これまで私が書いた文章をここに載せます。学術論文にあたるものは「研究室」に掲載する予定です(近日公開)。いわゆる「雑文」のたぐいだと思ってください。
他にこれからいろいろと自分の思ったことを書いてここに掲載するつもりです。
目 次
「もっと広く、もっと深く:中部支部長就任ご挨拶」
『LET中部支部便り』No.72 巻頭言 2004年10月
「言葉と共同体を絶滅から救うもの」
『LET中部支部便り』No.71 巻頭言 2004年4月
「探し物は「言葉」だ」
『LET中部支部便り』No.68 巻頭言 2003年4月
「風のにおい」
『LET中部支部便り』No.64 巻頭言
「大場さんのこと」
『LET中部支部便り』No.63 2001年11月
「英語の楽習」の学習(小さい時にできること)
某保育園ニュースレター(?)
アンドロイドは電脳キャンパスを人間的にするか(正式版/オリジナル版)
『LET中部支部便り』No.61 2000年12月
ご出産お祝い New
(私信より 2000年9月20日)
「コンピュータを利用した英語教育の明暗: コンピュータで英語教育をやろうとしている人たちへ」
『現代英語教育』(研究社出版)Vol.35 No.12,
1999年3月1日
外国語教育の中の「ラムネ氏」
『LLA中部支部便り』No.53 1998年3月
「私のオールタイムベスト」
『アルファ』(名古屋学院大学図書館報)Vol.9
No.2 1997年10月
もっと広く、もっと深く:中部支部長就任ご挨拶
『LET中部支部便り』No.72 巻頭言
2004年4月から中部支部長を拝命いたしました。会員の皆様の期待に応えられるようにがんばりたいと思います。
そもそも外国語教育メディア学会(LET)は、その前身の語学ラボラトリー学会(LLA)がそうであったように、常に新しいものを求める学会です。LLAの時代にそれを代表するのはLL教室でしたし、現在ではネットワークでありコンピュータでしょう。外国語教育を様々な機器を使って改革しようという意気込みは、その時代の外国語教育の反省に繋がり、より斬新で効率的な教育方法を追究してきたわけです。それは現在でも脈々と受け継がれており、「LETというのは機械がわからないと参加できないんですか?」という素朴な疑問をもしばしば耳にします(もちろん誤解です)。
しかしわれわれの学会の「新しさ」というのは機器へのマニアックな陶酔ばかりではなく(それは大切なことだと思いますが)、周辺の関連分野に果敢に領域を広げてきたことにもあります。おそらく英語教育関係の学会の中で、小学校英語教育の研究に最も熱心に取り組んでいるのは私たちでしょう。ありとあらゆる分野をどん欲に取り込み、そこに可能性を探し出していくという姿勢はまさにLLAで活躍された先輩方が、当時のLL教室の中に夢を追いかけていた頃と変わるものではありません。
このようなLETの中で、中部支部は図体は小さいのですが(全国4支部の中の3番目)、多士済々のメンバーの活躍で、LETの精神を最も鮮やかに体現している支部だと言えます。現在、学会は会員の先生方の研究・教育活動に関して日常的で継続的な情報交換が求められています。ネットワークを利用した様々なインフラの整備をいっそう進めていきたいと思います。また、同時に、人と人とが出会って情報を交換する機会も必要です。これには、研究部会の例会を充実させていきたいと思います。
さて、支部長を拝命するにあたって、副支部長に尾関修治先生(新任、中部大学)、事務局長に高橋美由紀先生(留任、兵庫教育大学)をお願いしました(14ページに自己紹介が載っています)。若いチームで中部支部から新しい風を吹かせたいと思います。どうぞご期待ください。
「言葉と共同体を絶滅から救うもの」
『LET中部支部便り』No.71 巻頭言
現在の英語学習熱はおそらく史上最大ではなかろうか。「猫も杓子も」というと一生懸命勉強している人に失礼ではあるが、それにしても、である。これは日本だけの話ではなくて、世界中で起こっている。確かに、英語ができるということは、世界中で何か仕事をするときに大変有利になる。また、将来の日本では、外国から労働者を呼び込まなければ必要な労働者の数を確保することができなくなる可能性があるが、その時に「日本語ができる人」という条件を出せば、有能な人材を確保しにくい。日本の中に英語でも暮らしていける環境を整備する必要が生じる。だから、「英語第二公用語論」という話まで現れるのである。
世界で使われている主要言語についても、変化は進んでいる。グラッドル(1999)によると英語の世界制覇はまず間違いないところであり、現状よりもさらに英語の勢いは増すらしい。グローバリゼイションの廊下の端には英語一極支配が待っている。
英語はますます世界中で使われるようになり、そのために皆が英語をマスターしようとお金と時間を費やすのである。
しかし一方で、ネトル&ロメイン(2001)によると、言語学者は世界の言語総数を5,000から6,700と推定しているという。もちろん実際には言語の数え方は様々であるので、この数はもっと膨らむ可能性がある。また同じく、「世界のほとんどの言語は書かれることもなければ、公式に認められることもなく、地域共同体や家庭における機能に限定されていて、非常に小さな集団の人々によって話されている。世界の言語における話者の中央値は5,000から6,000人にすぎず、言語の85%近くは10万人以下の話者しか持たない。」とも述べている。そして、全世界の言語の60%は1万人以下の話者しか持たず、絶滅の危機に瀕している。いや、本当は危険な言語の数はもっと多い、という声ももちろんある。
ネトル&ロメイン(2001)は、若い世代に継承されない言語は間違いなく衰退すると言う。若い世代が使いたいと思わない言語は、話者の平均年齢が上がり、絶滅への道を歩み始めることになる。
さて、LETもどんどん新しい人たちが入会してくる。その意味では発展の途上にあるのだろう。価値観が違う人たちが集まって活発な議論を闘わすのが学会のあるべき姿であり、とりわけ年齢というのは、価値観の違いを生じる大きな要素の一つである。学会は同じ分野を研究する人たちが集まって、研究を深め、情報を交換する場であるという考え方は正しい。しかし、それに加えて、同じ分野の中でそれを乗り越えようとする人たちや、見解を異にする人たちも参加していることも忘れてはならない。だからこそ、私たちは議論すべきなのである。だんだん私も馬齢を重ね、年上の先生方とばかりでなく、年下の先生方とも議論のしがいが出てきたと感じる。「ひとこと言わせろ!」という人たちが活発な意見を言い合う共同体は滅びることはない。年長者はその経験ゆえに尊いが、年少者も経験に囚われずに考えることができるからこそ尊いということも言いうる。皆さんもぜひご参加下さい。
「探し物は「言葉」だ」
『LET中部支部便り』No.68 巻頭言
Fries(1945)は外国語教育の第一段階の目標として「...それはまず音体系を修得すること―談話の流れを理解し、音の示差的特性を聞き分け、自分の発音をそれに近づけること―である。第2に、その国語の構造を形づくるところの語順の特徴を修得することである。」と言い切った。つまり、この2点に最初の学習を集中すれば、その後は、学習者各自の言語経験を積み上げることで目標言語は容易に習得できると考えたのである。
このような実に簡明なスローガンによってFriesのOral Approachは一時世界中でもてはやされた。確かに、それまで曖昧だった外国語教授法に一筋の光が差したように思えた。
その後、Chomskyの生成文法が登場し、Friesらがもとにした理論は徹底的に批判される。それとは別にCommunicative
Approachの考え方が普及し、Friesらの考え方は外国語教育の主人公の座を降りた。「言葉はそんな単純なものではない」というのがCommunicative
Approachからの返答であった。
もとより、言葉のように極めて複雑な現象を、ある一つの側面からだけで説明しきることは不可能に思える。「あまりにも多くの要因が絡んでおり、簡単に結論を得ることはできない。」ということだ。それはその通りだろう。だから、言語の多様な側面を研究するために応用言語学のいろいろな分野が登場した。その中でも社会言語学は共同体の中で言葉がきわめて多面的な働きをすることを次々に解き明かした。心理言語学は言語習得の仕組みを明らかにした。言葉の説明は膨大になり、そして精緻になった。「言葉をひと言で説明するなんて、そんな単純なものじゃないよ」というコメントは穏当なものだったかもしれない。
しかし、それでもなお、「言葉を学習するとは何か」という問いは頭をぐるぐる回る。人間の時間と労力は有限であり、見通しのつかない外国語学習にいつまでもつき合ってはいられないからだ。だから、外国語学習の全貌を記述して、Friesが試みたように、そこに段取りをつける理論が必要なのである。
吉田拓郎はかつて知識人を揶揄して「語りつくしてみるがいいさ」と歌った(「知識」『今はまだ人生を語らず』)。自分だけが安全な場所にいて偉そうに言葉だけをちゃらちゃらさせる人々に拓郎は腹を立てていたのだろう。
語りつくせるかどうかはわからないし、ましてスマートに語れるかどうかもわからない。けれども、目の前で展開する言語学習の現場を見続けていると、そこに何かが埋まっている、という妙な確信があり、ときどきそれが幻のように目の前を通り過ぎることがある(すぐに消えるが。)
私の仕事は、それを語る「言葉」を探すことである。
(あいもあいもかわらず締め切りを大幅に過ぎて怒られて書いた。自分の研究のスタンス、というか、施政方針を書いたつもりである。)
「風のにおい」
『LET中部支部便り』No.64 巻頭言
小学校での英語教育が2002年4月から導入される。もちろん「「総合的な学習の時間」の「国際理解教育」の一環として」と、但し書きが長いが、それでも画期的なことであろう。これまで、中・高・大学の英語教育に携わっている人たちから本格的な議論はなかった。いや私が聞いていなかっただけかもしれないが、少なくとも小学校やそれ以前から英語教育を実施するのは一部の人たちだけだという意識が抜けなかった。「英語って子供の頃からやった方がいいですよね?」と訊かれると、「いいえ、そうとも限りませんよ。」とその場を適当にごまかしていたのである。
例えば近い将来小学校3年生から科目として導入されるとして、4年間の英語学習が小学校で実施されることになる。不謹慎だといわれるかもしれないが、教育の市場に突然莫大な金額の需要が出現することになる。そこにはお金(いや、もっと明確に「札束」と言ってもいいが)が落ちているのである。不謹慎のついでに付け加えると、小学校の4年間の英語教育が実現すると、その4年間を過ごしてきた小学生が中学校に進学したときに、英語の時間では何が教えられるのか?まさか、小学校4年間英語を学習していて、文字も文法も何も教えてもらわないわけがないから(現在のように「小学校では文字を導入しない」というのは偽善にすぎない)、中学校1年生の4月にはある程度の英語能力をつけてくることになる。その時は、指導要領から教科書まで、全く白紙の状態から作り直す必要がある。そうなると、そこにも大きな市場が現れるわけである。だから、ことは小学校だけに限った話ではなく、すべての英語教育に金儲けの話しが転がって、もとい英語教育全体が再構築されることになるのである。
どんなに太平な世の中でもそれがずっと続くことはあり得ない。敗戦後に義務教育が中学校まで延長され、英語が導入されたときに、まともに英語を教えられる教員はどれだけいただろうか?あの時の衝撃を我々英語教師はすっかり忘れてしまっていたのではないか?ものぐさな私であるから自分から進んで変化することはどうころんでもなかっただろうし、金のなる木を見逃したことも仕方がない。しかし、周囲の風のにおいが変わっていたことくらいは気づいてもよかったのではないかと近頃反省することしきりである。
ところで、「忘れられた日本人」(岩波文庫)などの名著を残した宮本常一は故郷を離れるときに父親から言われたことを書き残している。その最後に、「人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ」とある。
「まさか!」と思っていたことは実現するものだ。英語教育界のマーフィーの法則である。
(『LET中部支部便り』No.64で巻頭言を書く予定なので、その下書きを書いていた。以前の「アンドロイドは電脳キャンパスを人間的にするか」も、「生」と「加工済(毒抜き)」と2つのバージョンがあったが、この文章はまだ「生」である。当たり前のことだが、このままでは掲載できない(でしょうね?)これから、この文章の毒抜きにかかる。とんがった角を取って、丸くするわけである。)
「大場さんのこと」
『LET中部支部便り』No.63 2001年11月
大場さんに初めて会った時のことはよく覚えていない。LLA(当時)の支部大会で紹介されて、その時、「あっ、前にお会いしましたよね」と挨拶したのは覚えているから、多分その前に会っていたんだと思う。LLAの支部大会で受付に座っていたり、会場の設営であちこち動き回っていた姿を覚えていたのだろう。
事務局を引き受ける1年前に、全国紀要の編集の仕事をしていて、その時に中部大学の語学センターに出入りを始めた。それが終わる頃に、中部支部事務局を引き受ける話が出て、大場さんのところに引き継ぎに出かけた。「パソコン通信が出来るようにしておいて」というのが大場さんからの要望だった。当時はファックスが一般の人の最新技術で、パソコン通信というのは一部のマニアのものだったが、そうも言っておれないので、名古屋の大須に行ってモデムを買い、ニフティに入会して、ずっと語学センターに出入りしながら事務局の仕事をやっていた。
大場さんは何でもよく知っていて、困ったことがあるとドラえもんのポケットのようにすぐに答えを取り出してくれた。1995年に中京大学でやったLLAの全国大会では、毎日遅くまで語学センターで大場さんと掲示物の用意をしていた。「コーヒーより果汁100%のジュースでビタミンCを採った方が眠気が取れる」と教えてもらって、毎晩、日にちが替わってから車を走らせて帰った。
表に出ることを極力嫌っていたが、自分の仕事にプライドを持っていて、学会の仕事でも裏方から人のことをよく見ていた。「偉そうに言うだけで結局自分では何もしない人だ」と、いつだったか大場さんが人を評するのを聞いたことがある。そういうことを言われないように生きたいと思う。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
(学会のことでずっと一緒に仕事をしてきた大場毅さん(中部大学)が8月初めに逝かれた。5月に入院されてから、本当にあっという間の出来事だった。この文章は「支部便り」で大場さんの追悼記事を載せたときに書いたもの。いろいろなことが頭の中にどっと押し寄せてきた。その思い出を淡々と綴ったつもりだ。)
「英語の楽習」の学習(小さい時にできること)
(某保育園ニュースレター(?))
「小さい時から英語を勉強させると将来英語で苦労しない」とか言われます。大人になって英語の勉強を始めるよりは子供の時からやっておいた方が楽にマスターできるのではないか?これは本当でしょうか?
いろいろな考え方があって一概には言えないのですが、小さい時から始めると、余裕ができるのは事実です。何の余裕かというと、「英語を楽しむ余裕」です。中学校から始めるとすぐに高校入試が待っています。それだけに責任を負わせるのは酷ですが、やはりテストのための勉強を常に意識しなくてはなりません。
「英語を勉強する」と言うよりは「英語を楽しむ(英語の「楽」習ですね)」経験をした人は生涯にわたって外国語の勉強に好感を持つようになります。そのことで外国語の勉強をずっと続けることができれば、きっと素敵な人生になるでしょう。子供の時から余裕を持って始めると、こんな経験をすることができます。
テストの点数はすばらしくて、いい大学にも入ったけれど、英語は二度と勉強したくない、と思う人よりも、学校を卒業してからも自分で英語の勉強を楽しんで続けられる人の方が、英語ができるようになる可能性が高くなります。「人より早く始めたら中学校に入学して成績がよくなる」とか、目先のことばかり考えずに、英語を楽しむことを学習させることが、子供の時から英語を習わせるときのポイントです。
(この文章は、赤楚先生から頼まれたもの。どこかの幼稚園のニューズレターに載せるとということで書いた。普段と読者が違うので、語り口を決めるのに少々苦労した。書いてあることはデータの裏付けもあって、本気でそう考えている。)
アンドロイドは電脳キャンパスを人間的にするか(正式版)
(『LET中部支部便り』No.61 2000年12月)
21世紀には何が実現するだろうか。
「どうせ100年後のことなどわからない、」という答えは今の学生が授業中に自分でわかりそうもない問題に対して、とりあえず「わかりません」を連発するのと同じである。
さて、鉄腕アトムと鉄人28号とエイトマンを見て育った私としては、いわゆる人間型ロボットというものに違和感は全くない。「ロボットの教師が教える未来の学校」という絵柄は鉄腕アトムを見て育てば、当たり前の未来の風景である。
「コンピューター利用の英語教育」などというケチなものではない。人間の形をしたアンドロイドが、インプットされたカリキュラムに従って授業を進め、学生の反応から彼らの理解度をモニターし、それをフィードバックして次の授業の計画を立て、そこから例えば1年生の範囲が、あと何時間の授業で終了するかを計算し、ひいては「今年は春休みを1週間短縮して1年生の範囲の90%をカバーすることにします、というメールを学生たちの連帯保証人宛てに自動的に発送する。文部省の方針とかは瞬時に各ロボットのコンピュータネットワークを通じて伝達され、その場で授業に反映される、といった具合である。
現在のような、授業中に突然怒り出したり、二日酔いで学校にきたり、声が小さくて後ろまで届かなかったり、板書が異様に下手だったり、という教師も依然として勤め続けるのだろうが、そんな人たちは、同じ職員室でそういったアンドロイドの教員たちと一緒に、休憩時間にはお茶を飲み、タバコを吸っては喫煙室に追い出されて、することもないので質問にやってきた学生たちをからかって定年まで日長過ごしていくのである。
未来が暗すぎる?そんなことはない。非人間的なほど完璧なアンドロイドの教師と、もう完璧に使い物にならないほど人間的な教師の混ざり合うところもまた異文化の交流であり、まさに教育の現場にふさわしいと思うからである。学生は、真剣な質問の時にはアンドロイドの教師のところに行って、数学の解き方を教えてもらい、英語の表現のニュアンスなどの詳細な説明を聞き、進路について瞬時に出してくれる細かなデータをもとにして納得のいくまで相談する。そして暇なときには、同じように暇を持て余している人間の教師をからかって時間をつぶすのである。
もちろん、玉虫色の明るい未来も書ける。ただ、誰でも予想が出来るようなことを楽しい未来を予想しても、そんなものが当たった試しはない。誰でも考えそうなことを言ってお茶を濁すのは、学生が「わかりません」と言って、授業中に誰かが正解を言ってくれるの待って、ぽかんと口を開けているのと同じである。
鉄人28号と私たち人間の教師が共存するキャンパス?
望むところである。
(この文章は『LET中部支部便り』No.61の巻頭言として掲載されたもの。ただし、これには下の「オリジナル版」をもとにしたもので、急に巻頭言を書く必要があって、まず下の「オリジナル版」が出来た。しかし、お読みなっておわかりのように、分量的に長すぎるのと、それより何より、中味に毒とトゲがありすぎて、さすがにまずかろうと自粛して出来たのが上の「掲載版」である。
「掲載版」でも「毒とトゲがきつい」という人がいるが、一方で「「オリジナル版」のままの方が味わいがある」といった人もいた。それぞれの人の人間性の問題だろうか。
なお、「オリジナル版」は下書きに近いものなので、文章としては少しよく練られていないところもあります。ご了承下さい。)
アンドロイドは電脳キャンパスを人間的にするか(オリジナル版)
鉄腕アトムと鉄人28号とエイトマンを見て育った私としては、いわゆる人間型ロボットというものに違和感は全くない。小学生の頃までは、人間型ロボットというものの開発がいかに困難なものであるかということなど知りもしなかった。最近ソニーやホンダが相次いで人間型ロボットを発表したが、今となっては、すでに私もこの業界の人間になっており、それが大変な技術開発を伴うものだということを知っているから、いちおう賞賛の言葉などを言ってはみるが、なに、人間の原体験は恐ろしいもので、その実「まだ鉄人28号の域にも達していない。」と吐き捨ててみたりするのである。
しかし、人間型でないロボットの開発は鉄腕アトム以来着々と進んでいる。ロボットの頭脳に当たる部分がコンピュータであり、人工知能の研究もどんどんされているし、作業用には工場で使われている様々な工作ロボットがあるし、機能限定版の知能でよければ洗濯機や冷蔵庫やエアコンにもついている。ちなみに私の車は、ガソリンの残量とそれまで走った燃費からあと何キロ走行できるかを常に車内のディスプレイに表示してくれる(親切な車である)。
さて教育の現場でロボットが使えないかという問題である。「ロボットの教師が教える未来の学校」という絵柄は鉄腕アトムを見て育てば、当たり前の未来の風景である。「コンピューター利用の英語教育」などというケチなものではない。人間の形をしたアンドロイドが、インプットされたカリキュラムに従って、全く同じように授業を進めて、生徒の反応から彼らの理解度をモニターし、それをフィードバックして次の授業の計画を立て、そこから例えば1年生の範囲が、あと何時間の授業で終了するかを計算し、ひいては「今年は春休みを1週間短縮して1年生の範囲の90%をカバーすることにします、というメールを生徒たちの保護者に自動的に発送する。文部省の方針とかは瞬時に各ロボットのコンピュータネットワークを通じて伝達され、その場で授業に反映される。
そんな冷たい機械を相手にして人間らしい教育ができるのか?という反論には、コンピュータも熱を持つ、と答えておくことにする。そのロボットを作るのが(もちろん機械的にということではなく、そのソフトウエアの部分であるが)これからの教師の役割だ、という人もいるだろうが、教師がみんなそういう人になれるわけではない。
まあ、現在のような、授業中に突然怒り出したり、二日酔いで学校にきたり、声が小さくて後ろまで届かなかったり、板書が異様に下手だったり、という教師も依然として勤め続けるのだろうが、そんな人たちは、同じ職員室でそういったアンドロイドの教員たちと一緒に、休憩時間にはお茶を飲み、タバコを吸っては喫煙室に追い出されて、することもないので質問にやってきた生徒たちをからかって定年まで日長過ごしていくのである。
20世紀が始まるときに、この100年はどんな世紀になるかというアンケートがあって、その中には当たったものもあるが、はずれたものもある。自宅で世界の様々なニュースを見ることが出来るようになる(TV)とか1年中快適な気候で暮らせるようになる(エアコン)とかは実現した。動物と話が出来るようになる、というのはちょっととんでもないようだが、自動翻訳システムと置き換えると実現したと(あるいは実現しかけていると)言えるかもしれない。
さて、21世紀は何が実現するだろうか。「どうせ100年後のことなどわからない、」という答えは今の学生が授業中に自分でわかりそうもない問題に対して、とりあえず「わかりません」を連発するのと同じである。筆者は、そんな学生には、時間をかけてもいいから「なぜわからないのか?」「どこまでわかっているのか?」と執拗に尋ね続けることにしている。それでも「わかりません」と言い続ける学生は、その授業を欠席したことにするというのが年度始めの約束である。当座のものでもいいから答えを出して、その答えを出したプロセスを記録しておく。もし、時間がたって答えがちがっているとしたら、自分の記録したプロセスを検証して、さらに次の答えを見つけていく。それが学習だろう。
だから21世紀の現場では、ほぼ完璧に授業をこなし(もちろんその中には生徒の反応に対して、生徒を褒めたりしかったり出来る能力も含まれる)生徒が質問に来ると丁寧に100%の答えが出来るアンドロイドの教師と、授業中に答えを間違えるとか、セクハラまがいのことを平気でするとか、自分でも何を言っているのかわからないような説明しかできないとか、万引きをするとか、そういった人間の教師が職員室に共存し、不思議な均衡が保たれている。未来が暗すぎる?そんなことはない。非人間的なほど完璧なアンドロイドの教師と、もう完璧に使い物にならないほど人間的な教師の混ざり合うところもまた異文化の交流であり、まさに教育の現場にふさわしいと思うからである。生徒や学生は、真剣な質問の時にはアンドロイドの教師のところに行って、数学の解き方を教えてもらい、英語の表現のニュアンスなどをsimulationなども交えて(胸の中に現在の液晶ディスプレイ装置が埋め込まれていて、必要に応じて近くの壁などに照射して、その表現を用いた会話場面などを作ってくれる、というのが望ましいが)、暇なときには、同じように暇を持て余している人間の教師をからかって時間をつぶすのである。
この答えに意義のある人は自分の未来像の答えを出してみるといい。さぞかし、どっちつかずで玉虫色の教室の様子が書かれるのかもしれないが、誰でも予想が出来るようなことを予想しても、そんなものが当たった試しはない。誰でも考えそうなことを言ってお茶を濁すのは、生徒や学生が「わかりません」と言って、授業中に誰かが正解を言ってくれるの待って、ぽかんと口を開けているのと同じである。
鉄人28号と私たち人間の教師が共存するキャンパス?
受けて立とうではないか。望むところである。
ご出産お祝い
このたびはお子さまの誕生おめでとうございます。
私の2度の経験からして、とんでもなくしんどい日々がこれから展開するのですが(だいたい私は子どもが嫌いでした)、その長いしんどい日々の中に、子供が親に与えてくれる喜びがポツポツと感じられ、でもやっぱり体がだるくなるような日々が延々と、もう永久に続くのではないかと絶望的な気持ちになったときに、ふと気がつくと子どもが自分で勝手にランドセルに教科書やらノートやら筆入れやらを詰めて学校に行き始め、成績がどうなっているのかとか、自分たちの学校時代よりも全然出来ないではないかと、カリカリと思っているうちに、あと数年で子どもは自分たちのところを離れていくのだということに気がつき、少しは家族らしいことをしなくてはいけないとあたふたし始めた頃には、子どもが自分たちがそうであったと同じように、反抗的な口をきき始め、もうそうするとまもなく親をおいて自分の世界へ出かけていくのであろうと思います。私もこの道のりのすでに後半にたどりつきつつありますが、私は子どもが嫌いであったにもかかわらず、「子を育てて思う親の恩」という言葉をひねくりまわした「子を育てて思う子どもの恩」という言葉を思い出します。子どもを育てていて、子どもが与えてくれる喜びは、もう将来、別に子どもから恩を返してもらう必要など何もなく、子どもを育てるチャンスがあったことを、ただありがたいことだと思います。
ただ、そうは言っても、子どもを育てることは本当に大変で、男としてはつい嫁さんに甘えて、育児を押しつけてしまいそうになるわけですが、ここで応分の負担を請け負わないということは、軍隊でいうところの「敵前逃亡」と同等の罪であり、銃殺刑に相当します。もちろん、本当に殺されることは、たまにしかありませんが、しかし、一生「あの時あなたは手伝わなかった」ということを、ここぞというときに愚痴られます。ここはぜひ、耐え難きを耐え、夫婦の絆を堅くしていただきたいと、経験者は語るのであります。
重ねてお祝いを申し上げます。
以上。
(これは、友達に子供が産まれたときにメールでお祝いを送ったときの文章。夜中だったのと、別の仕事の途中で、すぐに書いて送ったもの。)
「コンピュータを利用した英語教育の明暗: コンピュータで英語教育をやろうとしている人たちへ」
コンピュータやインターネットを使った英語教育が一世を風靡している。21世紀にはさらに目新しい機械やシステムが次々に登場し、さぞかしにぎやかになることだろう。それらを紹介し、それらを使って授業をしてみたいと思う人たちにぜひ言い残しておきたい。
新しいものをいじり回すのが好きな人(自分もその一人だ)が、それを授業で使って、学生が喜ぶのを見て自分も嬉しくなるのは勝手だが、そのことについて、いかにも「簡単に導入できて、」「生徒・学生の英語能力が格段に伸びて、」「バラ色の未来が広がっている、」ようなことを言って回るのは止めてほしい。
20世紀にも英語教育の世界に新しい発明品が次々に導入された。レコードで音声を保存して教室に持ち込めるようになり、テープレコーダでより簡単に再生・録音ができるようになり、VTRが教室で手軽に利用できるようになった。そしてコンピュータが、最初はそろそろとだったが、いつの間にか当たり前の顔をして教室に居座っている。この間に、少しだけ顔を出して消えていったものも数知れない。
どれもこれも、教師の負担を軽減させ、授業はすばらしいものになり、生徒の顔は輝き、英語教育の未来を明るくするはずだった。しかし、LL教室を例に挙げるまでもなく、倉庫に眠っているか、あるいは倉庫そのものになった道具が山のようにある。
コンピュータにしても最初の出だしはテキストしか扱えなかったし、MS-DOSの呪文を覚えなくてはならなかったので、あまり大きな顔はしていなかった。そのうちMacが登場し、Windowsが95になり、音声・画像が自由に使えるようになって、「英語教育はマルチメディアでなくては」ということになった。そしてインターネットが登場すると、コンピュータはネットワークに接続しなくてはならなくなり、教師は教室のLANを管理するサーバをいじることになった。もちろんコンピュータがフリーズしたときの応急措置くらいはできなくてはならない。授業中に3分間でもパソコンが使えなくなっては、学生は大迷惑である。教材にしても、ネットワークに対応したものはまだほとんどない。これはいつか来た道ではないのか。
物事には表と裏がある。裏側を伝えないのは(無意識のうちにそうしているとしても)フェアではないと思う。
さて、重ねて言うけれども、これから先に現れる機械やシステムのほとんどは、最初は金がかかり、扱いが面倒で、教材がなく、いくら日の当たる側のことばかり言われても結局はあっという間に消えていく。それに関わり合うのは大変な時間の浪費である。
ただ、ついでに言っておきたいのだが、こういったものがなければ、よりよい英語教育はできるのだろうか。新しいおもしろそうな、しかしわけの分からない機械が現れ、それを手に入れていじり回し、どうやって授業で使おうか、と考え、教材を作り、といった「悪魔の循環」は凡庸な教員に授業の組立を考えるきっかけを与えてくれるのではないか。いや、そんなことが無くてもいつも授業のことを考えているという先生方にはもちろん必要ないことであるが。
そして、そう考えると、LL教室で費やした時間は本当に無駄だったのだろうか。私がインターネットとCAL教室で湯水のように浪費していた時間はどうなのか。自分では確かに地獄の日々だったような気もするが、同時にまた至福の時だったような気もするのである。気のせいかもしれないが、そのことも少しだけは伝えてほしい。
初出:『現代英語教育』(研究社出版)Vol.35
No.12, 1999年3月1日
(この文章は『現代英語教育』の最終号に掲載されたもの。最初、創刊何周年かの記念に特集を組むから、とか何とか言う原稿の依頼状が来て、そのつもりで書いていたら、どうも『現代英語教育』が休刊になるらしい、といううわさを聞きつけた。だからどうだと言うことなく、ひとまず、いつものように締切ギリギリに書き上げて夜中に送った。途中までは別の構成を考えていたのだが、夜中に書いているうちに、このような内容になった。気に入っている文章である。)
外国語教育の中の「ラムネ氏」
「録音」以前には、外国語教育の方法は二通りしかなかった。その言語を話している人に直接習うことと、もう一つは日本人が漢文を素読したように、書き言語を「解析」し「訳読」すること、である。自分の目の前に実在しない限り、外国語を経験することは不可能であった。
だから、音を記録できるようになったことは、外国語教育にとって根本的に別の世界へワープしたことを意味する。その世界では目の前に存在しないものでも、仮想現実を通して見聞きすることができるのだ。
仮想現実の敷居は最初は高かった。蓄音機は、高額であったし、録音技術はまだ発展途上であった。それに、再生はともかく、録音となると普通の人には簡単に操作できるものではなかった。テープレコーダが発明されて、再生ばかりでなく録音も容易にできるようになった。録音技術は飛躍的に向上したが、価格は劇的に下がり、そしてとうとう日用品と変わらなくなった。
その後VTRが現れ、コンピュータが身近になり、インターネットがやって来た。1995年に支部大会で最初に取り上げたときには、インターネットは敷居が高かった(少なくとも私はそう感じた)。第1、民間のプロバイダーが少なく、ISDNの回線についてNTTの窓口に訊いても、その人がよく知らないということがあった。設定の方法も難しかった。しかし、この敷居はあっという間に下がり、外国語教育の現場にどんどん入り込み始めているのは、ご承知の通りである。
このように仮想現実の仕掛けは万端整い、今では学習者の反応に応じて次の問題を選んだり、ストーリーが変わるものがある。インターネットはパソコンの向こう側に人がいて、実際のコミュニケーションが図れる。これまで「仮想現実」と言って区別していた世界が、現実の世界と融合し、現実の世界そのものになっていく。外国語教育はこのように学習の場に仮想現実を持ち込んで、誰でもどこからでも外国語を体験できるように仕掛けを整えてきたわけである。
ところで、このような仕掛けは、技術の進歩のたまものであるのだが、技術は別に外国語教育に気を使って進歩するわけではない。それらの仕掛けに何を盛り込み、どのように使うかはいつも後手に回る。おまけに、最初の仕掛けは敷居が高いこともあって、なかなか普及しない。敷居の高いときにその仕掛けの難点を見つけることは簡単で、だいたい新しいものを使うのを億劫がる人が多いから、これらの批判は口当たりが実にいい。しかし、
難物の仕掛けを何とか手なずけて、さりげなく我々の周囲に置いてくれた人たちもいる。好きでやっているのだ、と言えば身も蓋もないが、今度の支部研究大会もぜひ大いに盛り上がってほしい。
坂口安吾の「ラムネ氏のこと」を思い出した。
初出:『LLA中部支部便り』No.53 1998年3月
(「支部便り」は語学ラボラトリー学会(当時の名称、現在の名称は外国語教育メディア学会)中部支部のニュースレター。予定していた発行の期日がだいぶ過ぎてしまい、巻頭言を3日で書いてほしいとはさすがに偉い先生には頼めず自分で書いた。「ラムネ氏のこと」は坂口安吾のエッセイ。高校1年生の現代国語の授業の最初に出てきた。そのときには、なにぶん右も左も分からずよく理解できなかったのであるが、愛読書の一つになった。ちなみに、その最後のさびの部分は「気になる言葉」のページに載せてある。)
「私のオールタイムベスト」
(1)ヴィスコンティ (監督)『家族の肖像』
(2)モーツァルト『クラリネット協奏曲イ長調
K.622』
(3)トルストイ『戦争と平和』新潮文庫/岩波文庫
(4)Microsoft Encarta '97 Encyclopedia.
(1)は学生時代に見た映画である。それ以来見ていないが、20年間私のベストである。(2)は他にも「ベスト」候補はたくさんあるが、ひとまずモーツァルト最晩年の傑作で代表してもらう。(3)は活字メディアから、これも数ある中から今回はこれを。高校の時に人の名前、話の筋やつながりが混乱したままで読み終えた。全部理解したとは言い難いが、感動したのは確かである。メディアを問わずと言いながら、今回も候補にあげた作品は活字メディアが圧倒的多数であった。(4)はCD-ROM版の百科事典である。最近日本版も発売されたが、ここでは英語版を。英語版ではCD-ROMに収録されている説明以外でも、インターネットに自動的に接続して関連項目を参照したり、毎月バージョンアップ情報をダウンロードすることが出来る。
(4)は最近の製品だが、あとはいずれも(もっと)若いときに見たり、聞いたり、読んだりしたものである。出会うことが何から何まで新しい時期だから、強烈に印象づけられるのかもしれない。そのうち少しずつ経験を積むと、その経験から物事を判断し始める。それ自体は自分自身を形成する過程であり、大切であるのだが、一方で、とっつきにくそうなもの、自分のそれまでの価値観からはずれているもの、前に見たものなどを最初から排除して自分の殻に閉じこもるようになる。
「オールタイムベスト」というのはその人の殻のようなものである。その殻にはその人のものの考え方が反映されている(だからこういう特集は書く本人にとっては恥ずかしい)。もちろん、長い人生では(特に学生時代を過ぎてからは)、自分がそれまで作った殻を壊して、新しい殻を作り直す活力も必要である。ただし、最初から壊す殻もないようでは情けない人生になるので、学生時代にはぜひ自分の殻の材料をせっせと集めてほしい。
初出:『アルファ』(名古屋学院大学図書館報)Vol.9
No.2 1997年10月
(図書館運営委員をやっていてその職責で書かされた文章。2000年現在で、ここに載せた「オールタイムベスト」に変更があるかどうかは秘密。そのうち「オールタイムベスト」2000年版を書きたい。このときは字数制限が厳しかったので、ひとつひとつの項目に詳しい解説というか自分の思いが書けなかったのが残念だった。)
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