2004年の書評

2004年10月 4日 更新

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2004/10/ 4
瀬戸山玄(2004)『ライ麦畑のキャデラック:モーターカルチャー100年の真実』小学館.

 副題にあるように自動車が世の中で使われてきて、文学作品とかそういったたぐいの文章にどのように現れているかをまとめた本。雑誌に連載されていたものをまとめたもので、並んでいる順序に統一性とかはない。おもしろそうな話を次々に見せて(読ませてくれる)。もともと自動車文化が最初に花開いた国だけに、古くからのエピソードには興味を引かれる。早速、ここに取り上げられた小説などを何冊も注文してしまった。
 ただ、この本は、車の雑誌に連載されたものだからということもないのだろうが、作品に出てくる車の取り扱い方などにもうんちくを傾けている。私としてはもっとその背景にある文化をだらだらと書いてほしかったのだが。

2004/ 9/27
潮木守一(2004)『世界の大学危機:新しい大学像を求めて』中公新書.

 英・独・仏・米の大学について、第二次世界大戦後の拡張政策の方法と現状をまとめ、今後の大学教育について論じたもの。エリート教育を担っていた大学が、戦後の拡張政策で大衆教育を担うことになったが、従来の施策を踏襲するのか、あるいはそれをどのように変質させるのか、そういったことをわかりやすく説明している。読んでみて損のない本である。

2004/ 9/ 9
斉藤兆史・野崎歓(2004)『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』東京大学出版会.

 現在の英語(斉藤)とフランス語(野崎)の第一線の研究者、翻訳家(40代でいずれも東大助教授)として活躍している著者たちの対談。語学、翻訳、文学の3つのテーマについて語る。翻訳と文学のところはさすがと思わせる。同年代の著者たちでもあり、思い入れもあって結構真剣に読んでしまった。ただ、最初の語学の対談は、「それはないだろう」という内容だ。斉藤についてはこれまでも文法翻訳式の英語学習こそが意義がある、という論考をあちこちで発表しているのだが、この本でもその論調で話を進めている。だから、彼らにすれば、現在のコミュニケーション中心の英語教育は本質を見誤っていることになる。この2人の有能さは否定できないが、彼らにとって有効だった学習方法がそのまま一般化されていいわけはないだろう。まあ、翻訳と文学の部分はいい内容だったので、最初のテーマで本を投げ出さなくて良かったと思う。

2004/ 7/16
西東三鬼(2000)『神戸・続神戸・俳愚伝』講談社文芸文庫

 西東三鬼は戦前から戦後に書けて活躍した俳人。1940年にいわゆる「京大俳句事件」で検挙され、戦争中は作品を発表していない。「神戸」「続神戸」は三鬼が、東京を逃げ出して神戸のホテルにいたころ、同じホテルに暮らしていた人々をモデルに書いた連作小説。

三鬼の俳句の代表作
水枕ガバリと寒い海がある(1936)
昇降機しづかに雷の夜を昇る(1937)

2004/7/16
中村裕(2003)『やつあたり俳句入門』文春新書

 俳句の成り立ちから新興俳句運動までを解説。特に俳句界の現状をセクショナリズムが強すぎると批判している。筆者の思いを自由に書いてある。新興俳句運動に力を入れて書いてあるところがおもしろい。

2004/7/16
長谷川櫂(2004)『俳句的生活』中公新書

 俳句にまつわる話題を綴ったエッセイ。使われている俳句は、芭蕉、蕪村など古典からが多く、現代のものは筆者自らの句が多く採られている。中村(2003)とは異なり、俳句の世界のもろもろの問題よりは、俳句そのものの話題に終始している。

2004/7/16
川名大(2001)『現代俳句(上・下)』ちくま学芸文庫

 「ホトトギス」から現在の俳句までを網羅した本。「これを読むと現代俳句が全部わかる!」という本だ。最初から読んで、それからちびちびとあちこち拾い読みをする本だろう。

2004/7/16
桂枝雀(1984/1996)『桂枝雀のらくご案内』ちくま文庫

 これは桂枝雀の得意ネタ(この本が書かれた当時の)61本を解説した本。枝雀の落語が好きでCDを車で聞いている。落語そのものも好きなのだが、関東の落語はどうも鼻につく。落語家が偉そうにしゃべっているように聞こえてしまうのだ。先代(もう先々代になるのかな?)志ん生のCD全集も持っているが、あれはわけがわからない。やっぱり落語は枝雀でしょう。それにしても、もう亡くなったのが惜しまれる。

2004/ 5/10
山本恒夫(2004)『大黒屋光太夫』岩波新書

 18世紀後半、日本がまだ鎖国をしていた頃、三重の商人の雇われ船長光太夫が、難破して当時ロシア領だったアリューシャン列島に漂着する。それから十数年を経て日本に帰国するまでの話しをまとめたもの。光太夫はそれなりに教養があり、ロシアの地でも知恵を巡らし、なんとかして日本に帰国するすべを探る。
 文章がよく書けており読みやすい。異文化体験、問題解決などを考える上で心に留めておく価値があると思う。

2004/ 3/28
西原理恵子(2004)『毎日かあさん(カニ母編)』毎日新聞社

 西原理恵子の家族漫画。自分の家のことを書いているのでほとんど私小説だが、ぜひお薦め。なお、西原の最近の漫画に『できるかなV3』(扶桑社)があるが、こっちは巻頭の税務署との交渉の話をそのまま(かどうかわからないが)載せているのが秀逸。そちらと比べると『毎日かあさん』は西原の内面がそのまま出ていると思う。

2004/ 3/ 1
纐纈 厚(1996)『日本海軍の終戦工作:アジア太平洋戦争の再検証』中公新書

 太平洋戦争についての海軍の立場を再検証した本である。従来、太平洋戦争は陸軍が主導し、それが行き詰まって海軍が終戦工作を行ったというのが一般的な考え方とされているが、この本ではそのような考え方を実際に検証している。この本の中で、終戦工作を検証した部分に、「米内海相直話」(1945/8/12)として、次のような引用が載せられている。

 「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくて済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである(p.190)。」

 すでに、終戦の年の6月には敗戦は決まっていた(もちろん戦争の情勢からこのずっと前に敗戦は確実とされていた)。このあと、原爆が投下され、ソ連が参戦するときまで、政府首脳や天皇の周囲は、いわゆる「国体護持」が可能かどうかを連合国側に打診していたのである。結局、国民のことは何も考えていなかったということになる。
 リーダーシップとか決定の方法とかそうことを考えさせられた。

2003/10/14
原 武史(2003)『鉄道ひとつばなし』講談社現代新書

 何度も言っているように私の趣味は鉄道である(最近は飛行機とかもあるが)。新刊でこのような本が出れば読まないわけにはいかない。長い間にわたって連載されたエッセイをまとめたもの。歴史の中のエピソードと鉄道を結びつけている部分が一番おもしろい。他の話も含めて、ひとつひとつのエッセイが含蓄に富んでいる。少なくとも私には大変おもしろい本だった。

2003/ 9/16
園田英弘(2003)『世界一周の誕生:グローバリズムの起源』文春新書

 副題に「グローバリズムの起源」とあるが、今日の我々の考え方の起源の道具を取り上げている。「道具」というのは交通の手段である。その前史は大航海時代といわれる、冒険家がインドへの道を見つけて帆船で移動していた時期であり、そこからどうやって人間が進歩を始めたか、そしてどのように世界一周が可能になったのかを解説している。話としては19世紀までであって、飛行機の話は出てこない。また、グローバリズムの最後は(この本では)東アジアになっている。そこで日本がどういう関わり方をしたのかについて、久米邦武の『特命全権大使米欧回覧実記』を取り上げることで終わっている。
 グローバリズムとか国際理解教育とか考えているので、それの脇役として興味深い本だった。

2003/ 9/16
辛基秀(2002)『朝鮮通信使の旅日記』PHP新書

 日本史の時間に習ったのだが、江戸時代に第3代将軍家光の時代に鎖国が完成し、それ以降はオランダとの間に細々とした関係が続いていたという。それで、そのあとで、しかし他にも清と朝鮮とも関係があった、とも習う。しかし、この著者の書いている朝鮮通信使が与えた影響は鎖国の時代といっても庶民のレベルまでに浸透していた。その浸透ぶりを著者は各地に残る祭りや人形などまで言及しながら解説している。
 韓国関連本ということで買って、そのつもりで読んで、さらにグローバリズムを考えるときに、そばに置いておくぐらいのことで使えるかな、と思って読んだが、それ以上の内容だと思う。

2003/ 9/10
宮本健次(2003)『月と日本建築:桂離宮から月を観る』光文社新書

 桂離宮、銀閣、伏見城などを月を観る施設という観点から論じたもの。その時の権力者が何を思ってそれぞれの建物を建てさせたのか、という本。おもしろい。忙しいときに読んでいると「いい加減にしてくれ!」と怒られそうな本です。

2003/ 9/ 9
用事で韓国に行くので韓国関連本を読んでいる。

水野俊平(2003)『韓国の若者を知りたい』岩波ジュニア新書

 これは韓国の若者の考え方を日本の若者と比較して紹介した本。韓国のまさに今の社会の様子がわかる。学校の様子とか、大学進学に対する思い、恋愛事情など。結構お薦め。


伊東順子(2001)『病としての韓国ナショナリズム』洋泉社新書
川島淳子(2001)『韓国美人事情』洋泉社新書
豊田有恒(2002)『いま韓国人は何を考えているのか』青春出版社

 このあたりは韓国の今の現状についてのエッセイ。面白かったので、時間があるときにどうぞ。

木宮正史(2003)『韓国:民主化と経済発展のダイナミズム』ちくま新書

 韓国の現状を説明した本。中味も充実している。

道上尚史(2001)『日本外交官、韓国奮戦記』文春文庫

 日本の外交官が語る日韓の違いや、自己主張の仕方の本。これは日韓関係を考える上でたいへん役に立つ本だと思う。日本は自分の国がやったことを冷静に考えるべきである、が、しかし、自分の主張はすべきである。それが日韓関係の未来を切り開く、というのは当たり前だが真っ当な考え方である。実際の外交実務に当たっている人の主張として尊重されるべきだと思う。

海野福寿(1995)『韓国併合』岩波新書
呉善花(2000)『韓国併合への道』文春新書

 海野(1995)の本は韓国併合に至るまでの歴史を客観的に記述している。これに対して呉(2000)は特に金玉均のクーデターまでにページを割いている。日本史の時間に習った日本の近代史は結局朝鮮半島の権益を巡る話しだった、ということを再認識した。

2003/ 9/ 9
井田茂(2003)『異形の惑星:系外惑星形成理論から』NHKブックス

 太陽系以外の宇宙で惑星を探すプロジェクトは長い間続けられていた。ところが観測機器の性能の問題もあって(惑星観測は観測機器の格段の性能が求められる)なかなか惑星を発見することができなかった。それともう一つ惑星の発見を遅らせたのは、天文学者が太陽系をモデルに惑星を探したという事情がある。実は、現在見つかっている惑星はそのすべてがタイトルにあるように「異形の惑星」なのである。中心星(太陽に当たる)の非常に近くを木星のような大きさの惑星が回っているのである。なぜこのような現象が起こるのか、を著者は現在のデータから最大限説明しようと試みる。
 最終的には、この話題は「地球のように生物が住んでいる惑星は発見できるのか?」に行き着くのだが、その前段階として「現在のデータをどう読むか」という問題の方がエキサイティングだと思う。
 なお、この話題について同じ著者による井田(2002)とか観山(2002)もある。

井田茂(2002)『惑星学が解いた宇宙の謎』洋泉社新書
観山正見(2002)『太陽系外惑星に生命を探せ』光文社新書

2003/5/ 7
鈴木真二(2003)『飛行機物語』中公新書

 要するに飛行機が開発されて、現在のジェット旅客機ができるまで、をまとめたものである。この中に結構なロマンがあったりするので、好きなジャンルである。「人間はどうやって空を飛ぼうと思い、実際にどうやって飛んできたのか」という話だ。
 飛行機の理論の発達も解説してある(わかったようなわからないような。)
 ただ、この本を読むと飛行機の実現はその理論だけによるのではなく、それを支える技術があって成立したことがわかる。当初、飛行機の理論が考え出されたときに、人間が持っていたエンジンは蒸気エンジンであった。これでは重すぎて飛び上がることは出来ない。そして内燃機関が開発され、初めて人間が空を飛ぶことが可能になった。
 ライト兄弟が成功する9日前に、ラングレーは飛行実験に失敗し、政府の資金を得ていたために批判される。そのときに、ニューヨークタイムズは「飛行機の完成は100万年から1000万年先のこと」と評した(p.85)。本当に飛行機は実現するのか?と多くの人が思っていた時代である。

2003/4/29
牛島信明(2002)『ドン・キホーテの旅』中公新書

 副題にある「神に抗う遍歴の騎士」とあるが、アプリオリに与えられた自分の運命を、自分の意志によって切り開いていこうとしたドン・キホーテを簡明に描いている。かの有名なドン・キホーテであるが、全部読んでいる人は少ない。ましてや、ドン・キホーテとサンチョ・パンサが何をその胸の中に秘めていたかを理解している人はもっと少ない。この新書はその格好の読書案内である。
 著者の牛島氏は岩波文庫から出版された『ドン・キホーテ』(新訳版)の訳者。わかりやすい訳文で、今度こそ読めるか?と思わせる。というわけで、前・後編6冊を買ってしまった。

2003/3/31
中山康樹(2003)『これがビートルズだ』講談社現代新書

ビートルズ本は数あるが、これはビートルズが公式に録音したとされる213曲すべてについて1ページずつ解説をした本。もちろん解説といっても今さら参考書でもないので、作者の思い入れがたっぷり入っている。

最初はジョンが疾走した。ジョンの天才がいきなり開花し、ビートルズを引っ張った。そして、そこにポールが追いつき、ビートルズの音の基本が確立した。そのうち、ジョージがいっぱしのミュージシャンになった頃にはビートルズはすでにバラバラになっていた。というのが、中山氏の図式である。ということは、「完成したビートルズ」というフォーカスはついに得られなかったことになる。『アビーロード』こそが、それではないのか?という言い方もできるが、『アビーロード』はすでに修復不可能な状態になっていたビートルズが、もう一度自分たちが完成させることの遂になかったビートルズを演じたのである。だから、あれはビートルズの白鳥の歌になったのだ。

疾走したジョンはそのうち息が切れて、オノヨーコに出会って、後の顛末はご存じの通りである。私としては、ジョンのビートルズ初期の天才ぶりはもちろん認める。しかし、あの勢いを永遠に続けることは不可能だ。いつかは勢いは止まり、普通の人になるときが来る。もし永遠に走り続けられる人がいたら、それは才能を出し惜しみしながら走っているだけのことであって(別に非難しているわけではない。そうでもしなければやっていられないのもわかる)、ジョンがそれぞれの時を自分の才能のすべてを使って走っただけである。

中山氏はオノヨーコと会った後のジョンの音楽には批判的である。私にはそれは判断しかねる(単に音楽を評価する才能がないだけです。誤解のないように)。しかし、わけがわからなくなって、いろいろなことに巻き込まれて、その結果として『ダブルファンタジー』を発表したジョンのたどった道は味があると思う。「ジョンの生き方」ではない。ジョンは、「こんなふうに生きよう」と思って生きていたとは思えないからだ。ちょうどビートルズがそうであったように、結果として、我々の頭の中にヴァーチャルなジョンの生き方がピントを結ぶだけのことである。

 2003/1/15
矢作俊彦(1997/2002)『あ・じゃ・ぱん』角川書店
塩田潮(2002)『田中角栄失脚』文春新書

矢作の『あ・じゃ・ぱん』は、戦後東西に分裂国家とされた日本を舞台にした小説。東京を首都とする共産主義国家の東日本と、大阪を首都とする資本主義国家の西日本が登場する。その中で、東日本のトップになる中曽根康弘、国家の転覆を謀る三島由紀夫、そして、新潟の山奥で40年間ゲリラ活動を展開してきた独立農民党田中角栄が登場する。実在の人物の役回りを舞台を変えて再構成する技法は見事。2段組700ページ以上は伊達ではない。

さて、その田中角栄が総理大臣になり、『文藝春秋』の記事によって倒閣されるまでの様子を書いたのが塩田(2002)である。立花隆と児玉隆也が『文藝春秋』に記事を書くまでの経過や、書いているときの様子などはおもしろい視点だろう。田中角栄はこれまでもいろいろと言われているのだろうが、この本は読んでも損はない。

おもしろいエピソード:田中内閣末期の家庭の事情。
「大きなお腹を抱えた眞紀が二階の欄干にまたがって、『辞めなければ飛び降りるぞ、飛び降りるぞ』と言って聞かないんだ。これをSPのいるところでやる。はなはおろおろするし...。やれっこないから、俺は『やれるもんならやってみろ』と言うんだが...」(p.282)

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