TOP>NGU EXPO2005研究>第4号(目次)>U.シンポジウム報告>第2部 | ||||
第2部:パネル・ディスカッション | ||||
「地域を生かす博覧会」 | ||||
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○木村 3つの地域で行われました「ジャパンエキスポ2001」を、今、大変明瞭に特徴づけをしていただきまして、それをベースにしながらこの後の時間、フリートーキングをしてまいりたいというふうに思っております。 実は、きょうは全然打ち合わせも台本も何もつくっておりません。といいますか、私ども、これでプロジェクトが始まってパネルディスカッションとかシンポジウムとか、毎年1回、4回目でございますが、いずれも筋書きなしで、本音で語り合うということでやらせていただいております。 冒頭に、代表の小林が地域にこだわることの意味を申し上げました。実は、博覧会を通して、あるいは博覧会を契機に地域をどうこうというのではなくて、「地域の時代」というのはもう始まっているということになっています。「地方分権」ですとか、「地域を生かす時代」ですとか、いろんなキャッチフレーズで言われているわけですが、じゃさて、地域は、今、それほど元気に生き生きと活動しているかというと、もちろん地域をどういうふうにとるかにもよりますけれども、残念ながら、中部圏を見ておりましても、日本全体の経済の動きと同じでございまして、なかなかに厳しい状況の中で、ともすれば沈滞ムードが漂っておるということだろうと思います。 実は、私どもの大学は瀬戸市にございます。瀬戸市は、愛知万博の本来ならば会場全体が、少なくとも主会場のはずだったのですが、いつの間にかだんだん縮小いたしまして、今ではシンボル的に会場が残っている、というように見えてしまっております。瀬戸の市民の皆さんは大変それに落胆をなさっていて、「博覧会がどこかに行っちゃった」、あるいは「博覧会が来ても何もしてもらえない」というような沈滞したムードが見え隠れするわけでございます。 ただ、博覧会が来てくれたら何かが起こるとか、博覧会を契機にだれかが何かをしてくれると思うこと自体が、実は、地域の時代とはまったく逆行する発想であるということであったのではないかと思うわけです。 私どもも、ここ数年、博覧会の動向にいろいろ気を配りながらお手伝いをしてきたつもりでございますが、もう一昨年になりますか、「愛知万博検討会議」というおかしなものができまして、実は私も委員でございましたけれども、いい方向で議論を進めていこうというために、つまり博覧会を早くBIEにきちんと正式登録するための作業をするはずでございました。でも、だんだんと話が横へずれていってしまった。ずれていったというのは私の個人的な思いなのかもしれませんが、その間にいろいろな環境条件の変化ですとか、愛知を取り巻く経済環境の変化等いろいろなものがあったと思いますけれども、どうもイメージと違うところに進みつつあるということになったようでございました。愛知県の方とお話ししても、瀬戸市の方とお話ししても、博覧会協会の方とお話をしても、あるいは地元でいろんな方とお話をいたしましても、どうも出口が見えない、というよりも取っかかりがつかめないというような状態が続いておりまして、何となく悶々とというか、もやもやとというのがここ1〜2年続いてきたような気がいたします。 昨年の7月末に、そういうもやもやの状態の中で、「ジャパンエキスポ2001」というのをあっちこっちでやっているようだから、一度、実際見て来ようかという思いで、まず最初、福島の「うつくしま博」へお邪魔をいたしました。福島空港へ降り立ちますと、周りに何もないんですね。驚きました。道路がえらく立派でして、全然、車が通ってないんです。夏の真っ盛りでございましたが、着いた途端に恐ろしくなってどうなることかと思ってまいりましたら、会場には、やっぱり舗装してない駐車場があって、いかにも「昔から見る地方博だな」という思いで、実は、会場の中に入ったわけでございます。 2泊3日で参りまして、「ちょっと見てだめだったら、温泉でも入って帰ろうかな」ぐらいのつもりで、軽い気持ちで参りました。そして、そこで出会ったのが先ほどの大河原さんでございました。大河原さんに少しお話を聴くつもりで、ほとんど2時間ぐらい捕まってしまいまして、いろいろと教えていただき、その中で、非常に熱っぽく県民参加のお話を聞かせていただきました。これは、何か私たち、軽いつもりで来たけれども、思い違いをしていたのではないかなという気がいたしまして、それから2泊3日で、先ほどお話に出ました会津NPOセンターにも参りましたし、会場も2度、二日間に渡って、帰りの飛行機が出る直前まで見せていただきました。大変すばらしい思いをして帰ってきて、中日新聞に3回、われわれで連載をさせていただいたわけでございます。 これはちょっと視点を変えて、せっかくだから全部見て来ようよ、ということになりまして、私は福島しか参りませんでしたが、代表の小林が3カ所全部行ってまいりましたし、ほかのメンバーも手分けをして、あちらこちらの現状をきちんと見せていただきました。今、そういう現地調査を踏まえた形で、私ども独自でアンケート調査を行う準備をしております。実際に、それぞれの県民の方々、市民の方々、あるいはその周辺で博覧会に参加された方々がどういう意識をお持ちになっているのかということを調べようと考えているところでございます。 本日は、「うつくしま未来博」「山口きらら博」「北九州博覧祭」それぞれに異なる思いで、しかし、地域を何とか活性化させようという非常に熱い思いでやってこられた、その生々しいご体験を聞かせていただきました。場所によっては数億円の赤字であったり、黒字であったりするわけですが、事業としては、それは大変重要な問題でございますけれども、実は、それ以上に、私どもがこれらの博覧会から掴んだものがあったのではないかというふうに思いをいたしながら、きょう、お話を聞かせていただいたわけでございます。 さて、この経験を2005年の愛知万博にどうつないでいけるだろうかというのが、きょうの主要なテーマでございます。もちろん、愛知万博はいわゆる国際博でございます。堺屋先生がおっしゃいますように、地方博と国際博は違うんだということであればそれまでなのですけれども、しかしながら、この地方博で得られた経験というのは、実は愛知万博そのものに通ずる非常に大きなものをたくさん持っております。市民参加、県民参加もそうです。それから、環境重視型というのもそうです。国際的な視野でというのもそうだろうと思います。いろんな意味で、これから愛知が参考にしていかなければならないものだろうというふうに考えております。 まずそのあたりから、安井さんどうでしょう。今、3つの生々しい、生き生きとしたお話を聞かせていただいたんですが、まずご感想を1つお話いただければと思います。 ○安井 私も実は3つのジャパンエキスポを昨年、それぞれ見せていただきました。そういった中で、やはり博覧会というもの、地方博、国際博という枠は越えまして、非常に共通するものがいくつかある。これがまさに私ども2005年の博覧会の1つのベースになるのではないかと思ったことがいくつかございます。 それにはまず、3つのステージがある、と私は思っております。1つは、開催前の段階に地域の見直しといいますか、長期的な地域づくりということを考えながら、一度自分たちの地域をみんなで見直してみよう。そして、どうしようかというようなことを呼びかけまして、いわば県民意識とか市民意識とか、そういうものを呼び起こす。それによって、自分たちの地域の長所・短所ありますが、そういうようなものを一度みんなで見てみよう。そして、どうしようかということが1つ根底にあったというふうに思います。これは、非常に博覧会をやっていく、あるいはほかのプロジェクトでもそうかもしれませんが、特に博覧会についてはそのことが重要ではないかというふうに思います。それが第1点であります。 それから、そういう中で、やはり市民活動というか市民の声というものがいろいろ出てくる。それを上手にくみ上げながらやっていかれたなということで、そのあたりのところ、いわば準備段階、そういうもので市民の声とそれからまちづくり、地域づくりというものをうまく絡めたような形での準備が進められたというのがあります。 第2点としては、博覧会の会期中、これは県民・市民の方も直接参加といいますか、これは福島へ行きましても、あるいは山口、北九州へ行きましても、先ほどお話がありましたような形で、いろんな形で特に県民・市民の人たちが非常に熱心にボランティアを中心にして参加をしておられる。このあたりのところを、やはりこれからの博覧会、21世紀型の博覧会といいますか、そういったような博覧会のベースになるのではないかというふうに感じました。 それと同時に、やはり博覧会の会場について、会場づくりの中で、それぞれ条件は違いますが、究極的には環境問題というものに非常に重点を置いたいろいろの会場づくりと、それから会場運営というものが行われたという点が印象的でありました。 それと一方では、目に見えないところでありますけど、例えば先ほども福島で話が出ましたボランティアセンターが全く離れたところにありながら、それでいて会津にあるNPOの組織が博覧会会場とうまく結びつき、そこにセンターを設けることによって運営をしておられるといったような、いわば広がりを持ったイベント運営といいますか、そういうものが行われたというのも1つ印象的でありますし、それと、先ほど山口ではそれぞれの市町村等においても博覧会の時期にイベントを行うとか事業を行うというようなことで、私どもではこれを広域連携といっておりますが、後でまた少しお話をしてもと思っておりますけど、そういった広域連携のような広域展開といいますか、博覧会会場だけが博覧会の場ではないというような運営をされたこのやり方というのも、非常にこれは私どもの博覧会も博覧会の会場だけでなくて、できるだけ広い地域、できれば私どもとしては、愛知県内はもちろんでありますが、東海地方、あるいは中部の各県にまでいろいろのつながりを持ちながら、できればそういった広域連携のマップなり、あるいはネットワークなりをつくっていける、そういう形までもっていければというふうに今も話を聞きながら感じたわけであります。 そういったように、会期中の段階と、それから一番大切なことは、会期後の成果の継承と活用、これは私どもこれからどうやっていくかというのは、まさにまだこれはこれから先の話ではありますけれど、やはりそういったせっかく生まれてきた、例えば県民運動とかそういった市民活動の組織というものをうまく次につないでいく、次の活動に継承していくというようなこと。あるいはまた、施設にしましても、公共事業にしましても、それらをうまく生かした地域づくりというものが考えられているという1つの成果の継承といいますか、あるいは活用といった方がいいかもしれませんが、そういうことが非常に重要であり、その点が今3つのジャパンエキスポのそれぞれのところは、まさにその段階へ来ておられるわけでありますが、そのあたりのビジョンが非常に明快に示された。これは非常に重要なことだというふうに思っております。これが第3の段階でありまして、まさに一過性の博覧会にしないと、こういう視点がそれぞれ非常にうまく組み立てられているなという点で、これは地方博であろうと、国際博であろうと、やはり非常に重要な点だというふうに思います。これは私どもに与えられた課題でもあると、こんなふうに感じたわけであります。まずは、こんなところで、概略申し上げておきたいと思います。 ○木村 ありがとうございました。市民参加といいますと、愛知万博の今のプロセスの中で、市民参加が新しいスタイルを持ち始めたというような評価を一部には得ているようなんですが、実はそういうことが既に3つの博覧会ではもう実践されている。そういう段階に来ているんだということだろうと思います。そういう意味では、私ども愛知万博にかかわろうとする市民に対しての意識の方がまだまだ遅れているというふうに、残念ながら申し上げざるを得ないわけですが、そういう中で市民・県民を動員するのではなくて、主体的に参加させる仕組みづくりというのがこれから大事になってくると思います。そのあたり、きょうお話をお聞きいただいて、中谷さん、どうですか。 ○中谷 今、座長がおっしゃった主体的な参加というのが、まさに今からの県民参加、市民参加の中で実現されなきゃいけないことだと思うんですよね。ボランティアにしてもそうなわけですが、非常に大勢の方がボランティアとしてかかわっていただかなければいけないというようなこともありまして、そういうことを思うにつけても、「借りてきた猫」を調達してくるみたいな感じでおっては、ものごとはまったく進まないという感じがするわけです。ボランティアの方にせよ、市民参加、県民参加ということで博覧会事業にかかわっていただく方にしても、自分たちが博覧会という神輿を担いでいる担ぎ手の一人として自分の意思で主体的にかかわっていくということが非常に大事だなというふうに思っています。今、安井さんに、大体、私が言いたかったことはおっしゃっていただいたのですが、今、お話された方お三人のお話を聴いておりまして、おっしゃっていることの共通点ももちろんですが、やっぱり大きな仕事を成し遂げた人の達成感というのか、自信というか、そんなものが皆さん方のお話の中からうかがえたかなというようなことを思いました。 ○木村 ありがとうございました。これはどなたでしたったけ。「山口きらら博」でしたか、県民の自信なんだと、最後はそこなんだとおっしゃった。それを聞きまして、私も、なるほどというふうに思いました。ただ、私どものように、愛知万博のまわりをウロウロしていますと、本当に1万人前後の人たちがボランティアで、会期の中だけじゃなくて、その前からいろんな形で動かれた。すごいなと思うんですね。最初に大河原さんがボランティアをどうしようかと思って少々お悩みになったという話をされましたけれども、少し3つのそれぞれの博覧会で、ボランティアとの付き合い方といいましょうか、行政とボランティアの関係をどんなふうにお考えになっているか、順番に教えていただければと思います。大河原さんからどうぞ。 ○大河原 ボランティアの関係につきましては、先ほどもお話しましたように、結局は、役人の頭ではやっぱり迫りくる期日に間に合わせなくちゃならないという1つの命題がありまして、そのためには何とかそういうボランティアをしてくれる方を探さなくちゃいけない、その受け皿をつくらなくちゃいけないという意識がすごく強かったんですね。ところが、やっぱりそうではないんだというふうに思います。実際的に手を上げていただいたときも、われわれはわれわれで努力すべきところはするんだから、やっぱりもちろん行政と協議する部分はありますけれども、協議は協議として自分たちのやりたいことをまずやらせてほしいというような部分がございました。そういう部分で、そういうことが受け入れられなければ、なかなかボランティアというものを受け入れることもできないのかなと思います。 ただ、最近の傾向としては、やっぱり皆さん方、やりたいことがたくさんあるんだと思うんですね。そのやりたいことがたくさんある中で一体何をやっていこうかというものを選ばれているんだと思うんですよ。そういうものがうまくマッチできれば、ボランティアとして本当に自主的にお手伝いをいただけるというか、むしろお手伝いというよりは自主的な活動として展開をしていただけるのではないかなというふうに思っております。 ○木村 ありがとうございます。続きまして、きらら博の河野さん。 ○河野 基本的には同じことだと思うんですが、私どもの方でもボランティア活動ということでいろんな方にお願いするときに、担当者が一番苦心したのは、例えばボランティアでこんなメニューがありますから、これやってくださいとかあれやってくださいみたいな言い方をすると、やはりどうしても博覧会協会といえども外から見ると行政機関ですから、行政機関から言われてやるみたいな形になります。それをいかにまず自分たちで企画して、自分たちでボランティアの中のメニューから考えていくみたいな、そういった動きをつくっていく。私どもの場合は、「きららネット」という外部組織を最終的には立ち上げることができたわけで、正確な言い方をすると立ち上げていただいたんですけれども、そういったところにやっていただくという事前の作業を焦らずにいかに続けられるかというのが、ある種「がまん比べ」みたいなところがあったのじゃないかと思います。 ○木村 ありがとうございます。ボランティアというのがあって、もっと言うと、市民というのは大変わがままにできておりまして、自分の好きなことしかやらない。これは当たり前なんですね。その当たり前のところをうまくみんなが好きなことをやっていくと、社会がうまく回っていくぞというのを1つ見せてみようというのが、博覧会の大きな役割かなと思ったりもいたします。北九州の吉田さん、いかがでしょう。 ○吉田 今2つのところとそんなに大きくは変わりません。基本的にボランティアセンターそのものがもうボランティアで運営されているというような状態でしたから、メニューづくりからポストの毎日の当て込みから、ボランティアさんが中心にやっていたということで、非常に助かりましたですよ。 市民参加といったときに、確かに会場の中で、ボランティアで一生懸命に頑張った人たち、それから北九州の場合だったら市民パビリオンの人たち、いろんな形で参加している人、催事場にしてもそうですけれども、これが例えば北九州が100万人いる中で、さて果たしてどれだけの人間がこれだけのぼせ上がって一生懸命やったのかというと、やっぱりどこかが足りなかったのではないかなと、実は思っています。きれいごとだけじゃなくて、もっといい方法が実はあったんじゃなかろうかなと、やっぱり思う気持ちの方がむしろ強いんですよ、私。例えばいろんな活動をやっている人はいいんです、来るんです、そしてやるんです。やってない人がたくさんいるわけですよ。やってなくて無関心な人たちがいる。無関心な人たちで博覧祭の方にも足を運ばなくて、それで後で終わってから文句を言うみたいな、そういうのが必ずあります。それをいかに無関心層に関心を持たせるためにどうすればよかったのかなと。もうちょっと時間をじっくりかけてからやる必要があったんじゃなかろうかなとか、いろんな募金の活動から含めてやってきてはおるわけですよね。市民参加がある程度成功したと思っています。成功したと思っていますが、いわゆる到達の度合いからすれば、果たしてどうだったのかなというのが実は正直な気持ちなんです。 ○木村 ありがとうございます。今、お三方の話を聞いていまして、これはボランティアというよりは「生涯学習活動者」そのものなんだろうなという気がしてまいりました。よくあちらこちらの市民会館や文化会館・文化センターなどでいろんなイベントが行われますけれども、いつ行っても大体同じ顔ぶれなんですよね。来ない人に聞くと、あそこへ行ってもおもしろいものが何もないとおっしゃる。こういう催し物があったの知ってましたかと聞くと、いや、そんなことは知らんと。全然宣伝なされてないと。あちらこちらで広報が山のようにあってもそういうことだろうと思うんです。 そういう意味では、今まで私どもボランティアといいますと、困った人を助ける、要するに阪神・淡路大震災のときのボランティアのようなイメージでしかとらえられていなかったんですが、これからのボランティアというのは、そういう社会活動を自ら実践する人たちがお互いに関係し合うというんでしょうか、助け合うんじゃなくて、やりたいことをやって1つのものを盛り上げていく、そういうスタイルなのかなというふうに思ったりもいたします。 そういう点からいいますと、中谷さん、何か県ではいいアイデアでこんなことをやろうよというものがそろそろ出てきてもいい時期かなと思うんですが、いかがでしょう。 ○中谷 来年度から県の方で地域連携プロジェクト推進事業ということで、地域の市町村から企業、それからNPOとか、いろんな住民の方々や団体等の方で協議の組織をつくっていただきながら、博覧会のテーマに関連するような事業を展開しようとされる分野、それから、博覧会の会場への参加を目指そうといったような分野、それから国内、国外いろんなところから来られる方をおもてなしをする事業ということで、3つの大きな分野設定をしておりますけれども、そういうところへ地域の方々が自発的なアイデアを持ち寄って活動を立ち上げていただこうと。それに対して県として、あまりたくさんではありませんが、補助金をお出しをするといったような仕掛けを考えておりまして、それぞれ地域の方との協議を始めさせていただいているというような状況です。 ○木村 なるほど。当然、それは博覧会協会とも連携しておやりになるんだと思いますけれども、安井さんの方から。 ○安井 それで、私たちの方は、今、言われたことをさらに広げるといいますか、今まで博覧会を盛り上げよう、支援しようという形でいろいろのイベント、あるいは事業というものを既に行っていただいているところがいっぱいあるわけでありますが、ただ、体系的なというか、そういった形の扱いをしていなかったわけですね。それを何らかの形でうまくできないかと。一方では、皆さんの方からも博覧会がだんだん近づいてくるんだから、もうちょっと自分たちも博覧会に何らかの形でかかわっていく。だから、自分たちのやっている事業を、博覧会を盛り上げるための公認事業にしてもらいたいとか、認定事業とか、何かそういったようなことができないかというようなお話もいろいろありました。 そういう中で私たちが考えましたのは、じゃ今、県の方で言われたような形での資金的補助をするということは、なかなか博覧会の今の状況からいって難しいわけですけれども、皆さん何かをやろうという方は、みんなパートナーになって登録をしていただきましょうということで、実は入り口にも置いてあって、お取りになっておる方もあると思いますし、もう既にご存じの方もあるかもしれませんが、「愛知万博パートナーシップ事業」ということで、この博覧会のテーマとかサブテーマ、そういうものに沿って何か事業を具体的にやろうという方、あるいはまたそうでなくても、いろいろの伝統的なその地域にあります伝統芸能ですとか、祭りですとか、あるいはまた一方ではこの地域にこの際国際的ないろいろなイベントを持ってこようということで、例えば2005年にオリエンテーリングの世界選手権をやろうというようなことが決まっておるわけですが、そういうようなイベント。あるいはまた、ITSの世界会議とか、そういったような国際的なイベントもあります。そういったようなもの、あるいはまた、そんな大きなものでなくても、その地域で自分たちでやってきたいろいろのイベントなど、今までやってきたこと、これを2005年に向けてどんどん充実していこうと。そして、博覧会の会場でやりたいという方もありますし、あるいは博覧会の会期中にも自分たちもそこで自分たちの地域でやって、いわば地域全体として博覧会を盛り上げていこうというような考え方を持っている方もいろいろあるということで、そういったものを全部登録をしていただいて、パートナーになっていただこうということで、愛知万博パートナーシップ事業というのを2月1日からスタートさせまして、今30近くの事業が既に登録をされております。中には、コンサートを開いていただいたとか、あるいはその中にはまた、きのうの名古屋国際女子マラソンも入っております。いきなり愛知万博のPRをつけていただくわけにはいきませんが、2005年の3月の第2日曜日には必ず行われるわけですから、何かそのときにはいわば3月25日から開かれる国際博覧会をうまくやってもらえないかといったようなことも期待しながら、もう既に登録をしていただいておりますから、そんな話もしているわけであります。 そんな形のいろいろのパートナーを、できればできるだけ早く、2005を超えるようにしたいと、こんなことを思っておりまして、県の中谷局長が新年度からスタートさせるとおっしゃったのも仲間に入ってもらうわけで、パートナーになってもらうわけでありますが、そういうのを含めて幅広くパートナーづくりをやっていきたいとと。 私どもができることといいますと、とにかくまずは登録をしていただいて、私どものホームページとか、あるいはいろいろの機関誌にその事業を紹介させていただく、こういうパートナーができました、こんなことをやりたいとおっしゃっていますよということで、その人たちのメッセージをホームページでも紹介をさせていただくことにしておりますし、それからもちろんシンボルマークなんかの利用をしていただく。そして、博覧会のときには会場で紹介をし、最後の公式記録というようなものには、こういったようなパートナーがこんな活躍をしていただきましたという紹介もしていこうと、こんなことをお約束しながらパートナーになっておっていただくということで、できるだけこのパートナーの輪を広げたいということを今、期待をし、努力しておるところであります。 ○木村 大変壮大なお話にだんだんなってまいりますけれども、実は、国際博というのは、国際博であるがゆえに地域というものをうまくつかみ切れない、あるいは特定し切れないところがあるんじゃないかと思うんですね。北九州博覧祭の場合は、アイデンティティということを明確におっしゃいました。北九州は5つのまちがくっついてできたようなところですから、そういう意味では1つのまちとしてのアイデンティティを確認するということは、非常に重要な儀式といっては何ですけれども、そういうものだったんだろうと思うんですね。「山口きらら博」では、それを「元気」という言葉で表現なさいましたし、福島の「うつくしま未来博」でも「全県で元気になろう」ということをおっしゃっていて、県外に対してはイメージアップを、県内では県民自身が参加することというところだろうと思います。そういうアイデンティティの部分がどうしても見えてこないと、地域というものを明確化できないんだろうと思います。 そういう意味では確かに愛知万博は国家事業ですから、そこのところがある特定の地域に小さくまとまっていくわけにはいかないけれども、しかし、現実にそれを支えるのは地元の人たち、この地元を愛知県と見るのか、東海4県と見るのか、あるいは中部9県と見るのかによって随分違ってくると思いますね。そのあたり中谷さん、どうお考えでございましょうか。 ○中谷 今の広域連携ということは、確かに国際博という位置づけを考えますと、愛知県にとどまらずに、広い範囲で受けとめていただくということは非常に大事なことだと。建前といいますか、正直なところを申し上げて、そういう理念としてそうあるべきだということと、実際に3県、あるいは中部9県といったようなレベルにことを置き直して見た場合に、相当温度差があることも確かなんですよね。愛知県内の人が燃えているほどには岐阜、三重、静岡、この東海4県と見た場合にも、それほど愛知県ほどにはあれでありますし、それ以外の中部9県ということになりますと、なおまたそれが希薄になってくる。大阪万博のときは、自治体館ということで全国の都道府県が全部参画をするパビリオンがありました。これはあの時代の置かれていた社会状況ということもありましょうし、あのときの総長が前の都知事をやってみえた鈴木俊一さんということで、全国知事会の事務総長をやっておられた地方自治のドンのような方でございましたので、そういったことも若干あったかと思いますが、今、私どもでは全国48の都道府県が全部参加するということは、とても難しいということで、そうは言いながらやはり国際博覧会というものの位置づけといいますか、そういった役割を考えますと、やはり少なくとも中部9県ぐらいの広域的な支えといいますか、展開といったものがぜひとも欲しいということで、中部9県に青少年公園のパビリオンの中で一緒に手を携えてやっていきたいということで話を持ちかけてご相談をしておるんですけれども、レベルが意識として私どもが期待しているところまでなかなか熟してこないというのが正直なところです。そうは言いながら何とかということで、そういったお願いやらご相談をしながら広域的な展開を1つ模索をしています。 愛知、岐阜、三重、静岡、この4県あたりになりますと、特に岐阜県あたりは梶原知事のキャラクターということもあろうかと思いますけれども、ほかの県に比べますと非常に意欲的といいますか、私は前に万博の誘致委員会におりまして、そのときにもう当時、梶原知事のところへ一度、私は随行で行っただけですが、お邪魔をしたときに、もう5〜6年前の話ですが、そんなときから「しっかりやれ」と。岐阜県内のいろんなイベントも万博のプレイベントとして位置づけをして、私らも一生懸命やるからというようなことでエールを送っていただいたり、今も同じようなスタンスでおっていただきますし、中部圏のパビリオンの中にできたら岐阜県もスペースをくれというようなことも、梶原知事ご自身としてはおっしゃっていただいているようなことも伺っています。国際博という私どもの博覧会の位置づけからしますと、できたら9県がもう少し、私たちの働きかけが足りないのかもしれませんけれども、意識を高めていただくように、もう少し頑張らないかんなというふうに思っています。 ○木村 ありがとうございます。実は、私どもの大学は瀬戸にございますけれども、私どもの大学からもう3キロも行きますと県境でございまして、向こうは岐阜県多治見市なんですね。県境のこっち側も向こう側も陶磁器の産地でございまして、いわば地域として一体であるにもかかわらず、県境をまたいで朝、大学へ出勤してまいりますと、万博のまち瀬戸、家へ帰りますと隣の県の話みたいになっちゃうわけですね。そのあたりを何とか乗り越えたいなというふうに思って、きょうはそういう話ができればなと思っておりましたら、たまたまフロアに多治見市の企画部長の国友さんがお見えになっておりまして、ちょっと一言、隣の県から見てしっかりやれよというお話でも結構ですから、何かお言葉があればと思いますが、小林先生、移動マイクはありますか。なかったらこれを。 ○国友 ご指名ですので僣越ながら。国友と申します。多治見は、岐阜県の中でも開催地に近いものですから、比較的自分のプロジェクトみたいな感覚でちょっとどちらかというと見させていただいているというところがございまして、どちらかというと、県の境はあるんですが、同じ陶磁器の近くのまちで行われておるなということでございまして、木村先生ほどはあまり県境の意識はないのかなというふうに考えております。県境をまたいで通勤される方ですと、そういう感じを受けられるのかもしれませんけれども。 近くの地域でそういう機会で何かしら地元のこれまでの陶磁器産業の振興の見方でありますとか、ある意味では全国に対する多治見のまちのPR、あるいはそれに対するモチベーションみたいなものが変えられればいいんじゃないのかなというふうに考えております。そういうせっかく多くの国内のお客様なり海外のお客様が来る機会なわけですから、そういう機会をきっかけで多治見という陶磁器のまちというカラーもありますし、市民活動が非常に熱心なまちというカラーもありますので、そういうのを何かしら表現できる場として活用できるような形で考えたらいいんじゃないかなというふうにも考えております。どちらかというと、「できるだけ活用させていただきたいな」というふうに思っておりますものですから、県境の温度差は地元の自治体としても大きく感じておりますし、そういう地元の自治体を側面からサポートするためにも、温度差はできるだけ低くしていただければありがたいなというふうに感じております。以上でございます。 ○中谷 もう1つ、ちょっといいですか。今、多治見市さんの方からお話がありましたけれども、岐阜県の東濃と愛知県の北西部のところ、三河は首都移転の候補地ということでの連携もありますし、それと最近、市町村合併が非常に声高にいろんなところで語られておりまして、今三千なにがしかある自治体を1,000ぐらいにするとかという話もあるわけですが、市町村合併が進んでいく延長線には、次の必然として都道府県合併といいますか、道州制みたいなことも出てくるだろうと思うんですね。そうなりますと、愛知と岐阜と三重というのは、言ってみれば大きなくくりでいけば運命共同体みたいなものですから、そういった意味でも、特にこの3県でのこのプロジェクトを支えていただくというのか、一緒に汗をかいていただけるようにぜひお願いをしたいなというふうに思います。 ○木村 ありがとうございます。地域の枠組みを超えてボランティア活動がうまく連携すればいい形になっていくだろうと思います。3つの博覧会でボランティア活動が大変うまく機能した、あるいは非常にたくさんの人が参加されたという背景に、私はやっぱりそれぞれの博覧会が体験型のものであったということがあったのではないかというふうに思います。今まで体験型といいますと、要するに長い時間並んで待って何かに乗ってみるとかいうのを呼んでいたわけですけれども、そうじゃなくて、実際にその地域の人たちがそこで出会って、いろんな形の文化交流をする。民話でも結構ですし、何でもいいんですが、そういう出会いの場所をきちんと確保できたということが非常に大きいことではないかと思うんですね。ただ問題は、じゃ出会いの場所をつくって、さあ市民の方と出会って何か勝手にやりなさいといっても、それは話にならないわけで、そういう意味で体験型の博覧会をおつくりになるところでのご苦心のようなものがあれば、少しお教えいただきたいと思いますが、吉田さんの方から順番にどうでしょうか。 ○吉田 催事の関係であったりとか、ボランティアであったり、運営であったり、あるいは広報もそうでしょうけれども、いろんな参加体験型という形で集い、そしてまたいろんな経験をしてきたわけなんですが、苦労、苦心といいますか、みんなそれぞれ意見が違うんですよね。それで出会って、1つのものをつくり上げていこうというわけですから、そのあたり、また行政がいらんことを調整するわけですよ。せんでいいものを。私もその一員なんですけれども。だから、とんがっているものもあったりとか、いろいろありますよね。これがもうしまいには役所がこうしてくださいみたいな形にどうしてもなってしまうというか、だからそのあたりが、やっぱり自分自身ブレーキをかけながら、いや彼らの言っていることを尊重して、自由にさせてやらなきゃいけないんだといったところがポイントになるのじゃなかろうかなというふうに思いますね。 それと、催事の参加でいろんなバンドをやったりとか、あるいは絵画とかそういった展示をやるとかいったところで、彼らが一生懸命練習してきてやるんですけれども、その日がたまたまお客さんが少ないというときがどうしてもあります。これはもう本当に主催者として申しわけないなという気持ちがいっぱいなんですよ。ただ、彼らもそういった状況の中でも一生懸命やって、「やれてよかったです」「いい経験になりました」「これからまた頑張ります」というような声を聞いて、本当に涙が出るほどうれしくなるというようなこともございました。いろんなことがありましたけれども、最初に言った、とにかくあまりいらん調整をしないことということが大事なポイントかと思います。 ○木村 大変重要だと思います。引き続いて河野さん、いかがでしょう。 ○河野 今、おっしゃった「いらん調整」というのはなかなか難しい話でして、私どもの博覧会でもいろんな市民の方に参加していただく。ところが、それを見ていただく、それを見られる方もいらっしゃるわけですよね。そうすると、あまりそのレベルに達しないものは、博覧会協会としては出ていただきたくないみたいなところがある。それを協会としてやると、やっぱりまずいわけでして、私どもの方でも「きららネット」という市民団体がつくられていましたので、そこに場所を提供することにして、すべてお任せしてそこに募集からいろんな選考とかいうのを全部お任せしたんですよ。そうしましたら、随分な数集まってきまして、いろいろお子さんが何かやるみたいなことから、本格的にプロデビューしそうな方までいろんな方がいらっしゃる、そういった方をその中で市民の立場で、県民の立場で選んで、場所をそれぞれ配分していくということをやってきました。それが非常にうまく機能したんじゃないかなと。そういうことができるまで、やっぱりじっくり先ほどの話じゃないですけど、行政とか協会の側が口を出さずにじっと我慢するということが大切なんじゃないかなという感じがいたしますけれども。 ○木村 はい、ありがとうございます。大変厳しい、しかし愛知万博にとっては時間がないという話がいつもございまして、大河原さん、どうぞ続けてお願いいたします。 ○大河原 同じようなお話をさせていただきますけれども、やっぱり辛抱強さといいますか、それが必要じゃないかなと思います。1つのことをやるにでも、先ほど「ネイチャーツアー」とか「森の学校」とかという部分のお話もいたしましたし、「からくり民話茶屋」のお話もいたしましたけど、いずれも一般の県民の方々にそれなりにと言ったのでは何ですけど、やっぱり会場に来て、会場でいろんなご案内をする。それから説明をするということは、もうその時点ではプロですよね。入場料を払って入ってきていただいている方に、適当なことはお話できませんので、いかにボランティアといいながらも、そこでちゃんと対応ができなければならないということになれば、もう一生懸命勉強していただくしかないんですね。一生懸命勉強していただくということは、少なくとも今お話しした2つぐらいはもう1年間一生懸命それだけ頑張ってもらう。場合によっては、2年間かけてやっていただいた、そういうものがございます。そういう部分で考えてみますと、あとはやっぱりそういう方々は、単純に行政が「いや、そうでないんだから、少し別なことをやっておかないと」と言っても、自分の考えもありますから、そんなに簡単には軌道修正はできませんので、そこはもうお互いに信頼関係で話をするしかないんだとは思うんですが、しかしながらやはり、それを実際やってもらうということになれば、ある程度責任も持っていただいて、やっていただくしかないのかなというふうに思っています。 ただ、結果として、例えば今の「森の学校」なんかの「ネイチャーツアー」を、実際後をついて行って見てみますと、われわれがただ山を歩けば、ただの山です。何が何だかよくわからない山なんですが、彼らが一たびいろいろ解説をしながら歩くんですけれども、本当に葉っぱの下の虫でありますとか、木の樹液というんですか、鼓動しているそういうような様子であるとか、ここの葉っぱがいつこういうふうになったのかとか、この土壌がというのが、ですから、そういうことを1つ1つ丁寧に、もう直に触ってみて、そうやって相手に教えるんですね。相手に教えるというのは、例えばそれが子供たちだったらば、ものすごく感動して帰るわけです。うちの裏山、福島なんか山ばかりですから、どこだってそういうものがあるんです。あるんですけど、実際そういうふうに体験しなければわからない。そういう部分があって、非常にいいパビリオンだったなと私は思っております。ごめんなさい、余計なことまで。 ○木村 いいえ、ありがとうございます。それぞれにボランティアの方々が自発的に、皆さん頑固にやりたいことをやり通されたんだろうと思いますけれども、そのパワーの元というのは、やっぱり自分たち自身が県民・市民それぞれが博覧会のテーマをきちっと理解しているからだろうと思うんですね。北九州、吉田さんでしたかしら、まじめ過ぎたんじゃないかとおっしゃいましたですよね。考えてみたら福島も随分まじめでして、きらら博も会期中のごみの総量が最終的には1トンぐらいですか、それぐらいしか出てこないような…。 ○河野 リサイクルできなかったものが、ということです。 ○木村 そういうことですね。最終残渣が1トンなんていうすごい取り組みをしていらっしゃるわけで、私ども博覧会、お祭り騒ぎでつい連動して考えるんですけれども、そうじゃない形で、しかも非常に重たいテーマでやっていらっしゃる。愛知万博も「自然の叡智、何だそれ」と言われながらここ数年やってきたわけで、テーマが難しいとか、抽象的であるとかおっしゃるんですが、多分そうじゃないと思うんですね。テーマというのはもともと抽象的なもので、それをいかに具体化してみせるかという話になるのだろうと思うんですね。そのあたりのご苦心なり喜びを少しずつ、今度は大河原さんの方から。 ○大河原 確かに、私の方の博覧会も、木村先生がおいでになったときも同じようなことを言われたんですが、一番最初にお話をした「美しい空間 美しい時間」というテーマ、これは、なかなか説明しがたいテーマではあるんですね。私もこれにとっかかるまでは、この未来博協会に来る前の年でしたが、この未来博の説明会がありまして、総合プロデューサーが、「美しい空間 美しい時間」というふうなお話をしたときに、バッと手を上げて、「その美しい空間、美しい時間というのは一体何なんだ。どういうふうにしてそんなことをやるんだ」というようなことでご質問したことがあったんですが、実はなかなかそうはいっても、先ほど言いましたように、かみ砕いて言えば美しい福島の自然の中でと、そしてやっぱりきらら博さんと同じですけど、新しいライフスタイル、21世紀の暮らし方、そういうものを新たに提案していきたいんだというのが中にありまして、それを具体化するために本当にまじめな取り組みをさせていただいたというのが実感ではないかなと思います。ですから、やっぱり堺屋先生なんかもおいでになったときに、「ちょっとお祭り感が足りないんじゃないの」という話はされました。お祭り感が足りないというのは、やっぱりにぎやかしといいますか、そういう部分でもう少し工夫が欲しいのかなというふうに言われたのかなと、私は理解したんですけれども、そんなことでそれぞれのところでは非常にまじめに取り組みまして、さっきの「エコチャレンジ21」も、お帰りになって1つ1つご覧になっていただければ、そんなに難しいことをやっているわけではないんですけれども、ただ、実際に会場で取り組んでみますと本当に大変なんです。この大変なことをよくもやったなとは思うんですが、ただ、それはやっぱりこれからの新しい時代の実験だということでの、自分たちの取り組みだということで取り組ませていただきましたので、そのあたりは我ながらといっては何ですが、満足しております。 ○木村 ありがとうございます。堺屋先生がお祭り感が足りないとおっしゃったというのは、多分堺屋さん自身が参加者じゃなかったからだろうと。といいますのは、私も見に行ったときに、幼稚園の子供たちのパレードですとか、どこかのお母さんたちのコーラスですとか、そういうものがあちらこちらで行われていて、あれは正直言って名古屋から福島へ飛んでいって見て楽しいものでは必ずしもないわけですが、あれはあれで参加者にとってはすごい喜びだろうと思うんですよね。そういう連携をつくり出していくところが大事なんだろうなと思いながら、私は楽しんで見させていただいたような気がいたします。 ○大河原 ありがとうございます。 ○木村 河野さん、どうでしょう。 ○河野 博覧会の中でいろんな企画をやっているわけです。私どものときも非常にまじめに取り組んで、まじめにやり過ぎた環境対策は先ほど言いましたように99.7%のリサイクル率ということで、あとどうしようかと悩んでいるくらいですが、そういうふうな取り組みはできたんですけれども、それもやっぱりある種の先ほどのお話の中でも言いましたけれども、難しいテーマをいろんな表現とか標語を変えながらも、いろんな方に伝えることができた。それによって、初めて成果が生まれてきたのではないかなという感じは持っています。きょう説明があまりできなくて、テーマに従った環境関係の取り組みとか、あと市民参加の取り組みとかというのも個別にいろいろ発展できた、展開できた。そこが大きな理由じゃないかなと。いかにわかりやすくテーマを伝えることができるか、そこが随分時間もかかるし、手間もかかったところじゃないかなという感じがしますけれども。 ○木村 そのツール自体が市民参加の形であらわれてくるんだろうと思いますね。吉田さん、いかがでしょう。 ○吉田 「響き合う人・まち・技術」というテーマを設定いたしまして、先ほどの話と重複いたしますけれども、やはり「モノづくり」と「環境」というものを2つの大きな柱に据えて展開してまいりました。モノづくりに関しましては、テーマパビリオンというもので「モノづくりメタルカラー館」、これは山根一眞さんのプロデュースなんですが、私も彼がいろいろ北九州をずっと取材をしてきたんですね。今まで、この博覧祭のためだけじゃなくて、今までずっと取材してきたものを出したんですが、彼がつくった映像を見まして、北九州ってすごいんだなと改めて思いました。われわれ役所の人間でもそうでした。北九州の工場が止まれば地球の電気がとまってしまうみたいな、結局、大きな発電所の北九州でしかものができないものを使ってやっているんだみたいな話とか、改めてわかったんですね。すごいなと思って、それで来場した人たちに聞くと、初めて知ったということがかなりありました。 それとか、すぐ近くに新日鉄のレール工場が、今も現役の工場がございます。新幹線のレールの実は80%ぐらいはその工場でつくっているんですね。これも生きたパビリオンとして開放したんです。これもやはりインパクトが強くて、鉄の塊がワッと流れてくるんですね。ガラス越しなんですが、そうすると温度がワッと上がるような感じで、そこで動きながらレールがシューッと延びていくんです。そういったものとかを現場で直接見るという、これも恐らくエキスポ史上初めての試みだと思うんですが、そういった体験をする。 あるいはメタルカラー館の中では、世界一の北九州の工場が、いろいろ金打ちの技術であったりとかロボットとかあるんですけど、そういったものを実際に置いて、それを直接見ていただくというものもやりました。やっぱりなかなか見ることができないものを子供たちから、あるいは主婦の方々とか、あまり今までモノづくりといったことに関心がなかった層にまで「ああ、なるほど」というふうに思わせた点、これは非常に大きな点だったと思います。 それから環境なんですが、環境も会場のつくりから運営に至るまで、非常に環境に配慮した博覧祭、ゼロエミッションでやってきたんですが、当初のもくろみから比べて、うちの場合はごみが出たのが1人当たり大体300グラム予定していたんですけれども、70グラムぐらいしか出なかったんですよ。その中で1つだけ誤算がありまして、これはヤシの実ジュースの殻だったんですね。これが、ヤシの実ジュースから出るでしょう。重たいんですよ。重たくて、そのガワを処理するものがなかったんですね。会期中にこれを活性炭にする技術を開発いたしまして、お客さんにいわゆる臭い取りということでお配りしてリサイクルをしたというような、会期中の途中でそういったものを工夫してやったといったこともございます。 こういったことで、テーマは非常にカチッとして決めていましたから、そういった意味では比較的、もちろんそこまで到達するまでには相当な苦労がありましたけれども、何をやっていかなければいけないんだという方向性は、最初からそんなに苦労しなかったと思います。 ○木村 ありがとうございます。それぞれに大変かっちりとしたテーマを工夫をして見せるという、まさに見せ方、そこが博覧会の醍醐味だと思いますけれども、安井さんどうでしょう、ずっとテーマが分からん分からんっていって、安井さんなんか怒られっぱなしじゃないかと思うんですけれども、何か一言ございましたら。 ○安井 博覧会のテーマというのは、いつも立派な言葉を使い過ぎて、どうもよくわからないんじゃないかというふうに私は思っておりますが、それが博覧会の博覧会たるゆえんかなとも思うわけです。私が、例えば子供たちに愛知万博のテーマを説明するときには、「自然の叡智」というのについて、こんなふうに言っています。それは何かといいますと、大宇宙の世界から本当に生き物や何かミクロの世界まで、自然というものを大変な仕組みとか力を持っている。そういうものを人間が、今まで自然というのは自分たちが利用するものであって、そんなに力を持っていないというふうに思っていたのを、実際よく見てみるとすごい力、仕組みを持っている。だから、それをもう一遍見直して、そして人間も謙虚になり、自然と人間が仲よく生活していく、そんなことをいろいろの形で、この博覧会、世界じゅうにはいっぱいそういういろいろの具体的な展示物もあるだろうし、あるいは技術もあるだろうし、あるいはずっと育んできた生活のシステムがある。そんなものをみんなが持ち寄って、そこで、もう一度みんながそれをベースにして語り合う、あるいは見せ合う。そして、次に、何をやろうかということを考える。こんなような博覧会にしたいんだと。それをしかも驚きとか、あるいは楽しさとか、そういったものがある演出が必要だというふうに思います。そんなことを私は子供たちにも言っていますし、あまり難しく考えないで、その程度でも切り口はいっぱいあると。それでしかも、そこにイベントとしてのおもしろさ、楽しさ、魅力というものが加味されるということが必要だと、こんなふうに思います。 ○木村 ありがとうございます。3つの博覧会それぞれに実は会場のスタイルが随分違っているわけです。福島のうつくしまの場合ですと、もともと住宅地の予定地であったところでございまして、ほぼ住宅地になるようでございます。先般、佐藤知事がおみえになったときに、「だれがあんなところに住むんでしょうね」って、えらい失礼なことを聞いて、「すごく名古屋に近い、空港からすぐですから、あなたも住みなさい」というふうに言われましたけれども、住宅開発がもともと予定されていたところ。 それから、きらら博の会場は、もともとあれは干拓地でございますね。本当だったら工業立地だったんでしょうけれども、別な形のスポーツセンターに変わっていった。それから北九州の場合には、もう博覧会を機にした地域開発まで考えないんだと。もともとそこにある資産をきちんと使って博覧会をまずやるんだというスタンスだったと思います。そういう点から見ますと、中谷局長どうでしょうか。私どもの愛知万博はどういう会場づくりをというか、もう会場の場所は決まっているわけですけれども、地域の中でどういう位置づけをしながら博覧会を迎え、その後に展開していくのでしょうかというあたりを、ちょっと非常に抽象的で難解なご質問かもしれませんが。 ○中谷 最初に座長がおっしゃったように、最初は瀬戸市南東部の海上の森、あそこで新住宅市街地開発事業をやる、そのベースを利用して博覧会をやろうということでスタートしたわけですが、いろいろご承知のような紆余曲折を経て、メインの会場が青少年公園という、現に使われていて、年間200万とか250万というようなたくさんのお客の来られる公園として機能しているところをあえて博覧会の会場に選んだと。実は、この4月から青少年公園は一応閉鎖をして、開催準備をして、博覧会を終えるまでということになりますと、丸4年間閉鎖をしなければいけないということで、現にたくさんの方に使っていただいているところを閉めて、そこをあえて会場にするという、考えてみれば非常に乱暴といえば乱暴な選択をしたわけですね。ということは、やはりそれだけあそこで博覧会をやることの犠牲が大きい。その犠牲を払うに値するだけの大きな成果を残す、また重い十字架を1つ背負っているんだなという感じがするわけですね。 会場へ至るアクセスにしても、今、北九州が一番の対極であるかと思うんですが、非常にアクセスのいい既設のJR駅の真ん前にあるというようなところから比べますと、会場へ直接のアプローチの手段が、東部丘陵線ができたとしてあれ一本、あとはバスなりシャトルバスでアクセスするしかないという、非常に難点の多い会場になっているということで、そういうことですけれども、難点が多いというのは、居直って考えれば工夫のしがいがあるとかというような気もしておりまして、あの会場、皆さん方もお子さんを連れられて青少年公園へ行かれた方が多いかと思うんですが、あの会場といいますか公園が博覧会になってどんなふうに変わったか、または博覧会の後にどういう公園として再生してくるか、そういうことに住んでおられる皆さん方も一緒になって考えてアイデアを出していただいたり、汗をかいていただいたりして、一緒に会場をぜひつくっていただきたいなというふうに思います。 ○木村 ありがとうございます。大分時間も迫ってまいりましたけれども、実は私、先ほどのお三方のお話を聞きながらいろいろ気になったことがたくさんございまして、その1つに吉田さんでしたか、マーケティングの問題をおっしゃいまして、プロと地元の人間の意識の差のようなことをちらっとおっしゃったような気がいたします。実は、愛知万博も同じような問題を抱えているような気がしているんですが、高名なプロデューサーなりディレクターが会場計画をおつくりになって、それ自体大変立派で、夢のある楽しいものになっていくんですけれども、なお地元との意識のずれといいますか、現場に対する認識の違いといいますか、そういうものがあるような気がいたします。そのあたりを既に経験していらっしゃるお三方から一言ずつで結構でございますから、何かございましたでしょうか。大河原さん、どうですか、どうぞ。あっ、それでは河野さんから。 ○河野 今おっしゃったように、高名な方は確かにいろいろ言われます。私どもでもいろんな方が来ていただきました。ただ、得手不得手というのは皆さんお持ちですし、言われたことをそのまま地元で実現するということは、これはまたばかなことだと、ある種思います。やはり地元の人間としてそれを消化するという作業は必ず要りますし、私どものところでも何か言われたことをそのままやりましたということはほとんどございません。必ずそこでいろんな軋轢があって、ある種競い合いながら企画をつくっていくなり、新しいプロジェクトを立ち上げるなりという作業をやっていかなければいけない。それは別にどんな方であろうと同じじゃないかなと思います。 ○木村 どうぞ大河原さん。 ○大河原 幸いなことにといいますか、私どもの総合プロデューサー、いわゆる高名というにはちょっと、要するに総合プロデューサーの選任に際して、だれがいいかということでかなり高名な方ももちろん俎上には上がったわけですけれども、21世紀をどうやって表していくかという観点の中での選択でしたので、「若い人」ということで、当時36才だったと思いますが、そういう方を総合プロデューサーとして選びました。宮本倫明さんといって、実は山口出身の方なんですが、そういう方でしたので、幸いにして彼がおっしゃることも実は私らの考えることも、お互いあれなんですね。「そう言われてもそうじゃないんじゃないか」という議論が平気でできた。と言ったのではいろいろ語弊がありますが、そういう部分では非常にそういう関係がちょっと先ほど振られたときに思い浮かばなかったのは、そんなことはなかったんじゃないかなというような部分がありまして、そういう意味で若いプロデューサーでよかったなというふうに思っております。 ○木村 ありがとうございました。 ○吉田 私のところは、やっぱり相当な議論をやりながら基本的にやっていきました。だから、もうお任せというような状態では決してなかったんです。それはそうなんですけど、やはり地元じゃないとわからない部分を、こちらからもうちょっと提起をできなかったという反省なんですね。いや、実はこうですよというところを、もうちょっとそれは具体例を言い出すと、ちょっと非常に難しい面があるんですが。今一つだけ言いますと、北九州の場合は、やはり新日鉄さんの企業城下町というようなことで、市民性が、要はお上の文化、レジャーにお金を使わないという市民性があるんです。というのは、全部会社がやってくれるんですよ、厚生事業で。だから、もともとそこらあたりは、昔から言われていることなんです。有料事業は非常に厳しいというのがあるんですよ。われわれ博覧祭をやるに当たって、いいものをつくれば人はついてくるというように基本的に思ってやってきたわけですから、そういった意味ではちょっと強気に出たことは間違いないんですが、意外とやはりそういったところが根強くありましたね。だから、結構そういった特殊性、地域性をもうちょっといろんなそういったプロの方のノウハウにプラスして、こちらから提起してあげないと、やっぱりうまくできなかったのかなと思います。だから、そういった意味では、反省として、逆にいろいろ相談する中で、「いや、北九州の人間はケチやから、金出して来んですよ」というような話までは、あまりやらないんですよね。だから、大丈夫かなと思いながらやってきたわけなんですけれども、そのあたりやっぱりマーケティングをもっとやっておかなきゃいけなかったのかなというような反省でございます。 ○木村 この地域にもそのまま通用するようなところもありますが。 ○吉田 はい、ちょっと意識してお話をしましたが。 ○木村 ありがとうございます。きょうは大変広範なお話になってまいっておりましたが、大体時間が限られておりますので、今までの議論をお聞きになって、フロアの方でどなたでも結構です。一言ご発言ございますでしょうか。これだけは言っておきたいとか、これを聞いておきたいというのがありましたら、どなたでも結構です、どうぞご自由に手を上げてくださいましたら。どうぞ高橋さん。 ○高橋 展示文化研究所の高橋と申します。私、実は大阪万博以来、いろいろ博覧会にかかわっておりまして、あちこちのその後の博覧会、海外を含めてあちこち見ておりますが、実は、きょうおいでいただいています3つの博覧会、実はどれも見ておりません。これは大変私としては残念に思っているんですが、なぜ出かけられなかったかといいますと、この地域でまったく旅行代理店のツアー計画がなかったんですね。それから、業界仲間でそういうツアーを企画したんですが、この時節、参会者が予定人員に満たなくて、どれもつぶれてしまいました。じゃということで、もっと早く自分だけでも行けばよかったんですが、ついに機会を失いまして、行けずじまいで終わりました。 この地域でそういうことが難しいのは、大変に広報計画、動員計画が希薄だったですね。ポスターもあまり張られてませんし、チラシも出回っていません。一般の観光案内のページの隅にキャラクターがちょっと載っているという程度でした。情報を集めようと思ってもまったく集まらなかったですね。事後に、ガイドブックだけでも手に入れようと思ったんですが、それも手に入りませんでした。あまり広域の動員というのを考えておられなかったのか、どの道そんな遠いところから来ないだろうというふうにお思いになったのか、しかし、愛知県というのは2005年を控えて一番のターゲットであったはずですね。そういうところでさえ広報が非常に希薄だったということはなぜなのか、そのあたりのところをちょっとお聞かせいただければというふうに思います。 ○木村 ありがとうございます。どなたでも結構です。じゃ河野さん。 ○河野 今おっしゃった、そのとおりの実態だと思います。私ども博覧会をやるときに、先ほど説明のときの集客計画というのを立てております。そのときに集客圏というのをつくっておりまして、愛知からも確かにいろんな愛知万博等の関係で関心を持っていただけるだろうと思いました。ただ、一般のお客様の集客ということで考えましたときに、投資するだけの効果が多分ないであろうと踏んだのは確かでございます。 例えば東京でやる場合には、ある種全国発信するということで、東京のメディアに乗るようなことを考えていく、これはあるわけです。大阪も私どものところでしたら、ある種一日で行って帰ろうと思えばできる、ある程度の集客圏として考えておりました。そういう意味で申しわけございませんけれども、愛知というところは戦略的に落としてしまっていたというところがございます。申しわけございません。 ○大河原 逆に私どもの方はといいますか、多分山口さんの方は、第一次集客圏が大阪までなんです。私の方は東京までなんです。申しわけございません。それで、第一次に集まってきていただく、集客していただく範囲というのがその範囲で、第二次といいますか、私どもの部分で言いますと、福島空港が間近にありますので、実は名古屋というのは就航先ということで、私どもとしてはそれなりにキャラバンをやったり、あとは新聞社回りをしたりというような努力はさせていただいたつもりではございます。ですが、やはり例えば私どもがキャラクターを連れて新聞社に回っても、取り上げ方としては弱いといっては何ですけれども、そう大きく取り上げていただけない恨みもあったのかなというふうに思います。 ○木村 これはそれぞれのジャパンエキスポの問題というよりは、むしろどうして日本国際博覧会協会がそういうことをプレイベントとして位置づけられないのかしらというふうに、ちょっと辛口に申し上げますと、そういうことがあればいろんな連携がもう少しスムーズになった。それぞれのところに博覧会協会も県も私どももみんな見に行っているわけですよね、関心を持って。だけど、それが市民のものになかなかならなかったというのは、ちょっと残念だったなと思います。まだ、今後いろんな形でそういう経験を生かしていければというふうに思ったりいたします。いろんなお話が出ておりまして、まだまだ議論は尽きないわけでございますけれども、そろそろ時間でございます。安井さん、どうでしょう、きょうのお話を全部まとめた形で一言いただけましたら。 ○安井 私たちがあと3年という期間の中で、今3つのジャパンエキスポのご経験を教訓にして生かしていくということになりますと、しかも私どもは国際博ですから、そういう国際という視点も入れながらやっていくということになりますと、これは相当ハードな仕事だなと思いますが、とは言うものの、やはり一番原点はこの地域でまず盛り上げる。そのための市民参加の問題、あるいはこの地域の跡利用といいますか、そういうビジョンをどういうふうに明確にしていくかといったようなことも含めて、やはり地域の人たちと一体になって、まさに私が先ほど申し上げましたように、パートナーとなっていただいて、いろんな形で参加をしていただくということをまず原点として頑張っていきたいと、こんなふうに思います。 ○木村 ありがとうございました。地域振興ですとか、情報発信ですとか、愛知県が抱える課題はたくさんあると思います。それをクリアしなければ博覧会もうまくいかないし、愛知の将来もないというところだと思います。どうぞ中谷さん、局長としてのお考えを最後に一言いただければと思いますが。 ○中谷 ありがとうございます。今皆さんご承知のように、愛知県は非常に財政的に厳しい中で、博覧会の開催準備とそれから中部国際空港の開港準備ということで、ともすれば非常に手厳しいご意見もいただくわけですが、この2つの大事業を成し遂げることが新しい愛知の展開に向けて、非常に大きな役割を担うということを信じながら一生懸命頑張っております。きょうは、昨年開催されたジャパンエキスポ3カ所の方々がお越しいただいていろいろお話を伺ったわけですけれども、ちょうどそれぞれの博覧会が終わられて半年ぐらいたって、ちょうどこなれたいい状態のお話を伺えて、大変ありがたかったなと思いまして、先行して走ってみえる3団体の博覧会後のありようなども、よくよく参考にさせていただきながら、私どもの博覧会をぜひとも成功させたいというふうに思っておりますので、皆さん方のご支援をまたよろしくお願いいたします。 ○木村 どうもありがとうございました。きょうの議論を通しまして、博覧会は要するに人づくりだと。そして、この博覧会後に何を継承していくかということだろうと、この2つの問題は非常に重要だと思います。実は、この2つの問題は別の事柄ではなくて、人づくりがあって初めて博覧会後の私どもの地域のあり方を考えることができるんだと。そういう意味では、地域が本当に自律的にこれから生きていくための非常に大きな結節点になりうるのが博覧会だというふうに勉強させていただいたと思います。 3カ所の博覧会会場からお三方に来ていただきました。大変ご苦労様でございました。昨年の博覧会は本当に大成功であったというふうに私どもは見させていただいております。これを愛知万博にぜひいい形でつなげていきたいというふうに思います。安井さん、中谷局長、どうもありがとうございました。 フロアの皆様方、本当に長時間にわたりまして熱心にご参加いただきまして、ありがとうございました。これをもって終わりますけれども、このきょうの議論をぜひ2005年にいい形で実を結ばせるように私どもも努力してまいりたいと思います。皆様と一緒にやってまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 |
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第4号(目次) |
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