の売上高や経常利益の増加が期待できるか
  ・博覧会に関連した事業やインフラ整備
 c)瀬戸市地域の産業振興と地域政策
 ・今後の産業振興策、および地域計画やまちづくりについて
 ・これからの瀬戸の経済や社会が進むべき方向のイメージについて
 アンケート調査は、瀬戸商工会議所のご協力を得て、商工会議所の全会員(約2,550)を対象におこなった。EXPO2005開催の先行きが不確実となり、また事業繁忙の時期に重なったため、アンケート回収率は20%程度にとどまったが、いくつかの興味深い調査結果を得ることができた。以下、1.アンケート調査票・調査結果では、実際に用いた調査票のアンケート項目に沿って集計結果の概要を報告し、それに若干のコメントを加えた。また、2.調査結果の分析では、それをもとにして、いくつかの視点から調査結果に関するより詳細な分析をおこなっている。今後は、今回の調査結果やこの分析の成果にもとづいて、より詳細な調査研究を継続的におこなっていきたいと考えている。
2.調査結果の分析

A.2005年日本国際博覧会に対する地元企業の期待
 2005年日本国際博覧会(以下万博と表記)への参加、あるいは関連事業からの受注に対する会員企業の期待はそれほど大きくなく、半数以上の企業が万博の開催は、自社の収益増加にほとんど寄与しないと考えている。

(1) 万博に関連したビジネスに関心が相対的に高いのは鉱工業・金融・陶磁器商業・陶磁器工業部会
 万博に関連したビジネスへの企画・計画の有無を訪ねたところ、実際に企画している企業は回答企業の2.5%の11社、企画したいと考えている企業が77社、同17.3%で、合わせると19.7%と、約5分の1の企業が取り組みを企画か計画していると答えている(以下では、両者を併せて表現する場合、「企画・計画している企業」と表す)。
過去の国際博や地方博における開催地の企業の期待の度合いに関する統計がないため、企画・計画している企業の比率が20%という水準が、過去の博覧会に比べて、高いか低いかは判断できないが、少なくとも、「博覧会を契機に何かやってやろう」という機運は、まだ高まっていない。
 本問について、所属部会別状況をみると、企画・計画している企業の比率の高い部会は、高い順に鉱工業(33.3%)、金融(同)、陶磁器商業(30.9%)、陶磁器工業(22.7%)となっている(表1参照)。一方、万博ビジネスに対して関心を持つ企業の比率の低い部会は、貿易(0.0%)、機械金属(0.5%)、原材料(7.7%)などで、概して、万博を見にやってくる人々と接触する機会の少ない業種ということができる。


(表1)万博ビジネスへの取り組み検討状況 (上段:社数、下段:%)
部会名 企画している 企画したい 特になし・無回答 回答数
陶磁器工業 2
2.5
16
20.3
61
77.2
79
100.0
陶磁器商業 1
2.4
12
28.6
29
69.0
42
100.0
商業 2
2.4
12
14.3
70
83.3
84
100.0
貿易 0
0.0
0
0.0
3
100.0
3
100.0
機械金属 0
0.0
1
4.5
21
95.5
22
100.0
鉱工業 0
0.0
4
33.3
8
66.7
12
100.0
建設 1
2.0
8
16.3
40
81.6
49
100.0
金融 1
33.3
0
0.0
2
66.7
3
100.0
原材料 0
0.0
1
7.7
12
92.3
13
100.0
エネルギー 1
10.0
1
10.0
8
80.0
10
100.0
サービス 0
0.0
7
18.9
30
81.1
37
100.0
交通運輸 1
12.5
0
0.0
7
87.5
8
100.0
重複・不明 2
2.4
15
18.1
66
79.5
83
100.0
(注)重複は2部会に所属する企業、不明は部会名の回答がなかったもの。以下の表でも同じ

2) 参加形態は万博グッズやお土産の製造・販売が中心
 企画・計画の具体的な内容として回答が最も多いのは、万博グッズ・お土産の製造販売で、企画・計画している企業の38社(43.2%)が、この項目をあげている。次いで、会場内への展示・出展が同22社(25.0%)、建設・不動産開発関連18社(20.4%)の順となっている。
 企画・計画をしている企業の比率の高い部会の中で、回答企業数のある程度まとまっている陶磁器商業、陶磁器工業部会について、その企画・計画の内容をみると、陶磁器工業部会では、グッズ・お土産の製造・販売が11社で最も多く、次が展示・出展の5社である。陶磁器商業部会では、グッズ・お土産の製造・販売が6社で1位、展示・出展4社、跡地利用関連事業3社の順となっている。このほかに、回答数の多いものとしては建設部会の建設開発(8社)、跡地利用(5社)がある(表2参照)。
 これまで、各地で開催された各種の博覧会では、地元企業が博覧会に積極的に参加し、自社の技術水準を内外に示したことが、自社のさらなる技術水準の向上、対外的なイメージアップに寄与したという成果が報告されているが、このアンケートの回答を見る限りでは、多くの観光客が集まる機会を利用して、会場の内外で、自社の扱っている商品を展示・販売、あるいは、製造・販売する程度の参加を考えている企業が大部分のようである。


(表2)取り込む内容 (社数)
部会名 出店 土産 建設開発 アクセス 人材派遣 観光 跡地利用
陶磁器工業 5 11 1 0 0 0 0
陶磁器商業 4 6 0 1 0 1 3
商業 6 4 2 0 0 1 3
貿易 0 0 0 0 0 0 0
機械金属 0 0 0 0 0 0 0
鉱工業 1 2 1 0 0 0 1
建設 2 0 8 0 0 0 5
金融 0 0 0 0 1 0 0
原材料 0 0 1 0 0 0 0
エネルギー 0 0 2 0 0 0 0
サービス 1 1 0 2 2 1 1
交通運輸 0 0 0 0 0 0 0
重複・不明 3 6 3 1 0 1 1

3) 自社の利益にプラスになることをあまり期待していない企業が半数以上
 万博の開催が、回答企業に何らかの利益増加をもたらすと考えている企業は、「大いに期待できる」「やや期待できる」あわせて129社(回答企業447社の28.9%)である。U−@の質問に対し、取り組みを企画・計画していると答えた企業は88社であったから、約40社(9.2%)の企業が、自らは直接取り組まなくても、万博の開催が自社にいくらかのプラス効果をもたらすと考えていることになる。 しかし、「あまり期待できない」、「全く期待できない」と、開催効果に対して懐疑的な企業は243社(54.4%)と、過半数を超えており、依然として醒めた見方をしている企業が多い。なお、「わからない」と答えた企業、及びこの設問に対して無回答の企業の合計が73社(16.3%)にも達しているが、この中には、会場計画などが流動的なこと、展示コンセプトが抽象的なこと、など、万博の全体像が依然として見えてこないために、プラス効果を確信するに至っていない企業も多いのではないかと考えられる。
 自社への万博の開催効果を「期待できる」とする企業割合を業種別にみると、金融部会(66.7%)、鉱工業部会、交通運輸部会(それぞれちょうど50%)、サービス部会(48.6%)などが期待度の高い業種である。
万博を開催すれば、瀬戸地域への来訪者が増加し、確実に売り上げ増につながることから、交通運輸部門やサービス部門で「期待できる」という回答が多いという結果は当然といえるが、それでも、「期待できる」とする企業割合が50%程度にとどまっていることは、万博効果に対して非常に慎重な見方をしている企業が多いことの現れといえよう。
 また、大多数の部会で「あまり期待できない」「全く期待できない」とする企業割合が「大いに期待」「やや期待」とする企業割合を上回っているが、とりわけ「期待できない」とする回答の比率の高い部会は、貿易部会(100%)、機械金属部会(68.2%)、原材料部会(61.5%)、建設部会(61.1%)などである。
 この中では、会場の整備やパビリオンの建設、さらに関連公共事業などを含めて、最も大きな受注が予想される建設部門において、経済効果に対して否定的な見方が多いことが注目される。会場建設や関連公共事業が始まれば、下請けとしての参加を含め、建設部会の多くの企業が事業に携わることになるはずであるが、アンケート実施時にはまだ決まっていなかった会場規模の縮小、跡地の新住事業や道路の建設中止、などの最近の動向について、事前に何らかの情報を入手し、収益機会に対する期待をしぼませていた可能性もある。
 なお、瀬戸市にもたらされる恩恵を尋ねたU−Dの回答としては、「道路・交通網の整備」が324社で最も多く、回答企業の72.4%に達している。この問いに対して、建設部会では38社(77.5%)がこの「道路・交通網の整備」をあげており、他の業種よりも水準が若干高くなっている。にもかかわらず、収益増加は期待できないとする企業が多いということは、万博プロジェクトがまだ現実のものとしてみえてこないため、「道路や交通網の整備」があるとわかっていても、その恩恵が自社に及ぶという実感が伴わない企業がまだ多いものと見られる。
(三井 哲)


(表3)万博が自社に利益をもたらす可能性
部会名 大いに期待 やや期待 期待薄 全く期待せず わからない
陶磁器工業 3
3.8
20
25.3
25
31.6
17
21.5
11
3.8
陶磁器商業 2
4.8
10
23.8
13
31.0
10
23.8
5
11.9
商業 3
3.6
19
22.6
24
28.6
25
29.8
10
11.9
貿易 0
0
0
0
2
66.7
1
33.3
0
0
機械金属 0
0
4
18.2
6
27.3
9
40.9
2
9.1
鉱工業 3
25.0
3
25.0
2
16.7
3
25.0
1
8.3
建設 4
8.2
9
18.4
17
34.7
11
22.4
7
14.3
金融 1
33.3
1
33.3
1
33.3
0
0
0
0
原材料 0
0
0
0
7
53.8
1
7.7
3
23.1
エネルギー 1
10.0
2
20.0
4
40.0
1
10.0
1
10.0
サービス 3
8.1
15
40.5
7
18.9
9
24.3
2
5.4
交通運輸 1
12.5
3
37.5
3
37.5
1
12.5
0
0
重複・不明 7
1.2
15
18.1
21
25.3
23
27.7
10
12.0
(注)比率は各部会の回答者数を分母にして算出
B.調査結果にみる陶磁器産業の現況と問題点

1.はじめに
今回実施したアンケートはEXPO2005(以下、一般に呼称として馴染んでいる「愛知万博」というかたちで略称する)開催に対する瀬戸産業界の期待や経済波及効果に関する聞き取りを目的としたものである。本稿では、このアンケート調査の回答のうち、特に前半の項目に寄せられた回答からうかがえるこの地域の陶磁器関連産業の現況についてふれてみたい。陶磁器産業の現況調査は、直接、愛知万博と結びつくものではないが、陶磁器産業は瀬戸の地場産業であり、その中核産業がどのような問題に直面しているかを知ることは愛知万博の受け入れ環境を考えるうえで重要である。
この調査報告の分析における他のレポートでも述べられているように、瀬戸の陶磁器関連産業は、愛知万博開催にあたって関連ビジネスを企画・計画する意欲は相対的に高いが、それが収益状況を改善させると予測している割合はさほど大きくなく、開催波及効果については懐疑的な姿勢を崩していない(A.2005年日本国際博覧会に対する地元企業の期待〔三井レポート〕)。一方、万博開催を見据えた地域振興策としては、陶磁器産業の活性化を望む声が業種を越えて大きかったことも事実である(C.地域振興に関わる行政への期待〔大石レポート〕)。
地域の中核を担う産業と目されており、万博開催をにらんだ様々なプランを持ちながらも、今後の見通しという点では慎重姿勢を崩さない瀬戸の陶磁器産業の抱える問題はどのようなところにあるのか。もちろん、将来の見通しが不透明であるのは会場計画の度重なる変更など愛知万博の具体像が見えてこないことに大きな原因があるが、この地域の主産業をめぐる環境が何らかの影を落としていることも事実であろう。そのような点をアンケート回答から探ってみたい。
なお、このような陶磁器産業に関する聞き取り調査としては、近年のものでは名古屋学院大学産業科学研究所地域研究会(1997)*1による陶磁器工業企業207社の調査がある。
今回のアンケート回収企業(事業所)445社のうち、いわゆる陶磁器産業と呼べるものは、瀬戸商工会議所で陶磁器工業部会に属するもの79社(全体の17.8%)と陶磁器商業部会に属する42社(9.4%)であり、さらに原材料部会に所属する13社(2.9%)にも陶土・珪砂を扱う陶磁器関連企業がいくつか存在するが、サンプル数が少ないため主として前二者の部会に属する企業群の回答の特徴から陶磁器産業の現況を探ってみたい。

2.設立年および企業規模について
陶磁器工業部門および商業部門の回答企業の設立年分布は以下の表1のようになっている。両部門とも戦後設立の企業が大半を占め、陶磁器工業部門で73.4%、陶磁器商業部門では、66.7%がそれに相当する。


表1 設立年次
設立年 陶磁器工業企業数(かっこ内はその比率) 陶磁器商業企業数(かっこ内その比率)
昭和60年以降 3(3.8%) 4(9.5%)
昭和50年代 5(6.3%) 2(4.8%)
昭和40年代 10(12.7%) 5(11.9%)
昭和30年代 16(20.2%) 8(19.0%)
昭和20年代 24(30.4%) 9(21.4%)
昭和20年以前 6(7.6%) 6(14.3%)
大正期 5(6.3%) 3(7.1%)
昭和期及びそれ以前 6(7.6%) 3(7.1%)
無回答 4(5.1%) 2(4.8%)


 次に、企業規模を表す各指標について見てみよう。資本金については表2に見られるように1000万円未満の企業が陶磁器工業部門で39.2%、陶磁器商業部門で45.2%を占めている。比較的小規模な企業がその主体である。
また、売上高と正規従業員数について見ると、売上高については1億円未満の企業が、陶磁器工業部門で51.9%、陶磁器商業部門で38%である。特に工業部門ではピークを形成するのが1000〜3000万円未満の比較的小規模な企業であることがわかる。
また、正規従業員数については4人以下の企業数がどちらの部門でも多数派であり、瀬戸の陶磁器産業が家族を核とした経営形態に依存していることを窺わせる。特に陶磁器商業部門は個人商店依存傾向が強いと思われる。
なお、部門ごとの平均値を全体平均と比べると、陶磁器工業部門の従業員数平均は17.1人、陶磁器商業部門は14.0人であり、全体平均14.78人(1000人以上の企業を除く)と比べ、大きな差はない。この地域全体が比較的小規模な企業・事業所を中心とした産業構造であることを示している。
以上のような傾向は、前述の名古屋学院大学産業科学研究所地域研究会(1997)で報告された1995年度データに基づく調査とほぼ同る。

表2 資本金
資本金額 陶磁器工業企業数(かっこ内はその比率) 陶磁器商業企業数(かっこ内その比率)
49万円以下 4(5.1%) 2(4.8%)
50〜99万 6(7.6%) 1(2.4%)
100〜199万 4(5.1%) 3(7.1%)
200〜299万 3(3.8%) 1(2.4%)
300〜399万 8(10.1%) 3(7.1%)
400〜499万 1(1.3%) 2(4.8%)
500〜599万 5(6.3%) 7(16.7%)
1000〜1499万 23(29.1%) 11(26.2%)
1500〜1999万 3(3.8%) 0(0%)
2000万〜 7(8.9%) 5(11.9%)
無回答 15(19.0%) 7(16.7%)


表3 1998年度売上高
資本金額 陶磁器工業企業数(かっこ内はその比率) 陶磁器商業企業数(かっこ内その比率)
1000万円未満 9(11.4%) 3(7.1%)
1000〜3000万未満 16(20.3%) 4(9.5%)
3000〜5000万未満 7(8.9%) 4(9.5%)
5000〜1億未満 9(11.4%) 5(11.9%)
1〜2億未満 7(8.9%) 12(28.6%)
2〜5億未満 7(8.9%) 4(9.5%)
5〜10億未満 5(6.3%) 5(11.9%)
10〜20億未満 4(5.1%) 0(0%)
20億以上 3(3.8%) 1(2.4%)
無回答 12(15.1%) 4(9.5%)


表4 正規従業員数
資本金額 陶磁器工業企業数(かっこ内はその比率) 陶磁器商業企業数(かっこ内その比率)
〜4人 33(41.8%) 25(59.5%)
5〜9人 15(19.0%) 11(26.2%)
10〜19人 9(11.3%) 0(0%)
20〜49人 13(16.5%) 4(9.5%)
50〜99人 1(1.3%) 0(0%)
100人以上 2(2.5%) 1(2.4%)
無回答 6(7.6%) 1(2.4%)


3.経営動向
近年の経営動向を見るうえで、各部門の1998年度経常利益分布及び近年の動向を見てみよう(表5、表6、表7)。
近年の景気停滞の影響もあり、経常利益がマイナスとなっている企業が無視できない割合で見られ、特に陶磁器工業部門の経常利益の落ち込み傾向が目立つ。
また、昨年比で経常利益の変化を尋ねたところ、陶磁器に限らず全部門で下降傾向を訴える企業が過半数であったが、特に陶磁器工業部門に関しては、他部門より経常利益の減少を報告する企業の比率が高い(表6)。この傾向は、ここ5年の経常利益動向として期間をのばしても同様であり(表7)、「苦しい」、「きわめて苦しい」と回答する企業の比率が全部門の平均に比べても陶磁器関連部門、とりわけ陶磁器工業部門で高い傾向が顕著である。また、アンケート回答をつぶさに見ると、この傾向は相対的に売上高や従業員規模が小さい企業ほどうかがえる傾向である。そして、このような下降傾向を報告する陶磁器関連企業には瀬戸以外での事業活動を含むサンプルの比率が全体より高く、これは陶磁器産業自体が瀬戸に限らず、全国的に生産・消費とも伸び悩んでいることを示しているかもしれない。
このような過去の苦しい経営状態の中で、将来の見通しを尋ねた結果が、表8である。
なかなか、出口の見えない景気動向の中で明るい見通しを語る企業は瀬戸地域に限らず少ないと思われるが、予想通り、今後の見通しについても悲観的な予測を回答した比率が高い。分けても陶磁器工業部門の「きわめて暗い」という回答比率は全体平均を大きく上回っている。
 愛知万博開催の準備期間である今後三年間についても、それがプラスの要因をもたらすと考える企業はきわめて少なく、他の調査項目に見られるように少なくとも万博前に何らかの経済波及効果が表れると考える企業はきわめて少ない。


表5 経常利益
経常利益(万円) 陶磁器工業企業数(かっこ内はその比率) 陶磁器商業企業数(かっこ内その比率)
〜0(マイナス) 11(13.9%) 3(7.1%)
0〜9 9(11.4%) 3(7.1%)
10〜99 1(1.3%) 3(7.1%)
100〜499 13(16.5%) 9(21.4%)
500〜999 7(8.9%) 6(14.3%)
1000〜1999 4(5.1%) 5(11.9%)
2000〜4999 3(3.8%) 2(4.8%)
5000〜 4(5.1%) 1(2.4%)
無回答 27(34.2%) 10(23.8%)


表6 経常利益動向(無回答企業数は省略、比率の分母は無回答企業も含む)
1997年度との比較 陶磁器工業部会企業数 陶磁器商業部会企業数 全部門合計
上向き 7(1) …8.9% 5(1) …12.2% 50(26) …11.2%
現状維持 10(0) …12.7% 11(2) …26.8% 96(34) …21.6%
下降 53(12) …67.1% 25(7) …61.0% 256(59) …57.4%
注.かっこ内の数字は瀬戸市以外の事業活動を含んだ額を報告している企業数

表7 ここ5年の経常利益動向(無回答企業数は省略、比率の分母は無回答企業も含む)
状況 陶磁器工業部会企業数 陶磁器商業部会企業数 全部門合計
きわめて良好 1(1.3%) 0(0%) 1(0.2%)
良好 3(.4%) 2(4.8%) 19(4.3%)
まあまあ 17(22.7%) 13(31.0%) 137(30.8%)
苦しい 34(45.3%) 13(31.0%)) 163(36.6%)
きわめて苦しい 20(26.7%) 13(31.0%) 90(20.2%)


表8 今後3年間の利益見通し(無回答企業数は省略、比率の分母は無回答企業も含む)
状況 陶磁器工業部会企業数 陶磁器商業部会企業数 全部門合計
きわめて明るい 0(0%) 0(0%) 3(0.7%)
明るい 5(6.3%) 1(2.4%) 23(5.2%)
まあまあ 13(16.5%) 13(31.0%) 117(26.3%)
暗い 36(45.6%) 19(45.2%) 199(44.7%)
きわめて暗い 20(25.3%) 7(16.7%) 68(15.3%)


4.経営上の問題とそれに対する努力
これまで見てきたようにかなりの苦境に立たされている陶磁器産業が、具体的にどのような問題を抱え、それに対し、どのような努力を重ねているかをアンケート項目から考えてみよう。表9は、経営上の問題について陶磁器関連各部門が多く取り上げている選択肢を上位5つまで並べたものである(一社につき三つまで選択)。
上位3つについては陶磁器関連の両部門が取り上げているものと、全体で指摘されている項目は重なっている。言い換えれば、陶磁器産業が抱えている問題がそのままこの地域の経営問題に反映されているということである。特に、従業員の高齢化は中小企業部門が多いこの地域の大きな問題である。従業員の平均年齢は、陶磁器工業部門で48.5歳、陶磁器商業部門で48.8歳であり、全体平均の45.3歳よりさらに高い。また、すでにふれたように陶磁器産業の各企業がどちらかといえば家族経営に近い小規模経営であることを反映して、後継者難を訴える比率が高く(特に陶磁器商業部門)、平均年齢が50歳を越える企業の大半がこの問題を訴えている。
ちなみに、今回のアンケートで尋ねた離職率については全体平均の4.66%に対し、陶磁器工業部門で2.6%、陶磁器商業部門で6.1%である。商業部門が若干離職傾向が強いが、たとえば、鉱工業部会の離職率が12.6%であることを考えれば、それほど高くはない。しかし、これはたびたび指摘しているように、陶磁器産業企業自体がこれ以上離職の進みようのない家族経営程度まで規模が縮小していることの裏返しであろう。
また、独自技術・開発力不足をあげる企業が多いのも高付加価値製品の製造・販売あるいはセラミックなどの素材産業に転換を試みながらも、それが円滑に移行していないことを示していると思われる。
陶磁器商業部門では「ブランド力の欠如」や「宣伝力不足」をあげている企業も比率としてはそこそこ高い。陶磁器生産に関しては優れた技術を持ちながら、それが瀬戸ブランドとして全国に広まっておらず、品質は良いが安い製品の代名詞のようにとられていることへの悩みが表れたものといえよう。陶磁器工業部門ではブランド力の欠如ということに関しては4社があげたのみで、母数から見てその比率は小さい。工業部門については販売部門と結びついたかたちで瀬戸ブランドを形成するということについてあまり関心がないのであろうか。生産・販売が一体となって商品の魅力を訴える力が多少不足しているのがこの地域の抱える問題の一端ではなかろうか。


表10 経営努力を行ってる主たる項目(上位5つ)
順位 陶磁器工業部会(79社) 陶磁器商業部会(42社) 全部門(445社)
1位 製品開発の重視(46社) 製品開発の重視(28社) 新規の市場開拓(171社)
2位 新規の市場開拓(39社) 新規市場開拓(25社) コストダウンの徹底(139社)
3位 高付加価値化(30社) 取引先企業との連携強化(15社) 製品開発の重視(138社)
4位 取引先企業との連携強化(25社) コストダウンの徹底(8社) 取引先企業との連携強化(129社)
5位 人材育成
コストダウンの徹底
(各19社)
広告・宣伝活動の強化
高付加価値化
情報化による効率化
(各7社)
高付加価値化(100社)


5.おわりに
以上のように、今回実施したアンケートの前半部分(T)を中心に陶磁器産業の抱える問題をあげてきたが、陶磁器産業の抱える問題がそのまま色濃くこの地域全体に影を落としていることがうかがえた。特に、この地域の産業において高齢化・後継者難が進んでいること(売上減少による先行き展望が開けないことが主な要因であろう)が解決すべき課題である。
本稿でふれた以外の他のアンケート項目、たとえばU−J(万博を機に地域振興策として何を望むか)において、全体で見て「陶磁器産業の活性化」をあげる企業が「道路網整備」に次いで多いように、瀬戸地域の地域振興の鍵を陶磁器産業と考える声は多い。
しかし、一方でアンケート項目U−D(愛知万博前後に瀬戸にもたらされる恩恵として何が可能性として高いか)にあるように、「地場産業の振興」を上げる声はそれほど多くはない。つまり、望むものと現実の可能性に大きなギャップが生じていることが見うけられる。このようなあきらめにも似た事業者意識にどのように希望を与えるかが重要なテーマである。
「自然への叡智」を謳うEXPO2005(愛知万博)にとって、まさに自然と人との関わりを体現した陶磁器産業はその好例である。万博開催による一過性の賑わいに終わらずこの地域を振興することを考えるには、陶磁器産業が求めているように新しい市場の開拓あるいは新しい陶磁器の売り方を民間・行政の双方から提示することであろう。このレポートを著すにあたって、多くの瀬戸に関心を持つ人びとから貴重な意見をいただいたが、その中には「瀬戸を良質ではあるが安価であることの代名詞として売るのではなく、1000年を越える歴史がもたらした様々な文化的遺産を付加価値として、全国の人びとに伝わる瀬戸ブランドを形成すべきではないか」という声があった。そして、そのためには、従来の製造・販売ルートにとらわれない企業間及び製造・販売部門間の連携を担うコーディネーターをこの地域で育成する必要があると、筆者は考える。瀬戸地域や陶磁器産業にとどまらず、愛知県は優れた技術を持つ企業がありながら、それを製品化・市場化するうえでの連携機能が弱いことがたびたび指摘されている。このような問題は、陶磁器業界でも広く認識されていることであろうが、後継者難と平均年齢の上昇に直面している現在においてまず手がけなければならない課題であろう。
(伊沢 俊泰)

C.地域振興に関わる行政への期待
 U−GおよびJの集計結果を用い、行政への期待について分析を進める。ここでは、対象企業の産業特性(T−B)および地域(連区)特性(T−D)との関連から、さらに分析を進め特徴的な事項を抽出する。

(1) インフラ整備(U−G)に関する特性
 設問が多岐にわたっていたため、ここでは関連する項目をまとめて集計しなおすことにした。すなわち、a)鉄道網に関するもの;項目1,2,13、b)市内の交通網に関するもの;項目4,5、c)市外への交通アクセスに関するもの;項目6,7,8,9,10、d)環境に関するもの;項目12,18、e)施設誘致に関するもの;項目11,14,15,17,19,21、f)新産業に関するもの;項目3,16,20として項目を集計し、表1では所属部会ごとの比率で、表2では地域ごとの比率で示した。
 
注).その他:複数の部会に所属している、もしくは上記部会以外に所属している、あるいは回答が無かっ
 た企業の合計である。
  貿易部会と金融部会は、回答数が少ない(それぞれ回答数8、9)ために、項目別比率の比較には留保が必要である。
 全産業を通じた特徴は、市内外の交通網への整備に関して要望が極めて高いことがわかる。特に商業(32.6%)、鉱工業(33.3%)および交通運輸(35.0%)は、市内交通網への要望が市外アクセスよりも強いことがみてとれる。これらの産業は、市内の消費者や事業所へ財・サービスを供給しているためであろう。環境に関する要望は、製造業関連では低いのに比べ、エネルギー(11.1%)や交通運輸(10.9%)で高いことが特徴的である。施設誘致に関しては、サービス(10.9%)、金属機械と建設(いずれも10.0%)における比率が高い。建設需要や部品供給などの形で、所属する産業分野に波及需要を期待してのことと考えられる。新産業に関連する要望では、陶磁器商業(10.8%)や陶磁器工業(10.6%)において比率が高いことが注目される。地場産業も新しい産業との接点を持つことで新たな事業展開を期待していると考えられる。

表2.地域別のインフラ期待
設問 鉄道網 市内交通網 市外アクセス 環境 施設誘致 新産業 総計
幡山 27.6% 18.6% 39.3% 3.4% 5.5% 5.5% 100.0%
原山台 66.7% 16.7% 0.0% 0.0% 16.7% 0.0% 100.0%
荻山台 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0%
八幡台 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0%
東明 28.0% 20.0% 36.0% 4.0% 0.0% 12.0% 100.0%
長根 15.4% 35.4% 24.6% 9.2% 6.2% 9.2% 100.0%
陶原 21.0% 25.7% 23.8% 10.5% 10.5% 8.6% 100.0%
祖母懐 12.5% 32.5% 22.5% 7.5% 15.0% 10.0% 100.0%
古瀬戸 16.7% 27.8% 33.3% 11.1% 5.6% 5.6% 100.0%
效範 31.0% 21.0% 21.0% 13.0% 8.0% 6.0% 100.0%
水南 38.8% 31.3% 11.9% 4.5% 4.5% 9.0% 100.0%
道泉 25.9% 39.8% 14.8% 4.6% 7.4% 7.4% 100.0%
深川 19.7% 36.4% 27.3% 7.6% 4.5% 4.5% 100.0%
西陵 44.4% 22.2% 11.1% 0.0% 22.2% 22.2% 100.0%
水野 25.0% 23.9% 40.9% 5.7% 2.3% 2.3% 100.0%
品野 9.9% 21.5% 47.9% 3.3% 9.1% 9.1% 100.0%
その他 15.7% 23.6% 29.9% 6.3% 10.2% 10.2% 100.0%
合計 22.8% 26.4% 29.3% 6.5% 7.6% 7.6% 100.0%


  注).荻山台および八幡台は回答数ゼロであった。また、原山台、西陵の回答数はそれぞれ6、9であり、地域特性をみるには留保が必要と考えられる。
 次に、地域ごとの特性からみてみると、交通網の整備に関して特徴的なことがみられる。他市との境界にある地区(幡山、東明、水野、品野)ほど、市外へのアクセスに関する期待が高い(36.0〜47.9%)。さらに水野(10.2%)と品野(9.9%)両連区は、中部国際空港へのアクセスに関する整備に関心が高いことも見逃せない。名古屋空港であれば瀬戸市内で比較的近くに位置するこれらの地域が、予定の新中部国際空港では最も遠くなるからであろう。また、環境や施設誘致に対する要望は、瀬戸市中心部の地域ほど関心が高い。
 インフラ整備に関しては、先に指摘したように交通網整備における期待が高いわけであるが、EXPO開催との関係で最後にその特徴をみておこう。EXPO開催における問題点(U−F)とインフラ整備との関連をみると、自治体の財政負担や環境破壊に対する懸念とともに、交通渋滞への懸念が大きなウェイトを占めている。また、瀬戸の評判低下をあげた企業の多くが、必要なインフラ整備に交通網の整備を指摘している。このように、交通網に関する現状への不満が、インフラ整備の期待として市内外の交通網整備をあげることになったと考えられる。

(2) 地域振興策(U−J)に関する特性
 ここでもまず、 設問が多岐にわたっていたため、ここでは関連する項目をまとめて集計することにした。何を地域振興のきっかけとして考えているかを基礎に、各項目をまとめた。すなわち、a)地場産業の活性化に関するもの;項目1,4,5,11、b)市街地活性化に関するもの;項目2,3,6、c)居住環境に関するもの;項目7,8,9,10、d)情報発信に関するもの;項目12,13,14として項目を集計し、表3では所属部会ごとの比率で、表4では地域ごとの比率を示した。

表3.所属部会別の地域振興策への期待
地場産業 市街地活性 居住環境 うち
新住事業
情報発信 期待しない その他 合計
陶磁器工業 40.1% 12.% 32.2% 1.5% 10.9% 4.0% 0.0% 100.0%
陶磁器商業 33.9% 26.3% 28.8% 1.7% 8.5% 2.5% 0.0% 100.0%
商業 28.3% 26.2% 30.9% 3.4% 12.0% 2.6% 0.0% 100.0%
貿易 22.2% 0.0% 44.4% 0.0% 33.3% 0.0% 0.0% 100.0%
機械金属 12.8% 17.0% 42.6% 2.1% 21.3% 6.4% 0.0% 100.0%
鉱工業 20.6% 5.9% 50.0% 5.9% 20.6% 2.9% 0.0% 100.0%
建設 23.1% 15.7% 47.8% 3.7% 10.4% 3.0% 0.0% 100.0%
金融 44.4% 11.1% 11.1% 0.0% 33.3% 0.0% 0.0% 100.0%
原材料 41.2% 2.9% 44.1% 2.9% 11.8% 0.0% 0.0% 100.0%
エネルギー 31.0% 17.2% 41.4% 0.0% 10.3% 0.0% 0.0% 100.0%
サービス 26.0% 19.8% 37.5% 3.1% 12.5% 4.2% 0.0% 100.0%
交通運輸 27.8% 16.7% 33.3% 0.0% 22.2% 0.0% 0.0% 100.0%
その他 24.9% 13.2% 39.6% 2.5% 15.7% 5.6% 1.0% 100.0%
平均 29.2% 17.6% 36.6% 2.6% 13.0% 3.4% 0.2% 100.0%


 全般的な特徴では、居住環境に関するものの比率が高い。地域振興の観点からも道路網の整備(項目10)が喫急の課題だという認識が強い。また新住事業については、地域振興への契機としては期待されていないことが分かる。
 一方、陶磁器商業、商業、サービスでは、市街地活性化を地域振興の期待とする傾向が強い。消費財関連の企業だけに、瀬戸市中心の整備に期待をよせていることがわかる。ただし、これらの産業も含めて地場産業の活性化をあげるケースが多いことも事実である。瀬戸市全体の地域振興には、地場産業である陶磁器産業を抜きにしては考えられない状況がみてとれる。

表4.地域別の地域振興策への期待
設問 地場産業 市街地活性 居住環境 うち
新住事業
情報発信 期待しない その他 合計
幡山 25.7% 12.1% 40.7% 3.6% 18.6% 2.9% 0.0% 100.0%
原山台 0.0% 16.7% 83.3% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 100.0%
荻山台 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0%
八幡台 0.0% 0.0% 100.0% 0.0% 0.0% 0.0% 0.0% 100.0%
東明 44.9% 10.2% 36.7% 0.0% 8.2% 0.0% 0.0% 100.0%
長根 30.8% 18.5% 38.5% 6.2% 10.8% 1.5% 0.0% 100.0%
陶原 28.8% 22.0% 31.4% 0.8% 16.1% 1.7% 0.0% 100.0%
祖母懐 33.3% 16.7% 33.3% 0.0% 13.9% 2.8% 0.0% 100.0%
古瀬戸 21.1% 21.1% 36.8% 5.3% 10.5% 10.5% 0.0% 100.0%
效範 22.8% 10.9% 46.5% 4.0% 12.9% 6.9% 0.0% 100.0%
水南 29.2% 13.9% 40.3% 2.8% 11.1% 4.2% 1.4% 100.0%
道泉 29.7% 34.2% 24.3% 0.9% 9.0% 2.7% 0.0% 100.0%
深川 29.2% 27.7% 29.2% 1.5% 13.8% 0.0% 0.0% 100.0%
西陵 22.2% 22.2% 44.4% 0.0% 11.1% 0.0% 0.0% 100.0%
水野 27.6% 12.6% 36.8% 4.6% 17.2% 4.6% 1.1% 100.0%
品野 32.3% 10.5% 40.3% 2.4% 11.3% 5.6% 0.0% 100.0%
その他 31.6% 19.4% 33.5% 2.6% 11.6% 3.9% 0.0% 100.0%
合計 29.2% 17.6% 36.6% 2.6% 13.0% 3.4% 0.2% 100.0%


 注).荻山台の回答数ゼロであった。また、八幡台、原山台、西陵の回答数はそれぞれ3、6、9であ
  り、地域特性をみるには留保が必要と考えられる。
 次に、地域特性からその傾向をみよう。瀬戸市中心部(陶原、道泉、深川連区)においては、市街地活性化の比率が高いのに対して、周辺部の地域になるほど、居住環境(とくに道路網の整備)の比率が高くなる。また、地場産業を地域振興にと考える傾向は、地域間にあまりばらつきがなく、瀬戸市全体のコンセンサスとして、陶磁器産業を中心とした、地域振興策の策定が求められていることがわかる。ただし、瀬戸市の活性化は、何か新しいことに期待するのではなく、地場産業に期待しているという意味において、若干手詰まりの状況にあるといえなくもない。
(大石 邦弘)

D. アンケート:自由記述欄にみる意見
 アンケート調査票の最後の自由記述欄(V.最後に、愛知万博の開催について、何かご感想・ご意見がございましたら、以下の欄にご自由にお書き下さい。)には、さまざまな意見が寄せられた。、ここで、そのすべてを紹介することはできないが、以下では、そのうち興味深い意見のいくつかを、(1)万博に対する期待と批判と(2)インフラ・地域振興に関する意見と行政への期待、に分けて掲載し、コメントする。なお、カッコ内は、調査項目の1つとして利用した瀬戸商工会議所内の所属部会である。

(1)万博に対する期待と批判
 万博への関心は、「イベント開催での陶磁器の土産物はあまり売れた例はありません。」(陶磁器工業)という発言に見られるように期待度は低く、産業面ではなくむしろ、人的交流面での活性化や、市民参加型のまちづくり・人づくりの視点が多く多く見受けられた。
 ・「万博を訪れた人たちがもう一度訪れたくなるような懐の深い雰囲気を作り上げる必  要がある。」(陶磁器商業)
 ・「万博の大きな目的のひとつは近隣諸国との交流にあると思います。政府間の交流だ  けでなく、民間同志の交流が大切であると思います。」(陶磁器工業)
 ・「会社としての利益を追求するのではなく、一市民として何らかの関わりをもってい  たい。」(陶磁器商業)
 ・「市民参加型のEXPOといわれるなかで、瀬戸市民は他地域の市民とは異なった参加  の仕方があると考えます。このEXPOの参加を経て、瀬戸市が日本の中でもリーダ  ーシップをとれる住民主権型社会が確立されたという成果を得たとき、EXPOが成功  であったと評価できると考えています。」(エネルギー)
 また、既存団体の実行力のなさや市民の無関心さに失望した意見も少なからずあった。
 ・「既存団体には実行力・情熱が少ない一方で、行動ある市民グループが活性化の旗頭  になるべく行動している。」(陶磁器工業)
 ・「市民の声を聞くと、「どうせ地域活性化にならない」という声が多いのには驚かさ  れる。」(商業)
 なお、戦後の植林に携わった方々からの貴重なコメントも頂戴した。
 ・「私も学生の頃アルバイトで、丸坊主になった海上の森の植林を手伝いました。何百  年のもの里山ではありませんが、大半を切って広場にしてしまうのは残念です。、市  民、県民の憩いの場所としての公園を作ってほしい。」「 私達が植林して大きくなっ  た海上の森を大切に保ち、子孫に誇りとして伝えたい。」
 さらに、万博に対する批判コメントも多く頂いた。
 ・「今の瀬戸市は万博をどのように利用するのか、瀬戸で何がしたいのかがまったくわ  かりません。国、県、市がもたれあって互いに「何かしてくれるのではないか」と考  えているようにしか思えません。」(陶磁器工業)
 ・「瀬戸市が万博に深く関わっているのにもかかわらず、市街地活性化策は従来通りの  方法を踏襲しているだけ。環境への配慮等、積極的に取り組む姿勢を強く感じさせる  まちづくりが実行されてこそ、市民が参加できるのではないでしょうか。」(原材料)

(2)インフラ・地域振興に関する意見と行政への期待
 集計結果にもあるように、この自由記述欄にも道路整備に関するコメントが多かった。さまざまな立場の方々が、道路を中心としたインフラ整備の必要性を訴えている。
 ・「現状では、どこも一本道の交通渋滞では、瀬戸に立ち寄る車が減ってしまい、商売  に支障をきたす。」(サービス)
 ・「万博を機に瀬戸に出入りする交通網を便利にし、魅力ある都市にするべき。」(商業) また、産業振興に対して現場サイドからの貴重な意見をいただいた。
 ・「基本は陶磁器産業だが、それを乗り越えないと大きな発展はない。陶磁器→セラミックス→新産業への発展を考えていくべきではないか。」(サービス)
 ・「瀬戸の陶芸の古い伝統を残し技術を育てる方向性が必要。」(交通運輸)
 ・「瀬戸の陶磁器産業は生産・物流の機能は持っているが、小売り網の整備ができてい  ない。流通機構の改革を目指すべき。」(商業)
 ・「瀬戸における振興策は後継者育成、技術の継承である。」
 ・「文化芸術だけでない多品種量産型工業としての陶磁器産業に対する産業政策が必要」  (陶磁器商業)
 ・「新しい産業の構築には産官学の一体化した取り組みが必要。」(原材料)
 ・「観光陶業都市としての都市基盤整備を行うべき。」(鉱工業)
 以上から、小規模経営の多い陶磁器産業が次世紀にわたって地域産業を担うことを目指すならば、新商品の開発や流通機構の改革等、規模の経済性が期待できうる部分については、そのノウハウやシステムを公共財として活用できるような、産官学での取り組みの必要性をアンケートから伺うことができる。
また、中心市街地活性化や陶磁器産業中心の産業振興に対する批判的コメントもあった。
 ・「中心市街地の活性化も必要だが、周辺地域の活性化にも目を向けるべき。」
 ・「瀬戸の産業振興を考える際、陶磁器関連以外にももっと目を向けるべきではないか。」
 中心市街地の活性化や陶磁器産業の振興策を行政が推し進める際に、その意義、目的を市民・産業界に理解してもらえるよう工夫すると同時に、市民・産業界の意見を十分に聞き、いっしょに進めていくことが重要である。行政と市民・企業そして大学との「協働」作業によって、地域の価値が高まることを期待したい。
(水野 晶夫)


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