2000年8月29日作成

第2日目 どこから来たのか

「えっと、鹿児島のご出身なんですよね?」
「そうです。鹿児島県阿久根(あくね)市で生まれて4歳の時までいました。次に串木野(くしきの)市に引っ越して、ここには9年いました。中学校3年になるときに、出水(いずみ)市に引っ越しましたが、高校が鹿児島市だったので、私だけ鹿児島市で高校の寮と下宿にいました。いちばん長くいて、現在も母が住んでいる(というか母の実家のある)串木野市が出身地ということになりますね。」
「お父さんが先生だった?」
「そうです。串木野市に引っ越したのは、母の実家の近くに住む、ということがあったのでしょうけど、その後出水市に引っ越すときは指導主事になっていました。それ以後は2年から4年くらいでずっと転勤してました。私が大学に入ってから後は帰省するといっても、両親(と最初の頃は弟)が住んでいるところに行くということで、自分にとっては初めての場所に行くことになっちゃいました。」

「串木野市というと、昔、金が採れたところでしょう?」
「そうです。当時クラスにも何人かずつお父さんが三井に勤めている人がいました。今では、ほぼ掘り尽くして、あとは「ゴールドパーク」というテーマパークになっています。」

「鹿児島というとやはり「薩摩隼人(さつまはやと)」というイメージに結びつくんですが。」
「それって、安易な連想ですよ。確かにまだそんなことを言う人はいますし、封建的なところは残っているでしょうけど、個人の問題でしょう。」
「失礼しました。でも、やはり鹿児島に帰省するとなつかしい場所とかあるわけでしょう?」
「そりゃ、昔いたところですから懐かしいといえばそうですが、それだけですね。別に、そこに執着することもないですし。むしろ、鹿児島という風土に残っている封建的なところとかがいやですね。もちろん、明治維新の中心になったエネルギーなどを感じることもあって、それはそれで自分の中でも大事にしたいとは思いますが、ただ、それでも、薩摩藩というのは農民を相当厳しく管理したところで、それによって、藩の財政を立て直し、明治維新の時の資金も用意できたといわれています。なんでも、表と裏があるわけですが、ちょっと引っかかるところがあります。」

「鹿児島でいちばん好きなところはどこですか?」
「桜島です。高校が錦江湾沿いにあったので、いつも見ていました。鹿児島市からだと天気にもよりますがかなり大きく見えます。両親が佐多町(大隅半島南端)にいたときには鹿児島市からフェリーで錦江湾の対岸の垂水市までわたるんですが、その時に桜島の横を何度か通りました。鹿児島の人が桜島が好きだというのは、余りにもありきたりの感想なのでしょうが、遠くに暮らしていて、たまに鹿児島に行くと印象が強いですね。」

「でも、桜島って、よく噴火するでしょう?怖くありません?」
「確かに煙をよく噴き上げていますね。でも、付近の住民の身体にまで被害が及ぶことは滅多にありません。むしろ、噴火して吹き上げた火山灰が周辺に降り積もってしまうことが深刻な問題ですね。風向きから考えて鹿児島市には夏によく火山灰が降るんですが、これは半端ではありませんから。高校で寮にいたときに、天井に近い小さい窓を閉めるのを忘れて学校に行っていて、帰ってきたら部屋中に灰が積もっていたことがありました。最近では、5年前に帰省するときに、降灰がひどくて鹿児島空港から鹿児島市へ向かう高速道路が危うく閉鎖されかかったこともあります。その時は前日まで完全に通行止めになっていて、当日は鹿児島市へ向かう下り線だけかろうじて開通していたという状態でした。上り線の方は火山灰の除去作業をやっていました。なかなか見られるもんじゃありませんよ。」

「そりゃそうでしょうね。でも、観光客という立場だと、少し噴火してくれた方が絵になるかな?とか思うんですが。不謹慎でしょうけど。」
「私も今はそういう観光客の立場に近いですけど、実際に住んでいると苦労も多いですよ。ただ噴火している桜島を見ていると、「わがむねの もゆるおもいに くらぶれば けむりはうすし さくらじま」というフレーズを思い出すんですよ。」
「なんですか?それ。」
「出典はそのうち調べようと思うんですが、なんか、それらしいフレーズじゃないですか。」
「はあ...」

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