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U.シンポジウム「地域を生かす博覧会
― ジャパンエキスポ2001から愛知万博へ ― 」報告

目 次 趣旨説明
第1部 ジャパンエキスポ2001報告
第2部 パネルディスカッション

日 時:2002年3月11日 17:00〜20:00

場 所:名古屋ガーデンパレス

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[趣旨説明]
小林 甲一(名古屋学院大学経済学部長)
 それでは、「地域を生かす博覧会 ― ジャパンエキスポ2001から愛知万博へ ― 」というシンポジウムを開催させていただきたいと思います。本日は、年度末のお忙しい中、私どものシンポジウムにご参加いただきまして、誠にありがとうございます。開会に先立ちまして、このシンポジウムの趣旨につきまして少し説明させていただきたいと思います。
 私たちが、名古屋学院大学総合研究所で「EXPO2005プロジェクト研究」という形で研究調査活動を開始して既に4年が経とうとしております。皆様もご承知のように、この間、愛知万博をめぐる動きはさまざまな展開をしてまいりましたが、私たちは、常にEXPO2005が地域に及ぼす効果、その経済的・社会的・文化的な効果について、地域の視点から眺めていくという立場をとってまいりました。そして、さまざまな活動を展開してまいりました。こうしたシンポジウムも、第1回が「地域の経済社会とEXPO2005」、第2回が「地域からの再考:EXPO2005」、第3回が「EXPO2005:地域の知恵」という形で常に地域にこだわって、今回が4回目になります。
 博覧会は博覧会であって、もちろんその会場やそのプログラムの中身が重要でありますし、それを我々は忘れてはならないわけですけれども、なぜ私たちが地域にこだわってきたのか。それには、大きく分けて3つの理由がございます。まず第一に、限定された空間と期間のなかで大規模なイベントやプログラムが集中するという博覧会事業特有の性質というものが、地域の経済、社会、文化にさまざまな影響を及ぼす、このことが明らかだからだと思います。博覧会と地域開発でありますとか、また最近では20世紀型の博覧会から21世紀型に転換しなくてはいけない。あるいは、地域の発展から見て、博覧会そのものにはもう意味がないんだといったような疑問、さまざまな議論があるわけですけれども、EXPO2005がこのわれわれの地域で開催される以上は、この問題を避けて通ることはできないというふうに思います。
 それから第二番目に、今、博覧会が開催されるのであれば、それは地域づくりという視点を無視することはできないからであろうと思います。私たちの時代、そして社会は、今、地域、地域へと向いていっております。EXPO2005、最近は「愛・地球博」という形で名前を変えるように展開していますけれども、この私たちの万博でも、「自然との共生」でありますとか、「市民参加」がキーワードとなっております。これらすべてが地域にかかわっていくということだろうと思います。グローバルだからこそ、その対極にあるローカルというものが重要になってくるというわけです。
 第三番目に、最初に言ったこととは少し矛盾いたしますが、例えば前回のハノーバー博のワールド・ワイド・プロジェクトでも明らかになったように、博覧会が会場の中だけで完結する時代は終わっているような気がいたします。ですから、私たちにとって博覧会がどこで開催されるかということが重要なわけですけれども、それよりも、あまりそれに振り回されるのではなくて、博覧会の開催地になるためには何が必要なのかという問題意識を持って地域づくりと博覧会のあり方について考え直してみる必要があるのではないか。それがより重要ではないかなというふうに思います。そして、それが「地域を生かす博覧会」ということになってくるのではないでしょうか。
 昨年、2001年は、21世紀の最初の年ということもございまして、わが国では既にプログラムでご案内のように、うつくしま未来博、山口きらら博、北九州博覧祭ということで、3つの地域でジャパンエキスポが同時に開催されました。このジャパンエキスポ2001は、地域が主体となり、地域の特性を生かしながら、地域の発展のために開催された博覧会、まさにそういう博覧会だったわけです。国際博である愛知万博と比べまして、その規模も計画も大きく異なっているわけですけれども、博覧会やその関連事業というものが地域に及ぼす効果、それをわれわれが期待するかぎり、検討しなければならない課題は同じようなものであろうと思います。
 では、どのようにすれば博覧会の開催効果を地域によりよく生かすことができるのか。地域の視点から博覧会そのものや、その開催効果について考え直す絶好の機会を、このジャパンエキスポ2001がわれわれに提供してくれているのだと思います。そういう意味で、今日、「ジャパンエキスポ2001から愛知万博へ」ということで、皆さんと一緒に考えてみたいと思っております。
それでは、さっそくシンポジウムに入っていきますが、まず第1部:ジャパンエキスポ2001報告ということで、お招きいたしましたジャパンエキスポ2001のそれぞれの担当者の方々にご報告をいただきます。それから、第2部のパネル・ディスカッションに入っていきたいというふうに思います。


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第1部:ジャパンエキスポ2001報告

【うつくしま未来博】
うつくしま未来博協会総務部副部長 大河原 薫
 どうも皆さん、こんばんは。福島県ふうに言いますと「どうもおばんでございます」、そういうことでございます。ただいまご紹介いただきました福島県の「うつくしま未来博」からやってまいりました大河原でございます。説明時間といいますか、ご報告できる時間が20分ということで限られておりますので、さっそく概要の説明ということで入らせていただきますので、よろしくお願いいたします。
 皆様にお渡しされているレジュメ集の一番初めから、1ページからということになるかと思いますけれども、まず未来博の開催概要についてでございます。私どもの未来博につきましては、テーマを「美しい空間 美しい時間」というようなことで展開をさせていただきましたけれども、これはざっと言うとどんなことかといいますと、私どもの福島県、大変緑に恵まれた豊かなところでございますので、そういう美しい自然の中でこれからの新しい世紀におけるライフスタイルなどを提案していきたいなと、そういうことで「美しい空間 美しい時間」というそんなイメージを出したわけでございます。
 これの特徴でございますけれども、どういうことを考えたかといいますと、「森と共生するくらしの新世紀実験場」という非常に長ったらしいものでございますけれども、プラスアルファで「参加プログラムで満ち溢れる、プログラム“EXPO”」、要するに何が言いたいかといいますと、さきほど愛知万博さんも、市民参加と環境共生ということで「自然との共生」ということをおっしゃいましたけれども、実は、私どもの方も環境にやさしい「環境共生」の部分と「県民参加」という部分でこの博覧会をやってきたということでございます。こちらとも競合しておりますが、福島県は、栃木・福島で首都機能移転ということで名乗りを上げてございます。そういった意味で、森の中でジャパンエキスポクラスとしては初めて開催された博覧会ということで、「環境との共生」を考えております。
 これはどういうことかといいますと、いかに「環境にやさしく」だとか「環境負荷を少なくしよう」と言ったところで、博覧会というものはごく限られた地域にたくさんの方々を一時期にお集めする、来ていただくということでございますので、どう頑張っても環境負荷は高まります。その環境負荷をいかに少なくするか、そういうものを会場の中で実験をしていきたいというのがその1つでございました。
 それから「参加プログラムで満ち溢れる、プログラム“EXPO”」でございますけれども、これは、私どもが県民参加という部分で取り組んできたテーマでございます。わが福島県は、平成3年からですか、「“うつくしま、ふくしま”県民運動」ということをやっておりまして、もともとの発端は東京あたりまでは特に問題はないんですけれども、その先、例えば愛知県も問題はないかどうかわかりませんが、福島というふうに言ったときに、「福島はどのあたりに」といいますか、「仙台の北なのかい」というようなお話もございまして、なかなか自分たちのイメージアップも図れないというような部分がございました。そうであるならば、県民運動ということで、1つは県外に対するイメージアップと、それから自分たちがどうやって自分たちの県をよくしていくか、そういう運動をしてきたわけでございます。その運動のシンボル事業というような形で、アピールと自分たちの参加というものをここで訴えていきたいということで、この2つの特徴で未来博を進めてまいりました。
 会期としましては、昨年の7月7日から9月30日までの86日間ということで、途中2回の台風がございまして、一日閉場をさせていただきました。したがいまして、85日間の展開ということになったのでございますが、会場の面積としましては、約46ヘクタール、展示面積といたしましては約21ヘクタールで、あと駐車場が25ヘクタールというような形での展開でございました。
 会場地は、福島空港というのが福島の中央部にございます。須賀川市というところにございますが、そこの北東約3キロのところで開かせていただきました。そこの土地は、他の博覧会さんとちょっと違う部分がございまして、県有地ではございませんで、山の中ではございますが、須賀川市さんがテクニカル・リサーチ・ガーデンという複合団地を計画しておりまして、そこの団地をお借りして開催をしたというような状況になっております。
 入場者数につきましては、165万7,002人ということで、アンケートによりますと県内が66.4%、県外が33.6%というような比率になってございます。会期中、愛知万博さんの方からも、豊田会長さんをはじめたくさんの方にお出でいただいたんですが、やめられましたけど最高顧問の堺屋太一さんにもお出でいただきまして、私がご案内させていただきました。もちろん規模とかスケール、予算、全然、私どものものと愛知万博さんとは比較になりませんが、「愛知万博を先取りしたような博覧会だね」というようなご感想を述べていただきました。さらに、愛知万博さんでバーチャル・パビリオンといいますか、東大の広瀬先生が領域型展示ということで、ウェアラブル・コンピュータといいまして、人が着られるような小さなコンピュータを使いまして、そこにパビリオンがなくてもパビリオンが展開できるというような、そういう実験をされておられるのですが、それの実験をやはり私どもでしていただいたということでございます。
 されば、うつくしま未来博では一体何を目指したのかということで、大きく3点に分けてお話をさせていただきたいと思います。それは、まず2の@になりますけれども、「21世紀のくらしを支える知恵や技術の提案」ということで、「森と共生するくらしの提案」で、具体的な挑戦として「エコチャレンジ21」というものを行ってございます。
 これは、会場内で環境問題に対する具体的な実験をしたいという先ほどのお話でございますが、例えば、今日は皆様方に小・中学生バージョンの「エコチャレンジ21」をお渡ししております。ほかの博覧会さんには全体の概要をお配りしてあるんですが、残念ながら私どもにも、もう全体概要は残っておりませんので、これでちょっとご説明をさせていただきますが、実際に中を見ていただきますと、環境の構成要素として9つ選んでございます。水とか土とか空気とか、そういうものをどうやったら環境負荷を小さくできるかとかということで、具体的に会場の中で実験をいたしまして、「エコチャレンジ21」というのは「21世紀」にかけて「21」なんですけれども、それをさらに細分化しますと約60の実験を会場の中でさせていただきまして、その会場の中それぞれに、ここではこういう実験をしていますよというな表示をさせていただいてございます。
 この冊子につきましては、小学校4年生から中学生まで事前にお配りをして、「これで勉強してきてね」というような形でやったものですから、例えば具体例を挙げますと、開いていただきまして、5ページ、6ページあたりを見ていただきますか。水の循環利用、6ページですと、山ですので上流から沢水が流れております。その沢水を会場内に引き込みまして、まず1つは会場の周景として利用をいたしました。それを会場には中央に直径70メートルの大きな池がございまして、そこで噴水を上げたり、ウォータースクリーンを立ち上げたりということで夜間催事なんかもやったわけですけれども、そこで活用をして、さらに周景としてもう一度流して、最後には、入り口のところに博覧会で初めてだという水力エレベーター、水の力を利用したエレベーターを使いまして、その水の力で上下をさせて、さらにその水を最後にプールにためまして、会場内の散水に使うと、そんな形での取り組みもいたしましたし、それからごみは18分別ということで、なかなか今は18というのは私どもでも即対応できるかというとなかなか難しいんですが、そこには分別指導員というものを置きまして、将来的にはこんなことになるんだよと。それぞれにリサイクルという部分で業者さんを後ろにつけまして、リサイクルを図っていったというようなことでございます。
 おかげさまでアンケート等を見ますと、来場者アンケートで約7割の方がこのエコチャレンジの取り組みはよくわかったというようなご回答をいただいていますし、また学校などでその後ご報告いただいているのは、例えば牛乳パックの再生利用でありますとか、文化祭のときのごみ減量化に生徒たちがあそこで見たものをまねして取り組んでいますというふうなこととか、話し合いを持っているというようなことを最近ご報告いただいておりますので、よかったなと思っております。
 次に、「循環の理念」でございますけれども、福島県は、実は自然を森、川、海といった形で水の循環、それを大切にしていきたいということを訴えてきております。平成11年に「全国豊かな海づくり大会」を行いまして、平成12年に「全国育樹祭」、それから13年に「自然公園大会」をやりまして、最終的に未来博でそれを見せていくというような形での取り組みを行いました。農林水産館というところでこの水の循環を主に取り扱って、皆様に見ていただきました。
 それから「遊びと学びの森」と書いてございますが、これは会場内森の中でございます。里山を使いまして、会場を自然の山を1つのパビリオンというふうにいたしまして、自然を五感で感じていただくと、そういう取り組みをいたしました。それは映像系とか展示型ではない、要するにそこで触れていただく生の体験ということを大切にしたいということで、あえてローテクで開催をさせていただきましたけれども、その森の案内人といいますか、森のネイチャーツアーなどもやりまして、そういう案内人とか講師の方々も2年前からいろいろ勉強していただいた県民の方々に参加をいただいて実施をいたしたところでございます。
 それから「21世紀型都市像の提案」ということで「森にしずむ都市」。先ほどお話しいたしましたように、私どもは首都機能移転の方にも手を上げておりますので、私どもの知事が「森と共生する都市づくり、都市像」、そういうものを「森にしずむ都市」というふうにご提案申し上げております。その提案を1つ具体化したのが21世紀建設館というような形で会場の中で展開をさせていただきまして、そこはもともとが棚田の地形がございまして、棚田をそのまま再現した花畑、その花畑の中に埋もれるように緑化屋根を使ったパビリオンを展開をさせていただいて、その中で近未来の都市づくり、もし阿武隈地域に、私どものちょうど県の真ん中に阿武隈高地というのがあるんですが、そこが私どもの候補地ということで提案させていただいておりますけれども、そういう部分について、もし来たらこんな形になるのかなというような提案をさせていただきました。
 余談ですけれども、会場全体に光に対する配慮もいたしておりまして、もちろん山の中ですので、虫とも共存しなくちゃならないということで、通常ですと蛍光灯などは色温度が4,200ケルビンという温度になるわけですけれども、それを約3,000ケルビンに抑えまして、虫も寄らないような、虫を殺さずに済むような、そういう取り組みをしております。
 次のページにまいりまして、「ともに生きる社会の提案」ということで「バリアフリーに配慮した会場づくり」とございますけれども、会場はテクニカル・リサーチ・ガーデンという用地を利用したということではございますけれども、そこはもともとは放棄された桑畑、福島県は養蚕県でございますので、かつて養蚕が盛んであった頃、桑畑がございました。ただ、斜陽になりまして、それが放棄された桑畑になっていたわけですけれども、そこを利用してやりましたので、その地形をそのまま生かして会場づくりを行いました。従いまして、段差は当然にあります。その段差は段差として認めながら、地形をそのままに生かしていったのが私どもの博覧会だと思っておりまして、例えば1つのエリアごとに10メートルぐらいの段差がございましたので、その部分については先ほどの水力エレベーターとかエスカレーターとかということでの機械力での対応をさせていただきまして、エリアに上がれば2%とか2.5%ぐらいの勾配で移動しやすくしたというようなことをやっております。
 それからボランティアにつきましては、これも報告会ですのであれですけれども、実は最初私もかかわってございまして、このボランティアというのは一体どうしたらいいんだろうというふうに思っておりまして、私は一応県の職員でございますので、役人の頭からしますと、これはもう最終的にはどこかにお願いをして、どこかの団体にやってもらうしかないなというようなことで思っておったわけです。ただ、そこはそんな簡単にもいかずに、悶々と日を過ごしたわけですけれども、あるときに、会津にNPOセンターというNPOがございまして、そこが手を上げてくれました。その条件が「金は出しても口は出すな」というようなことでございましたので、それで会津のそういうNPOセンターに全部お任せをしてやっていただきました。結果、8,000人を超える8,055人ということでのボランティア、それも運営関係だけのボランティアの数でございますが、そんな形で展開をしていただいたということでございます。
 それから、「参加、交流、体験による手づくり博覧会」ということで「参加プログラム」と書いてございますが、「参加プログラム」って何ぞや。これは私どもの博覧会が県民運動というところの切り口を持っておりますので、県民の皆様に博覧会づくりに参加していただくにはどうしたらいいんだということを考えた結果でございます。要するに参加プログラムって何かといいますと、企画、立案、それから実行まで何でもいいんです。皆さん手を貸してくださいと、そういうことです。例えば、私はアイデアを出しますということで、アイデアを出していただく方、私は手足を貸しますというようなことで実際に動いていただく方、そういうものをプログラム仕立てでやっていくということで考えまして、この「プログラム2001」ということで、これも「2001」にかけたんですが、2001のプログラムをつくっていこうという努力をいたしました。結果として、2,119プログラムできまして、それも会期の直前までかかったわけですが、ようやく2001クリアできたときは本当にほっといたしました。
 参加プログラムの一番わかりやすい例ということで、若干お話をさせていただきますと、私どものところに「からくり民話茶屋」というパビリオンがございました。これはカヤぶき屋根のパビリオンではございますが、これのどういうところに参加プログラムといったかというと、例えばカヤ刈りの参加プログラム、それからカヤふきの参加プログラムなんていうことでハードは進んでいました。空港が近かったものですから、空港の周りは野焼きができません。カヤが残っておりましたので、そこのカヤを2年にわたって、それも県民の皆様のご参加をいただいてカヤ刈りをして、それを保存しておいて、「カヤ手様」というカヤをふく職人さんのご指導をいただきながら実際屋根に上がっていただいて、カヤをふいた。
 その民話の部分でございますけれども、何で未来博で民話かといいますと、福島はちょうど潮目というんですか、民話の宝庫なんですね。南の民話と北の民話がちょうどまじり合ったということで、150ほどのほとんど全国にある民話が福島県にはございます。そういうことで、語り部の皆さんがおいでになるんですが、86日間を全部ライブでやることは難しいだろうということで、当初思っておりました。従いまして、ちょっとからくりで、少し言葉は悪いですが、ごまかしちゃおうかなというようなことがもともとの発想にあったわけですけれども、これが、参加プログラムの語り部スクールというので、このからくり民話茶屋でお話したい人いませんかということで募集しましたならば、500人の方が手を上げていただきました。それで、7つの地域で語り部スクールをやりましたらば、結果的には最終的に既存の語り部さんと合わせまして228名の方にライブでお話をしていただいて、結果的には、もうまったく「からくり」は必要なくなりました。ただ、からくり民話茶屋といっている以上からくりがないといけないので、「どんでん」といって背景がひっくり返るものとか、そういうものは残して使わせていただいたということでございます。
 そういうプログラムに参加していただくということで、参加いただいた方を今度は「うつくしま未来クラブ員」というふうに呼びました。クラブ員には何の特典もございませんが、ちょっとしたカードをお配りして、「あなたは未来博にこうやってご協力いただいたんですよ」という証にしていただきましたけど、実数で7万2,525人の未来クラブ員が生まれました。その中には、グループで登録されている方や、あとは何回もいろんなプログラムにご協力いただいている方もいますので、延べにしますと10万人以上のクラブ員になるのかなと思っております。
 3番目につきまして、福島県のポテンシャルという意味で、「県内各地でのタイアップ事業」と書いてございますけれども、これは全県パビリオン構想みたいなものです。未来博は、須賀川市というところでやりましたが、そこだけでやったんじゃない。結局、未来博と一緒に県内の地域が元気にならなければ何もならないよと、そんな発想からタイアッププログラムというのを組みまして、県内の各地でいろんなイベント、催しをやっていただきました。それで、大体全県で77事業を展開いたしまして、92万人の来場者をいただいたわけですけれども、この中でアンケートではまるっきり未来博と一緒に新しくこういうタイアップをやりましたというのが75%ぐらいございまして、そのうち同じく75%が、未来博が終わっても、また今年もやりますというふうにお答えになっています。だから、これも未来博効果かなというふうなことで、私どもとしてはよかったなと思っております。
 それから「90市町村ふれあいパーク」でございますが、これは市町村の情報発信コーナーということで、これをきっかけに私どもの全市町村はホームページを持つことができましたし、ビデオをつくったり、さらには今まで地域でできなかった伝統文化などが復活をして今後も使っていくというような形になっております。
 それから、県民参加の足取り、「2001の参加プログラムを目指して」ということで特に私どもで強調したい部分をあげてございますが、ジャパンエキスポで初めて「県民参加プロデューサー」というものを委嘱いたしました。早い話がこの方は三春町という小さな町の農機具屋のおやじさんです。その方が、今までの地域づくりとかそういう部分でのノウハウを生かしてということで、実に平成10年に委嘱をいたしまして、1,100日ばかりの間に497回の講演会、それから説明会などを行いまして、約3万人の方に直接未来博への参加を呼びかけた。本人にしてみれば、月に2〜3回プロデューサーとして出てくればいいよというふうに最初は頼まれたみたいなんですが、それがもうそれどころじゃないというような状況になっていまして、ただやはり県民参加というのは、口で言うのは簡単ですけど、そんなに簡単に詰まっていくものではございませんで、最初の100プログラムを立ち上げるまでにプロデューサーとしては自分の持てる力の50%を出し切ってしまったね、なんていう話もしておりまして、その当時、知事から「プロデューサー、どうだい、県民参加のプログラムは進んでっかい」というようなお話を聞かれたときに、彼は「太平洋に向かって一人でワーワーと大きな声を出して騒いでいるようだ」というふうにお答えになったというようなことで、やっぱり相当これは大変なことなんだなと思っております。
 それから、すみません、ちょっと時間がなくなってきましたが、県民参加をやるためには、その他にディレクターや地域イベントディレクター、こういうものを一緒にディレクターと呼んでいましたが、このディレクターというのは、アイデアをプログラム化する方ということで、アイデア、私こんなことやりたいよといったときに、それを具体的なプログラムに結びつけていくコーディネーターです。それをやっていただきました。
 ちょっと飛ばしていただきまして、開催効果の部分で「社会的、文化的効果」ということになりますが、私どもの部分につきましては、通常のイメージアップ効果など8項目のほかに環境共生と県民参加の部分でいろんなアンケートを定性的に調査をさせていただきました。4ページにアンケートの代表例を挙げておきましたけれども、来場者にお聞きをいたしました未来博のよかった点につきましては、一番目が「森の風景を生かした会場演出」であります。それから二番目が「バリアフリーへの配慮」でありました。それから三番目が「積極的な県民参加」、それから四番目が「自然との共生を理解した」というような部分で評価をいただいてございまして、そのほかの県民の方々に対するアンケートなども同じような結果になっております。
 それから、経済的効果につきましては、5ページに結果を載せてございます。県内ベースで大体411億円、全国ベースで662億の投資・消費が発生いたしましたけれども、県内ベースで1.58倍の649億、それから全国ベースで2.76倍の1,827億円、そういう生産誘発効果が発生したというふうな結果が出ております。
 私どもの博覧会は、最前からお話しておりますように、県民運動の一環として進めております。従いまして、博覧会が終わったからといって、これがすべて終わりではございません。今度は、次の第3期のシンボル事業ということにつないでいかなくちゃならないということで、初めからプログラムしておりますので、県政への継承ということで、もう未来博が終わったその時点で、次にどういうふうにこれをつないでいくかということを考えていかなくちゃいけません。すなわち、その成果継承という部分での取り組みを、今もう始めております。とりあえず平成14年度は県政の優先分野の5本柱の1つとして、この成果の継承という部分での予算的なものを挙げておりまして、事業を実施していくということで考えてございますし、二番目の○印の「県民の自主的活動の展開」という部分については、もう非常にたくさんの方々に、おかげさまでこの参加プログラムで未来博の一番の成果というのは人づくり、それからネットワークづくりじゃないかなというふうに思うんですが、その部分については大きな効果があったのではないかと思っております。例えば、先ほどの語り部さんたちですが、4月にはもう語り部の会のNPO化ということで、もう一段進んだ対応をしたいというふうにおっしゃっておいでですので、期待をしているところでございます。
 それから「未来博の部屋」と書いてございますけれども、これにつきましては、そういうネットワークづくりとか情報の提供とか、そういうものが非常に求められてきております。そういったことに応えるために、2001年の12月に「未来博の部屋」と名づけまして、交流機能、サロン機能をもった場所。それからそこへ行けば情報提供が受けられ、さらには、お互いの情報交換ができる。そんな場所を郡山市という県中央部の都市のなかに1カ所設けてございます。来年度には2カ所増やしまして3カ所、さらに最後には福島県には7方部ございますので、7カ所にそういうものを設ける予定です。最終的に「未来博の部屋」という名称になるかどうかはわかりませんが、地域の振興のために、そういう地域づくり、県民運動のためにそういうものをつくっていこうと考えております。
 それから成果継承基金につきまして、そういう活動を支援するために、未来博ではおかげさまで11億7,000万ほどの剰余金を出すことができましたので、それを基金といたしまして、取り崩し型ではございますが、基金を醸成して今後の成果継承のために使っていきたいと考えております。
 すみません。若干、時間を超過してしまいました。急ぎ足で非常に雑駁な説明で申しわけございませんが、この後のシンポジウムの方で、もしできれば若干の補足をさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

【山口きらら博】
21世紀未来博協会総務部企画調整課長 河野 誠治
 「山口きらら博」の企画調整課長をしております河野と申します。こういう高い席からしゃべるのは2年ぶりくらいでして、ちょっとあがってしまって、どうなるかわかりませんが、皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
 さて、「山口きらら博」ですが、2001年の7月14日から9月30日までの間、79日間開催いたしておりました。入場者は当初、見込みよりは多少下回っておりましたが、9月23日連休でしたけれども、このときにジャパンエキスポ史上最大の9万7,000人の方においでいただくなど、最終的には200万人の目標を251万人強、財政的にも6億2,000くらいの余剰金を出すということで、何とか目標をクリアしたという状況になっております。
 また資料にもつけておりますけれども、県民参加ということでも実数で5万1,866人、山口県人口の3%強の方に参加していただき、また新たないろいろな企業化や地域活動の芽も出てきた。あとアンケート調査で資料もつけておりますが、参加された方に地域活動に積極的に今後参加していきたいというような傾向も見られるというようなことが出ております。
 また、環境の関係でも、環境アセスメントを博覧会の開催に先立ってやっておりますが、21世紀の地域環境モデルとしたいというような気持ちがございましたけれども、その中でも来場者1人当たりのごみ量の削減、それからリサイクルの徹底ということをやりまして、今まで大体200グラムを超えていたんですが、それが来場者1人当たり120.8グラム、それからリサイクル率が99.7%。会期中リサイクルできなかったごみ量が1トン弱ということで、1人当たりでしたら0.4グラム、このあたりのデータは資料としてお付けしております。そういうものを見ていただければ、博覧会に伴いまして、山口県のイメージアップとか県民参加とか、そういったものにいかにプラスになってきたかということが出ておりますので、ご参考にしていただければと思います。そういったものの積み重ねで多くの皆様から「山口きらら博は成功した」というふうなご評価をいただいているのではないかと思っております。
 ちなみに会場ですけれども、先ほど福島県さんからお話がございましたけれども、山口県も同様でして、広島と福岡の間に何かあったなと思われるようなところがございますが、会場の位置は広島市と福岡市のちょうど真ん中、瀬戸内海沿岸の阿知須町というところでした。会場地は、昭和20年代から40年代にかけて農林省が干拓したところでして、南北が約3キロ、東西約1キロ、海に面した286ヘクタールほどの干拓地です。それを昭和63年に県が買い取りまして、工業団地とか住宅施設などの利用計画を策定していたわけですが、昨今の経済情勢等の変化で計画の見直しを行い、その一部に市民参加型のスポーツ施設をつくるということを計画しておりました。それがちょうど私どもの基本構想をつくった平成9年、それと同時にこのスポーツ施設の構想が策定されておりました。多少早めというか、そちらの方が早かったんですが、博覧会はその施設の建設途上に駐車場等関連施設を含めて80ヘクタールほどの土地をお借りして開催したわけです。ちょうど時期的に企画が重なっていたということもございまして、恒久的な施設整備の整備計画について、新しい時代の地域のあり方とかビジョンをどうするかということをお互いに非常に配慮していたということもございまして、調整が非常にうまくいきました。そのことで海に面した非常に開放的で魅力的な空間をつくることができたということがございます。これが私どもの博覧会、集客の意味でですけれども、非常に大きな成功の一因になったのではないかと考えております。
 今回のシンポジウムは、先ほどご紹介があったとおり、博覧会の開催効果をいかに地域に生かすかということで開かれているわけですけれども、私どもの博覧会も博覧会というプロジェクトの特性を地域振興にどのように生かしていくかということが計画の出発点から大きな課題になっておりました。
 私どもの博覧会の基本構想について説明させていただきます。ちょっと文章になりますが、「いのちとは、人類にとって大切なあらゆる営みを示したものです。新たな千年紀が始まるこの時期に、多彩ないのちを燦めかせ、21世紀の産業、科学技術、ライフスタイルなどの新しい姿をともに見出したいという思いを込めています」。そういった思いの中で「いのち燦めく未来へ」というテーマをつけたわけですが、山口県は、この21世紀の始まる時期に、この博覧会というものを開催して、新しい時代に向けた地域づくりのステップにしたいというふうに考えておりました。
 博覧会という事業については、時代おくれであるとか、税金のむだ遣いであるとかいった批判が寄せられております。私どものところにもございました。しかし、何百万人、私どものところでしたら200万人が目標でしたけれども、愛知万博でしたら1,500万人、これだけの方が1つの場所に集まってリアルな体験を共有できるというものは、ほかになかなかない。その特性を生かすかぎり有効な事業手段ではないかというふうに、私どもは考えておりました。今日は、そういった点から具体的な博覧会の活動内容というよりも、実施に到るまでの考え方を中心にちょっとお話しさせていただければと思います。
 とはいっても、要点は2つしかありません。1つは、博覧会というものがどういったものかということを規定して、整理していって、確認したということ。2つ目は、博覧会の関係者、これは協会の方だけではなくて、例えばパビリオンを出展する方、県民・市民として参加される方、営業出展される方、それから事業として博覧会に参画される方、すべての方ですが、そういう方の間に共通認識を形成する。博覧会とはどういうものなのか、自分たちの博覧会はどういったことでやろうとしているのか、そしてそれに必要なシステムを構築するということ、そういうところに分かれているんじゃないかと思います。
 私どもの博覧会では、まず博覧会というものを地域振興事業であると同時に、情報受発信事業であろうと。それからもう1つ、収益事業であるというふうに考えまして、これらを推進する総合プロジェクトというふうに考えました。
 また、博覧会の計画を4つの大きな計画に区分しました。1つが会場計画、それから参加計画、それから集客計画、財政計画。これが博覧会をどういったものにするのかという1つのメッセージになっていったのではないかと思います。それぞれの計画ごとに内容を定義したうえで目標を設定し、それを実務上の管理体制を逐次構築して、統一的な意識をつくっていったということでございます。その中で、非常に技術的な話ですが、協会内では、すべてのセクションが担当者だけの調整会議のようなものを期間中定期的に開催していったということがございます。
 博覧会の組織体制等につきましては、責任体制とか意思決定の迅速さとかいろいろありますが、私たちの博覧会ではディレクター、専門家の方の支援をいただきながら、各計画、いろんなものを内生いたしました。計画策定の各団体で担当レベルの意思統一というのは非常に大切でしたので、こういったものを徹底いたしました。各部門別の担当者の方をどういったことを責任者ととらえるかというのは、地域とか博覧会の大きさとかによって違うかと思いますが、それぞれの担当者間の意思疎通を図ることと、もう1つ大切なのは、実感として計画と財政の責任分担、これを明確に現場まで下ろしていく、ということが大切じゃなかったかと思います。
 私どもの博覧会には、基本構想というパンフレットはありましたが、だれも博覧会を実施した経験もありませんでしたし、どんな立派なコンセプトを言ったところで、それが末端の方まで徹底しなければ、なかなかいいものにはならなかったのじゃないかと。そういう意味で明快に博覧会の進めていく方向を「山口きらら博」、これは愛称ですが、そういったものを含めまして徹底していくために、いくつかのことをやりました。
 1つは、新メンバーが加わる年度ごとに協会全員、それから関係しているディレクターの方を集めた合宿というものをやりました。その中で博覧会の理念や各地点の計画の策定状況はもとより博覧会事業の特色、それから博覧会というのはどういう財政の考え方をしていくのかということで理解を求めていきました。本来の理念や博覧会事業の特殊性なんていうことは、徐々に希薄にはなってきましたけれども、最後の年まで協会の意思統一に大いに役立ったのではないかと考えております。
 そういったことをやりながらも、先ほど言いましたが、博覧会事業というのはどういったものなのかという整理が一番大切だということは間違いありません。私どもの中では基本計画、ちょうど3年から4年前からですが、地域振興事業であると、そういう位置づけをしてきました。これは、どこでも地域振興のためにと言われているんですけれども、山口の場合も、県が主導して地域の皆さんが賛同をして開催するわけですから、当然、働きかけを行った基本構想の中からこういうことは言っておりました。特に、私どもの知事は、「山口きらら博」を幕末の人材育成に大きな成果を残した萩に松下村塾というのがございましたが、これにちなんで「21世紀の松下村塾」という言い方をして、人材育成に非常な期待をかけておりました。
 また、2点目は情報受発信事業であるということ。これも地域振興を図る目的で博覧会を開催するわけですけれども、手段として博覧会というものを選択したわけですから、博覧会というプロジェクトが本来持っている機能はどういうものなのかということをまず考えて、これをもう一回整理してみようとしたわけです。それで、先ほどもちょっと言いましたが、博覧会に関係した人々が1つの場、バーチャルではなく、例えばインターネットでやるようなバーチャルなところではないリアルな人と人とふれ合う場面、そういうものを共有していくというのが、博覧会の事業というものの1つの価値ではないか。そこを追求していくことによって共有したライブ体験を地域に持って帰る。そのようなことが博覧会事業を地域振興として選択した理由といいますか、目的の1つになってくるんじゃないかと考えました。
 3点目に、収益事業であるということを位置づけています。「山口きらら博」は、ほかのところと同じように、県とか市町村、国の場合もあるでしょうが、そういう公共団体が中心となって進めるプロジェクトなわけです。当然、公共性とか公益性とかということがあるわけですが、一面、お客様にお金を払っていただいて来ていただくわけです。ということは、興行としての価値といいますか、お客様に満足していただけるだけの高い品質というものが必ず目指されなければならないと。博覧会へ来ていただいた方、地元へ来ていただいた方へのホスピタリティということがよく言われているかと思いますが、もっと具体的に博覧会場ではそういう精神的な取り組みということではなく、大人券、私どものところは3,000円支払って来られるお客様に、その3,000円分の満足というものをお届けしなければいけない、そういうふうに考えたわけです。
 この3つ、地域振興事業であるということの成功、それから情報受発信事業であるということの成功、それからもう1つ収益事業であることの成功、この3つが揃わなければもともとの地域振興というものの目的も達成しないんではないかというようなことを考えておりました。また、具体的な会場計画というか事業計画の策定においても、先ほどちょっと言いました会場計画、参加計画、集客計画、財政計画、4つに大きく分けたわけですけれども、会場計画、これは土地の利用から景観づくり、展示、催事、営業、運営、そういった会場の中にあるようなものすべてここに含めておりましたが、開催意義を実現する場をつくる集客的な計画ということになりますけれども、これについては、会場の構成をメインにいたしました。その上で、統一的な取り扱いをしていくということを考えていました。おかげで先ほどちょっと触れましたが、海に開けた会場ということで非常にバランスよく表現することができたのではないかと考えております。
 2点目が参加計画。これも県民参加とかそういうことだけではなくて、いろんな方が参加される。企業の方も含めて、業者の方も含めて、そういったものをすべて含めて参加計画というような位置づけをいたしました。県民参加においては、主体的な参加を目指すということも考えておりましたし、博覧会への参加ということを考えたときに、私どもは協会としては県民の皆さん、市民の皆さんが博覧会に参加する、そのときの場を提供するんだと。皆さんが何かやるときに、200万人の方がそれを見る、200万人の方と共有できる、そういった場を提供するから何かやりませんかというふうな、皆さんのためにということを随分言ったんですが、そういった市民参加の視点と、もう1つ参加は先ほど言いました出展とか飲食とかいろんなものがありますから、そういう参加類型のパターンを整理して、それぞれ条件参加、範囲を明確にしていったというのがあります。私どもやってみましても、市民参加なのか企業の収益のための参加なのかというのは、非常に曖昧なところがあって、そこを整理しないと皆さん、参加された方の誤解を生んでしまうというようなことがありましたので、これは注意いたしました。
 それから3点目の集客計画ですけれども、これはお客様にたくさん来ていただくための広報とか入場券の販売とか、そういったこともあるわけですが、もう1つ大きなものとして交通の計画というのがございました。博覧会の期間中は私どものところでしたら1万人にも満たないような阿知須町というところに、多いときは10万人ぐらいの人が一日に来るわけですから、非常に非日常的なといいますか、とんでもない数の方がいらっしゃる。だったら、そういう方が来られても、そういう方たちが不便なく行き帰りできること、それから地元の方に迷惑をかけないこと。そのためにはそれにふさわしい交通計画というものが必要で、博覧会の重要な要素ではないかと考えておりました。
 それから4点目が財政計画。これは博覧会の財政というのは、表には出ませんが、なかなか出しにくい部分があるんですが、公共事業の予算とも異なるし、民間企業さんの予算とか事業費とも異なってしまいます。規模も内容も確定したものではない、変化していくものをとらえていくというところがあって、ある種の事業管理手法の確定というものは非常に大きな課題であったと考えております。
 また、そういった格好で計画を策定していったわけですが、それだけではなかなか皆さんに博覧会というものを理解していただくわけにいきませんでした。そのために、私どもの博覧会では、博覧会のテーマの「いのち燦めく未来へ」というものをもとに、キーワードとして「元気」というものを設定いたしました。やはりいろいろ話をしてみまして、非常に感覚的なところで県民の方とか企業の方とか参加される方に訴えていかなければいけないということがございました。「いのち燦めく未来へ」というものをあらゆる営みが燦めく、すなわち元気なんだというふうに言い切ってしまいまして、「元気」というものをキーワードにした。それで、それをもとに会場計画においては「元気のくに・やまぐち」という言い方をしました。お客様は会場内を周遊していろんなものと出会って楽しむ。それらの行為全体をもって博覧会を体験していただく。そういった元気に溢れたものをつくっていこうという意味で「元気のくに・やまぐち」という言い方をしました。
 また、参加計画ではコンセプトワードとして、「元気人間登場」という言い方をいたしました。県民参加において博覧会の計画運営まで参加するすべての人々を「元気人間」という言い方をして、そこで多彩な活動と交流が元気な人をつくっていくんだと、それを手段としていくんだという気持ちをあらわして「元気人間登場」という言い方をしていました。このあたりのコンセプトワード、キーワードの関係につきましては、お配りしている二次実施計画のダイジェスト版の中にも、それぞれのところに説明が書いてありますので、ご参考にしていただければと思います。
 さらに、私どもの博覧会、先ほどから「きらら博」と言っていますが、正式名称は「ジャパンエキスポ2001 21世紀未来博覧会」という名前でした。博覧会の基本理念というか、21世紀を迎える時代認識というか、危機意識というか、それを背景に新しい価値観とか新しいライフスタイルを博覧会というシステムを使って考えたいという、そういった思いからこの正式名称は決めているわけですが、これに対してやはり参加していただく方、来場していただく皆さんに、これも感覚的に博覧会を理解していただくためには、ある種商品の名前、博覧会の商品の名前として「山口きらら博」というものをつくりました。愛称の開発に当たりましては、ちょうど企業の皆さんが新しい製品をつくり出して、その名前をどうするかと考えられる。それと全く同じようなことをやっております。名前の魅力、それからイメージとの整合性等を考えて「きらら博」という名前をつくりました。
 こういった形で比較的一貫性のとれた博覧会事業の実施ができたのではないかと思っております。今、お話したことはほとんど開催2年半前までのことでございます。具体的にはいろんなことがそれから派生してできていったわけですが、実際の博覧会ではグッドデザイン賞をいただいたキャラクターであるとか、それからあと建物もございました。それから大変な盛り上がりを見せた山本寛斎さんがやられた「やまぐち元気伝説」というテーマ館で行ったライブショーというのもございました。それ以外にも、細かいことですが、落書きが全くなかったトイレであるとか、一日じゅうきれいな会場であるとか、それからあとアンケート調査でも博覧会で何がよかったかと言われたときに、私どものメインでありました先ほどの「やまぐち元気伝説」というもの、それからもう1つは夜間催事のイベント、そういったものがありました。その次に、博覧会の会場スタッフの態度が非常によかったというふうな言い方をされました。これは1つには博覧会のイメージというか求めるものを、ボランティアの方はもとより、そこに出展されている企業の方、業者の方すべてに徹底することができた。ある種のモラルを持ったまま博覧会というものを実施することができたということが大きかったのではないかと思います。
 博覧会の開催前には「“いのち燦めく未来へ”というのは何のことか分からん」というふうなことを随分言われました。それに対して、私どもの専務理事が「会場に来てください。そうしたらわかります。」とずっとおっしゃっていたんですが、博覧会が終わってその方から「専務理事、よくわかりました」と言われたことを聞いております。そういった形で、博覧会の会場というものが、非常によくできたんじゃないかと思います。さらに、こうした積み重ねで、山口県民自体が1つの成功体験をもつことができたということが、地域の自信につながったということが1つあるのではないかと思います。そこに、いろいろデータをお出ししておりますが、それ以上にこの自信というものが非常に大きかったのではないかと考えております。失礼します。

【北九州博覧祭】
北九州博覧祭協会広報宣伝部長 吉田 茂人
 北九州博覧祭協会の吉田と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、さっそくでございますが、北九州博覧祭のレジュメに沿ってご説明申し上げたいと思います。北九州博覧祭の概要でございますが、「響きあう 人・まち・技術」というものをテーマにいたしました。北九州市は、ご存じかと思いますが、新日鉄、官営八幡製鉄所が1901年に創業いたしまして、ちょうど100周年というときでございました。そういった意味で、北九州の成り立ちといいますか、やはりモノづくりの町です。そういった技術を未来に向けていかに継承していくかということにテーマを絞りまして、そこに人が主役であるということを入れてこういったテーマを設定しております。
 会場は八幡の八幡東区というところの東田地区でございまして、ここがまさに新日鉄の創業の地でございます。以前は遊休地になってございましたが、現在、区画整理事業、総合開発事業を進めておるところでございます。JR鹿児島本線がございまして、スペースワールドの横、駅の真ん前というところに立地しております。会期はちょっと長うございまして、7月4日から11月4日の124日間、開催をいたしました。入場者数につきましては、215万8,465人ということでございます。また、後でちょっと話に出ると思いますが、非常に暑い夏でした。都市型の博覧会でございますので、出足は非常に鈍かったんですね。それに記録的な猛暑が重なって、最初の客足の伸びが悪くてとても困った状況が続きました。涼しくなって回復いたしまして、開催地であります北九州市の人口の2倍強を達成したということでございます。
 ジャパンエキスポは、従来、県が主催するということで規定がなっていたんですが、今回、北九州市が立候補するということで経産省の規定も市でも主催できるということになりまして、北九州市が市として初めてジャパンエキスポをやったということでございます。
この博覧祭、どういった理由でやったのかということでございますが、先ほども申し上げましたように、やはり八幡製鉄所ができましてちょうど100周年ということで、モノづくりの一世紀を振り返りながら、次の一世紀を見据えていきたいという意味があったように思います。それからもう1つ、北九州市の長期構想、ルネッサンス構想というのがございます。2005年に一応終了するんですが、そのために、今、プロジェクトが非常に花盛りということがございまして、そういった北九州市のプロジェクトの集大成をここで一回お披露目したいという意味がございました。それから、東田のこの土地の総合開発との連動ということで、ここは平成6年から新日鉄さんの遊休地を中心に総合開発をやっております。108ヘクタールございます。この博覧祭の計画よりも前に区画整理事業を着工しておりまして、ちょうど2001年に完了するというときに、まちづくりの一環という形でこの博覧祭を開催したのであります。
したがって、従来型といいますか、博覧会を行うに当たって周辺のインフラの整備をするというやり方とは根本的に異なっております。既にあるインフラの施設を利用して博覧祭を行うということでございまして、道路であったり、JRの新しい駅であったりとか、上下水道、公園、そういったようなインフラをこの博覧祭の中に取り入れたということでございます。
 また、北九州市には博物館構想がございまして、自然史歴史博物館、それから環境ミュージアム、こういったものを将来にわたって整備していくという構想がありました。この博覧祭でこの両方とも立ち上げて、これをパビリオンで使ったというようなことも、私どもの博覧祭の特徴かと思います。
 それから、そういった「天の時、地の利、人の和」ということで、21世紀、新しい100年に向けて北九州市が飛躍するに当たって、鬨の声を上げようと。市民を挙げて鬨の声を上げようというのがまさしく博覧祭ということで、「エイ、エイ、オー」をやろうじゃないかということで行ったわけでございます。
 さらに、もう1つ違った視点で見ますと、産業と環境が両立する新しい産業都市の誕生祭であるという位置づけにしております。北九州市は工業都市でございますので、ご多分に漏れず発展をして衰退をして模索をしているというような、これはもう日本だけに限らず世界的にもそういった工業都市の運命にあろうかと思うんですが、その中でモノづくりにこだわりながら新しいまちづくりに取り組んでおります。そういったことを集大成するとともに、産業と環境の両立する、そういった新しい産業都市の誕生祭にしようじゃないかということがコンセプトになっております。
 さて、それでは、博覧祭の成果と今後の継承についてざっと説明してみたいと思います。博覧祭の成果につきましては、後でまた若干触れますが、収益といいますか、いわゆる興行ということに関しましては、ほかの博覧会と違って、残念ながら北九州市だけ赤字でございました。そこらあたりの理由についてもお話しなくちゃいけないんですが。とはいえ、博覧祭の成果を総括するに当たりまして、この博覧祭が地域発展のために何を目指してやったのか、そして何を残したのか、そして今後どういうふうにこれを続けていくのか、継承していくのか、こういったことが最も重要であろうかと思っております。
 大きく分けまして、今回、6つに整理をしております。1つは、北九州市のアイデンティティの確認、それからビジョンを共有できたということであります。北九州市、モノづくり、それと今はエコタウン事業が非常に全国的にも注目されておりまして、そういった環境先進都市である。公害を克服した歴史というものもございます。それから、アジアに近い。アジアのゲートウェイといった点。旧5市、八幡、小倉、門司、若松、戸畑、この5市が合併して北九州市が誕生したわけですけれども、その垣根を越えたアイデンティティを市民とともに共有できた。そして、どういうまちを目指していこうとしているのかということを共有できたということが、1つの大きな成果であったかと思います。
 継承事業ということで整理してございますが、14年度の新規事業として予算化するものでございます。この中では「モノづくりのまち継承・発展事業」「環境ミュージアム環境教育総合推進事業」といったものを14年度の新規事業で挙げております。それから「北九州マイスター表彰制度」というものは昨年度から始めたんですが、いわゆる匠の技を持っている技術者の方々を表彰する制度でございます。
それから2つ目に挙げられるのが、市民ネットワークの形成ということでございます。北九州博覧祭の場合は、計画段階から市民の方々にいろんな意見、アイデアを募ってまいりました。4,000件を超えるいろんな意見をちょうだいしたわけなんですが、ずっと精査いたしましてその中の7割以上を実際の計画実施の項に移しております。それだけの市民の声を生かせたということは非常によかったのではないかと思います。特に、博覧会史上初と言われております「市民がつくるパビリオン」というものが非常に注目を集めました。市民パビリオン「ムーブ未来館」と申しますが、女性を中心に市民の方7万人が実行委員会の会員になりまして、寄附金集めから計画、それから124日間の運営、すべて市民の力で行ったということでございまして、21万人の方からいただいた寄附金をもとに藤城清治さんの影絵のシアターを中心に行いまして、ジャパンエキスポ大賞を獲得するに至りました。
さらに、ボランティアセンターを協会と別組織で立ち上げまして、このボランティアセンターの運営自身もボランティアが行うというような組織でございますが、小学校5年生から90歳までの方々が、本当に暑い中、頑張っていただきまして、会場運営の大きな支えになりました。ボランティアの種類と延べ人数につきましては、こういった形でございますが、3万6,000人を超えるボランティアの方々に頑張っていただいております。こうした市民の力強いネットワーク、それから市民パワーが博覧祭をステージに結集したということでございますが、これもまた14年度におきまして新しく事業の継承ということで予算をつけているものもございます。あるいは、民間の方の動きとしまして、もともと北九州は、非常にボランティア活動が盛んなんですが、新たに市内の大学生ボランティアのネットワーク、学生連絡会を立ち上げるといった動きもありました。
 それと、会場跡地の開発促進というものが3つ目に挙げてございます。東田再開発でございますが、もともとやはり工場の遊休地ということで、市民が立ち入るところではございませんでした。今回、博覧祭を行うということで200万人以上のご来場をいただいた、それからいろんな情報を発信したということで、もともとこちらの事業の方が先行していたわけなんですが、工場跡地から博覧祭跡地へ変身したということで、非常にイメージの転換がはかれたというふうに思っております。
 それで、博覧祭が11月4日に終わったわけなんですが、11月27日に跡地の開発推進検討委員会、今まで青写真はあったんですが、それをより具体化するための検討委員会を設けまして、さっそく提言もいただいております。新しいまちづくりのための槌音も響いておりまして、4月にはもう民間施設が跡地に誕生いたします。これは暫定的な施設でございますけれども、将来に向けての第一歩を踏み出したということでございます。
 環境ミュージアムにつきましては、4月に正式オープンをすると。それからセンター棟がございまして、これは自然史歴史博物館として恒久施設になるところを活用して、センター棟としてパビリオンとか事務局とかいうものが入っていたんですけれども、そちらの方も11月にオープンするということで、着々と新しいまちづくりの槌音が響いておるというような状況でございます。
 4番目なんですが、これは経済の活性化ということで、博覧祭によります市内の経済波及効果については700億円以上、726億円ということになってございます。全国ベースでいきますと、1,492億円ということでございます。市内の新規雇用者数は期間中で3,100人ということでございます。会期中の会場内における実就業者数も延べで申しますと24万人ということになってございますので、非常に高い効果が生まれたのではないかと。それから、博覧祭を誘因として誘致した大規模なイベントも数多くなってまいりまして、昨年比なんですけれども、全国規模の大会が1.6倍になったということでございます。深刻な景気低迷の中では効果があったのではなかろうかと。よくいろいろな業者さんとお話をしますけれども、この博覧祭がなかったら大変なことになっていたというような話も伺っております。
 それから、5つ目に広域交流の促進といったことがあげられようかと思います。北九州市の場合は、北九州都市圏というものがございまして、県内にはあと福岡市、県都福岡市がございまして、福岡市との連携というものが、これを機会に非常に推進されております。どちらかといいますと、まちの成り立ちが違います。工業都市である北九州と、福岡は商業都市ということでまったく違っておりまして、今まではお互いを補完し合うというような発想はなかったんですが、これを機会にいたしまして、「福北連携」と呼んでいますが、非常に友好的な連携をやってございます。かなり具体的な形としましても、福岡の市営施設に博覧祭の看板を掲げてもらうとか、お互いのイベントをステッカーにして、それぞれの役所の公用車で張って宣伝して回るとか、今まで考えられなかった動きもやっております。韓国の釜山の方にも、福岡の世界水泳大会と一緒にプロモーションに出かけたこともございました。
 それから、今回、アジアというものも大きなテーマにしておりました。中国の大連市、韓国の仁川市、これは姉妹友好都市でございます。それから釜山市。釜山市とは姉妹友好都市という間ではないんですが、非常に近くていろんな交流をやっている。それから、さらに、今回、モンゴル政府が、地方博では初めて出展いただいたというようなことで、アジア各国の芸能とか飲食とかいうこともあわせて楽しんでいただきまして、北九州市の特性を来場者によく理解いただけたのではないかというふうに思っております。
 また、14年度の新規事業といたしまして、福岡市との高齢者の相互施設割引制度、お互いの美術館とかを高齢者であれば北九州市民が福岡の美術館に行っても割引になる、逆もまたそうであるというような制度も新設をしております。それから、共同ホームページの新設とか、そういった展開も計画されております。また、下関市さんとも関門でつながるということで連携を強化するということで、関門景観の基本構想をやる。この下関の場合は県境を越えた取り組みということで、今、非常に注目されております。
 それから6つ目に教育効果ということで、とにかく子供さんにぜひ見ていただきたいということで、会場の中ではパビリオン、それからいろんな講座、工作教室、体験型のいろんなことを子供さんに体験していただきました。皆さん目を輝かせながら楽しんでいまして、非常に勉強になったというアンケート結果もございます。これも非常に大きな効果があったのではなかろうかと思っております。
 興行としては、思わぬ誤算で赤字になってしまったということでございます。非常に残念ながら18億5,000万円の赤字になってしまいました。支出の方は予定どおりだったんですが、収入の方が思いのほか伸びなかったということでございます。この赤字の処理につきましては、その後、東田の土地の一部を、本来市が買って博物館の土地にするところを、継承事業ということで、そこの民間の所有者が無償で貸与してくれるとか、あるいは民間の経済団体とかが、北九州市は博覧祭をよくやったじゃないかということで寄附いただくとかいうことで、後々の協会が引き継ぐというんじゃなくて、市の方に補填するような形で計画してございます。ですから、実質的には5億を切るぐらいの赤字で収支決算ということになろうかと思いますし、結果的にはそうなったということでございます。
 この1つの原因は、先ほど申しましたけど、都市型博覧会に猛暑が直撃したということ。それから、それによって出足の鈍さがだんだん風評的に広がったということがありました。また、テーマがとても難しいんではないか、まじめ過ぎるのではないかとか、そういうようなことがございました。そういったところで、最初、かなり苦戦をしたわけでございます。それから会期が長くて、非常にアクセスがいいんですね。駅の真ん前であって、町の真ん中であって。そういったものが逆に裏目に出たと思います。特に、最初のころは「いつでも行ける」と。7月20日過ぎに一回電話で調査をやったんですね。1,000件ぐらいとったんですが、「9月になって涼しくなったら行きますよ」とか「今行く必要はない」というような理由で、「後で行くから心配しなくていいよ」というような意見が非常に多かったです。ただ、それがスタートダッシュに非常に響いたというふうに分析しております。
 それから、何といっても経済状況が非常に悪かった。例えば、入場料金を設定したときに、まさかこういったデフレスパイラル的な状況に陥るとはだれも思わなかったわけでして、そういった意味での見通しが非常に甘かったのかなというふうに反省をしておるところでございます。
 それから、推進体制の問題につきましては、市がやるということで財政的にも人員的にも厳しい状況の中で精一杯やってきたわけなんですが、ぎりぎりの体制で組まざるをえなかったのかなと、そこらあたりもかなりきつかったなというふうに思いますし、何といっても役所全体に危機感が、今思えばもっと危機感をもって当たらなければいけなかったなと、これも本当に反省するところでございました。後でまたシンポジウムでそこらあたりの話をお聞きになりたい方は、どうぞご質問してください。
 今後の課題といたしましては、この成果、それから反省、教訓、これを今後のまちづくり、人づくりにどう生かしていくかということに尽きようかと思います。重複いたしますが、博覧祭の成果を踏まえて、会場跡地の早期着工と賑わいづくり、それから市民のネットワークやパワーを生かしたまちづくり、広域交流とアジア戦略の促進、環境モノづくりなど北九州の個性を生かしたまちづくり、これは順不同でございますが、こういったところが大きな課題として推進していかなきゃいけないということかと思います。
 それから、反省を踏まえて申しますと、こういった大きな事業をやる際におけるアセスメントとか、いわゆるマーケティング、これも私個人的に思うんですが、あまり一般的になり過ぎたのかなと。もっと市民性とか、いろいろな特殊性とかを。どうしても何といってもわれわれは素人です。これをプロの方に、業者さんとかそれからいろんなプロデューサーとかにお願いするわけなんですが、彼らはある意味、いろんな意味でのテクニックをもっていますが、地元のことがわかりません。そこらあたりが、やはり「地元ならではのマーケティング」をやらなきゃいけなかったのかな、というふうに思っております。今後、こういった事業を行う際には、そのあたりを非常に重要視していかなくてはいけないなと、肝に銘じたしだいです。時間がまいりましたので、以上で終わります。


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