TOP>NGU EXPO2005研究>第4号(目次)>V.特集:オーストラリア調査報告>2.シドニー・オリンピックの経済効果 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2.シドニー・オリンピックの経済効果 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
名古屋学院大学経済学部 大石邦弘 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第27回夏季オリンピック大会は、2000年9月15日から10月1日までオーストラリアのシドニーで開催された。1956年メルボルン大会以来、44年ぶりの南半球開催であり、前回アトランタ大会(197ヶ国・地域)を上回る200ヶ国・地域が参加した過去最大のイベントとなった。一方、障害者のスポーツの祭典である第11回パラリンピック大会は、同じくシドニーで10月18日から30日まで開催された。本大会は、今回初めて南半球で行われた。こちらもアトランタ大会(108ヶ国・地域)を上回る121ヶ国・地域が参加し、選手・役員6600人が集う過去最大規模の大会であった。どちらの大会も、日本選手の活躍もあり、記憶に残るものとなった。オリンピックでは、18個(金5、銀8、銅5)のメダルを獲得し、前回のアトランタ大会の14個(金3、銀6、銅5)を上回った。またパラリンピックでも、41個(金13、銀17、銅11)のメダルを獲得し、前回大会の37個(金14、銀10、銅13)を総数で上回った。この記憶に新しい2つの大会が、オーストラリアにどれだけの経済効果をもたらしたのかを検証することに本論の目的がある。第1章で指摘されているように、開催から1年余しか経過していない時点であり、裏づけとなる統計データの整備も完了していないため、その評価は定まったものとはなりえない。 このようなイベントの開催は、海外からの競技者や観光客、また関連グッズの販売など、多岐にわたる需要をもたらした。これらの需要は、大会が行われた2000年にピークを迎える。しかし、オリンピック関連施設の建設などは、93年の誘致決定以降行われており、また、オリンピック開催を契機に観光地として知名度をあげたオーストラリアに観光客の増加が見込まれるなど、開催年だけでなくその前後にも経済効果は広がっていると考えられる。そこで本論では、2000年を中心にその前後の経済事情とともに、どのような効果が発生したのかを追っていくこととする。 |
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2.1.マクロ経済における効果 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2.1.1オリンピック前後のオーストラリア経済 オーストラリア経済は、91年度(91年7月〜92年6月)のマイナス成長以降は、長期にわたる景気拡大局面にあった(図1−1参照)。この景気拡大を支えた最大の要因は、90年代を通じて好調であった個人消費であった。しかし99年以降は、この景気拡大にも減速傾向がみられた。オーストラリア準備銀行は、99年11月の利上げ(キャッシュレートの誘導目標水準;4.75%から5.00%へ)を始めとして、00年8月まで5度の利上げを行っている。景気過熱を懸念した政策当局が金融引締めを行い、その効果が現れたとみることができよう。ただ現時点からみれば、金融引締めへの政策転換は半年くらい遅れていた。さらに財政政策も、00年の下半期は景気中立的よりも景気抑制策の立場にあった。その結果が、後に言及する税制改革とあいまって、00年度の経済成長率を過度に引き下げたといえよう。 |
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図 1 1 オーストラリアの経済成長率 注).チェーンボリューム法00年7月〜01年6月価格基準による。また、季節調整済み値による成長率である。 資料).Australian Bureau of Statistics (ABS). |
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金融政策転換はここでも遅れたが、01年に入って金融緩和に転じ、年内6度の利下げを行った(キャッシュレートの誘導目標水準;6.25%から4.25%へ)。その結果、経済成長率は約1年で元の水準に戻り、準備銀行は、再び02年に入ると5月と6月に2度の利上げ(4.25%から4.75%へ)を行っている。90年代を通してマクロ経済全般の基調は、好調さを維持しているといえよう。 では、オリンピックの年である2000年の景気減速はどこに原因があるのか。図1−2は、経済成長に対する各需要項目の寄与をみたものである。それによれば、00年後半から01年前半の景気減速は、住宅投資のマイナス寄与が大きいことがわかる。それは、所得税減税や間接税改編など大規模な税制改革の影響と考えられる。その中で、住宅投資に最も影響を与えたのが間接税である。00年7月1日から、従来の卸売上税(WST;Wholesale Sales Tax)を廃止し、新たに10%の財貨・サービス税(GST:Goods and Services Tax)が導入された。卸売段階に様々な税率で課税されていたものを、小売段階で一律に課税しようというものであり、税の簡素化につながる。徴税の視点からは、課税の時点が変わっただけであり、物価に関しては中立である。しかしながら、実際には高率のWSTが課せられていた製品は、GSTによって値下がりになるケースも存在した。一方でGST導入により、逆に値上がりすることになったものもあり、その典型例が新築住宅である。 |
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図 1 2 経済成長率への各需要項目の寄与度 注).設備投資は、民間建設投資、民間機械設備投資。その他投資の合計。公的需要は、政府消費、政府投資の合計。外需は、財貨・サービスの純輸出(輸出−輸入)。その他は、在庫変動、統計上の不突合の合計。 資料).Australian Bureau of Statistics (ABS). |
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新築住宅購入に関して、新たにGSTが課せられることになったため、00年前半に駆け込み需要が発生し、後半から01年にかけてその反動減が生じたものである。 このように、オリンピックの開催時期と重なるこれらの税制改革が、当該期間の個人消費に対する効果を、不明確にしていると考えられる。 |
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2.1.2個人消費・住宅投資への効果 オリンピック開催が、個人消費にどれだけ影響を与えたか。00年11月に発表されたオーストラリア準備銀行の報告書には、「結局のところ不明確である」との表現がある 。 GST導入とオリンピックが、ほぼ同時期であることとともに、これらが個人消費や住宅投資に与える影響も一様ではなかった。 まず、GSTの影響であるが、GST導入により価格下落が予想されるもの(これまで高率のWSTがかかっていたもの)には、導入前の買控えが発生した。例えば、これまで22%のWSTがかけられていたオーディオ製品や自動車などは、10%のGSTによって小売価格自体が下落する。他方で、価格上昇が予想されるものには、需要の駆込みが発生している。後者の代表として、住宅購入があげられる。表1−1に示す通り、00年前半まで好調であった民間住宅投資は、GST導入後の反動減が大きく、その影響は約1年間持続することになった。これが、先に指摘したように景気減速の主因である。 なお、GST導入による消費者物価への影響は、オーストラリア統計局(ABS;Australian Bureau of Statistics)の推計によれば、00年7〜9月期に、1.7から2.3%ポイントの押し上げ効果があったとされている。 |
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表 1-1 民間需要と価格の推移
資料).Australian Bureau of Statistics (ABS) ,Reserve Bank of Australia(RBA)など。 |
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また同時に、所得税の減税も実施された。最高税率は従来通り47%で変更ないものの、課税対象所得額の範囲が変更された結果、約80%の国民には減税効果があるといわれている。税制改革による個人消費への影響は、駆込み需要と買い控えの両効果や所得税減税の消費押し上げ効果が存在するものの、全体としては駆込み需要が大きく、その結果GST導入以降の伸びは若干減少した。 雇用環境については、完全失業率がこの期間、7%台から6%台へと改善をみせている。これは、長期にわたる景気拡大を反映したものであり、税制改革の実施やオリンピック開催による直接的な効果はみられない。 小売販売に与えたオリンピックの影響は、シドニーを含むニューサウスウェールズ州の小売売上高が、9月期にのみ突出して高くなったといわれる。しかし、マクロ経済全体では、逆にマイナスとなっている。確かに、オリンピック関連グッズなどの販売は伸びたものの、各家庭ではオリンピック観戦のために外出が控えられ、その結果、外食産業やデパートの売上が減少した。そのうえ、GST導入に関わる反動減が加わることで、00年後半の小売販売額が前年比割れを引き起こすことになったと考えられる。 最終的に、オリンピック開催前後の影響は、税制改革の効果に隠され不明確である。小売販売に限れば、マイナスへの効果がみられる。しかしGDPレベルでは、税制改革による住宅投資の反動減が大きく、それ以外の効果を覆い隠す結果となった。個人消費のGDPの寄与は、00年第3四半期より若干低下していることから、プラスの効果はなかったと考えられよう。 |
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2.1.3民間投資、公的投資への影響 民間投資は、90年代半ば以降は比較的堅調に推移し、90年代後半の高成長を支えたといえよう。ちょうど、オリンピック誘致(93年9月)が決定し、競技関連施設の建設時期と符号している。これに対して、公的需要の景気への効果は小さなものにとどまっている。99年と00年のみ、民間需要の減速に対応したような動きをみせているだけである(表1−2参照)。 |
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表 1 2 オリンピック関連投資額(推計)
資料).RBA,”Semi-Annual Statement on Monetary Policy”, May 1999. |
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オリンピック関連で、どれだけの投資が行われたかを確定することは困難である。準備銀行の推計によれば、表1−2のように関連投資額は総計で、33.94億豪ドルとなる。各年度(7月〜翌年6月)における投資額は、いずれも小さなものであった。 ここで推計された投資額をベースに、オリンピックが開催されないケースを、仮に公的・民間いずれの投資も行われなかった場合として、そのGDPへの寄与度の試算を行った。その結果は、公的部門では96年度の寄与度に0.09%ポイントの差がでるのが最大となった。一方、民間部門では98年度の0.05%ポイントが最大となる。準備銀行の推計額による限りは、オリンピックの開催による公的、民間両投資への経済効果は、きわめて微小なものであったと判断せざるを得ない。 さらに、シドニー国際空港への鉄道アクセスの整備や周辺道路の整備は、オリンピックの開催がなくても、近い将来に実施されたものである。つまり、オリンピック開催はよい契機にはなったが、実際には投資需要の先食いでしかなかった可能性がある。また、オリンピック関連施設の建設投資によって、シドニー以外の地域では、本来行われるべき投資が先延ばしになった可能性がある。 その上、ここでみた投資額は、直接投資額であってここから派生して生まれる需要が考慮されてはいない。しかしながら、投資の先食いや、オリンピック関連投資とそれ以外投資との間で、クラウディング・アウトが発生したことを考慮するならば、やはり結果的には、オリンピックの投資に対する効果は、きわめて小さなものであったと考えられる。 |
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2.1.4国際収支への影響 事前に予測されていた経常収支への影響として主なものは、以下のようなものである 。なお、[ ]内は、その効果が現れると予測される時期を示す。 @貿易収支; <支払>シドニー・オリンピック組織委員会(SOCOG)による外国製品購入[輸入時] Aサービス収支; <受取>海外スポンサー企業によるスポンサー権料のSOCOGへの支払い[受領時] 海外からの観戦者が国内航空会社へ支払った航空運賃[8〜10月] 海外からの選手、役員、観戦者によるオーストラリア国内での消費[8〜10月] 海外観戦者の旅行[9〜10月] <支払>国際オリンピック委員会(IOC)へのSOCOGの支払い[支払時] B経常移転収支; <支払>各国オリンピック委員会への選手団交通費の支払い[支払時] 特に、貿易収支とサービス収支について、その95年からの推移をみたものが、図1−3である。オリンピック開催の影響を顕著に示したのは、サービス収支尻の大幅な黒字化である。97年第2四半期から13四半期連続で赤字を続けており、00年第2四半期においても2.78億豪ドルの赤字であったものが、00年第3四半期(7〜9月期)一挙に14.17億豪ドルの黒字に転換した。同時期に貿易収支も赤字縮小傾向にあったため、貿易・サービス収支尻は、この四半期で4.02億豪ドルの赤字へと23億豪ドル以上の改善を示すことになる。 |
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図 1-3 貿易・サービス収支の推移 棒グラフ 図 1-4 対ドル・レートの推移 棒グラフ |
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一方で、貿易収支の赤字縮小は、オリンピックの効果であるとは判断しがたい。なぜなら、同時期にオーストラリア・ドルの大幅な下落が生じていたからである。2000年の1年間だけで、対ドルレートにおいて約12.9%の下落を記録し、それにより輸出ドライヴがかかり、貿易収支は赤字から黒字へと向かった。この傾向は、01年に入るとより顕著となり、01年第3四半期は20.07億豪ドルの黒字を達成するまでになる。 次に、資本収支に対する影響をみると、事前の予測では、 投資収支 ; <負債>マイナス:海外居住者の観戦チケット購入[販売時ごと] プラス:海外観戦者の旅行[9〜10月] マイナス:放映権料のSOCOGへの支払い[支払時] が指摘されていた。 投資収支は、四半期ベースでみる限り、00年第3四半期前後に大きな変化はみられない。ただ、年度ベースでみると、99年度30.92億豪ドルが00年度14.33億豪ドルへと、黒字を半減させている。その原因は、海外直接投資が大きく増加したことにより、直接投資項目が赤字化したことが最大の要因であり、また貿易信用の流出超過による黒字幅減少も寄与した結果であり、オリンピック開催とは直接的な関係はないものと考えられる。 結局、経常収支の赤字は、99年度の320.38億豪ドルから半分程度にまで圧縮され、00年度181.06億豪ドルになったものの、先に指摘したように、その最大の要因は、オーストラリア・ドルの大幅な下落であり、オリンピック開催の効果は限定的なものと考えられる。 |
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2.2.経済効果:事前の予測と実際 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
個人消費、民間・公的投資、外需の視点からマクロ経済への影響をみてきた。いずれの項目においても、オリンピック開催による経済効果は、大きいものとはいえなかった。 では、開催前に事前に予測された経済効果と、実際に開催後に検証された効果を比較することにより、その乖離の原因を分析してみよう。シドニー・オリンピックの開催にあたってその経済効果を事前に推計したケースとして、ここでは2つの報告書を取りあげることとする。その報告書は、 @. KPMG Peat Marwick,”Sydney Olympic 2000 Economic Impact Study”,1993. A. Arthur Andersen,”Economic Impact Study of the Sydney Olympic Games”,1999. である。 まず、両報告書の特徴をまとめると、表2−1のようになる。両報告書の発行年には、6年の開きがあり、報告書が作成された時期に応じた社会的ニーズの相違が浮き彫りになる。KPMG報告書には、オリンピック開催によって生じる様々な効果をいかに定量化するかが求められていた。これに対してAndersen報告書では、間近に迫ったオリンピックをどのようにビジネスチャンスとして利用できるかに応えることが求められていた。 |
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両報告書において経済効果の推計は、対象期間全体にわたって行われているが、ここではオリンピック開催年の2000年に絞って、そのマクロ経済への効果を検証する。 |
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2.2.1 KPMG報告書(1993)による経済効果 推計に用いた産業連関(I-O)表は、オーストラリア全体は、オーストラリア統計局(ABS)作成のものを、NSW州とシドニーの場合は、University of New Englandで開発されたものを使用している。 この報告書の目的の一つに、定量化に向けての方法論確立というものがある。そこで、推計を行うにあたって、留意しなければならない5点が明記されている 。 @).オリンピック関連支出の純増額の確定 A).経済効果の2重計算の回避 B).使用するデータの信頼性確保 C).経済効果の限界の認識 D).オリンピック関連支出の範囲確定 また、推計にあたって、この報告書では3つのシナリオを想定している。 @.通常シナリオ:Bureau of Tourism Research(BTR)のオーストラリアへの観光客予測が実現するものとする。 A.楽観シナリオ:Australian Tourism Commisssion(ATC)の観光客誘致目標が達成されたと想定する。 B.悲観シナリオ:BTRの予測の75%が実現すると想定する。 このようなシナリオの違いは、オリンピック関連消費額の想定の違いとなって推計結果に影響を及ぼすことになる。一方、オリンピック関連投資額は、Sydney Olympic 2000 Bid Limited(SOBL)の資料を用い推計を行っている。その結果をまとめたものが、表2−2である。ここに示された経済効果に関し、“gross”の効果とは、オリンピック開催に関連した消費・投資額を、全てオリンピック開催の経済効果と考えた場合のものである。実際には、先に指摘した留意点@)にもあるように、本来別の消費・投資に向かうはずであったものが、オリンピックに向けられ部分が存在する。例えば、オリンピック・チケットを購入したシドニー市民は、その金額を本来は別の目的に支出したかもしれない。その意味では、これらの支出は、単に支出項目間の移転でしかないのである。これに対して、“net”の効果とは、支出の移転によって生じた部分は、経済効果の推計からは除いたものである。 |
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表 2 2 1991〜2004年の経済効果
資料).KPMG(1993)Vol.1,pp.16〜18. |
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GDP(付加価値)に対する“net”効果は、12年間で73.4億豪ドル(通常シナリオ)であり、年平均にすると約6億豪ドルの経済効果が発生するとの結論になる。効果のピークは、開催年の2000年であり、単年の経済効果では、16.6億豪ドルとなる。この額は、同年度のオーストラリアGDPの0.26%である。GDPに対する押し上げ効果は、0.3%ポイントであったことになる。 |
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2.2.2 Andersen報告書(1999)による経済効果 Monash Multi−regional Forecasting(MMRF)モデルの利点は、資源(資本・労働)の制約や、国際収支の制約を適切に評価できることと、より広範囲な変数の効果を推計することができる点である。MMRFモデルによる推計の手順は、まずオリンピック関連の支出を特定化した上で、個別産業レベル、政府や家計の支出に分割し、経済効果の推計を行う 。 さて、この報告書では、4つのシナリオを想定している。 @.通常シナリオ:外的環境、国内の資本・労働制約なし。 A.アジア通貨危機シナリオ:アジア通貨危機の影響により、オーストラリアへの観光客数が減少したケースを想定する。 B.労働逼迫シナリオ:オリンピック関連投資による労働需要が賃金上昇圧力となるケースを想定する。 C.輸出ブーム・シナリオ:オリンピック開催を契機にして、オーストラリア製品の認知が高まり、輸出が活況を呈するケースを想定する。 推計の結果、GDP(あるいはGSP)に対して何%ポイントの押し上げ効果があったのかを通常シナリオのケースでまとめたものが、表2−3である。 |
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表 2 3 1994〜2006年の経済効果(通常シナリオ)
注).数値は、年度平均の押し上げ効果を示す。 資料).Andersen(1999),pp.21. |
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Andersen報告書では、年度ごとの詳しい推計値が示されていない。表2−3をみると、各変数間で押し上げ効果に差がないケースが多い。その点を考慮すると、MMRFモデル自体に何らかの問題点があるように感じられる。モデル内の方程式体系など詳しいことは報告書では触れられていないため、この点の判断は下せない状況にある。 明らかにされた推計値をみると、まず対象期間の94〜05年度を通じてオーストラリアのGDPには合計65億豪ドル(NSW州だけではGSPに合計51億豪ドル)の効果があることがわかる。一方、A(アジア通貨危機シナリオ)のケースでは、GDPに49億豪ドル(NSW州では38億豪ドル)となり、さらにB(労働逼迫シナリオ)のケースでは、GDPに15億豪ドル(NSW州では36億豪ドル)となる。 また、97〜00年度に限定すれば年度平均17億豪ドル(NSW州だけでは平均14億豪ドル)の経済効果がある。ただし、Bのケースには、その効果が約7億豪ドル(NSW州では他州からの労働力吸収を行うことで約12億豪ドル)へと減少する。 雇用創出効果は、通常シナリオのケースは対象期間の12年間で、年度平均7,500人の効果が、Aのケースでは同じく5,770人、Bのケースでは1,675人となっている。 推計モデルは異なるものの、得られた経済効果は先のKPMG(1993)と大きな相違はない。その結果、GDPに対する効果は0.39%であり、Andersen(1999)による経済効果推計でも、大きな景気押し上げ効果が予測されていたのではなかった。 |
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2.2.3実際の効果 マクロ経済への効果・NSW州への効果 利用可能なデータに制約があり、詳しく検証できていないが、オリンピックによるオーストラリア経済への影響は小さなものであった考えられる。 @.90年代の好景気は、基本的には家計消費の堅調な伸びによる自立的成長である。 A.この好景気には、オリンピック関連の投資需要が若干ながら寄与していた。 B.2000年の一時的景気減速は、同時期に実施された税制改革による需要の変動と、オリンピック関連投資の減少による反動が起因している。 C.経常収支の赤字大幅減少の一因として、オリンピック関連のヒトやモノの動きがあるが、主因はオーストラリア・ドルの下落によるものである。 オーストラリア経済全体には、小さな影響しか与えなかったとしても、では開催都市であるシドニー市やニューサウスウェールズ(NSW)州では、どのように判断できるか。 NSW州政府 によれば、オリンピック開催によって ・ NSW州には11億豪ドルの取引、投資が実施された。 ・ さらに14億豪ドル分が交渉途上にある。 ・ 2,500以上の新規雇用を生み出した。 ・ 国際会議開催などで6.3億豪ドル分の効果が発生した。 ・ オリンピック関連で3億豪ドルの取引が生じた。 と発表している。 しかしながら、KPMG(1993)の報告書に従えば、これは“gross”の効果と考えられる。本来、行われるべき投資や取引が、オリンピックによって早められた、もしくはNSW州以外の地で投資されたはずのものが、NSW州に投資された可能性がある。やはり、オリンピック開催の“net”の効果は、小さかったと判断される。 |
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表 2 4 ニューサウスウェールズ(NSW)州経済の現況
・公的投資は、公的機関投資、一般政府投資の合計。外需は、財貨・サービスの純輸出(輸出−輸入)。その他に、在庫変動や統計上の不突合があるが、ここでは省略した。 資料).ABS. |
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NSW州の州内総支出(GSP)の推移をみても、2000年度は成長率が鈍っている。オーストラリア全体への効果でも指摘したように、オリンピック関連需要の反動減と税制改革による消費の低迷がGSPの伸びを鈍らせたといえよう。ただ、外需に関してはオリンピック関連の効果もあって景気を下支えしたと考えられる。 では、オリンピック開催には、どこにメリットがあったのか。それは、オーストラリアの知名度を高めること。また、そのことによって海外からの観光客の増加をはかることであり、国内企業の海外展開を助けることにあったと考えられる。事実、オリンピック開催決定以降、国をあげての国のブランド・イメージ向上戦略が色々と行われてきた。 最後に、観光の視点からオリンピックの効果を検証しておこう。 |
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2.2.4観光への効果 オリンピック開催の直接的効果は、マクロ統計上では国際収支に一番強く表れていたといえる。特に、サービス収支の項目に影響を与えていたが、これは海外からの旅行者によってもたらされたものである。 図2−1をみると、オーストラリアへの訪問者に大きな構造変化がある。すなわち、90年代前半に、アジアからの訪問者が飛躍的に増加した。アジア通貨危機の影響を受けて98年にかけて一時的に減少した。他方、90年代後半になるとEU諸国からの訪問者が大幅に増加し、現在ではこの両地域が拮抗した状況にある。絶対数ではまだ少ないものの、アメリカ大陸からの訪問客も、EU諸国と同様な推移をたどって増加している。 |
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図 2-1 主要国別オーストラリア訪問者 棒グラフ |
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これに対して、日本からの訪問者は、日本の景気低迷を受けて、近年伸び悩んでいる状況が特徴的である。また、オーストラリアの隣国であるニュージーランドは、90年代半ばに増加して以降は、目立った増加傾向はみられない。 Australian Tourist Commission(ATC)は、オーストラリア政府より97年から2000年にかけて総額670万ドルの予算を受け、オーストラリアの知名度アップ、観光客誘致戦略を図った 。“Australia 2000 ―fun and games―”と呼ばれるこの戦略の目的は、 ・ 様々なメディアを最大限活用して、オーストラリアの認知度を高める。 ・ オリンピック委員会やスポンサーと連携し、オーストラリアのイメージを高める。 ・ 国際会議、コンベンションなどを積極的に誘致する。 ・ 観光産業においてオリンピック関連のプログラムを開拓する。 ことにあった。 その成果として、 ・ 160万人の訪問者が35億米ドルの消費を行った。 ・ オーストラリアのブランド・イメージが飛躍的に向上した。 ・ 21億米ドル分のメディアや刊行物が生み出された。 ・ スポンサー企業がオーストラリアの宣伝に1.7億米ドルつぎ込んだ。 ・ “Australia 2000”キャンペーンで、2000年の海外からの訪問者は10.9%増加した。 等が指摘されている。 実際、いずれの地域からもオリンピックの年の2000年には、訪問者が増加している。その結果、前年比10.9%増の494万人を記録する。ただし、翌2001年にはアジア諸国を除き、いずれも前年割れとなっている。ここにも、反動減は表れている。 ところで、オーストラリアの認知を高め、海外からの訪問者を増やそうとした一連の戦略は、海外でどれだけ浸透したのか。表2−5は、ATCがオーストラリアの認知度にどれだけ変化が生じたかを調査したものである。 |
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表 2-5 オーストラリア知名度の向上
開催前は、2000年2〜3月調査。開催後は、2001年7〜8月調査。 資料).ATC,”Brand Stocktake Research”,August,2001. |
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ここに表れた数値の上昇を全て、先にあげた一連のキャンペーンの成果として理解することはできない。しかしながら、オリンピック開催とその過程で政府が先導して行ったイメージアップ戦略は、特に90年代後半、オーストラリアへの訪問者を大幅に増大させることに寄与したことは確かであろう。 |
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2.2.5おわりに ― 大規模イベントの効用とは ― 期間が限られたイベントであれば、例えそのイベントがどれほど大きなものであろうと、マクロ経済全体に与えるプラスの影響は、一時的にとどまらざるをえないことを、シドニーの事例は教えてくれる。さらに、オリンピック関連投資として需要の先食いが生じるため、開催年度あたりの反動減が、オリンピック開催がなかった時よりも大きく出る可能性がある。その意味では、大規模イベントの経済効果は、非常に限定的なものと留意すべきであろう。ただ、少し視点がかわるが、このようなイベント開催に付随して、開催地周辺のインフラ整備が進展することは事実である。シドニー・オリンピックの開催により、シドニー空港の改修や周辺交通網の整備が行われた。また会場のHome Bush Bay周辺とシドニー中心街との海上交通の整備が進み、今後の住宅地としての発展の期待が生まれている。しかしながら、これらのインフラ整備は、オリンピックというイベントがないとしても、いずれ近い将来に整備された可能性はある。オリンピック開催を契機として、その整備が前倒しで行われたに過ぎないともえる。そのため、このようなインフラ整備をオリンピックの経済効果として過大に評価することには注意が必要であろう。日本でも、1964年の東京オリンピックの開催にあわせるように、東海道新幹線や東名・名神高速道路が開通した。 インフラがほとんど整備されていなかった当時であれば、このような大規模イベントを起爆剤としたインフラ整備が必要であろうが、必要最小限が整っているともいえる現代に、インフラ整備の効用を掲げて、大規模イベント開催をわざわざ行うことは、あまり有効な政策とはいえないのではなかろうか。整えられたインフラに対し、時宜にあったメンテナンスを行う場合、このような大規模イベントを開催することで、かえって過度のメンテナンスもしくは不必要なメンテナンスを行う危険性があるのではなかろうか。 他方、知名度アップや観光産業へのプラスの効果は、大規模イベント開催によって十分期待できる。しかし、直接的なプラスの効果は、イベント開催の近辺にしか現れず、ここにも必ず反動減が発生することになる。もし、その効果を長期的なものとして持続させるならば、イベント開催の数年前(シドニーでは7年前)から、明確な戦略目標をもったキャンペーン実施が必要となる。今回の調査の出発点である、EXPO2005の開催効果について言及するなら、愛知県、瀬戸市、長久手町などが主体となった地元の知名度アップに向けた取り組みが、より一層重要になってくる。開催されることの認知、さらに、どこで開催されるかの認知を高めることとともに、海外にむけての情報発信が重要である。それは、観光地としてだけではなく、文化や産業全般にわたって、この地域の知名度を広めていく戦略を策定していかねばならない。 |
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