2006年 9月21日 更新

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 つまり書評のページです。ジャンル無制限。研究用の文献はいずれ別にしたいと思いますが、当面はここに掲載します。
 2004年の書評はこちら、2003年の書評はこちら、2002年の書評はこちら、2001年の書評はこちらに移動しました。

2006/9/21
米窪明美(2006)『明治天皇の一日:皇室システムの伝統と現在』新潮新書.
篠田達明(2006)『歴代天皇のカルテ』新潮新書.
 皇室ネタの本2冊で、『明治天皇の一日』は本当に明治天皇が起きてから寝るまでの一日の様子を書いた本。どんな段取りで周りのスタッフが動いて明治天皇をサポートしていたかを書いている。京都であるかないかわからないような存在だった天皇制がある日突然江戸あらため東京に連れてこれられて、近代的な政治体制の中に適応していくかを書いた本と言ってもいい。明治天皇のスタッフのうち、特に私生活に関する部分は、京都でのシステムを引きずっていて、そのあたりが読みどころ。ちなみに、明治天皇に何人の側室がいたかとか、そういうあたりのことも書いてあるが、あくまでポイントは天皇の一日の生活についてである。『歴代天皇のカルテ』は、著者が医者の観点から歴代の天皇の健康状態を各種の記録から観察・類推したものである。歴代の天皇のうちガンでなくなったとはっきりわかるのは昭和天皇くらいであり、だいたい、ガンになるくらいまで長生きした天皇が少ないということである。一般の人に比べて短命だったということはできないが、しかし一般の人に比べて格段に生活は恵まれていたわけであるから、それを考慮すると天皇家を維持するというのは大変難しいということも言える。ちなみに、歴代の実在が確認されている天皇のうち、皇后あるいは中宮から生まれている天皇は28人、女御、更衣、後宮の女官など側室から生まれている天皇が75人である(pp.176-179)。

2006/9/15
ディビッド・スコット+アレクセイ・レオーノフ(2005)ソニーマガジンズ.
 タイトル通り米ソの宇宙計画を扱った本だが、書いているのは実際に宇宙飛行を何回か経験した宇宙飛行士だということだ。スコットは、ジェミニ8号でアームストロング(後に人類初の月着陸に成功)と地球軌道上で無人ロケットのドッキングに初めて成功、アポロ9号では月着陸船を地球軌道上で操って、月着陸の準備をした。さらにアポロ15号で月着陸に成功。レオーノフは、ボスホート2号で、人類初の宇宙遊泳に成功し、米ソの共同宇宙飛行(アポロ=ソユーズ計画)で、ソ連側の船長を務めた。
 史実を解説するのではなく、実際の当時者が書いたということで、宇宙飛行士の立場からの宇宙計画がわかるし、彼等がそれぞれの相手国をどう見ていたかがわかる。

2006/9/15
早坂 隆(2006)『世界の日本人ジョーク集』中公新書ラクレ.
 ジョークの中で日本人をネタにしているものを集めて解説している本。民族ネタというのは日本でやるとまずいことが多いが、世界では結構盛んである。日本人だって当然さんざんに言われているのである。が、この本で取り上げているジョークはどうも、日本人に対するリップサービスのようなものが多い。日本人を持ち出して、もう一方をこけにするとか、そういうものである(そうでないものも含まれてはいるが)。自尊心をくすぐられたい人にお薦め。

2006/9/15
富田太佳夫(2006)『笑う大英帝国』岩波新書.
 こちらは、イギリスのユーモアについて書いたもの。これはかなり緻密に書かれていて、英語文化の研究に参考になるところが多かった。が、中味について、イギリス人が自分の国をこけにするところはなはだしく、第1章でまず、王室に対するユーモア(どころの騒ぎではない)を紹介しているが、その中でも、『女王様と私』にはぶっとんだ。エリザベス女王(今の女王様ですよ!)が平民になって、公営住宅にお引っ越しをして、いろいろな苦労をするという話だそうだが、日本ではこんな小説は考えられないでしょうね。思わずアマゾンでこの小説を買ってしまった(まだ読んでないけど)。

2006/9/15
山口仲美(2006)『日本語の歴史』岩波新書.
 日本語が奈良時代に漢字と出会って書き言葉を獲得するときから、明治時代の言文一致運動までの通史。
 日本語について書かれているが、読みようによっては、言語の発達(変遷)の歴史の一例としても読める。それぞれの時代の文章例も的確で、豊富に紹介されている。いい本ですね。

2006/9/15
青木 理(2006)『北朝鮮に潜入せよ』講談社現代新書.
 北朝鮮の拉致問題とか報道されているが、この本は逆に韓国による北朝鮮への侵入を扱っている。もちろん停戦協定でそんなことはしてはいけないことになっているのだが、相手の国の人々を拉致、施設の破壊、軍事施設などの偵察などはいろいろな形で行われてきた。韓国では、第2次世界大戦後に解放されてから、韓国軍とは別に密かに若者が訓練されて、北朝鮮に潜入させられていた。もちろん、トップシークレットである。最近の韓国映画で、そのように訓練されていた兵士(正式には兵士とは呼べないのだが)が、叛乱を起こし、ソウルに侵入するという事件を扱っていた。最近の開放政策で、かつての国家機密が次々に明らかになっているが、このような部隊の存在もようやく表舞台に出て、補償交渉などの準備が進んでいるという(かつて作戦に従事して、北朝鮮に潜入した人々はほとんどが命を落としている)。この中で出てくる生存者の言葉で、北朝鮮では、このようなことをすれば英雄扱いされるが、韓国では全て秘密にされ、生き残った人々も沈黙を強いられてた、というのがある。
 この本の作者は共同通信の記者。自分自身の取材だけでなく、2次資料なども使いながら書かれているが、内容が内容だけにインパクトがある。

2006/4/18
中野 翠 (2006)『今夜も落語で眠りたい』文春新書
 雑誌に連載されているのを読んで、いい文章だと思っていた。新書版でまとまって嬉しい!と、思って、読んでいたのだが、最初のところであまりにも8代目桂文楽のことを褒めちぎり、そのCD全集がすごくよかったと絶賛しているので、ついAmazonで注文してしまった(翌日到着)。
 落語は好きでCDもたくさん持っているので、他の人の落語評を読むのは楽しい。
 この人、しかし、江戸落語だけしか紹介していない。僕は上方、というか桂枝雀のファンで、江戸の端正な落語は、いい子ぶりっ子しているようであまりのめり込めない。噺家が高いところから話をしているような感じがしてしまうのだ。それでも先代志ん生はよく聞いているのだが、あのはずし方とかテンポの取り方に違和感が少しある。そういうわけだが、せっかくなので、これから文楽のCDを聞くことにする。

2006/4/18
山室信一(1993/2004)『キメラ−満洲国の肖像(増補版)』
 読み出すと止まらなくなって、満洲関係の本を読んでいる。この本はその中でも網羅的で相当詳しい説明になっている。満洲については、その成り立ちの正当性(もともと漢族ではなく、満洲族の活動地域であったとか、当時の中国の状況から日本に進出されてもやむを得なかったとか)や、日本から官僚が出向して行った政策が先進的だったとか、いろいろ正当化したがる人たちがいて、そのような観点で書かれた本も多い。しかし、山室は、丁寧に歴史を繰っていき、そのような説明が不当であることを淡々と述べている。
 宮脇淳子(2006)『世界史のなかの満洲帝国』 (PHP新書)とか小林英夫(2005)『満州と自民党』(新潮新書)と比べながら読むと、観点も違っていておもしろい。

2006/4/6
ハインリッヒ・シュネー(2002)『「満州国」見聞記:リットン調査団同行記』講談社学術文庫.
「リットン調査団」というのは日本史、世界史を勉強するときに必ず出てくる名前である。満州事変後の満州問題を調査するために国際連盟が派遣した使節であり、1932年2月に東京に到着し、同年9月に報告書を国際連盟に提出した。国際連盟は10月にこの報告書を公開し、1933年2月の国際連盟総会で、日本の満州からの撤退を求める勧告案を可決(42対1、反対したのは日本のみ)して、日本は国際連盟を脱退する。
 シュネーはドイツ人で、実務家で学究肌であったと言われる。名前だけ知っているリットン調査団の様子や、シュネーが日本、中国、朝鮮、など関係している地域をリットン調査団の一員として見て回っている。その報告は当時のこの地域の様子を的確に伝えていて一読の価値がある。
 日本の満州政策については、最近多くの本が出版されており、この欄でもこれから紹介するつもりである。

2005/ 9/30
武居俊樹(2005)『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』文藝春秋
武居は赤塚不二夫の『おそ松くん』第6代目担当者で、以来小学館に勤めながら赤塚不二夫と一緒に数々の傑作を世に送り出し、そして、赤塚不二夫が落ち目になってからもさらにずっとつき合い続けた。現在赤塚は闘病中で、武居によると、もう原稿を書くことはないだろうとのこと。赤塚不二夫といえば『おそ松くん』である。私の子どものころの思い出に『おばけのQ太郎』と並んで輝いている。赤塚が漫画を書いてきた軌跡や、それぞれの作品の裏でうごめいていた編集者たちのことが、武居ならではの視点から語られる。さらに、この本が心を打つのは、赤塚が落ち目になってからのことが刻銘に記されているからだ。
 週刊プレーボーイ『赤塚不二夫の「これでいいのだ」人生相談』の回答から引用されている部分。

 漫画描いていて、いつも今迄やったこともない新しいテーマに挑戦するのって大変だろ。
 特に10年前くらいかな、50を超えたあたりで体力もガクッと衰えた頃が一番シンドかった。だから、なるべく描きやすいテーマで、絵も描きやすいようにして漫画をスタートさせちゃう。人物も少なく、人間関係も単純で背景の絵も簡単になってく。ストーリーだって、昔描いてたものの焼き直しさ。楽に楽に漫画を書こうとしてるうちに、ちっとも描いているのが楽しくなくなる。で、人気もどんどん落ちる。
 そうなったらジタバタしてもしょうがないんだ(p.296)。

武井は終章を以下のことばで結んでいる。

 手塚治虫。生涯漫画執筆枚数12万枚。40年間、毎日平均して10枚描いた計算になる。
 赤塚不二夫。生涯漫画執筆枚数8万枚。
 もう執筆しないとしてだ(p.317)。

2005/ 9/30
取り上げた本:
・姜尚中(2005)『在日ふたつの「祖国」への思い』講談社α新書.
・高崎宗司(1996)『検証日韓会談』岩波新書.
・四方田犬彦(2005)『ソウルの風景』岩波新書.
・海野福寿(1995)『韓国併合』岩波新書.
・松尾茂(2002)『私が朝鮮半島でしたこと』草思社
・林廣茂(2004)『幻の三中井百貨店』晩聲社
・鄭 銀淑 (2005)『韓国の「昭和」を歩く』祥伝社新書.

久しぶりに韓国本をまとめて読んだのでその感想などを..

姜尚中(2005)『在日ふたつの「祖国」への思い』講談社α新書.
在日の著者が朝鮮半島100年の歴史を概観した本。もちろん自信の在日体験を軸にして、専門の政治学から朝鮮半島、日本と韓国・北朝鮮の関係、朝鮮半島統一への道筋を論じる。論理明快で、たいへんわかりやすい。

高崎宗司(1996)『検証日韓会談』岩波新書.
戦後日本と韓国の間には国交がない状態が続いた。日韓条約の締結が遅れたのはなぜか、どのような交渉の経緯があったのかを、たどった本。日本はどのように謝罪を免れ、韓国はそれを見逃したのか、冷戦の中の米国の役割が、結局日韓の関係をねじ曲げてきた経緯など詳細に論じている。

四方田犬彦(2005)『ソウルの風景』岩波新書.
四方田犬彦が1979年に滞在したソウルに再び2000年に戻って、その滞在時の印象をいろいろな角度から論じた本。当時と比べて何が変わったのかを、彼自身の視点から語る。

海野福寿(1995)『韓国併合』岩波新書.
海野は日本の明治維新前後の東アジア情況から、日本が日清戦争、日露戦争を経て朝鮮半島を併合するまでを論じている。日本の取った政策を時代を追って見ているわけである。いちおうこの本の守備範囲は、併合されるまでで、併合されていた時代のことは扱っていない。

松尾茂(2002)『私が朝鮮半島でしたこと』草思社は、九州佐賀県出身の著者が、朝鮮半島で土木工事に当たった経験をそのまま書いた本である。農地の水利事業、、架橋、鉄道工事などに当たった様子が淡々と記述されている。中で著者も書いているのだが、これらの工事は朝鮮半島に人たちのために役立ったものも多い。もちろん最終的には日本のためにやったことであるが(食糧増産のための農地改良工事では、増産された米などは日本に輸出することを目指して、実際にそのようにされている)、著者はとにかく自分が手がけた仕事を残しておきたいという想いでこの本を書いたとしている。

林廣茂(2004)『幻の三中井百貨店』晩聲社
戦前朝鮮半島を中心に、朝鮮半島で最大の売り上げを誇っていた百貨店の歴史を扱っている。この三中井百貨店は朝鮮半島に支店網を作り、日本人ばかりでなく韓国人の中流階級以上の人たちに人気があったが、戦後の混乱の中で再建されることなくその幕を閉じた。朝鮮半島で勢力を持っていて信用もあったことから、今日の丸物百貨店(岐阜にあった近鉄百貨店がその前にそうだった)などを買い取る話とか下関に支店を出す話などもあったらしい。韓国の人たちも日本の消費文化の中にいて、それを楽しんでいたのではないか、ということを示唆している。この本は、なかなかおもしろい。

鄭 銀淑 (2005)『韓国の「昭和」を歩く』祥伝社新書.
 韓国に残る日本建築を韓国各地で訪問する旅行記である。後書きには、このタイトルで出版することへの著者のためらいがある。単に日本建築を郷愁として見るのではなくて、日本人にもこれらの日本建築が建てられた歴史的な背景を考えてほしいという、著者の思いが伝わる。しかしそれでも、観光ガイドにはない視点で韓国を旅することのできる貴重な本だろう。

2005/ 5/ 5
取り上げた本:
・小林康夫・山本 泰(2005)『教養のためのブックガイド』東京大学出版会.
・村上陽一郎(2004)『やりなおし教養講座』(NTT出版)
・文藝春秋(編)(2004)「東大教師が新入生にすすめる本」(文春新書)
・広島大学総合科学部101冊の本プロジェクト(編)(2005)『大学新入生に薦める101冊の本』(岩波書店)
・柄谷行人他(2002)『必読書150』(太田出版)
・太田出版営業部面白本探検隊(編)(2005)『これは絶対おもしろい!−書店員が見つけたロングセラー』(太田出版)
・SOHOギルド(編)(2004)『カフェで読む物語の名シーン60』(クラブハウス)
・夢プロジェクト(編)(2004)『とにかく面白い傑作小説70冊』(KAWADE夢文庫)


東京大学出版会から大学新入生のためのブックガイドが出た。『教養のためのブックガイド』である。これをを機にして、自分がこれまで気に入っているブックリスト本というのを一気にまとめてみたい。

小林康夫・山本 泰(2005)『教養のためのブックガイド』東京大学出版会.
 東大の教養部のテキストの一環(あるいは、サブテキスト?)として書かれたものである。東大では現在でも教養教育に一家言ある大学で、充実した教養教育というか、専門教育を遅らせる方針を堅持している。これは、東大の場合には文系理系ともに大学院教育を視野に入れて、学生の教育を見通せるという利点からでもあるだろう。しかし、例えば文系の学生でも(あるいは、文系の学生であればこそ)自然科学系の単位を余分に取らなくてはならないとか、そういう制度はエリート教育の方針としては間違っていないと思う。
 先代教養学部長村上陽一郎は『やりなおし教養講座』(2004、NTT出版)という本で、彼の考える教養教育とは何かということを、結構好き勝手にしゃべっている。ひと時代前の教養観が溢れているが(これは本の中に出てくるように彼の父親が医者で相当のエリートだったということも関係しているだろう)、リベラルな学者(科学史)の考え方として興味深い。としてこのような考え方で本を読むことも必要だ。

 さて、『教養のためのブックガイド』だが、大学の新入生を意識して、いろいろてんこ盛り。「いま、教養とは」というイントロから始まって、座談会「教養と本」、そして「さまざまな教養」「教養の彼方」として、全部で5人の教員がいろいろ本を紹介している。他にコラムも設けてある。確かにおもしろいのだが、方向があちこちにいってしまって、結局何を目指しているのか曖昧なところもある。しかし、だから、「たくさん本を読んでね」というメッセージを大学生に送るのにはいいのかもしれない。

 同じ東大の本なら、昨年出た文藝春秋(編)「東大教師が新入生にすすめる本」(文春新書)の方がもっとおもしろい。これは東大出版会が機関誌『UP』で毎年4月に掲載していたアンケートを1994年から2003年分までまとめたもの。その年の新入り教員を中心に依頼しているらしい。教員の思い入れもたくさん詰まっていて、個性花盛りであるが、10年もたまると本全体が結構強烈なオーラを発している。ただし、そういう特徴を持っているので網羅的なブックリストとしては、もちろん使い物にはならない。

 網羅的なブックリストとしては、広島大学総合科学部101冊の本プロジェクト(編)(2005)『大学新入生に薦める101冊の本』(岩波書店)がいい出来である。帯には「「文理横断型」の知を強調するユニークな読書案内」とあるが、これは違う。教養というのはもともと「文理横断的」なものであるはずで、大学で教養を身につけるというのは総合的な知の獲得であるはずだからだ。帯に文句を言っても仕方ない。中味は「ユニーク」ではなく「まっとうな」ブックリストだと思う。広島にあるということで平和学に関する文献もしっかり入っているのも嬉しい。

 さて、網羅的なブックリストではあるのだが、柄谷行人他(2002)『必読書150』(太田出版)は、その帯にまずぎょっとする。「これを読まなければサルである」である。それでどういう本が取り上げられているかというと、プラトン『饗宴』、アリストテレス『詩学』から始まるのである。とんでもないブックリストである。本人たちの自己満足とも言えようが、序文に柄谷が書いている。

「われわれは今、教養主義を復活させようとしているのではない。現実に立ち向かうために「教養」がいるのだ。カントもマルクスもフロイトも読んでいないで、何ができるというのか。わかりきった話である。われわれはサルにもわかる本を出すことはしない。単に、このリストにある程度の本を読んでいないような者はサルである、というだけである。」(p.7)

と、まあ、やっぱり自己満足なんだろうが、それ相応の覚悟がうかがえる本である。

 一転して、今度は本屋さんが選んだブックリストを取り上げたい。太田出版営業部面白本探検隊(編)(2005)『これは絶対おもしろい!−書店員が見つけたロングセラー』(太田出版)である。タイトルにあるとおりの内容。書店員へのインタビューとアンケートの回答からできあがっている。そもそもこのようなアンケートに律儀に答えるところが、彼らが本好きであることの証明であるから、すべての書店員が本の専門家では(もちろん)ない。書店でいろいろ尋ねて、新刊ならいざ知らず(それもまともに答えてくれない店員もいるが)、ちょっと年月がたっていると全くあてにならないことが多い。これじゃあ、アマゾンで検索した方が確実だ(すぐに注文もできるし)。愚痴はともかく、ここで答えてくれた書店員が薦める本は「ロングセラー」が条件なので、それだけに味が濃い。本好きなら一読したい(あるいはもう読んだ)という本が目白押しである。

 SOHOギルド(編)(2004)『カフェで読む物語の名シーン60』(クラブハウス)は、「この惑星のベストセラー都市小説ダイジェスト」と帯にあるが、カフェで読むのが似合う、20世紀の小説を集めたもの。ちょっとおしゃれ?あるいはこれをおしゃれと思えるだけの生活を送っているだけか?

 ついでに、仕事がどうもうまくいかず、現実から逃避したいと思う人向けのブックリストをひとつ。夢プロジェクト(編)(2004)『とにかく面白い傑作小説70冊』(KAWADE夢文庫)である。選んであるのは、長編の小説ばかりで、どれも傑作の名に値するエンターテイメントである。「これを読んでいない人たちがうらやましい」と筆者の一人は書いている。これからここに挙げた本を読む楽しみが人生に残っているからである。

 最後は、ちょっと教養と言えるかどうか怪しいブックリストまで入れてしまったが、最近出版されたブックリストから拾ってみた。ここに挙げたブックリストに載っている本は間違いなく役に立たない。そもそも、目の前の必要性からは一見遠いところにあるのが教養だからだ。じゃあ、本を読むのは時間の無駄なのか?確かに時間はかかる。本を読むのが好きな人の中には、どうしても読みたい本が出てくると、わざと風邪を引いて会社(学校)を休み、その本をとにかく読んでしまう、という人もいる(本当に風邪を引いているかは別にして)。もう一つ、別の観点からは、人生を生きていくのに本から得た知識ではやっていけない、という意見もある。そうかもしれない。しかし、現実の中でしか暮らしたことのない人は、日々の現実に対処はできるようになるだろうが、そこから外に出るすべはないだろう。自分が経験できない物語を読むことは、自分の想像力の枠を広げることである。それだけで飛ぶことはできないが、でも、「人間は自分の想像力よりも高くは飛べない」(寺山修治)。読んでいる本が、ミステリー小説だろうと哲学書だろうと、本を読んで教養を身につけるというのは、まあ、そういうことだと思う。

2005/ 4/27
吾妻ひでお(2005)『失踪日記』イースト・プレス.
 吾妻ひでおは『ふたりと五人』とか『やけくそ天使』とかを書いた漫画家だが、この人が、原稿を落とし、失踪して路上生活、もう一度失踪、アル中から強制入院といったことをやっていたらしい。このマンガはその事をギャグマンガにして出版したもの。帯に「全部実話です(笑)」とある。巻末には、筆者ととり・みきとの対談などもついている。作品としては傑作の一つ。これだけの作品を出せるのなら、これだけ悲惨な体験も悪くないか、と一瞬思うが、やはり本人にとってはとんでもないことだろう。
 ちなみに、『芸術新潮』2005年5月号に、インタビューが載っている。「吾妻ひでお ギャグ漫画家の絶望と希望と」聞き手はいしかわじゅん。

2005/ 3/25
曽田英夫(2005)『幻の時刻表』光文社新書.
立松和平(編集)『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』岩波文庫.

 現在では存在していない鉄道をたどった本。国内で廃線になった鉄道や本線と支線が入れ替わった鉄道なども興味深いが、なんといってもおもしろいのはかつての旧領土の鉄道。朝鮮半島や樺太、台湾の鉄道が書かれている。
 また、「東京発パリ行き」時刻表という第1章は、かつての関釜連絡船、満鉄、シベリア鉄道などを経由する国際列車を紹介している。この中に、林芙美子の『三等旅行記』が何度か引用されていて、当時の列車の旅の様子が伝わってくる。
 なお、この林芙美子の文章は立松和平(編集)による『下駄で歩いた巴里』(岩波文庫)で読むことが出来る。林芙美子の紀行文を集めたもので、林が『放浪記』で一躍時の人になったあとで出かけたヨーロッパ旅行のことが多く扱われているが、それ以外の文章もおもしろい。

2005/ 1/ 2
ピーター・サックス『恐るべきお子さま大学生たち:崩壊するアメリカの大学』草思社.

 筆者は大手の新聞社に勤務していた記者。アメリカのとあるcommunity college に職を得て教えることになる。本文中にはthe collegeと表記してあり、ピーター・サックスという著者名も匿名。アメリカの大学の実態と、そこで生き残ってテニュアを取得するために学生の評価と常に気にして毎日の教育に当たる実態が報告されている。おお、まるで日本の大学のようではないか!と思うが、日本はではまだ学生の授業評価をここまで露骨に教員の評価には利用していない。ただ、近い将来(本当に)、このような状況が日本にも出現するだろう。
 筆者はもともとジャーナリストであり、教育現場のことを「客観的に」報告する義務があるとして、この本を書いた。しかし、もともとそこにずっといる住人(私のようなものだ)はどうすればいいのか。「そんな学生は入学させるべきではない」と切り捨てていいのか。そういうジレンマも感じながらこの本を読んだ。
 ちなみに、日本の現状を書いた本に、杉山幸丸(2004)『崖っぷち弱小大学物語』中公新書ラクレ(ちょっと薄味だが)がある。

2005/ 1/ 2
下斗米伸夫(2004)『アジア冷戦史』中公新書.

 ソ連が崩壊して、東西冷戦は終わったとされているが、アジアではそれが別の形で展開して現在でも朝鮮半島で存続している。この本では、従来米国側の資料を基にして語られる冷戦史を、ロシア側の資料から読み解こうとした。第2次世界大戦を終わらせるときにソ連が東アジアにどのような関心を持っていたのか(関心を持っていたとは思えない)、そして中国建国にどう関わったのか、朝鮮戦争はどのようにして起こったのか、こういうことから話が進んでいく。目から鱗の一冊である。

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